第126話

「やっぱり、あんたの方が早かったか。これでも、俺も急いだつもりだが」


 アルフェが鉄柱の林のエレメンタル討伐から帰ってきてから三日後の昼過ぎ、フロイドが砦に戻ってきた。この男も、アルフェとは別地方の魔物の駆除にかり出されていた。特に手傷は負っていないから、苦戦するような手強い魔物はいなかったのだろう。


「結界に近い割には、大きな魔物の群れだった。あれを放置するとは、ノイマルク軍の手が足りてないのは本当のようだな。あんたの方の首尾はどうだ?」

「問題ありませんでした」

「そうか。まあ、そうだろうな」


 ここはアルフェの個室である。フロイドは椅子を一つ自分の元に引き寄せると、どかりと腰を下ろした。


「……将軍の所へは?」

「もう行ってきた。次の仕事まで、もう少し待てとさ。ベレンの周りは……、ちょっと騒がしい様子だった」


 フロイドが意味深な目配せをし、アルフェは頷いた。雇われ冒険者であるアルフェとフロイドに地方の魔物討伐を任せて、ベレン自身はこの砦から動いていない。

 ベレンの部屋には慌ただしく部下が出入りをして、連日何かの協議をしている。ベレンたちは、キルケル大聖堂にいるパラディンのエドガー・トーレスと、なんとかして交渉を試みているようだから、そこに動きがあったのだろう。

 アルフェがそう言うと、フロイドは眉をひそめた。


「交渉……? それは、上手く行ってるのか?」

「さあ」


 アルフェはあっさりと首を傾げた。

 アルフェもベレンからそこまで突っ込んだ事情は聞かされていなかったし、あえて探ろうともしていない。

 フロイドはアルフェの気持ちを読み取ったように、ふうんと言った。


「まあ、そうだな。あまり深く関わり合いになっても、面倒が増えるか。そう言いたいんだろう?」

「はい」

「しかし、もしその交渉が決裂して、ベレンとエドガーが剣を交えることになったら、あんたはどうするつもりなんだ。割って入るのか?」

「……そんな無謀な事はしません」

「それは本当か分からんな」


 フロイドが鼻で笑う。アルフェは今まで腰掛けていたベッドから立ち上がると、彼の前を通り過ぎ、部屋の入り口の扉に手をかけた。


「とにかく、次の仕事まで間が空くようです。支度をしてください」

「支度? 何の」

「鍛錬です。将軍は忙しい様子ですから……、あなたに相手をしてもらいます」

「おい、俺は昨日まで魔物とやり合ってたんだ。帰ってくるなりそれは……」

「先に行っています」


 フロイドの抗議を聴かず、アルフェは部屋を出て行った。


「……あのお姫様は、もう少し、家来をいたわってくれんものかね?」


 ため息をついたフロイドは、膝に手を突き立ち上がると、腰のベルトに剣の鞘を通した。

 鍛錬をすると言うアルフェに付いて、フロイドは砦の外に出た。人目の多い練兵場は避けて、二人は建物の裏手にやって来た。

 そこは、土がむき出しになった、ただの小さな空き地だった。だが、一本だけ生えた大きな木の下に、訓練用の人形が一つ置いてある。あれは、アルフェがバルトムンクに居たころに作成した手作りの木人だ。彼女はここを、この砦における稽古場にしているのだろうとフロイドは思った。

 上着とスカートを無造作に脱ぎ捨て、半袖のシャツと、太ももまでしかない短いズボンという格好になったアルフェは、もの凄く寒そうだ。肌が白いせいで、余計にそう見える。どちらかというと寒がりなフロイドは、自分の身体にまで震えが走る気がして腕を組んだ。


「エレメンタルと戦っていて、思いついたのですが」


 そんなフロイドの気も知らず、アルフェは唐突に語り始めた。


「エレメンタル……。ああ、あんたは東に行って来たんだったな。噂の鉄柱林ってやつはどうだった?」

「なかなか面白い景観でしたよ。こんな太さの鉄柱が沢山あって――」


 身振りを交えつつ、素直に答えたと思ったら、アルフェの顔は険しくなった。フロイドに対する距離感を間違えたと思ったのだろう。逆に高圧的な口調になって、アルフェは言った。


「……そんなことは、どうでもいいのです。そこで、改めて感じたのです」

「何を」

「私の技は、どれも軽いと。一撃の威力を、上げる必要があります」

「軽い……、そうか?」


 フロイドは首をひねった。この娘は素手で人体を貫き、片手でトロルの首を引きちぎる。蹴りで岩も砕くことができるのだ。フロイドが戦った時も、一撃受けて身体がばらばらになりそうだった。

 それを軽いと言うのなら、「軽い」という単語の定義を再考する必要がある。


「少なくとも、このままでは、より手強い相手には通用しません。もっと、強くならなければ」


 アルフェはどんな相手を想定して、そう言っているのだろう。その表情は真剣だ。この娘は冗談を口にしない。

 アルフェの頭の中にあるのは、バルトムンクの地下闘技場で戦った、パラディンのロザリンデ・アイゼンシュタインだろうか。それとも、今やエアハルト伯となったユリアンだろうか。


 ――いや。


 アルフェは、さらにその遠くを見ている。フロイドにはそんな気がした。


「百聞は一見に如かずと言います。どうぞ」

「……?」


 物思いをしていたフロイドが、我に返る。見ればアルフェは、彼に向かって片手を差し出していた。どうぞ、とは、何をどうしろというのだろうか。フロイドは聞いた。


「斬ればいいのか?」

「違います。あなたには、そういう発想しか無いのですか」

「無いな」

「手を取って下さい」

「は?」

「私の手を」


 フロイドは改めて、アルフェが差し出す手を見た。アルフェは右手をフロイドに向けて差し出し、掌を下に向けている。


「……?」


 やはりフロイドには、その行為の意味が分からない。握手しようというわけでもあるまいに……。


「まさか、握手でもしろと?」

「握手ではないです。ただ握ればいいのです」

「冗談のつもりだったんだが……」

「早くしなさい」

「はいはい」

「そうじゃないです。下から……、そうです」


 アルフェの右手を、フロイドは自身の右手で柔らかく握った。

 アルフェが何のつもりでこんなことを命じたのか知らないが、妙な気分だ。こんな風にして、彼がこの娘の身体に触れるのは初めてだった。アルフェの華奢な掌は、ごつごつと硬くなめされたフロイドの手とは対比的で、しかも、とても軽い。

 この手から、どうやってあんな力が生み出されるのか。自分がアルフェに殺されかけた時のことを思い出しながら、フロイドは彼女の手から伝わる温度を感じた。


「始めます」


 フロイドが埒も無いことを考えていると、アルフェがそう言った。彼女の中で魔力が動くのが、フロイドにも読み取れた。


 ――一体、何をするつもりだ?


 アルフェが何かの技の実験体に自分を選んだのは分かったが、ここから何が始まるというのだろうか。


「…………む? おい」


 フロイドは声をかけたが、アルフェはそれが耳に入らないほどに集中している。慣れぬ技というのは本当のようだが……。フロイドは異変を感じた。


「おい、ちょっと待て……!」


 重い。

 あれほど軽かったアルフェの手が、ひどく重い。力を入れているのではなく、単純に重量が増しているのだ。


「くっ!?」


 フロイドは右手に左手を添え、両手でアルフェの体重を支えた。

 彼女の足元にも変化がある。短い草の生えた土に、若干足がめり込んでいるのだ。フロイドがそう考えている間にも、ますますアルフェの重量は増していく。フロイドの両腕の筋肉が、最大限緊張しているにもかかわらず、もう少しで支えきれなくなりそうだ。


「おい……! おい! ちょっと待て!」

「――!」

「うお!?」


 フロイドが一際大きな声を出すと、アルフェの集中が途切れた。それと同時に、ガクンと力のバランスが変わる。フロイドは、危うくアルフェの手を頭上に跳ね上げそうになり、慌てて両手を離した。


「何だったんだ? 今のは」


 しばらく妙な空気が流れたあと、フロイドがアルフェに尋ねた。


「異常に重く感じた。あれがあんたの新しい技か?」

「はい」

「一応聞くが、何をやったんだ?」

「さっき、私の技は軽いと言いました」

「ああ、そうだったな」

「だから、それを解消する方法を考えました。単純に、重くなれば良いのです」


 少し得意げにアルフェが言う。フロイドは、頭が痛くなる思いがした。


「体重操作……?」

「はい。硬体術を応用した体内の魔力操作で、それが可能です。盲点でした」

「確かに、その類の魔術はあるが……」


 変性術の一種に、物体の重さを操作する魔術は存在する。それは武具や道具の重さを軽くする目的で、主に使われる。だから不可能ではないのだろう。不可能ではないのだろうが、フロイドは何となく理不尽な思いがした。

 自在に体重を操作できれば、強くなれるだろう。当たり前だ。だがそれは、戦士としてとんでもない境地ではないのか。ほんの少しの思いつきから、こんな易々と、身に付けられる技術なのか。


 ――ま、このデタラメな娘の前で、それは今さらか。


 分かっていたつもりだったが、この娘もまた、ユリアン・エアハルトやロザリンデ・アイゼンシュタインのような、ある種の枠外にいる天才なのだ。

 そう考えて諦めることにしたフロイドの前で、アルフェは何やらぶつぶつとつぶやいている。


「何度か試した結果、小型のアイアンエレメンタルくらいには重くなることができました。技に集中すると動けないので、まだ実戦には使えませんが……。もっと、もっと鍛錬すれば」


 ――やれやれ。


 才がある上に、努力することも怠らない。全く、末恐ろしいというやつだ。


「で? 俺にどうしろと?」

「……え?」

「確かに凄い技だとは思うが、ただ自慢したかった訳じゃあるまい。手伝うことがあるんだろ?」


 フロイドは聞いた。

 この技の鍛錬にどう自分が役立つのかは不明だ。しかしアルフェには、自分に何かやらせたいことがあるのだろう。でなければ、わざわざこんな所に連れてきて、自分に新しい技を披露する必要などない。そう考えたからなのだが、アルフェは微妙な表情をした。


「……」

「何だその顔は」

「そう……、ですね。もちろん手伝ってもらいます。そうですね、とりあえず……。……どうしましょうか」

「おいおい」


 アルフェは何も考えていなかったようだ。眉をひそめたフロイドは、少し嫌味を込めて言った。


「もしかして、本当にただ自慢したかっただけか?」

「……違います」

「……なるほど」


 自慢したかったのだな。少しむくれて視線を外したアルフェを見て、フロイドはそう判断した。


「じゃあ、模擬戦でもするか。戦いながら、今の技が使えるように。な?」


 フロイドはそんな風に、苦笑しながら助け船を出した。



 そして日が沈む頃合いになって、二人は稽古を終えた。

 試合形式の稽古だ。フロイドが手にしていたのは真剣ではなく木剣だったし、互いに相手を殺す意志も無いはずだ。それでも、端から見ればそれは実際の戦闘のようで、稽古が終わった時の二人は、冬にもかかわらず汗まみれになっていた。


「ありがとうございました」

「……ああ」


 アルフェが一礼すると、フロイドはぶっきらぼうに返事をした。今のところ、アルフェがこの男に礼を言うのは、このような鍛錬の終わりにだけだ。それを言うだけ、打ち解けたという事かもしれないが。


「アルフェ、あんたはどう見た?」


 後始末が終わって、砦の中に引き上げようとしたところで、フロイドが尋ねた。何のことかとアルフェが聞くと、この領邦のことだとフロイドは言った。


「前々から感じていたが、この領邦には、かなり不穏な空気が漂っているな」

「それは……、戦争なのですから、当たり前では?」

「それもある。しかし、それだけではなさそうだ」

「何か見てきたのですか?」

「まあな」


 フロイドが派遣されたのは、アルフェとは別の地域だ。そこで彼は、ある噂を耳にしたのだという。


「領内の農民たちが、反乱を計画しているとかいう話だ。あくまで、噂だが。しかしそんな話が出る時点で、民がかなり不満を溜めているのは事実だな。それで、その原因はどうやら、今のノイマルク伯にあるようだ」

「ノイマルク伯が……、どのように?」

「はっきり言えば、上に立つ人間じゃないってことさ」


 実際にいくつかの都市や農村に立ち寄ったフロイド曰く、ノイマルク伯ルゾルフは奢侈を好み、横柄で好戦的。外交面ではトリールとの不仲を加速させ、その上、教会との関係も上手く行っていない。そのくせ内側では身分の低い者に辛く当たる傾向があるという、お世辞にも芳しいとは言えない評価を得ているという。


「暗愚だということですか」

「暗愚? 面白い表現だな……。まあ、そうだ。で、農民たちの反乱を警戒して、領内にかなりの兵力が割り当てられている。ベレンが迂闊に動けないで、俺たちみたいなよそ者に頼ろうとするのは、そういう事情もあるんだろうと思った訳だ」

「……」


 フロイドの感想を聞いて、アルフェは何を思ったのか。彼女は立ち止まったまま、無言で考えている。ともかくとして、しばらくの沈黙のあと、アルフェの口からは次のような言葉が出てきた。


「……この領邦の事情に、深入りするつもりはありません。適度な所で、ここでの仕事は切り上げます」


 自分が今ここにいるのは、あくまでベレン・ガリオの強さに関心があるからだ。アルフェはそのように念を押した。


「だろうな。まあ、深入りしてエアハルトの時のようなことになっても……」


 面倒だからな。

 そこまで言わずに台詞を止めたのは、己がそれを言っても冗談にもならないと、フロイドも自分で気がついたからだろう。

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