第85話
「あ、あ、あ……」
「やっぱり、カタリナさんですね。どうしてこんな所に? あなたの任地はここではなかったはずですが……」
「え、えっと、その……」
カタリナは目を泳がせて、しどろもどろになっている。
――やばい。
パラディンのロザリンデ・アイゼンシュタインに発見されたマキアスは、まさか見つかるまいと楽観的に考えていた、さっきまでの自分を後悔した。
先刻、彼らが侵入した地下闘技場は、外から見たよりもかなり広く、地下というよりは半地下になったアリーナには数百の人間が座れそうな座席があった。
既に催しは始まっていたので、座席の大部分は埋まっていた。行われていたのは噂通りの血なまぐさい興行で、手斧と円盾を持って戦う半裸の男たちは盛んに流血し、観客たちは血を見るたびに沸き上がっていた。
アルフェがここにいるとすれば、それは観客としてではなく闘士としてだろう。都合良く彼女が出場するのを待つか、それともなんとか舞台裏に行き、どんな闘士が所属しているのかを確かめるか、方法を迷っている内に、マキアスたちは自分たちの方向に一直線に近づいてくるパラディンを見つけた。
驚愕の後、これはまずいと、見つからないように物陰に隠れていたはずなのに、なぜかロザリンデは一発でマキアスたちを発見した。そして現在に至るというわけだ。
「ち、違うんです、これは、その……」
「……あ、大丈夫ですよ。怒ったりしません。ちゃんと事情を説明して下されば」
いや、違う。マキアス“たち”ではない。見つかったのはカタリナだけだ。この娘の目には、カタリナのすぐ隣にいるマキアスの姿は欠片も映っていない。
ロザリンデ・アイゼンシュタイン。歴代最年少でパラディンに任じられた天才。十二席あるパラディンの末席とは言え、その実力は折り紙付きである。彼女が手に持つ純白のハルバードは、帝国でも指折りの名家アイゼンシュタインに伝わる宝具だ。ロザリンデはそれを用いて、ワイバーンだろうと独りでたたき落とす。
「ア、アイゼンシュタイン様、わた、私……」
「そんなにかしこまらないで下さい。カタリナさんの方が年上なんですから。ロザリンデでいいですよ」
「は、はい……」
見た目はまるで、どこかのお姫様だ。柔らかく人当たりの良さそうな微笑みを浮かべて、アイゼンシュタインはカタリナに喋りかけている。その声色も言葉の内容も、至極気さくなものである。
では、どうしてカタリナは怯えているのか。それにはまっとうな理由があった。
アイゼンシュタインの家格から考えても、パラディンという称号から考えても、マキアスたちとこの娘の間には、恐ろしいほどの身分の差がある。そんな人間に任地の外で出会ってしまった、それがまず一つ。そしてもう一つは――。
「ア、アイゼンシュタイン様、俺たちは……」
「……何ですか、あなた。急になれなれしく呼ばないで下さい」
マキアスが声を出すと、ロザリンデの声は急速に冷えた。
女性全般には優しい。だが、男となると幼児にすら嫌悪感を催す病的なまでの男嫌い。これがこの娘の持つ“性質”だ。
ロザリンデ本人は認めないだろう。しかし、この娘は男のことを、魔物以下の別の生き物と思っているふしがある。
そして、ただの男嫌いならばそれもいい。所詮は当人の問題なのだから。だが、この娘はパラディンになれるほどの力の持ち主で、加えて時に、“見境を無くす”ことがある。そうなったらもう手が付けられない。神殿騎士団に所属する者たちは、皆それを知っていた。
「も、申し訳ありません。俺――、私は、第一騎士団聖騎士のマキアス・サンドライトです。このカタリナは、俺の副官で――」
ロザリンデを極力刺激しないように、マキアスは彼女の顔色をうかがいながら話した。
ロザリンデは初対面のはずのカタリナのことを、顔は当然のことながら、年齢に至るまで知っていた。それはカタリナが、神殿騎士団では数少ない女だからだ。しかし、男であるマキアスのことなどは、この娘の記憶の片隅にもあるまい。
「サンドライト……? ああ」
しかし、そんなマキアスの予想は外れていた。彼の名前を聞いたロザリンデは、突然マキアスに対する態度を和らげたのだ。ロザリンデの嫌悪に満ちた表情が、コロリと華やかな笑顔に変わった。
「ステラさんのお兄様ですね! 失礼しました。初めまして、私、ロザリンデ・アイゼンシュタインです」
「は、はい、よろしくお願いします」
それは、マキアスがステラの兄であるという、その一点に基づくものだったようだが、ともあれ彼としては助かった。だが……。
――ステラだって、こいつとは会ったことないハズだろうに……。何で俺が兄貴だってことまで知ってんだよ。
ひょっとしたらロザリンデは、教会の女性全ての情報を頭に入れているのだろうか。あまり深く考えたくない話である。
「それで、どうしてこんな所にいらっしゃるのですか?」
「教会の査察任務中です」
「査察対象の教会なんて、この町にありましたっけ……」
「エアハルトで不正があり、その関係者にまつわる情報を追っていました」
「エアハルト……? ああ、そうですか……」
パラディン相手に下手にごまかせば、後で自分たちが審問の対象になりかねない。個人的な事情は伏せ、しかも間違ったことは言っていないように、マキアスは言葉を選んだ。
「確か、ウルム大聖堂の助祭長が、帝都から何かを盗難したんでしたね。聞いています」
――……ん?
その通りである。だが、マキアスはロザリンデの反応に腑に落ちないものを感じた。
マキアスがエアハルトに派遣される理由となった盗難事件は、帝都の騎士団本部でも有名な話だった。それをロザリンデが知っていることに不思議はない。しかし今の様子だと、彼女はその助祭長が何を盗んだかを知らないようだ。
大聖堂の助祭長という地位にある聖職者が、教会の本山から何かを盗んだ。しかも、その助祭長は不可解な死を遂げ、助祭長の上司であった主教は、アンデッドと化していた。とすれば、盗まれたという品も、ただの宝物であるはずがない。そうマキアスは考えていた。
しかし、騎士団の中枢に関わるパラディンが、それが何かを知らない。一介の騎士である自分が知らないのは当然としても、パラディンが知らないというのは――。
「それで、手がかりは見つかりましたか?」
マキアスの思考は一瞬のもので、ロザリンデは会話を続けようとしている。さっきは相当不安定な状態に見えた彼女だが、カタリナと話し、ステラの名前を聞いたことで落ち着いたようだ。
「は、はい、いえ」
「……どっちですか」
しかし、話がこれ以上続くとぼろが出かねない。それどころか、不用意な事を口走ってロザリンデの逆鱗に触れ、彼女のハルバードが首筋に飛んでこないとも限らない。何とか話を打ち切る方法はないかとマキアスが困っていると、ロザリンデの方から提案があった。
「まあ、細かいことはいいでしょう。それよりも……、あなたたちは、まだこの町で調査を続けるのですよね」
「え? あ、はい、恐らく」
「では、一つお願いがあるのですが」
「何でしょうか……」
お願いといえど、パラディンの言葉となれば、それは相当上位の命令になる。少なくとも、マキアスたちはそれを断れない。意外な成り行きに、カタリナは不安そうにロザリンデとマキアスの顔を見比べている。
「その調査と並行で構いません。しばらく私の指揮下に入って下さい」
「……え?」
「任務は、ここの領主、ゲオ・バルトムンク侯との連絡係です」
その言葉の後に、ロザリンデが何か罵り言葉を吐いた気がしたが、小声だったのでマキアスたちには聞き取れなかった。
「私はバルトムンク侯に対する親書の返事を待たなければならないのですが、その返事をいついただけるのかが分かりません。あなたには、連絡役となって次の会談の日程などを調整していただきたいのです」
「は、はい」
「あ、あの、ロザリンデ様。でも、私たちはもう滞在の資金が……」
カタリナがそうやって異議を唱えると、ロザリンデはにっこりと微笑んだ。
「費用は私が補助します。そうですね、動きやすいように、カタリナさんには私の泊まっている宿に移ってもらいましょうか。……湯浴みもできる大きな宿ですから、大丈夫ですよ」
湯浴みができるから、一体何が大丈夫だというのか。その発言とロザリンデの意味深な微笑みを受けて、カタリナは抗議するようにマキアスを見たが、彼は申し訳なさそうに目をそらすしかなかった。
◇
「何か、妙なことになっちまった……」
その日の夜、カタリナとロザリンデと別れたマキアスは、宿に戻るべく一人で歩いていた。
「カタリナ、すまん」
彼はここにいない副官に対して謝罪し、そして彼女の無事を祈った。
しかしあのパラディンは、女性に対してはそれなりに常識人のはずだ。まさかカタリナの身に、今日明日中に貞操の危機が訪れるということはないだろう。マキアスは前向きに考えることにして、暗い石畳の上を歩いた。
――ゲオ・バルトムンク……。バルトムンクの“城主”か。
次に彼が考えたのは、ロザリンデから与えられた追加の任務についてだ。
ロザリンデがこの都市に滞在している理由は、バルトムンクとの外交任務だったようだ。パラディンともなれば、戦闘以外にそういう仕事を課されることも多い。
確か、ゲオ・バルトムンクは六十くらいの男のはずだ。昔は戦士として名高かった、帝国貴族の中でも武闘派で知られる男。すなわち、ロザリンデが最も嫌うタイプの人間である。彼女がマキアスに仕事を頼んできた理由も、その辺にあるのだろう。
――まあ、いいか。あの闘技場に出入りする理由もできるし、滞在費をあいつがもってくれるっていうなら。
マキアスが向かっているのは、彼一人の宿である。
ロザリンデは、マキアスとカタリナの滞在費用はもつと言ったが、同じ宿に泊まろうと言ったのはカタリナに対してだけだ。ロザリンデはマキアスと一緒にいたいはずがないし、マキアスもあんな危ない女の近くにいるのはごめんだった。カタリナは……、彼女には、尊い犠牲になってもらうとして。
「ん? あれは……」
ふとマキアスが目を向けた先には、昼に訪れた冒険者組合の建物があった。陽が沈み、星も雲に覆われている今、その建物から漏れる灯りがやけに目立つ。
「……もう一回、聞き込みしてみるか」
副官を犠牲にして得た、自由な時間を有意義に使おう。マキアスは歩く方向を変えた。
「だからナルサス、自分が名乗る二つ名は、自分で考えておいた方がいいんだって」
「そうか……? 二つ名ってのは、他人から呼ばれるもんだろ?」
「もう帰ろうぜロディ、ナルサス。いい加減頭痛いよ……」
「情けないぞタイラー」
――あいつら、まだ飲んでるのか。
組合に入ったマキアスが目にしたのは、昼にカタリナと絡んでいた若い冒険者たちだ。一人数が増えているものの、彼らは昼と同じテーブルで、この時間になるまで飲み続けていたようだ。
――そう言や、『銀狼』って奴のことを聞くんだったな。
正確に言えば、その銀狼という冒険者が連れているという少女のことをだ。
マキアスは飲んだくれている三人に近づいた。
「なあ、あんたら――」
「んん?」
マキアスが声をかけると、三人が一斉に彼に顔を向けてきた。どの顔も赤く、非常に酒臭い。
「いや、楽しいところすまない。いきなりで悪いが、ちょっと聞きたいことがあるんだ。この町にいる、『銀狼』って冒険者のことなんだが……」
「ん? それ、前にも誰かに聞かれなかったか?」
「ああ、カタリナちゃんだよ。なんだい、あんた、あの子の知り合いか?」
「まあ、そんなもんだ」
酔っ払いの相手を真面目にすると面倒くさい。マキアスは適当に答えて、自分の聞きたいことを聞いた。
「その冒険者が、女の子を連れてるって聞いたんだ。どんな子かな?」
「あ? そんなこと知りたいのか?」
ナルサスと呼ばれていた男は、マキアスに少し疑わしげな顔を向けた。まあまあと言ってそれを取りなしたのは、ロディという男だ。
「いいさナルサス、こいつも名前を売って、あの旦那みたいになりたいのさ。同じ目標を持つ冒険者同士、仲良くしようぜ」
「ああ、ありがとう、嬉しいよ」
彼らがマキアスを冒険者だと勘違いするなら、それはそれでいい。マキアスは内心で、話の続きを促した。
「その子は――っと、なんだ、ちょうどいいじゃないか。本人に聞けよ」
「え?」
“本人”と聞いて、マキアスの心臓が一つ跳ねた。
――アルフェか?
ひょっとしたら、ここでお前に会えるのか。そんな期待を抱いて、マキアスはロディが指した入り口の方を振り向いた。そこにいたのは――
――…………あの男が、『銀狼』か。
見るからに腕の立ちそうな、冒険者の男だ。
「銀狼の旦那! 久しぶりだな」
「……よう、三馬鹿。相変わらずだな」
ジョッキを振り上げたロディに苦笑しながら、その男はこちらに近づいてくる。
「旦那、どこに行ってたんだ? しばらく見なかったけど」
「ちょっとな……。……ん? 旦那? いつから俺は、お前の“旦那”になったんだ」
「いいじゃないか、旦那」
「鬱陶しい奴だな、お前は」
銀狼はまた苦笑した。年下の冒険者たちの馴れ馴れしさを、男は言葉ほどには嫌がっていないようだった。
「そんなことより、ボロボロじゃないっすか。剣も無いし」
「ああ……。無くした」
三人組の一人、タイラーの指摘通り、銀狼は服の上から下までボロボロの状態だった。恐らくどこかで、危険な依頼でもこなしてきたのだろう。ちょっと厄介な相手でなと首を傾げながら笑って、銀狼はマキアスに目を向けた。
「仲間が増えたのか」
「いや、俺は――」
「こいつもあんたに憧れてんのさ」
「……憧れ? 何言ってんだお前。あー……」
「ロディだよ。覚えろって旦那」
「ああ、すまんな。まあ、今日はちょっと勘弁してくれ。戻ったばかりなんだ。さすがに疲れたよ」
ロディの肩を叩いた銀狼は、ひらひらと片手を振ってカウンターの方に歩いていく。それを見送った三馬鹿たちは、その背中に向かって、一斉にジョッキを振り上げた。
「あいつが、銀狼か」
「そうさ」
「……手強いな」
「当たり前だろ」
確かに強い。剣を無くしたと言っていたが、丸腰の状態でも強さが分かる。
例えば、マキアスがあの男と戦ったとして、勝てるだろうか。
アルフェがいなくなってから、思うところあってマキアスも修行した。
彼女より大幅に劣っていたあの時よりは、大分成長したという自信がある。そうでなければ、彼女を襲った理不尽と、戦えないと思ったからだ。
だが今の自分は、あの男と戦って勝てるだろうか。
マキアスのこめかみを、汗が流れた。
「……どうした、お前」
「あ」
いつの間にか、銀狼はマキアスと三馬鹿のすぐ側まで戻ってきていた。
「い、いや」
「そうか」
もう用は済んだのだろう。立ち去ろうとした銀狼は、もう一度マキアスを見て、言った。
「……俺の名前は、フロイド・セインヒルだ」
「え?」
「それを聞きたかったんじゃないのか。……まあいいさ。お前の名前は?」
「俺? 俺は、マキアス。マキアス・サンドライトだ」
「そうか。じゃあな、マキアス」
去っていくフロイドを、マキアスはそのまま見送った。彼が、本当に尋ねたいことは別にあると思い出したのは、フロイドが組合の外に出てからだ。
「――!」
「どうした? マキアス」
「お前も飲んでけよ」
後ろから聞こえる三人の声を無視して、マキアスは慌てて扉を開けた。左右を見て、フロイドを探す。あの男はもう――、いや。
――いた! あれは――、あれは……。
少し離れた宵闇の中に、フロイドの姿がぼんやりと見える。彼と話しているのが、話に聞いた“女の子”なのだろう。つば広の黒いとんがり帽子を被った、豊満な身体つきの女性。あの少女とは、似ても似つかない。
「……違うのか」
愕然とした気持ちで、マキアスはつぶやいた。
「……アルフェ」
何も言わず、お前はどこに消えたんだ。
マキアスは、星の無い夜空を見上げた。
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