幕間

酔いどれ魔女の帝都周遊

 帝国人ならずとも、死ぬ前に一度は帝都を見たい。そう思うはずだ。

 この案内を手にしている君も、そう思って帝都の通りに立った一人だろう。


 大陸で最も大きな都市、帝都。皇帝のお膝元であるそこは、百万とも言われる巨大な人口を抱え、手に入らない物は無いと言われる活発な物流がある。大通りには、肩がぶつかり合うほど多くの人々が行き交っており、市には北の大陸や東方諸王国から運ばれてきた珍しい品々が、ところ狭しと並んでいる。

 帝都には見るべき場所も多い。一年を通して競馬などの種々の催しが開かれる大アリーナや、ガラス張りの温室が据えられ、季節を問わず色とりどりの花々を楽しめる植物園あたりは、まず一度は訪れてみるべき場所だ。他にも、美術館、拳闘場、恋人たちの憩いの場である聖者ドミニクの噴水等々、例を挙げれば切りが無い。

 また、食べたいならば帝都に行けとも言われる。帝都で口にできぬ料理は無いし、味わえぬ酒も無い。料理人たちは創意工夫をこらし、君の舌と胃袋を満足させてくれる。

 そうそう、これも言っておかなければ。君が敬虔な信者ならば、神聖教会の総本山であるミュリセント大聖堂に行くことを忘れないように。端から端に歩くだけでも一日かかると言われる、まさに神の奇跡とも言える荘厳な建物だ。辛抱強く機会を待てば、もしかしたら聖女様にお目通りがかなうチャンスも――


 その辺まで読んで、ネレイアは四つ折りの帝都の観光案内をたたんだ。

 どうも芝居臭さが漂う案内文だが、絵入りの地図も付いていて、帝都に慣れていないネレイアのような人間にとっては、便利なことは便利だ。こんな物が商店に当たり前に売っているあたり、帝都が他の都市とは違うというのは本当だ。

 しかし、流石に何度も見返したので、地図も大分頭に入ってきた。もうこれに頼らずとも、行きたいところに行く事は出来るだろう。


 ――まずはお酒よね。それから……今日はどこに行こうかしら。


 取りあえずはいつも通り、一瓶くらい開けて、ほろ酔い気分になってから町に繰り出すのが良いだろうと、ネレイアは食堂街を目指した。

 ネレイア・ククリアータ。彼女は“水の魔女”の異名を持つ、凄腕の魔術士にして冒険者だ。

 バルトムンクでアルフェと共闘し、別れた彼女は、それから数ヶ月が経った今も帝都に滞在していた。

 アルフェには、交易船に便乗して故国へ帰ると伝えたネレイアだが、それは何分にも、季節に一本在るかどうかの不定期な船である。少々の足止めを食うのは覚悟していた。彼女の故国は、帝国で言う八大諸侯よりも、ずっと規模の小さな小国だから、これも仕方ないのだ。


 それならばということで、ネレイアは船を待つ間、帝都の観光をして暇を潰していた。かつてのネレイアは、彼女の村が滅びた原因である魔物を追って、いつもどこか鬱屈とした気持ちで都市を回ってきたものだから、帝都は初めてではなかったにも関わらず、目に映る物全てが新鮮に感じられた。

 しかしそれも、数ヶ月前にここを訪れたばかりの話だ。案内に書かれたところは一通り見て回ったし、最近は観光にも大分飽きてきた。

 大通りはひっきりなしに人が行き交っている。ネレイアとすれ違うと、女性はぎょっとした顔で、男性は鼻の下を伸ばして、大抵は振り返る。相変わらず黒ずくめの、露出が多い扇情的な服を着て、しゃなりしゃなりと彼女は歩いた。


 がやがやという喧噪に混じって、道の脇からとんてんかんてんと、金槌で釘を打つ音が響いてくる。家の修繕をしているのだ。一軒だけでなく複数の家で、職人が屋根や壁に貼り付いて、そうやって作業をしていた。


「昨日の地震はひどかったなぁ」

「ああ、地震なんて何年ぶりだ?」

「あんたのとこは大丈夫だったかい」


 その家の持ち主らしい旦那が、隣家の人間と話をしている。

 昨日の昼過ぎくらいに、帝都を大地震が襲った。ネレイアも、酒場でその地震を体感した。テーブルに置いてあった酒瓶が倒れ、危うく中身が台無しになるところだった。彼女が扱う水の魔術は、酒も操ることができるから、咄嗟に浮かせて事なきを得たが。


「まるで、地竜があくびしたみたいだったな」

「違いない」


 そう言って、旦那衆は笑っている。屋根や壁が壊れても、倒壊までした建物はほとんど無く、今のところ死人が出たとも聞いていないから、彼らもそんな風に、のんきに構えていられる。

 ちなみに、「地竜があくびを~」というのは、あくまで帝国で良く用いられる比喩表現で、本当に地面の下に竜がいて、それが地震を起こしているのではない。それは子供でも承知している。


「どこで起こった地震なんだろうなぁ」

「波が起きなかったから、海じゃ無いはずだってうちの親父が言ってたよ」

「じゃあ、山の方か」

「かもねぇ。しかし、痛い出費だ」


 旦那衆は地震談義を続けていたが、ネレイアはそのくらいで耳を傾けるのをやめて、通りを進んだ。

 彼女は途中、観光案内にも載っている、聖者ドミニクの噴水とかいう名所の前を通りかかった。

 大きな公園の中央にあって、いつもなら周辺のベンチで、多くの恋人たちが人目もはばからずにいちゃついている場所だが、今日は人の数が少ない。昨日の地震のせいで、この噴水も故障してしまったようだ。職人たちはここでも、補修のための足場を組み上げている。


 ――あら、残念。


 ネレイアは、心の中で小さくため息をついた。男の視線を誘導して、若い恋人たちをからかえなかったからではなく、噴水が見られなかったからだ。

 水の魔女だけに、ネレイアは噴水が好きだった。噴水だけでなく、用水や水車など、水が流れて動いている場所全般が好きだった。彼女の故郷の村は、帝都と比べようもない田舎だったが、水の魔術を連綿と伝える一族の村らしく、村内を縦横無尽に水路が走り、あちらこちらで大小の水車がくるくると回っていた。

 恋愛成就にまつわる、聖者ドミニクに関する伝説も、妙齢の女性としてちょっと興味が無いわけでは無いが、水が天高く吹き上がる様を見たくてこの道を選んだのに、それを見られなかったのは残念だ。


 公園を抜けて食堂街に着くと、ネレイアは美味そうな酒の匂いがする店を選んで、そこのテーブルに居座った。


「これと、これ。あとこれも。――え? 違うわ、全部瓶で持ってきて」


 まずは果実酒を三本ほど注文した。一本開けたら出かけようと思っていたが、やはり三本くらい飲まなければ、酒を飲んだとは言えない気がする。

 肴も頼まずに酒を三瓶開けようとする美女の出現に、店員は目を丸くした。注文された酒が、この店でも高い物ばかりだったので、彼はさらに目を丸くした。


 ――う~ん。お酒も美味しいけど、瓶も綺麗ね。やっぱり都会だからかしら。


 高級酒だからということもあるが、瓶で酒を頼んだら、土瓶ではなくガラス瓶が出て来た。杯もきちんとガラス製だ。熟練の職人が作ったガラス杯は透き通っていて、注がれた酒の様子がよく見える。これもしっかり料金の中に含まれているのだろう。

 ガラス瓶が綺麗だったので、当初は三本で留めておくつもりが、結局ネレイアは蒸留酒なども含め、五本の瓶を開けてしまった。

 仇の魔物について考えなくて良くなってから、酒が前よりも美味く感じられるということもある。今のネレイアは、嫌なことを忘れるためではなく、純粋に楽しむために、酒を飲むことが出来ていた。

 空いた瓶をテーブルに並べて、ほろ酔い加減の彼女は、楽しそうに微笑んでいる。


「お、お会計はこちらになります」

「はあい。うふふ」

「あ、ありがとうございます。ぜひ今後ともごひいきに」


 ネレイアは飲み代を金貨で支払った。

 一度の飲食で金貨を使う人間は、貴族でもなければ世の中にあまり居ないだろう。金額を伝えに来た店員の方が震えていたくらいだ。だが、ネレイアは冒険者の中でも最上級の稼ぎを持っている。毎日でなければ、この程度の豪遊は普通に可能だった。


 店を出ると、ネレイアは、何だかもう宿に戻ってもいい気分になった。

 しかし、それだと流石にただの飲んべえでしかない。実際、彼女はただの飲んべえなのかもしれないが。とにかく、ネレイアは酔い覚ましを兼ねて、適当に知らない道を、当てもなくぶらつくことにした。たまには、観光案内に載っていない場所にも行ってみたい。

 食堂街から帝都の外周方面に向かって歩くと、段々と町の様子がきな臭くなってきた。いかにも治安の悪そうな、と言ったらいいか。百万もの人間が住む都市ならば、こんな場所だって当然ある。帝都には、暗殺者ギルドや盗賊ギルドの本拠地だってあると噂されているのだ。

 ネレイアが前に居たバルトムンクほど殺伐としては居ないが、この薄汚れた通りには、ぼろをまとった貧民が屋外で寝転んでいたりする。少し醒めた気分になって、ネレイアはその区画を通り過ぎた。


 次にネレイアがたどり着いた場所は、奇妙な広場だった。

 小さな町一つ入りそうな広い砂地の上に、いくつものテントが立っていて、そこに屈強な男たちがひしめいている。まるで兵営のようだが、それよりはもっと柄が悪い。


「我らワイトブルムの青き翼竜団に加わって、名を上げたいと思う戦士はいないか!」


 演題の上に立った派手目な鎧を着た男が、大声を張り上げている。

 ネレイアは知らなかったが、ここは傭兵団が募兵を行う、ある種の集会所のような場所だった。戦力の募集は冒険者組合の依頼でもたまに見かけるが、傭兵団は主に、こうやって人集めをしているのだ。


「我らはこれより、かの八大諸侯トリール伯に加勢し、教会の敵であるノイマルク伯ルゾルフを滅ぼすための――」


 現在、八大諸侯のトリール伯とノイマルク伯が戦争をしている。これほど規模の大きい軍事衝突は久しぶりだったので、この傭兵たちは張り切って仲間を集め、ここから出稼ぎに出発していく心づもりだ。

 演題に立っているのは、恐らくその「青き翼竜団」とかの団長で、自分たちがどういう戦に参加し、どういう風に稼ぐ計画なのかを、無所属の傭兵たちに力強い調子で訴えている。

 演説を聴いている傭兵たちは、厳しい視線でその団長を値踏みしていた。自分の命を張って商売にするのが傭兵だ。この団ならば稼げそうとか、この団長の指揮ならば命を落とす危険は少ないだろうとか、彼らが判断するべき要素は沢山ある。


「この戦い、正義はトリール伯にある! 我々は敬愛するべき女伯を支援し――」


 幾つかの傭兵団の演説を聞いていると、ほとんどの団はトリールへの加勢を計画しているようだ。対して、敵方のノイマルクに加わろうとしている傭兵は、ほとんど見かけない。割合にして、八対二といったところだ。

 傭兵たちは鼻がきく。こういう流れになっているということは、トリール伯が戦争に勝利するという見方が一般的なのだろう。負けそうな陣営に加わって、一発逆転の大穴を狙うという無謀な団くらいしか、ノイマルク伯の味方をしようとは思わないのかもしれない。

 ネレイアにとって、その戦争は完全に他人事である。一種の見世物を見ているような気分で、彼女はその広場を見物していた。


「あー、あー。ごほん。うむ」

「さっさとしろよ。演説は得意だって言ったのはお前だぞ」

「待て、ちょっと待ってくれ。久しぶりだから、緊張しているのだ。あー、あー。本日は晴天である。うむ」

「やれやれ」


 広場の一隅に、慣れた調子で募兵を行っている傭兵団の中に混じって、ネレイアは妙な二人組を発見した。


「――貴公も私たちの団に加わり、ぜひ同じ目標に向かって邁進――。どうかな、こんな感じか?」

「悪くない。だが、“私”なんてお行儀のいい言葉を使うんじゃねぇよ。お前は傭兵なんだ」

「――“我が輩”か?」

「“俺”だ。傭兵は強い男が好きだからな。弱っちい団長に命を預けようって思えるか?」

「私は別に、男に好かれたくはないぞ……」

「うるせぇよ。いいから言ってみろ。“俺”、ほら」

「――俺」

「そうだ。じゃあ行ってこい」

「よ、よし。俺はやるぞ!」


 二人の男が、頓珍漢なやり取りをしている。

 演説前の発声練習をしているのは、左目に黒い眼帯をした金髪の男で、その相手をしているのは、首にバンダナを巻いた、傷だらけの禿げ頭の男だ。

 他に仲間は見当たらない。眼帯の男の慣れない様子から察するに、この二人は今日ここで、自分たちの傭兵団を旗揚げするつもりなのだろうか。

 粗末な木箱を演台に、背後には彼らのものと思われる、槍に付けられた旗が揺れている。


 ――銀色の……狼?


 二人組の滑稽な様子もそうだが、その旗に描かれた紋章が、ネレイアの目を引いた。ネレイアはしばし足を止めて、彼らの演説を聴く気になった。


「諸君、聞いてくれ!」


 演台に立った眼帯の男が、大声を張り上げる。周辺にいるほとんどの傭兵は、男を一瞥しただけで通り過ぎ、ほんの八人くらいが立ち止まった。眼帯の男は聴衆が少ないことに不満そうだったが、良く通る声で募兵演説を開始した。


「今日は記念すべき日だ! 俺たちは、今日ここで旗揚げを行う!」


 この時点で、さらに二人が消えた。


「む、ぐう。団の立ち上げに、是非諸君らにも加わって貰いたい!」


 眼帯の男は、めげずに続ける。そういう打たれ強さはある男のようだ。

 それにしても、眼帯の男が着ている鎧は、もの凄く上等な品だった。ネレイアの眼から見ても、あれには非常に高度な魔術がかかっているのを感じる。あんなものを身に着けた者は、冒険者の中でも見た事が無い。

 足を止めた傭兵たちは、男に注目してというより、あの鎧に注目したのかもしれない。


「この帝都の東で、トリール伯とノイマルク伯が争っているのは、諸君も知っての通りだ!」


 禿げ頭の男は、演台の下でふむふむと満足そうに頷いている。傭兵たちも同じ様子だ。今この時期に旗揚げをする以上、やはりその戦争を押さえておくのが傭兵の基本と言えるからだ。

 眼帯の男は、その後も戦争の現状について語っていく。ノイマルク伯が破門されたことにより、戦いがトリール伯の優勢で進むであろうことなど、男の戦況分析は、そこそこしっかりしていた。

 後はどちらの勢力に加勢するつもりなのか、それが重要だと思われた辺りで、演説の色が変わった。


「――しかし、トリール伯とノイマルク伯、このどちらにも正義は無い! 立場の違いはあっても、彼らは全く同じである! 彼らは結局、権力欲のために戦っているに過ぎない!」


 そうかもしれないが、そこは建前として、どちらにどういう正義があると言わなければならないところだ。一応の大義名分を掲げて、傭兵はどちらかに加勢するものなのだから。

 多分ネレイアだけでなく、男の話を聞いている全ての傭兵がそう思っただろう。

 禿げ頭の男が、演説を止めたそうな仕草をした。しかし、眼帯の男は止まらない。喋っているうち、話に熱が入ってきたようだ。


「彼らが争っている傍らで、辺境の村々は疲弊し、魔物の害に怯えている! 誰かがこれを救わなければならない! 俺はトリールとノイマルク、どちらにも味方するつもりは無い! ただ民を救うためにこそ、俺たちは行動する!」


 自分たちが傭兵団ではなく、まるで正義の騎士団を目指しているかのように、眼帯の男は拳を振り上げ、唾を飛ばして叫んでいる。


「お話は立派だが、金はどうするんだ?」


 聞いていた数少ない傭兵の中から、野次るような感じで、そういう突っ込みが入った。辺境の村々を救うために活動するのはいいが、それで金が稼げるはずはない。良く聞いてくれたと、眼帯の男は頷いた。


「貧に苦しむことはあるだろう!」


 男は自信満々に言い切った。


「だが、それでも俺たちは民のために――、……おい! ちょっと待て!」


 馬鹿に付き合って時間を無駄にしたと、聴衆は次々と去っていく。そして、眼帯の男の話を聞いている傭兵は、一人も居なくなった。

 禿げ頭の男は、ため息をつくと言った。


「まあ、こんなもんだな」

「こんなもんとはどういうことだ!」

「稼げない頭に付いていく傭兵がいるかよ。当たり前だろうが。こんなものが現実だ」

「むううう」

「やっぱり、今はトリールに加勢するのが鉄板だ。それなら大した危険を冒さず、勝ち馬に乗れる。まずはその辺から、知名度を稼ぐんだ」

「それでは意味が無い! 俺は民を救うために――」

「それは分かったって。だがな、クルツ」

「うるさいウェッジ!」


 二人の男は言い争いを始めた。

 本当に頓珍漢な二人組だと、ネレイアは目を丸くしてその様子を眺めている。稼ぎは二の次で、辺境の村のために戦うと公言する傭兵団など、初めて見た。驚きで、彼女の酔いも、いつの間にか完全に覚めている。


「面倒くさい奴だなぁ。傭兵としちゃ俺の方が先輩なんだ、言う事聞けよ!」

「何が先輩だ! アンデッドの群れから助けてやった恩を忘れたか!」

「そりゃあその鎧のお陰だろうが! それにあれは、元々お前が悪い――あ、いや、言い過ぎたよ。しかしな――!」


 一応は残って聞いているネレイアそっちのけで、二人は口論を続けている。


「なあ」


 いや、よく見ると、残っている人間がもう一人いた。


「なあ、あんたら」


 うらぶれた格好の、中年の傭兵だ。声をかけられて、頓珍漢な二人組は喧嘩をやめた。


「なんで、そんな事を考えたんだ」

「なんで?」


 眼帯の男が、聞かれた意味が分からないと首を傾げた。


「辺境で、魔物と戦うつもりなんだろ」

「ああ! 魔物だろうと野盗だろうとな!」

「なんでだ」

「民のためだ!」


 民のために。さっきもこの男は、その言葉を口にした。

 中年の傭兵は、問いかけを続ける。


「領主に任せておけばいい」

「領主が義務を果たさないなら、誰かが代わりにやるしか無い!」

「金にもならない」

「金以上に大事なものもある!」

「辺境に住む奴らなんて、死んだって誰も気にしない」

「違う、彼らも同じ人間だ!」


 何だろう。この男は底抜けの馬鹿なのだろうか。それとも、それとは違う、全く別の何かなのか。

 ネレイアと同じ事を、中年の傭兵も思ったようだ。傭兵は、あんたは馬鹿かとつぶやいた。


「何ぃ!?」

「すまん、馬鹿なんだ、こいつは」

「ウェッジ!」


 眼帯の男が目をむき、禿げ頭が詫びた。だが、その禿げ頭の男だけは、そう言いながらも眼帯の男に付いていくつもりなのか。


「一回だけなら」


 かなり長く考えてから、踏ん切りを付けたように中年の傭兵が言った。


「一回だけなら、あんたの下で働いてもいい」


 眼帯の男と禿げ頭の男は、顔を見合わせた。


「一回限りだ」


 自分に言い聞かせるように、中年の傭兵は繰り返している。

 だが、一回限りとは言え、彼らの傭兵団に新しい仲間が加わった事は間違い無かった。禿げ頭の男が、傭兵に握手を求めた。


「ありがとう。この馬鹿はこんな風だが、稼ぐ方はちゃんと俺が考えるから安心してくれ。俺はウェッジだ。この団の――副長ってことになるのか」

「どうしてお前が先に名乗る! 俺が団長だぞ!」

「ならさっさと名乗れよ」

「分かっている! 俺の名はクルツ。クルツ…………」


 そこで、眼帯の男は言い淀んだ。禿げ頭の男は、そんな彼をちらりと見た。

 家名があるなら名乗ればいい。どうしてそんなにためらうのか。


「俺は――」


 眼帯の男は深く息を吸った。ネレイアには、そうやって、彼が何かを振り払ったように見えた。


「――俺は、ただのクルツだ! よろしく頼む!」


 三人はそれぞれ握手を交わしていく。

 ここに、一つの新しい傭兵団が結成された。

 彼らがその後、どうなるのかは知らない。

 呆気なくどこかで全滅するのか、途中で理想を捨てて、現実を直視することになるのか。それとも、最後までその理想を貫くのか。


 ネレイアは、彼らにとってあくまで傍観者だった。

 ただ、そんなに気分の悪いものを見た気はしない。

 自分も観光を中断して、一回だけなら、貴方たちに付いていってもいいと声をかけてみようか。ネレイアは少し迷っていた。

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