第95話
何のことかという顔をするグイードとアルフェ。二人に挟まれた状態で、フロイドはもう一度聞いた。
「ロディと……、あと二人は何て言ったかな。とにかくそいつらが、お前の討伐隊に参加すると言っていた」
「ロディ……? いたかもしれないし、いないかもしれん。大所帯だ、一々覚えていられない」
「まあ、そうだな」
「そのロディがどうした?」
「昨日、組合でそいつらが死んだと聞いたから、どんな風に死んだのかと思ったのさ」
「そんな事が気になるのか?」
グイードが失笑を漏らす。
アルフェは少し、関心のありそうな目をした。
「意外だな、フロイド・セインヒル。お前は俺と同種だと考えていた。金と名声にしか関心が無い男だとな」
別に金にも名声にも関心は無い。フロイドはそう思ったが、敢えて反論することもしなかった。
「覚えてないのなら別に構わん。何となく聞いただけだ」
「いや待て……、どうだったかな。……ああ」
改めて記憶を探る気になった様子のグイードが、何かを思い出したように言った。
その顔には、挑発的な薄い笑みが浮かんでいる。
「いたな。ロディと、ナルサスと、タイラーの三人。そうだろう?」
「多分そんな名前だった」
「使えない雑魚だったよ」
まともにおとりになることもできなかったと、グイードは言った。
「おとり?」
「ああ、ワイバーン狩りにはその方が都合がいい。一々何十人も連れて行くよりな」
一匹のワイバーンを比較的安全に討伐するためには、数十人規模の隊を組む必要がある。ちょうど前回、ロディたちが参加した時のように。しかしそれでは、一人あたりの分け前は大したものにならない。
もうけを増やすためには、隊の人間を減らさなければならないが、その時は戦法も変える必要があった。
簡単に言えば、おとりを用いて罠に誘い込む。ワイバーンには“生き餌”しかきかないから、その場合は必然的に、誰かが命をかけて危険な役目を負うことになる。
要するに、ロディはそのおとりになって、ワイバーンに食われたのだ。
「おっと、勘違いしないでもらいたいが、志願したのはあいつだ」
「……お前の言う通り、あいつは雑魚だ。それをやってどういう結果になるか、お前なら想像がついただろう」
「それがどうした」
「……他の二人は?」
「馬鹿だよ。ロディとやらを助けようとして、同じく食われた」
「……なるほど」
グイードは二日前にワイバーン狩りから帰還したと言った。その割に、彼は傷一つ負っていない。おとりは死んだが、作戦としては上手くいったということか。
「よくある死に方だ。気にかけるような事でもない。俺やお前らのような人でなしなら、なおさらな」
グイードは真顔で言った。
“お前ら”というからには、そこにはフロイドだけでなく、アルフェのことも含まれているのだろう。
さばさばとした調子で、フロイドはそれに答えた。
「確かに、お前の言う通りだ。雑魚が背伸びをしても、ろくな事にはならんな」
「……おや、怒るのかと思ったが」
「どうして?」
「気に入ってたんじゃないのか? あの三人が」
「まさか」
気に入ってもいないし、彼らは報酬と引き換えに仕事を負い、それによって死んだのだ。
「怒ってどうなる」
言葉どおり、フロイドは平気な顔をしている。
「……じゃあ、これでいいな。俺は帰る」
「ああ」
「アルフェ、お前の対戦相手には、代わりに見舞いを言っといてくれ」
「……」
それでグイードは二人から離れ、通りを南に歩いて行った。結局あの男は、最後まで槍の間合いよりも近くには寄ってこなかった。
「今の話は?」
グイードの姿が見えなくなってから、アルフェが言った。彼女には、男たちが何の話をしているのか、全く置いてけぼりだっただろう。
「知ってる馬鹿たちが死んだってだけさ」
「馬鹿……? 冒険者ですか?」
「ああ」
「そうですか」
アルフェはグイードの去った方角に目をやって、それからまたフロイドに視線を戻した。
「怒らないのですか?」
「あんたまで妙なことを言うなよ」
少し辟易した様子で、フロイドは吐き捨てた。
「グイードの言う通り、俺は人でなしだ」
俺“たち”とは、フロイドは言わなかった。
「怒れる道理がどこにある」
「……」
「……ああ、でも」
己を観察するかのようなアルフェの視線を、フロイドは顔を背けてかわした。
「もしかしたら、あいつなら怒るかもな」
そう言ったフロイドが思い浮かべていたのは、三人が死んだと聞いて驚いていた、マキアスの姿だった。
◇
次の日の夜、フロイドは一人で要塞島の通りを歩いていた。
歓楽街の居酒屋で飯を食い、一杯だけ酒を飲んだ帰りだ。
「……」
女を抱いて行こうかとも思ったが、どうもそんな気になれない。少し肌寒い秋の風を受けながら、彼は無言で帰途に就いた。
要塞島から対岸に続く石橋を渡る。橋中央の関門にはかがり火が灯っていて、二人の衛兵がやる気なさそうに見張りをしていた。見張りはフロイドを呼び止めもせず、そのまま黙って通す。
関門の火が遠ざかり、辺りはまた真っ暗になった。
この川の幅は広く、橋は高い。遠くにある水面は闇の中では全く見えず、滔々とした流れの気配だけが、空気を通して肌に伝わってくる。
関門と岸の中央まで来たかという時、フロイドの耳にじゃりじゃりという足音が聞こえた。反対側から、誰かが歩いてくるのだ。
フロイドは足を止めた。
「……お前か」
そう言ったのはグイード・アンソフだ。
よく会うものだとフロイドは苦笑し、同時に、今はあまりこの顔は見たくなかったと考えた。
「よう」
小さく返事をして、再び歩き出す。
グイードも今から要塞島の歓楽街に向かうのだろう。こんな時にも槍を手放さず、用心深いことだとフロイドは思った。
橋桁の両端に寄って、二人はすれ違った。特にこいつに用は無い。グイードもそれは、同じ気持ちだったろう。
だが――
「ちょっと待ってくれ」
グイードの背中に、立ち止まったフロイドが声をかけた。
「……何だ。まだ何か聞きたかったのか」
「いや、そうじゃない」
グイードが振り返る。二人の男は向き合った。
「グイード・アンソフ。少し、俺と斬り合って行かないか」
「……」
そう言いつつも、フロイドは既に鞘をつかみ挙げ、そこから剣身を抜き放とうとしている。
「なぜ?」
「簡単だよ」
狼狽える様子もなく聞いたグイードに、何でもなさそうにフロイドは告げた。
「お前を、殺したくなったのさ」
フロイドのような人でなしにとって、理由はそれで十分だ。彼の顔に、残酷な笑みが浮かんだ。
そこからは二人とも無言だった。
グイードは低く身体を沈め、三叉槍の穂先をフロイドに向けた。フロイドの方は長剣を下段に構え、突きを払い上げる体勢を取っている。
――……六、四。
フロイドは戦況を分析する。戦えば勝率は六割、アルフェに、自分がこの男と戦ったらどうなるかと問われたとき、フロイドはそう考えた。
――いや、四、六か。
しかしそれは、アルフェに折られた剣を使った時のイメージだ。今フロイドが手にしているのはどこにでもある安物。対してグイードの槍は言わずもがな、優れた魔法の武器である。
武器の差が勝敗を明確に分ける。この二人の戦闘力は、それほど微妙なバランスの上にあった。
――何のために剣を振る。
冷静に考えれば不利だ。誰かに命じられた訳でもない。
これは無意味な戦いである。
強敵を屠り、強くなるためと言い張ることもできただろうが、フロイドを動かしたのは、その衝動のためではない。
――何のために。
ならばなぜか。
――……そんなもの、知ったことか!
とにかく、今は腹が立っているからだ。それはこの男を殺さないと収まらない。笑みの後ろで、フロイドのはらわたは煮えくりかえっていた。
二撃目は要らない。お互いにそうだろう。最初の交錯で、ケリを付ける。
二人は同時に前に出た。
◇
「剣をどうしたのですか」
アルフェは連絡場所に来たフロイドに聞いた。
今日のフロイドは、腰のベルトに剣を差していない。
「ああ、また折れた」
「またですか? 少し物を大切にした方が……、怪我をしていますね」
フロイドの身体のバランスを見たアルフェがそう指摘した。脇かどこかに、この男は傷を負っている。
「少ししくじったのさ」
「ふうん」
アルフェは興味のなさそうな声を出した。
「あれは何なんだ?」
フロイドが顎でしゃくった先には、アルフェが作った木人が立っている。
気にしなくてもいいですと、アルフェは言った。
「今日も特に、組合には変わりが無かった」
フロイドは定例の報告を済ませていく。本当は“血槍”のグイード・アンソフが何者かに闇討ちされたことについてで、冒険者連中は大騒ぎをしていたのだが、それは伏せた。この町は冒険者の入れ替わりが激しい。グイードのような実力者の死でさえも、十日もすれば忘れ去られる。
だから特に変わりが無いと、フロイドは言った。そしてアルフェがフロイドの宿に繋がれている馬の様子を聞いたりして、話は終わった。
「俺は行くぞ。……ゲイツとの約束の日は明後日だ。くれぐれも気をつけろよ」
「余計な心配です」
「そうだな。じゃあ――」
「待ちなさい」
アルフェはまだ言うことがあったようだ。出て行きかけたフロイドが足を止める。
「何か?」
「……」
「……なんだ、どうしたんだ」
「ん……」
しかしアルフェは珍しく言いよどみ、何かを迷っているような仕草を見せた。
「あなたに、これをあげます」
最終的に意を決したアルフェは、座っていた木箱から立ち上がり、中から何かを取りだした。布に包まれていたのは、鞘を見ただけでも分かる、上等な剣だ。フロイドが以前使っていたものに似ている。
「どういう……」
風の吹き回しかと問いかけて、フロイドは止めた。
「……感謝する」
彼が誠意を込めてそう言うと、それが伝わったのか、アルフェは少しだけ柔らかい微笑みをこぼした。
「
今日は気持ち悪いほど雇い主の機嫌がいい。この娘が冗談を言うなど、フロイドには信じられなかった。
臣従儀礼――。臣下がひざまずき、主君がその肩を剣で叩く。そして臣下は、主君に命をかけた忠誠を誓う。
両手で鞘に入った剣を持ちながら、アルフェはまだ微笑んでいる。
「それはいい、是非やってくれ」
フロイドがそう言った瞬間、アルフェの笑みは引っ込み、冷淡な表情が戻ってきた。
「冗談に決まっているでしょう。与えるからには、その分働いてもらいます」
――……俺は、別に冗談でもないんだが。
半ば本気だったフロイドは、普通に剣を受け取った。
吸い付くように手になじむ。良い剣だとフロイドは思った。
「金貨八十七枚です」
「あ?」
「金貨八十七枚、その剣の値段です。絶対に忘れないように」
「そういう話か……」
高いのか安いのか、金に疎いフロイドにはよく分からなかった。
「……ま、覚えとくよ」
しかし主の真剣な表情を見て、この剣は折らないようにしようと、フロイドは誓った。
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