廃都を目指して

第78話

 アルフェが城を出てから、もう三年が経とうとしている。

 子どもは成長する。彼女の背は少し伸びて、顔つき、体つきに大人っぽさが増した。彼女はもうすぐ十七歳になる。城を出た時の、彼女の姉と同じ年齢だ。


 顔を出して町を歩けば、若い男はまず振り返る。下世話な話になるが、顔のあと、その視線が胸や腰のあたりに落ちるのは、これも彼女が大人に近づいた証拠だろうか。

 その視線に気付かないのか、それとも気にも留めていないのか、いつものようにどこか物憂げな表情を浮かべた彼女は、今、城塞都市バルトムンクの通りを、橋に向かって歩いていた。


「島まで行くのは、あんたは初めてだったよな」

「一度だけ……。まあ、初めてのようなものです」


 バルトムンク内で最も大きな市場は、都市の中心を貫くレニ川の、大きな中州の上にある。そこはレニ川の両岸に建設された市街から四本の石橋で繋がれており、アルフェはフロイドと、その中の一つを渡ろうといていた。

 今日は雨が降っていないが、川の水は増水している。橋の下には滔々と茶色く濁った水が流れているのが見えた。


「あなたはよく行くのですか?」

「どうだろうな。それなりだ」


 フロイドは曖昧な答え方をした。

 しかし実際、彼はよく行っている。彼だけでなく、この町にいる男の冒険者は皆そうだ。理由は明白、本格的な酒場や賭博場、そして娼館の類いは、ほとんどこの中州に集中しているからである。

 この町の冒険者のセオリーとして、依頼をこなして報酬を得たら、組合に併設されている酒場で一杯やる。そしてその後は、橋を渡って向こう側に繰り出すのだ。


 橋の中央にある関門を超えると、石橋のアーチが下降線を描く。ここまで来ると、中州側の景色もよく見えた。

 中州と言っても、それは小さな川にあるような、可愛らしい砂の塊ではない。バルトムンクの中州は別名、要塞島とも呼ばれる。まるで、四方が切り立った崖のようになった巨大な岩塊の上に、城壁に囲まれた町があり、それが大河の中心に浮かんでいた。


「ここからは、あまり離れん方がいいぞ。明るいとはいえ、あんたは目立つ」

「……分かっています」


 少し棘のある声でアルフェが言った。


 アルフェが今日、昼間の町中にもかかわらずフロイドと行動しているのはなぜか。

 城塞都市バルトムンクにおいては、女性の一人歩きは避けるべきだとされている。その理由は単純で、治安があまりよろしくないからだ。慣れた地元の人間でさえも、一人で足を踏み入れてはいけない地域というものがいくつかあった。そんな町で、若い娘が一人で出歩くとなれば悪目立ちするのは当然だ。

 しかもこれから彼らが行こうとしているのは、この町の中でも治安が最悪の場所である。いちいち気配を殺して移動するのは疲れる。しかしただでさえ注目を集めるらしい自分が一人で行って、無用なトラブルを引き起こすのは避けたい。それがアルフェの考えだった。


 要するにアルフェは、この男をある種の隠れ蓑として利用していたのだ。

 二人の位置関係からも、それは見て取れる。フロイドが前を歩き、アルフェがそれに付き従うように――、すなわち「若い女を連れた男の冒険者」という形であれば、見る者は納得するだろうと。


「しかしその学者も、何だってこんな所に住むんだろうな」


 そんな彼らがやって来たのは、色街にほど近い区画だ。ここからは、少し行けば奴隷市場もあるという。

 情報屋から得た知識を頼りに、アルフェはそんな区画のある一軒家の前に立った。

 ここには、アルフェが話を聞きに来た人間が住んでいる。歴史学者という触れ込みで、この近辺の研究調査をしている人物だ。


「学者とか研究者という人たちは、変わった人が多いですから」

「見てきたように言うじゃないか」

「……ここでは私が話します」

「ご自由に」


 アルフェは玄関のドアをノックした。返事を待ちながらその一軒家の外観を改めて見たが、狭い庭がよく手入れされていて、ここだけ周囲の退廃的な町並みとは違う雰囲気を放っている。


「はいはい、どちら様ですか」


 そう言って出てきたのは、総白髪の初老の男性だ。


「失礼します。こちらはゲートルード博士のお住まいとうかがって来たのですが」

「ああ、私がゲートルードですよ。何か?」

「お聞きしたいことがあって、お邪魔させていただきました。突然申し訳ありません」


 柔らかい声と表情で会話を進めるアルフェを、フロイドは微妙な顔で見守っている。


「やあ、これはこれは。こんな可愛らしいお嬢さんの来客など初めてです。何をお聞きになりたいのかは知りませんが、どうぞ中へ。あ、お兄さんもどうぞ」

「ありがとうございます。お邪魔します」

「どうも」


 アルフェとフロイドは家の中に通された。室内は狭いが、よく片付いている。


「最近は雨が多くて嫌になりますね」

「はい、本当に」


 ゲートルードは、二人に中央にある四角いテーブルにつくように勧めた。最初にアルフェが椅子に座り、フロイドも少し迷っていたが、結局は座った。


「で、私に何をお聞きになりたいと?」

「この町の、結界のことについてです」


 言葉を飾るつもりも無い、アルフェはここにきた目的について単刀直入に尋ねた。


「ほう」


 ゲートルードは少し目を丸くしたが、すぐにニコニコとした顔になった。お若いのに、そんな事に興味があるのですねと、彼は言った。


「最近の若い方は、歴史に興味を持とうとしませんから……。しかもあなたは女性なのに。大変素晴らしい」

「いえ、お褒めにあずかるようなことはありません」

「いやいや、向学心は大切ですよ。特にこんな時代だからこそ。ねぇ?」

「は? あ、ああ。そうなんだろうな」


 突然話を振られたフロイドが心にも無いことを言ったが、ゲートルードにそれを気にした様子はない。己が専門の話をできるとあって、初老の学者は嬉しそうだ。


「どこでお聞きになったのか。確かにこの都市は、かつては結界の中にありました。およそ七百年前のことです」


 結界の事について聞きたいとアルフェが言っただけなのに、彼は滔々と語り出す。


「その頃バルトムンク領は、ここからもっと西方に広がっていて、中心都市もはるか西ありました。その時代には、この町は今ほど重要でも、大きくもなかったようです。知っていますか? それまでは、バルトムンク家は八大諸侯の一つだったのですよ」

「そうなのか?」


 興味を引かれたらしいフロイドが、アルフェを見て聞いた。彼は腕と脚を組み、椅子を傾けて行儀悪く座っている。

 アルフェは返事をしなかったが、その通りだ。エアハルト、ラトリアをはじめとする、選帝権を持つ帝国の八大諸侯。その中の一つとして、バルトムンクは数えられていた。


「じゃあ、昔は九大諸侯だったってことか」

「いえ、違います。その時代はラトリアが帝国の臣ではありませんでした。その頃のラトリアは、国家として独立していたんですね」


 学生の間違いを正すような口調で、ゲートルードは語る。


「それでラトリアがいない分、バルトムンクを含めて八大諸侯。ちなみに、現在の八大諸侯は全部言えますか?」

「……は? 俺か? あ~、エアハルト、ラトリア、ハノーゼス、トリール、ノイマルク、……ああ、教会もそうだったな。神聖教会、後は……」


 指折り数えていたフロイドは、そこで言葉に詰まった。


「ゼスラントと、神殿騎士団」


 最後の二つをアルフェが補足すると、老学者は満足そうな顔でうなずいた。


「そうです。ここが特殊なのですが、神殿騎士団は神聖教会とは別個に、それぞれが諸侯としての地位も持っているんですね。この二つに、皇帝からその権威が与えられたのは、今から約千五百年前の――」

「博士、それよりも結界の話を……」


 逸れそうになる話題を、アルフェが軌道修正した。フロイドは既にうんざりした顔をしている。


「ああ、そうです。そうでした。バルトムンク領の結界の話です。……ご存じの通り、結界は永遠ではありません。堕落し、神に見放された土地からは、結界の力も消え去ると教会は教えています」

「……」

「むろん、まれなことではありますが……、七百年前のバルトムンクに、それが起こったのです。それまでは、西にあった大聖堂を中心にバルトムンクにも結界が拡がり、多くの町が繁栄していたんですよ」

「……聖堂」

「はい」


 聖堂という単語は、アルフェとフロイドの両方に、ある場面を思い起こさせたようだ。アルフェは少し考える仕草をし、フロイドは彼女に意味ありげな視線を向けている。


「それについて、もう少し詳しくお聞かせ下さい」


 顔を上げたアルフェは、真剣な表情で言った。



 老学者の家から出ると、空は灰色になっていた。また一雨来るのかもしれない。


 聞きたいことは概ね聞けた。この都市の西方に、放棄された古代の聖堂がある。情報屋から聞いたその噂が真実かどうかを確かめるために、アルフェは今日ここを訪れたのだ。

 詳しい予測地点もゲートルードから聞いた。その聖堂跡に行ってみるとなると、かなりの遠征になる。しかしアルフェは行ってみたい。わずかでも、そこに何かの手がかりがあるかもしれないのなら。


「行くのか」


 歩きながら、フロイドが聞いてくる。


「付いて来なさいとは言いません」

「あんたが行くなら、俺も行くさ」


 それで、二人は無言になった。

 酒場に灯りがつき始めた。アルフェにとっては、用が済めばあまり長居をしたい空気の町ではない。しかし、まっすぐ橋を目指す二人の横から聞き覚えのある声が聞こえ、彼らを引き留めた。


「あら、あなたたち」

「ん?」

「……あなたは」

「どうしたの? こんな所で、仲良く二人で」


 ある一軒の酒場の軒下で、置かれたテーブルに肘をついて酒を飲んでいる女。


「“魔女”か」


 女が妖しく笑う。

 それはこの町で、「水の魔女」と呼ばれている冒険者の女だ。

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