第73話

「一杯おごるぜ」


 がやがやという喧噪を背景にかけられた声と共に、テーブルの上に銀貨が転がってきた。

 その銀貨は、声をかけられた男の前まで来ると、ぱたりと倒れて止まった。食事も酒も頼まず、さっきから黙然と座っていた男は、顔を上げてじろりと声の主を見る。そこには鋲突きの革鎧を着た若い冒険者が、彼を見下ろしていた。


「何か、気になる情報はあるか?」

「……最近、募兵の依頼が多い。トリール伯とノイマルク伯が小競り合いをしてるらしい。大きな戦になりそうだって言う奴もいる。士官の口を求めるなら、そっちに行ってみると良いかもな」

「戦か……、それは興味ねぇなぁ。他には?」

「エアハルト伯が代替わりした。新しい伯がかなりのやり手で――」


 二人の男は会話を続けている。ここはある町の冒険者組合で、冒険者が話しかけた男は、いわゆる情報屋という輩だ。酒をおごるか金を払えば、知っている情報を喋ってくれる。冒険者組合の窓口では聞かせてもらえない情報を得ることができるかもしれないが、概して信頼性は低い。しかしそれも金額次第というところがあって、主要な町の組合には、必ず一人はこういう人間がいた。


「あんた、新入りだな?」

「そうだよ」


 情報屋が逆に問いかけると、冒険者はさらりと答えた。特定の話題を求めるでもなく、「気になる情報を」と聞いてくる。これは、この町にツテも何もない、新入りの冒険者によくある聞き方だ。


「この町に、何しに来た」

「決まってるだろ」


 名を上げるためだと冒険者が言い、情報屋は鼻で笑った。

 それで話は終わったようで、情報屋のいるテーブルを離れた冒険者は、仲間の待つテーブルに戻った。


「タイラー、聞いてきたぞ」

「お疲れさん。ナルサスは?」

「多分、今――戻ってきた。ナルサス、お疲れ」

「ああ」


 ロディとナルサスとタイラー、いずれも若い三人の冒険者は、テーブルを囲むと集めて来た情報の共有を始めた。


「でも、大した話は聞けなかったな。どこの組合でも教えてくれるようなことしか教えてくれない。ロディはどうなんだよ。情報屋はなんか言ってたか?」

「似たようなもんだ、ナルサス。まあ、この町で気をつけた方が良い人間とかは聞いといた」


 流れ者の冒険者が、新しい町に到着したらまずするべきこと。それは宿の確保でも食事でもなく、情報の収集だ。もちろん事前に調査を重ねた上で、彼らは新しい町に移動してくる訳だが、それでも現地でしか得られない情報というものは多い。


「タイラーはどうだった?」

「すごいぞ。ヤバい依頼が山ほどだ。変異種狩りの依頼が三つもあった。ワイバーン討伐の依頼も出てる。やっぱりこの町は違う」

「そりゃ、確かにすげぇな……」

「ナルサス、びびるなって」


 ロディという男は、ばしばしと仲間の背中を叩くと、意気揚々と言った。


「俺たちなら上手くやれる。そのために、まずは景気づけだ。おい、姉ちゃん!」


 注文した蒸留酒と酒の肴が並べられると、男たちは酒盛りを始めた。そこでの話題は、主に自分たちの明るい将来の計画についてだ。


「まずは堅実なところから始めるぞ。定期的に亜人種討伐の部隊が出てるらしいから、最初はこれに参加する。この辺りの地理にも慣れておかないといけないしな」

「亜人……。ゴブリンか、オークか」

「それもある。でも、オーガやそれ以上の魔物が出ることだって珍しくないらしいから、油断はできないぜ。――なんだよナルサス、その顔はまたびびってるな? そんなんじゃ舐められるぞ」

「びびってねぇよ」


 周囲の騒音に負けぬように、彼らの声は自然と大きくなっていく。杯を重ねながら一時間も話すと、酔いもすっかり回っていた。


「で? 今この町で“のしてる”のは誰だって?」

「ああ、まずは城主のゲオ・バルトムンク。それから中州の奴隷市場を仕切ってるメリダ一家。こいつらが色街の仕切りも――、おい、後で娼館に行ってみるぞ」

「分かった分かった。冒険者ならどんなやつがいる?」

「冒険者なら、『血槍』か『水の魔女』か――」


 時に協力者であり、時に商売敵でもある他の冒険者。その中でも特に名の売れている実力者について知っておくのは、場合によっては魔物に対する知識を得ること以上に重要である。

 ロディという男が、指折り名前を挙げていく。どれも冒険者の二つ名だ。相棒のタイラーとナルサスが、それに質問も挟まずにうなずいているのは、この名前がどれも、彼ら冒険者の間では“常識”と言っていいものだからだ。

 二つ名を奉られる程にこの世界で長く活躍できる者は多くない。その中でもロディが挙げているのは本物中の本物である。この町に集まっているというそうそうたる顔ぶれに、他の二人は圧倒されている。


「――こんなところかな」

「……ん? それで終わりか。ボイド兄弟はどうした? この町にいるって聞いたぞ?」

「ああ、そうだ、それな。あいつら、死んだってよ」

「……本当か?」


 ロディ以外の二人が、声をそろえて聞いた。その顔は、信じられないことを聞いたという表情だ。


「嘘ついてどうする」

「……そうだな。そういうこともあるか。しかし奴らが勝てない魔物なんて、よっぽどだな」

「いや、魔物じゃない。『銀狼』って冒険者に殺られたらしい」

「『銀狼』? 初耳だ」

「最近この町に流れてきた冒険者だってよ。詳しいことは聞かなかったが、手強い魔物を片っ端からぶちのめして、次々依頼をこなしてるって話だぜ」

「そいつにあの兄弟が? ……賞金でもかけられたか?」

「ああ、悪名高い奴らだったしな。ギルドも目を付けてたんだろ。まあ、“さもありなん”って感じだな」


 三人に、死んだという兄弟への同情は無いようだ。それよりも、彼らの関心は今新しく聞いた冒険者の方に移っていった。


「銀狼か……、どんな奴かな?」


 ジョッキに口をつけながら、ナルサスがつぶやいた。酒と肴を食らいながらも、三人の頭には見も知らぬ新興の冒険者の姿がある。

 銀狼――、はったりの効いたご大層な名前だが、二つ名とはそうしたものだ。三人の思い描いているその像は、どれも似通ったものである。目つき鋭く精悍で、獣を思わせるような野性味あふれる凄腕の剣士。そんなところだろうか。


「あんな感じの奴じゃないか」


 丁度そのとき組合に入ってきた男を見て、タイラーが言った。他の二人が目をやると、なるほどその男は、狼と形容するのにぴったりな、凶暴な雰囲気をまとわせている男だった。

 険のある顔、引き締まった筋骨。腰に差した長剣と、油断の無い足運び。他の冒険者たちも、一瞬その男を目で追う気配を見せた。二つ名が無いにしても、相当腕の立つ冒険者であることは間違いない。


「かもな」


 三人の後ろを通って行った男は、さっきロディが話していた情報屋の前に立ち、何ごとかを話している。三人は、それで男に対する興味を失った。ロディは一旦それた話を元に戻し、自分たちの未来の話を再開した。


「なぁに、俺たちだって今に有名になる。そのために、この町に来たんだ」


 そうだろうとロディが言うと、他の二人もうなずいた。


 この町の名は、城塞都市バルトムンク。ここは帝国中央部の大渓谷地帯のほぼど真ん中に位置している。帝国を南北に貫流するレニ川が削った峡谷の底に、堰のように築かれた町。河川を行き来する船と、帝都への街道を往復する隊商とが行き交う交通の要衝だ。


 この町の最も大きな特徴は、冒険者の多さである。密集した建物の間に作られた狭苦しい通りには、商人や普通の市民らしい人間よりも、むしろ冒険者風の男たちの方が数が多い。というのは言い過ぎかもしれないが、他の都市と比べると、異様に冒険者の割合が高いのは確かだった。

 何しろこのバルトムンクには、合わせて四つの冒険者組合の事務所が存在するのだ。そんなものは通常、町ごとにせいぜい一つしかない。交通の要衝と言っても、これは明らかに多すぎる。


 では、一体何がこれほどの数の冒険者を呼び集めているのだろうか。

 答えは簡単。それはこの町が、結界の外に位置しているからだ。

 そう、城塞都市バルトムンクは、帝国領域内にある、最も大きな結界外の町なのである。


 なぜこのような町が作られることになったのか。それは、帝国にある結界の “いびつさ”が主な原因である。

 帝国を構成しているのは、北西部にある皇帝直轄領と、それを取り囲むラトリア、エアハルトなどの八大諸侯の領地が主だ。その中で最も大きな結界は、帝都にある大聖堂を中心に広がっているが、それは必ずしも、他の八大諸侯の結界領域とはつながっていない。

 すなわち、帝国の領土は結界の領域に応じて“飛び地状”に存在しており、それを街道や河川などの交通路がつないでいるのだ。


 結界外ということになれば、当然魔物が出る。

 しかし、それらの主要な街道は、帝国としては絶対に放棄できない動脈のようなものであり、辺境の開拓村に続く街道とは訳が違う。魔物が出ようが何であろうが、それらは何としても守り抜かなければならない。

 そのためにできたのが、このバルトムンクのような城塞都市だ。

 この町の存在意義は、帝国直轄領の防衛と、街道と河川交通の維持。その目的を果たすために、バルトムンクはいつでも魔物と戦う存在、すなわち、冒険者を必要としているのだ。


「この世界で成り上がるなら、この町で名を売るのが一番だからな」

「で、成り上がってどうするんだ、ロディ。女でもはべらすのか?」

「馬鹿、俺の目標はそんな小さくねぇよ。金を貯めて、帝都に屋敷を持つんだ」

「それは大きな目標って言うのかねぇ……?」

「もちろんただの屋敷じゃない。どこよりも大きな屋敷さ」

「そういう意味じゃねえんだけどな」


 ここで話している彼らも、そうした人間の一部に過ぎない。

 少々の危険に身をさらしてでも、名を上げようとする冒険者。強い魔物と戦って、己の技を高めようとする武芸者。ここはそんな荒くれ者たちが集う、帝国でも随一の場所である。


 もちろん、彼らが明日の晩には魔物の餌となっていても、それすらこの町では日常の風景だ。彼らが死んだ次の日には、きっと代わりの新しい冒険者がやってくる。だから他人の生死など知ったことではない。そんな刹那的で退廃的な空気が、この町全体を包んでいた。


「俺たちもその『銀狼』ってやつ――、やつ“ら”かな? そいつみたいに……、ん?」

「どうしたロディ」


 滑らかに喋っていたロディが口を止めたのは、自分に向けられた視線に気がついたからだ。ロディが見ているものを見ようと、他の二人も座ったまま振り返った。するとそこには、三人のテーブルの脇に立ち止まって、彼らを見つめるさっきの剣士風の冒険者の姿があった。


「俺たちに何か用か?」


 因縁でも付けられると思ったのか、ロディは少し険悪な声でそう言った。


「いや、何でもない。面白い話をしていると思っただけだ。気に障ったのならすまないな」


 しかしその冒険者は、見た目の印象に反した柔らかい口調でそう詫びると、そのまま組合を出て行った。


「……何だったんだ?」

「ロディ、お前が『銀狼』の話をしてたからじゃないのか?」

「え? じゃあ、あいつが本当に?」

「かもしれないってだけさ」

「ふーん」


 まあいいやとつぶやいて、ロディは杯を飲み干した。そしてその後も、彼らは話題を二転三転させながら酒盛りを続けた。

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