パラディンの集い
第141話
帝都にある神殿騎士団本部要塞ワルボルクには、今日も訓練に励む騎士候補生のかけ声や、神に対する祈りの賛歌が響いている。要塞内では騎士や騎士候補生の他にも、要塞の雑務を担う者や、何らかの用が有って出向している教会関係者など、多くの人間が働いている。
その日の騎士団本部は、どこかいつもと様子が異なっていた。朝から何か、形容しがたい緊張した空気が漂っているのだ。何かが重くのしかかったような、どことなくぴりぴりとして不安を抱かせる、そんな空気である。
そして、その本部内の通路を、二人の男が歩いていた。一人は年若い青年で、一人はくたびれた、四十手前くらいの男だ。両者の出で立ちは神殿騎士のそれであるが、青年が一分の隙無く騎士服を着こなしているのに対して、中年男はズボンからシャツの裾をはみ出させ、ひどくだらしない格好をしている。
「わざわざ僕らを招集するなんて、何があったんでしょうか、ランディさん」
「俺がそんなこと知るかよ、シモン。ヴォルクスにでも聞けよ」
「ランディさんも聞かされていないんですか? 意外ですね」
「当たり前だ。俺に知らせて何になるってんだ。第一、何があっても、俺は興味ねぇよ」
ランディと呼ばれた年嵩の男が、あくびをかみ殺しながら言いうと、シモンと呼ばれた青年は呆れた表情で嘆いた。呆れ顔でも、この青年は驚くほどに整った顔立ちをしている。
「相変わらずやる気が無いですね……。もう少しシャキッとして下さい。ヴォルクス様は、ランディさんのことを認めていらっしゃるんですから」
「ははッ、光栄なことだなぁ」
今日の騎士団の重たい空気には、この二人にも、それを作りだした原因の一端があった。二人とすれ違う騎士団員が、全員はじかれたように通路の端に寄り、額に汗を浮かべながら敬礼している事からも、それが分かる。
年嵩の男の名前は、パラディン第三席のランディ・バックレイ。青年の方は、第七席のシモン・フィールリンゲル。即ち、この二人は二人ともに、神殿騎士団の最高峰たるパラディンに席を与えられた人間なのだ。
「パラディンが集まるなんて、イジウスさんが亡くなられて以来です。こんなこと、早々無いですよ」
「生意気言いやがる。お前は一昨年パラディンになったばっかりだろうが」
「もう五年経ちましたって」
「……そうだったか? ま、似たようなもんだろ」
「老化の証拠ですよ、それ」
「うるせぇ」
ランディがシモンを小突こうとすると、シモンはそれをすっとかわした。
二人の話は、年の離れた同僚の何気ない会話のように聞こえる。だが、忘れてはならない。彼らがパラディンということは、どちらも一万の軍勢を相手取って、互角に戦える力があるということだ。
他の騎士団員たちが彼らに道を空けるのは、パラディンという位に敬意を払ってという事もあるが、そこには危険な猛獣を恐れて遠巻きにするような意味合いも、多分に含まれていたに違いない。
「招集って大げさに言ってみても、どうせ半分も集まらねぇだろ」
「そうかもしれません。モナシュさんやエドガーさんも帝都外での任務ですから。あ、でも、ゴッドバルト様は帰ってくるみたいですよ」
「……へぇ、第二団長様は国外じゃなかったのか。わざわざ、このために帰国するのか?」
「やっぱり、興味あるんじゃないですか」
そう言ったシモンが、溌剌とした笑顔を見せた。彼は剣の腕以外に、その容姿でも帝国で一、二を争うと言われる美青年だ。年頃の娘が今の彼を見れば――いや、年頃でなくとも、女ならば誰でも心を奪われるに違いない。あるいは男でも感情が揺さぶられる。シモンはそれほどの美形だった。
しかしランディは慣れたもので、はいはいと聞き流しながら、目的地の部屋の扉を開けた。
そこは、談話室を兼ねた応接間の一つだった。
さっき彼らが言ったように、パラディンは常に全員が帝都にいるとは限らない。この二人も、先日までは別の土地での任務に就いていた。たまたま近場に居た上に、彼らでなくても務まる任務だったから、比較的早く帝都に戻ってこられたが、他のパラディンが集まるには、まだ時間がかかる。
だから、もう何日かは本部で時間を潰す必要があるだろう。という事で、この部屋にくつろぎに来たのだ。
「会議がどうこうより、こうしてしばらくゆっくり出来るって事の方が、俺には重要だな」
ランディがどっかりとソファに腰を下ろすと、シモンが彼に尋ねてくる。
「ランディさん、お茶でも飲みますか?」
「ああ、頼むぜ」
と言っても、パラディンが手ずから茶を入れる必要など無い。シモンはベルを鳴らし、応接間の当番になっている従士の少年を呼ぶと、茶と菓子の用意を言いつけた。
会話が途切れ、手持ち無沙汰な時間が流れる。ランディは足を組み、両腕を大きく拡げてソファに背中を預け、天井を見上げた。
「暇だな……」
「ゆっくりしたいんじゃなかったんですか?」
「一々揚げ足を取るな。……おい、シモン、何か面白い話でもしろよ」
「無茶ぶりしますね……」
「悪いかよ。俺はパラディンの先輩だぜ?」
仕方ない先輩ですねと、シモンは苦笑した。
「そうですね……。……じゃあ、さっきの話の続きですけれど、ロザリンデさんも、帝都に帰ってきているそうですよ」
「げ」
「どうしました?」
「いや、やっぱり別の話をしようぜ」
「……?」
「そうだな、先輩の俺が話題を提供するべきだな。う~む……」
シモンの口から、同僚のロザリンデ・アイゼンシュタインの名前が出ると、ランディは顔色を変え、露骨に話を逸らした。彼は無理矢理新しい話題をひねり出そうと、しばらく天井を見上げて唸っていたが、やがて手を叩いた。
「おお、そうだ! お前、聞いたか? 最近ヴォルクスの部屋に、女が出入りしてるらしいぞ。驚きだな。あの野郎も、ついにそういう女が出来たか」
「ああ、その女性なら知ってますよ。北大陸から魔術留学に派遣されてきた人で、ヴォルクス様のご友人の娘さんだそうです。恋人とかじゃありません」
「なんだ、そうなのか」
ランディはシモンの方に顔を向けると、しらけた表情をした。今まで女っ気の無かったパラディン筆頭のヴォルクス・ヴァイスハイトに、親密にしている女性ができたとなれば、これは恰好の話題だと思ったのだが、そう考えたのはランディだけだったようだ。
「それよりも、ロザリンデさんが――」
「その娘は黒髪だってよ。黒髪って言ったら、教会じゃ忌み子なのにな。北の奴らはそういうのにはこだわらないのかねぇ」
「そもそも迷信ですよ、そんなの。イジウスさんが生きてたら、何て言ったか分かりませんけど」
「あいつはそういうのを気にする奴だったからなぁ」
「それはそうと、ロザリンデさんが――」
「第三食堂が工事中だってな。あそこは雨漏りが酷かったからしょうがいな、うん」
シモンがロザリンデのことを話そうとするたび、ランディは話を別の方向に持っていこうとする。彼には余程、ロザリンデのことを話題にしたくない理由があるようだった。
彼らがそうやって駄弁っていると、従士の少年が茶を運んできた。パラディンは、このような騎士を目指す少年従士にとっては最高の憧れである。それを二人同時に間近に出来て、高揚が半分、粗相をしてはならないという緊張が半分、カップを置く少年の手は細かく震えていた。
「お疲れさん。ありがとうな」
退出間際、ランディにそんな声をかけられると、少年の顔は輝いた。少年が出て行ったあと、ランディはやれやれとため息をついた。
「お前にだって、あんな純粋な時代があっただろうになぁ……」
「何か言いました?」
「言ってねえ」
茶を一息で飲み干し、菓子を頬張ると、ランディは立ち上がった。
「どこに行くんですか、ランディさん」
「ぶらついて来る。どうせ、全員集まるまで何日かあるんだ。会議がまだなら、いつまでもここにいたって仕方ないからな」
「あまりパラディンがだらしない格好でうろうろすると、総長に叱られますよ。僕も行きます」
「来なくていい」
ランディは断ったのに、それでもシモンは付いて来た。お目付役のつもりのようだ。
ぶらつくという宣言通り、彼らは要塞の中を当てもなくぶらついた。彼らが姿を見せた場所では、ちょっと一息ついていた団員たちも、慌てて立ち上がり仕事に戻る。ランディは、何だか彼らに悪い事をしている気になった。
しかしやっぱり暇なので、ランディたちは訓練所にまでやって来た。真面目くさって鍛錬する気は、ランディには無い。ただただ、足が向いただけだ。訓練所にある運動場は広く、空も晴れ渡っている。ランディは眠気を堪えきれず、腕を伸ばして大あくびした。
「あ~あ、平和だなぁ。シモン、お前もそう思うだろ」
彼の隣にいるシモンから、返事は無い。
「こんなに天気がいいと、騎士なんか辞めちまいたくなるなぁ」
やはりシモンは何も言わない。別にいいけどなと思いつつ、ランディが彼を見ると、シモンはランディとは反対方向に顔を向けていた。
「おいシモン、返事くらいしろよ。それとも、何か面白いものでもあったのか? …………あ」
ランディがシモンの見ている方角に視線をやると、運動場の反対側の端に、桃色がかった灰色の髪の乙女がいた。遠いが、あの特徴的な髪色は間違い無い。
「ロザリンデさん……」
シモンが、恋焦がれるような声を出した。
あれは、ランディたちよりも先に帝都に帰っていたという、パラディン末席のロザリンデ・アイゼンシュタインだ。
しかもロザリンデは、珍しい事に男と会話をしている。それを目にして、シモンの奴はどう反応するのか。やはり部屋で大人しくしておくべきだった。これは面倒くさくなるぞと、ランディはうんざりした表情で思った。
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