第94話

 メリダ商会頭取のゲイツは、“血槍”のグイード・アンソフがアルフェの対戦相手だろうと言った。今の口ぶりだと、フロイドもそう確信している。情報屋組合の元締めがそう言うのだから、ほぼ間違いない。


 ――でも、何か……。


 アルフェ自身もそう思うのだが、何か妙な予感がする。

 何と言ったら良いのだろう。そんな当たり前の手練れとは違う、もっと強い――というよりも、もっと厄介な何かが現れるような気がしてならないのだ。

 この町に冒険者は多い。アルフェたちが知らない実力者もいるはずだ。もしかしたら冒険者とは別の所に、思わぬ強者がいるかもしれない。妙な予感はそこから来るのだろうか。何か強大ものがこの町のどこかに潜んでいるような感覚が、頭の隅から消えなかった。


 ――どんな相手が来ても、私がやることは変わらないけれど……。


 そう、今更悩んでも仕方がないのは事実だ。とにかく準備は念入りにしておこう。


 ――そうだ、実力者と言えば……。


 次にアルフェは、先日の地下闘技場で見たオークのことを思い出した。あれもある意味、実力者であることは間違いない。

 事後に得た情報によると、あのオークは人間に捕らえられてから数年間、ああしてあの闘技場で見世物になっているという。所有者はメリダ商会だ。

 あれほど危険度の高い魔物を、農奴にすることはできない。だから見世物として消費する。そしてそうなった魔物は、ほとんどの場合すぐに死ぬ。だが、あのオークは何年ものあいだ、ああやって生き延びているというのだ。

 肉体的な強さは疑いようもない。しかしあの魔物は、フロイドの言うように、潔く命を絶つことは考えなかったのだろうか。やはり魔物にはそういった思考がないのだろうか。

 何のために、あの魔物は生き延びているのだろうか。


 ――あの目……。


 魔物の虚ろな目が、アルフェには妙に印象に残った。

 あんな虚ろな目をしていた人間が、昔どこかにいた気がする。


 どこにいただろうか。


 どこに……、そうだ、鏡の中だ。


 いつも窓の外を見ていた、部屋に閉じこもった娘。


 どうしてあの娘は、あんな抜け殻のような顔をしているのだろう。


 どうして……。


 ――【何も考えるな、その方が楽になれる】


「――っ!」


 眼の奥がひどく痛む。このことはもう、考えるのはやめよう。やめた方がいい。

 でも――


 ――【考えるな】


 そうだ、こんなことを考えても仕方がない。

 それよりもと、アルフェは座っていた木箱の横に置いてあった、作りかけの何かを床の上に立たせた。

 それは出来の悪い等身大の人形のようで、太い丸太に手足を思わせる細い棒が取り付けられている。彼女は無言でそれを眺め、時折腕の角度などを調整し始めた。

 これはコンラッドの道場の庭にあった木人を模したものだ。あの道場にはこのような、訓練用の色々な道具が置かれていた。


 ――いいだろう? 俺の手作りだ! ……こら、引いた顔をするな!


 この前補給のために行った道具屋で、アルフェはこんな物の材料まで買ってしまった。

 鍛錬のためという名目で、しかし本当は、思い出に浸るために。


「……」


 アルフェは指で木人の頭を小突いた。

 下らない、意味のないことをしていると自分で思う。でもたまに、無性にこういうことをしたくなる。


「……よし」


 最後に残った右腕を、木人に取り付けた。完成だ。

 アルフェが魔力を全開にすれば、こんな木人は触れる前に消し飛ぶ。しかしコンラッド曰く、魔力を使って動くだけでなく、逆に魔力をできるだけ抑え込んだ状態で、素の力だけで鍛錬を行うことも重要だ。


 ――そうしないと、本当の底力は付かん。魔力と体力、両方鍛えて初めて強くなれる。お前は魔力は一丁前だが、筋肉と体力は鶏以下だからな。


 あの時は、どうして鶏に例えるのですかと聞いた。

 とにかく、この木人は魔力を使わない状態で型を反復し、体力を高め身体の動作を確かめるためにある。師があの滅茶苦茶な強さを手に入れるためにも、そうした日々の地道な努力が土台にあったはずなのだ。

 完成した木人を前に、アルフェは上着とスカートを脱ぎ棄てて、動きやすい格好になると全身をほぐした。


「……」


 それは気の迷いだったのだろう。少なくとも、言葉で言い表せない感情のため、としかアルフェには説明できない。

 さて鍛錬を始めようと思った時、アルフェは衝動的に、木人の背中に両手を回して、そっと抱きしめてしまった。


 ――何してるの、私……。


 彼女はすぐに木人から離れて、手のひらの付け根で目じりをぬぐった。

 その頬が少し、赤く染まっている。


「……お師匠様」


 会いたい。


 鍛錬を始めるまで、アルフェはしばらく立ち尽くしていた。



「死んだ?」


 一瞬、冒険者組合の受付の男に言われた言葉の意味が飲み込めず、フロイドは聞き返した。彼の顔には、確かに驚きの表情が浮かんでいる。


「ああ、あいつらなら間違いなく死んだよ」


 受付の男はもう一度、同じ言葉を繰り返した。


 フロイドはその日の夕方、もうすっかり習慣となったように冒険者組合を訪ねて、新しい情報が無いかどうかを聞いていた。雇い主に引きずられて、俺もすっかり冒険者らしくなったものだと思っていた所で、彼はふと尋ねてみたのだ。


 ――今日はあの三馬鹿の姿が無いな。


 最近はフロイドが来るたびにバカ騒ぎをしていた連中だ。特別関心があった訳ではないが、あまりににぎやかしいので嫌でも目についた。旦那旦那と呼びかけてくるので、顔も覚えた。

 その三人、フロイドが三馬鹿と呼んでいた三人の若い冒険者が、仕事の途中で死んだそうだ。


「そうか、そいつは仕方ないな」


 あっけらかんとフロイドは言った。

 奴らも冒険者だったのだ。魔物や盗賊相手の切った張ったを生業にしていれば、死ぬこともある。あっけないことだとは思うものの、それで心を痛める感性を彼は持ち合わせていない。いつどうやって、なぜ死んだかとも聞かずに、彼は受付との話を再開した。


「特に変わった話は?」

「川が落ち着いたから交易船が来るようになった。護衛の依頼は減るかもしれん」


 バルトムンクの人々を数か月悩ませていた長雨は、もうほとんど過ぎ去った。増水していた川の水量もほぼ元に戻り、帝都と南方都市を結ぶ交易船も往復を再開しているという。陸路よりも水路の方が襲撃に遭う危険性は低く、したがって行商人の護衛依頼は減少するだろうという話である。


「冒険者の動きはどうだ」

「いつも通りだ。死んだ分は新しい冒険者がやってきているしな。収支は合ってるよ」


 例の三人組がいなくなったからといって、冒険者組合にたむろしている冒険者の数が減ったようには見えない。普段通りに騒がしく、酒を飲んでいる者や仕事の相談をしている者たちであふれかえっていた。

 この中で何人が、あの若い三人のことを覚えているだろうか。


「分かった」


 言うとフロイドはカウンターを離れた。必要な情報は集めたからだ。


「ん? マキアスか」


 彼と入れ替わるようにして、一人の若い冒険者がカウンターに向かって来た。

 いや、この青年は冒険者なのかいまいち判然としない。しかし最近冒険者組合によく出入りしている。依頼を受ける様子はなく、ひたすら情報を収集しているようだ。特に都市への冒険者の出入りを気にしているあたり、誰か人でも探しているのかもしれない。


「あ、ああ。フロイド……さん」


 声をかけられて、青年は戸惑ったようにうなずいた。

 フロイドがそれほど話したことのないこの青年のことを覚えているのは、単純に見所があると思うからだ。今もそれなりに使えるようだし、まだまだ伸びる気配もある。


 ――俺が道を踏み外したのは、こいつくらいの歳だったな。


 フロイド自身も若いのに、ふとそんなことを考えた。

 この町にいる他の冒険者のように、どこかやさぐれた空気を纏っていることもなく、若者らしい溌剌とした雰囲気を、この青年は失っていない。汚れたフロイドの立場から言わせれば、きれいなのだ。まぶしすぎるほどに。

 やはりこいつは冒険者ではないのだろう。


「またな」


 そのまますれ違って、フロイドは組合の入り口の方に歩いた。

 さっさと雇い主の元に行って、今日得た情報を伝えるとしよう。


「――あいつらが死んだ!? ど、どうして!?」


 扉をくぐるフロイドの耳に、動揺するマキアスの声が聞こえた。



 表立って組合とのやり取りをするのは、アルフェではなくフロイドの方であるというのが、不用意に目立たないための、二人の間の決まり事であった。アルフェはただ、隠れ家でフロイドの報告を聞く。

 しかしその日は珍しく、アルフェが彼に同行していた。


「どういう風の吹き回しだ?」

「……」


 フロイドが理由を聞いても、アルフェは答えようとしない。無意味に行動しようという娘ではないから、そこには彼女なりの意味があるのだろう。聞いても黙っているということは、つまり聞くなということなのだ。

 フロイドは質問するのをやめて前を向き、アルフェはその三歩後ろについて歩いた。


「その剣は……、どんなものなのですか?」

「は?」


 しばらく無言で歩いてから、アルフェがぽつりと口にした。

 剣がどんなものとは、どういう問いだろうか。


「それは……」


 もしや凄まじく高度なことを聞かれているのかと思い、一瞬フロイドは考え込んだ。


 ――……剣とは何か? 確かにそうだ。剣とは何か……。


「剣とは――、俺にとって……」

「そういうことは聞いていません。勘違いをしないでください」


 己にとって、剣士にとって、剣とは一体何であるか。明確な答えの出せない問いに対しフロイドなりの答えを示そうとしたところ、雇い主はいつもの冷たい調子で否定した。


「じゃあ何だ」


 少し機嫌を悪くして、フロイドは足を止め振り返る。ここは冒険者組合に近い路上で、人通りもそれなりにある道だ。道の反対側を通る職人風の男が、ぎょっとした顔を二人に向け過ぎ去った。

 アルフェの蒼い瞳と目が合った。その目は何かを量るように、フロイドを見ている。


「私は武器を使いませんから」

「……?」

「どういう剣が良い物なのかが分かりません」

「ああ……」


 そういう事かとフロイドは思った。アルフェが聞こうとしているのは、えらく物質的な話のようだ。


「これは安物だ。どこにでもある数打ちだよ」


 フロイドはぽんと鞘を叩いた。

 そこに納まっているのは、彼の言う通り何の変哲もない長剣だ。材質にも形状にも工夫は無い。もちろん魔術など一片も付与されていない。フロイドの戦闘スタイルに合わせてやや薄く軽く、柄が長めの物を選んであるものの、この程度の剣ならどの武器屋でも手に入る。


「値段は?」

「値段? あ~、……幾らだったかな。銀貨五十枚くらいだったか? ……おい、その情報は必要か?」

「次は必ず覚えておきなさい。絶対に」

「あ、ああ」


 戦闘時のような剣幕で言われたので、思わずフロイドは気圧された。

 二人はまだ、足を止めたまま路上で会話している。


「急にどうした、そんな事を」

「良い武器の方が、強くなれるのですよね」

「そう短絡的なものでもないが……」


 フロイドは首をひねった。

 上等な武具を手に入れれば強くなれる、というのは、駆け出しによくありがちな勘違いだ。神代の武器や伝説の鎧を手にしたところで、使う者の技量が伴わなければ何にもならない。

 実際、伝来の家宝だとか偶然遺跡で拾ったとかの理由で、身の丈に合わない高度な魔法の武器を使う素人が、調子に乗って勝てるはずのない魔物に挑み命を落としたという事例は枚挙にいとまがない。

 むしろはじめは安くとも癖の無い、扱いやすい武器を選び、武器と共に己も成長していかなければならない。それがフロイドの持論だった。

 しかしそんなことは、ちょっと実戦経験を積めば嫌でも分かる話だ。

 歴戦の冒険者であるアルフェにそれが分からないのは、彼女が自ら言う通り、彼女が武器を使わないからなのだろう。

 ここは素直に答えることにしようと、フロイドは口を開いた。


「まあ例外はあるが、大体はそうだろうな。武器は良いにこしたことは無い。この安物では斬れん魔物でも、業物なら斬れる、ということはあるだろう」


 ――俺の技が未熟なのもあるがな。


 世の中には武器を選ばない達人というのもいる。

 もちろんフロイドは、自分がその達人の域に達しているなどと自惚れてはいない。未だ道半ばである。


「なるほど……、不便ですね」

「不便か? いや、そうだな。不便かもな。あんたからすればな。……もしかして、あんたも剣を使いたくなったのか?」

「違います」

「じゃあどうして――」


 そんなことを聞くのだ。フロイドがもう一度問おうとした時、アルフェは視線を別の方向に向けた。


「何だ?」

「グイード・アンソフです」

「ほう」


 冒険者組合の建物に入っていくのは、確かに“血槍”のグイード・アンソフだ。あの赤い三叉槍と長身は、遠目からでもすぐわかる。


「こっちに来るのは珍しいな」


 この都市に組合の建物は四つある。グイードは、いつもは別の建物に出入りしている。


「あの槍も、魔法の武器なのでしたね」

「今日はやけに武器に興味を持つな……。まあ、そうだ。突くと敵の首元で、更に伸びるという話だな。他にも何か能力があるのかも知れん」

「何をしに来たのでしょう」

「意外に、あんたを見に来たのかもしれんぞ。“対戦相手”の視察に」


 グイードも、アルフェの事は知っているはずだ。


「直接話してみますか」

「本気か?」

「あの方が本当に私の相手なのか、教えてくれるかもしれません」

「その発想はなかったな」

「今回は殺し合いではないですし、構わないのでは?」


 アルフェは本気のようだった。

 しかしなるほど、今度の賭け試合では命のやり取りをしろとは言われていない。ならば裏で推測を重ねていないで、正面から「お前が対戦相手か」と聞いても許されるという気がする。

 メリダ商会のゲイツとゲオ・バルトムンクにとっては、出す手駒は伏せるのがルールなのだとしても、戦う当人同士が聞くのは止められないだろう。

 だが聞くと決めても、アルフェは組合に入らないことにしている。二人はグイードが出てくるのを大人しく待った。


「お前たちは……」


 出てきたグイードは、二人を見て目を鋭くした。

 彼にしてみれば唐突に待ち構えられていたように見えるだろうから、その反応は自然だ。

 グイードの年代はフロイドとほとんど同じである。短髪の、隙の無い眼をした男は、槍の間合いで足を止めて二人に聞いた。


「俺に何か用か」

「用ってほどじゃあないんだが――」

「あなたは私と闘技場で戦うことになっていますか」


 前置きも腹芸も何もなく、アルフェが言った。

 グイードが虚を突かれたように目を見開くのを、フロイドはやれやれという気分で眺めた。


「闘技場……? ゲオの爺さんが、何か言ってるのか」


 ――おや……?


 意外な反応だ。この男は、例の賭け試合のことを知らないらしい。


「私はメリダ商会の依頼で、地下闘技場に立つことになっているのですが」

「お前が……? それは、お前の相手に同情するな……」


 アルフェの白い手に目を落としてから、グイードは眉をひそめた。それは、偽りのない感想のようだった。


「あなたが私の相手ではないと?」

「ああ、少なくとも俺は聞いていない。あの爺さんの趣味に付き合ったことはあるが、別に俺はあいつの家来じゃない」


 演技ではなさそうだ。仮にグイードがアルフェの相手なら、試合が数日後に迫った今に至るまで、何も聞かされていないというのはおかしい。


「二日前に魔物を討伐してきたばかりだ。次の仕事まで間を開けたい。頼まれたとしても、断るだろうな」

「そうですか……」


 肩透かしを食ったようにしているアルフェも、グイードが嘘をついていないと思っている。

 しかしそうすると、メリダ商会のゲイツが自信ありげに言った情報とはかなり異なる。


「用は済んだか?」

「いえ、もう一つだけ。あなたの他に、バルトムンク侯に雇われそうな方はいますか?」

「さっきも言ったが、俺はあいつの家来じゃない。爺さんと誰がつるもうが知らん。――もういいな?」

「はい、引き留めてすいませんでした」


 アルフェはこのままグイードを帰す気だ。この男に対する関心を失ったことが、娘の表情と声色から露骨に読み取れる。

 実際、この男が賭け試合と関係ないのなら、聞くことはもう存在しない。


 ――ん? そういえば……。


 その時突然、フロイドの頭に思い浮かんだことがある。


「討伐って言ったが、またワイバーンか」

「……ああ、そうだ。なぜ知っている」

「大した話じゃない。すぐに終わる」

「……?」


 急に話を知らない方向に向けたフロイドを、アルフェが不審がっている。


「若い冒険者がお前にくっついてったろう。三人組の、やかましい奴らだ」


 これがあの馬鹿たちの死んだ理由なら、その様子くらいは知っておいてもいいか。そう思ってフロイドは尋ねた。

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