第114話

 ノイマルクの北の領境付近には、大小の砦がいくつも設置されている。

 現在、それらの砦には、普段よりも多くの兵が駐屯していた。本来は結界外からの魔物の襲来に備えて建設されたはずの砦たちは、トリールとの争いが激化し、もはや戦争と呼ぶべき規模に発展している今、人間同士の争いのために、存分に活用されていた。

 実際には魔物対策の方が口実で、元々トリールとの戦争を見越して作ったのだろうという指摘は、トリールとノイマルクの確執を知る者にとっては当たり前すぎるので、誰も口にしない。

 ともかく、その日の夕刻、砦群の中でも最重要とされているグロスガウの砦において、ノイマルク軍の主立った軍人が集まり、軍議を行っていた。


「銀色の魔物? 何だそれは」


 戦況を報告してきた将校にそう聞き返したのは、この中では最も高位の、筆頭将軍ベレン・ガリオだ。切りそろえられた短髪の、いかにも歴戦の将軍という面構えのベレンは、突然出てきた聞き慣れない単語に、眉をひそめた。


「魔物というか何というか……、居合わせた者たちの証言が、とにかく要領を得ないのです」


 報告担当の将校は、直立不動の姿勢のまま、ちょっと困ったような顔をしている。こういう不明瞭な物言いは、軍隊では好まれない。だが、どう報告して良いか分からないというのが、彼の本音のようだ。


「もう一度、順を追って話したまえ」


 軍議を行うテーブルには、戦場の詳細を示した大地図が拡げられている。その地図を棒で指し示していた魔術士風の高官が、苛立たしそうに言った。


「はい。本日の早朝、領境のバーヌ山付近を巡回していたこちらの部隊が、トリール側の部隊と遭遇しました。規模は約五百」

「バーヌ山……! バーヌ山というと、ほぼこちらの領内だぞ。そこまで突出してくるとは……、女伯の命令か?」

「そうだとしても、五百で何ができる。むしろ若い将軍の誰かが、功を焦っているのではないか? 向こう側も一枚岩ではあるまい」

「いや、それよりは――」

「待て皆、一旦待ってくれ。それで? その五百が? 続けてくれ」


 将校の言葉を中断させる形で、軍議に参加している将軍たちは、ああでもないこうでもないと意見を出す。ベレンは彼らを制止して、将校に話の続きを促した。


「は、はい。戦闘はこちら側の有利に進んでいたそうなのですが、途中で巨大な魔獣が乱入してきたということです。証言を総合したところ、対軍級の固有種だと思われます」


 将軍たちはざわついた。対軍級の魔獣というと、その討伐には少なくとも千人規模の軍の動員が必要となる。それに横から乱入されたとしたら、相当の被害が出ただろう。

 ベレンも他の将軍と同じ事を思っていたようだ。重苦しい表情で、彼は将校に問いかけた。


「こちらは何人死んだ?」

「死者が八十二、負傷が百三十七です」

「……意外に少ないな。その程度で収まってくれたか」


 このベレンの言葉は、別に兵の命を軽んじてのものではなかった。対軍級の魔獣と軍が衝突する事態は稀だが、実際起こった場合には、今回よりずっと多くの死者を出すことの方が多い。


「それが、その死傷者はトリール側との戦闘で出たもので、魔獣に殺された者は一人もいないのです」

「一人も、だと? その魔獣はどうなった」

「死にました」

「……?」


 この将校の説明の仕方が悪いのか、それともこちらの理解力が足りていないのか。立っていたベレンは椅子に座ると、あごに手を当てて首をひねった。

 将校はそんな将軍の様子を見て、慌てて言った。


「すみません、順番に話させて下さい。……両軍の戦闘中に、対軍級の魔獣が出現したのですが、それは別の魔物に追われていたからだということです。その魔物が、先に現れた魔獣を倒してしまったと。そしてそれが――」

「銀色の魔物?」

「はい」

「つまり、魔物同士の縄張り争いか。珍しいことじゃ無いな」


 たまたま軍が巻き込まれたのは不運だったが、魔獣による死者が出なかったのは幸いだ。ベレンがそう言うと、他の者も同意するように頷いた。


「しかしバーヌ山は痛い。あそこから外に出てくるような凶暴な魔物が住み着くと、軍の移動に支障が出ませんか?」

「確かに。ですがそれは、トリール側も同じ事ですからね」

「そうだな、今はそれより、教会の話が優先だ」


 それで将校の報告は終わったのだと判断したらしく、将軍たちは軍議を再開した。

 今挙がった領境の魔物については、それほど緊急の話題とは言えない。将軍たちにとって、目下の懸案事項は別にあった。


「その事です。教会がトリールの支援を約束したという情報ですが……、どうやら本当のようです」


 軍議に加わっていた文官がそう言うと、魔獣の縄張り争いについて話していた時の、どこかふわふわとした雰囲気は一瞬で消え去った。

 ベレンの表情も厳しくなり、何人かの将軍は声を出して唸った。


「帝都に放った密使の報告によれば、神殿騎士団が動いていると」


 神殿騎士団という単語を耳にして、場の緊張はさらに高まった。

 トリールが政治的に親教会派で、ノイマルクがどちらかと言えば反教会派なのは、彼らにとっては今さらな話だ。しかしだからと言って、神殿騎士団が俗界の問題に関わって来るとは、彼らも考えていなかったらしい。

 そもそも、神殿騎士団が理由も無く諸侯の争いにちょっかいを出すのは、重大な越権行為だった。それ故に、実力の行使をしてくるとは考えがたい。しかし仮に、神殿騎士の一部隊でもトリールに派遣されれば、トリール軍にとっては戦意高揚になるだろうし、ノイマルク領内の教会支持者は動揺するに違いない。


「……誰が来る?」


 しかもどうやら、情報はそれだけではなさそうだ。そう察したベレンは文官に尋ねた。極めて苦い顔をして、文官はその問いに答える。


「パラディンのエドガー・トーレスが帝都を発ち、トリールに向かっています。恐らく、数日中にトリール首都ムルフスブルクに到着するかと」


 エドガー・トーレス。栗鼠の紋章を持つパラディンの第九席。この場にいる者で、その名前を知らない者はいなかった。


「まさかそんな……、本当に?」

「神殿騎士団も、思い切った真似をする……」


 将軍たちのうめき声を、ベレンは目をつぶったまま聞いていた。

 神殿騎士団の最高戦力であるパラディンの一人が、トリールに派遣された。最悪の事態だが、ベレンの予想の範囲内には収まっていた。ベレンは片手で目元を揉むと、分かったと口に出した。


「これは、ベレン将軍に対する牽制のつもりでしょうか」


 部屋の中にいる全員の視線が、ベレンの下に集まっている。

 神殿騎士団のパラディンは、一個で万の軍勢を相手にできると言われる桁外れの実力者揃いだ。その存在の有無が、戦況に大きな影響を及ぼすのは当然である。

 だがしかし、領内に多数の人口を抱える八大諸侯ともなれば、パラディンに匹敵する力を有した人材を、一人か二人は抱えていた。だからこそ、帝国における俗界諸侯と教会権力のバランスは保たれているのだ。

 そしてノイマルクの場合は、ここに座っているベレン・ガリオ将軍こそが、その「パラディンに対抗しうる個人」という訳だ。


「……だろうな。ディヒラー老だけでは不十分と見たか。光栄なことだ」


 ため息をつきながらベレンは言った。ディヒラーというのは、トリール伯に仕える幻術士のライムント・ディヒラーのことである。普通ならば彼がベレンの対抗馬として扱われるはずであるが、何しろディヒラーは、御年百歳と言われる超高齢の老人だ。最高位の幻術を操る魔術士とは言え、安定した戦力として計算するには不安があったのだろう。

 ベレンには、パラディンを味方に迎え入れたトリール女伯ヨハンナの、満足そうな笑顔までが想像できた。


「パラディンですか。トリールは、なりふり構わなくなってきましたな。そういうことなら、我々も領外から味方を募ってみては?」


 一人がそう言ったが、パラディンに対抗できる人間など、そうは居ないから困っている。

 近場でノイマルク側に付きそうな中小の領邦には、既に声をかけてある。しかしそんな領邦に期待できるのは、せいぜい兵を数百借りる程度だった。

 できれば、八大諸侯の誰かを味方に付けたかったが、西のハノーゼスとゼスラントは遠すぎるし、南のラトリアは他国の占領統治下にある。そして、残る東のエアハルトは……。

 そう考えて、ベレンは顔を上げた。


「エアハルト伯は何と言っている。書簡の返事は」

「物資の支援をしてくれそうな気配はあります」

「物資だけか」

「……残念ながら」


 近年のエアハルトは、ノイマルクと同じく明確に反教会派だ。だからエアハルト伯にもノイマルクを支援する理由があると思ったのだが、文官の表情を見るに、外交面の成果は薄いようだ。

 ユリアン・エアハルト直々の助力は頼めなくとも、せめてユリアンの懐刀であるオスカー・フライケルあたりを借りることができれば、同じ魔術士のディヒラーへの対応策としては、この上なかったというのに。


 ここにいるベレン以外の将軍たちは、軍指揮者としては優秀だし、一人で数十人の雑兵を打ち払えるくらいには強い。だが、所詮そこ止まりだった。今のノイマルク軍には、ベレンの代わりができる人間がいない。

 しかしこれまでは、ディヒラーの代わりを務める人間がいないトリールも、ノイマルクと状況は似たようなものだった。

 むしろ働き盛りのベレンと、冥界に片足を突っ込んでいるディヒラーとを比較して、こちらの方が若干有利だ。そのように高をくくっていたところに、今回のパラディンのお出ましである。将軍たちの顔が曇るのも、無理はなかった。


「ふぅ、世知辛いな。傭兵や冒険者は?」

「懸命に呼びかけています。ですが、来るのはどうしても……」

「小物ばかり、か」

「それは……」


 ベレンは目を閉じた。言いよどむ文官に対して、お前たちが報酬を渋るからだろうとはさすがに言えない。彼らも最大限に職務を果たそうとしているだろうし、使える資金が限られているのは、文官の責任ばかりではない。

 ベレンは逆に、文官をいたわる言葉をかけた。


「分かった、ご苦労だった。密偵にはそのまま、エドガー・トーレスの動きを注視させてくれ。ディヒラー老の幻術にかからないように、慎重にな」


 パラディンと渡り合えるところまで行かなくとも、もう少し戦力として頼れる人材が欲しい。正直な思いを飲み込んで、夜が更けるまで、ベレンは軍議を続けた。

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