第三章

城塞都市

第72話

 ――アルフィミア様! ご無事ですか!


 そう叫びながらドアを蹴破るようにして入ってきた青年は、部屋の中に広がる光景を見て目を見開いた。


 ――こ、これは……。


 それだけをつぶやいて青年が絶句すると、部屋の中で聞こえる物音は、はあはあという青年の荒い息づかいだけになった。――いや、遠くからまだ何か聞こえる。金属と金属が打ち合う音や、ガラスか何かの割れる音、そして人の叫び声。これは、戦いの音だ。


 ――……。


 豪奢なベッドの中央に、彼が救い出しに来た少女が無言で座り込んでいる。その傍らに突っ伏しているのはこの城の衛兵だ。確か、この部屋の前を警備していた男のはずである。死んでいると、彼には一目で判別できた。

 赤黒く染まったシーツ。少女の右手に握られている血のついた懐剣。入り口のドアの横には侍女の死体。それらを見比べて、ここで何が起こったのか青年の頭の中で見当がついた。


 ――アルフィミア様……。


 青年が少女の名を呼ぶと、彼女は初めて彼に気付いたとでもいう風に、ゆっくりとその目を彼に向けた。


 ――……あなたは、お姉様の……。


 少女は青年の名前を憶えていないようだった。いつも姉の後ろに控えている男。彼女の記憶の中では、自分はその程度の存在だろう。青年はそのことについて、別に違和感を覚えなかった。


 ――ご無事で何よりです。お怪我はありませんか。


 ――……お姉様は?


 ――……既に、脱出されました。姉上様が私に、アルフィミア様をお救いするようにと。事情を説明する時間がありません。王国兵が迫っています。どうか私と共に。


 ――……そうですか。


 意志を持っているのか怪しい視線が、青年の上を移動する。彼はここにたどり着くまでに、何人斬ってきたのだろうか。顔にも服にも返り血を浴びていたし、彼が左手に提げている剣からも艶めいた血が滴っている。


 ――脱出……。城の……、外に出るのですか?


 ――はい。


 少女は当たり前の事を確認するが、それは彼女にとっては当たり前ではなかった。彼女がこの建物の敷地を出た経験は、青年の知る限りでは存在しない。


 ――……分かりました。


 ――地下牢に向かいます。そこの隠し通路が封鎖されていなければ、まだ何とか。


 無気力にうなずいた少女をベッドから下ろすと、青年は侍女の死体を代わりに乗せた。そして部屋から出る時、青年は短い呪文を詠唱した。それは火の粉となってベッドに燃え移り、そこに乗った二つの死体を焦がし始めた。


 ――これで時間を稼げるか……? あとは、メルヴィナが上手くやってくれれば……。


 青年のつぶやきを、少女は聞いていなかった。


 ここから出たとして、それで何かが変わるというのか。外の世界に、何があるというのか。彼女は頭の中でただぼんやりと、しかし初めて、自分の未来というものについて考えていた。



「……まだか?」


 革鎧の男が、周囲を見渡しながら背後の仲間に声をかけた。彼はもう既に何度か同じ台詞を繰り返している。しかし男の苛立った声は、さっきから降っている雨と、遠くから聞こえてくるどうどうという水音にほとんどかき消されてしまった。


「……おい、早くしろよ!」

「うるせえ! 黙ってろ!」


 男に怒鳴り返した仲間は、ぬかるんだ地面に膝をついて横転した荷馬車を物色している。

 馬車に乗っていた商人たちは、ロープで縛り上げられて一カ所に固められていた。馬車が倒れた拍子に怪我をしたのだろう。中には頭から血を流している者もいる。そしてそれをさらに数人の男たちが取り囲み、短剣や手槍を突きつけていた。


 どうやらこの男たちは野盗のようだ。

 それも、街道を通る馬車を襲い生計を立てている、野盗の中では最もありふれたタイプの一団である。この辺りでは、こういう手合いは下手をすればゴブリンよりも数が多いと言われていた。


「早くしねぇと魔物が出るだろうが!」

「うるせぇ!」


 繰り返される野盗たちの口汚いやり取りを、縛られた者たちは憔悴した様子で見守っている。

 馬車が倒れてから、木立から出てきた野盗たちが彼らを縛り上げるまで、まるで流れるような手際の良さだった。直前まで何の異変も無かった馬車が不自然に横転したのも、多分野盗によって、道に何かしらの細工がされていたのだろう。


 行商人である彼らも護衛を雇い、武装して野盗や魔物の出現に備えていたが、相手の方が一枚上手だったようだ。こうなれば、後は野盗が自分たちの命だけは奪わないよう祈る他に、彼らにできることはなかった。


「――よし、めぼしいブツはこれくらいだ。引き上げるぞ!」


 馬車を物色していた男がそう怒鳴ると、行商人を取り囲んでいた見張りたちが武器を引いた。それを見て、彼らは心の中で安堵の息をもらす。どうやら殺されずに済みそうだ。野盗たちが去った後、魔物の出る街道を馬車無しで町までたどり着けるかどうかという問題は残るが、最大の危機は回避できた。


「……待て!」


 しかし突然、野盗たちの一人がそう言って仲間を止めた。

 まさか気が変わって、証言者を殺しておこうと思い直したのか。だが、どうやらそうではなさそうだ。


「囲まれてるぞ!」


 男がそう言い終わるか終わらないうちに、飛来した矢が野盗たちを襲う。それから十分も経たず、野盗たちは全員地に倒れ伏していた。



「あっけなかったな。これなら待ち伏せする必要もなかったか」


 野盗を倒したのは十人程度の集団だった。どの顔も野盗と変わらない面構えだが、装備は野盗よりもずいぶんと上等だ。どこかの軍に所属しているようには見えない。にもかかわらず野盗を狩るということは、彼らはおそらく冒険者だろうか。


「お陰でずぶ濡れになっちまった」


 ぬかるみに沈んだ死体の一つを、一人が乱暴に足蹴にした。


「ま、そう荒れるなよ」


 慎重になるにこしたことはないだろ。そう言って肩を叩いた男の顔は、叩かれた方とうり二つだった。片方の頬に走る傷がなければ、どちらがどちらか分からない程だ。まるで双子のような――、というより実際、彼らは双子か兄弟なのだろう。


「兄貴、これが依頼の盗賊で間違いないのか?」


 やはりそうだ。兄貴と言った――すなわち弟の方は、うつ伏せになっていた死体を足で転がし、仰向けにした。


「多分な」


 他の男たちの動きを見るに、どうやらこの兄弟が集団の中心のようだ。兄弟以外の男たちは、命じられる前に黙々と倒れた野盗から耳を切り取っている。賞金と引き換える時の証にするためだろう。

 はじめは助けが来たと喜んでいた行商人たちは、彼らの言動から不穏な空気を感じた。野盗を倒して自分たちを助けることが目的なら、そういうことをする前に、自分たちを解放することを優先するのではないだろうかと。

 しかし彼らは、商人たちが全く眼中にないかのように振る舞っている。


「――た、助けてくれ」


 それでも、縛られている一人がかすれた声でそう言った。

 よせ――、他の者は直感的にそう思ったかもしれない。助けを求めた男を、むしろ押しとどめようという気配さえ見えたが、手足を縛られている状態では、それはできなかったようだ。


「ん? ああ、忘れてたよ」


 声をかけられて振り向いた、兄弟の兄の方が、穏やかに微笑んだ。


「お前たちにも、ちゃんと目を閉じてもらわなきゃな」


 その微笑みには、人を人とも思わない酷薄なものが含まれている。

 そして彼は無造作に商人たちに近寄ると、手に持った剣で一人ずつ心の臓を貫いていった。


「終わったか?」

「ああ」


 弟が兄に声をかけ、兄はごく自然にうなずいた。

 兄の方は行商人の返り血に濡れており、弟の方も野盗の死体から略奪した金目の物を握っている。そしてその金目の物は、元はといえば野盗が行商人から奪った物だ。しかし彼らには、全く悪びれた様子がなかった。恐らく彼らはこれから町に戻り、衛兵の詰め所か冒険者組合でこう報告するのだろう。


 ――依頼に出ていた野盗を討伐した。商人が襲われていたが、運悪く手遅れで助けることはできなかった。


 金品が強奪された痕跡があると言われたらどうするか。野盗に生き残りが居たのだろうとでも言えばいい。でなければ、自分たちが去った後に死体をあさられたか。どちらにしても、証言できる者は居ない。

 そう、ここで起こった出来事は、辺境においては決して特殊な事例ではない。法の目の届かない場所で行われる弱肉強食。それは結界の外の日常であり、魔物だけでなく、人間もその原理から逃れることはできないのだ。


「これで依頼達成だな」

「ああ、町に戻ろう。五日ぶりだ。たまには暖まらないと風邪を引くからな」

「いつまで降るのかね、この雨は」


 だからこの冒険者たちの心には、今し方自分たちがおこなった非道もなんら陰を落としていない。まるで何気ない仕事終わりの風景のようにさっぱりとした調子で、彼らは今日の天気や食事の話をしながらその場を離れようとした。


 しかし――


「おい、誰か来るぞ」


 男たちの一人がそう言った。

 その男は、雨音の中から別の音を探るような仕草をしている。集団の中に緊張が走った。


「……衛兵か?」

「いや、馬じゃない……。歩きだ」

「歩き?」


 徒歩でここを行く人間は珍しい。普通、馬に乗るか馬車を使う。

 衛兵ならば馬に乗っているはずだ。同業の冒険者でもそうだろう。ならば近づいているのは、ただの不運な通りすがりだろうか。


「魔物か?」


 もちろんその線もあり得る。というより、そちらの可能性の方が遙かに高い。


「よく分からんが……、多分人間だ」


 片手を耳に当てたまま、足音を聞いた男は兄弟の方を見た。他の者たちも、指揮者の指示を欲しがっている。


「……いちいち隠れるのも面倒だしな」


 濡れた前髪を掻き上げながら兄がそう言うと、弟が無言でうなずいた。

 面倒だからどうするのか。

 決まっている。この商人たちと同じように口を塞ぐのだ。ついでに金を持っていればなお結構である。

 それでも念のため、彼らは引き上げの準備も同時に始めた。どこからか隠してあった馬を引き連れてきて、荷物をそれにくくりつけた。


「来たぞ」


 そしてその旅人が、道の向こうから姿を現した。雨の勢いは視界を遮るほどではない。三百歩ほど離れたところに、その一人姿がはっきりと見える。


「……なんで逃げない?」


 弟の方が不可解だという風につぶやいた。

 あちらからもこちらの様子は見えているはずだが、旅人に歩調を緩める様子はなかった。あの距離からでは、ここがどういう惨状になっているかまでは判別ができないのかもしれない。

 ならもう少し近づけばと思ったが、こちらから百歩――、五十歩のところまで来ても、旅人の足取りに変化は無かった。もしかしたら、このまま通り過ぎるつもりではないか。男たちがそう思ったほどだ。


 しかしさすがにそんなことは無い。その旅人は、惨劇の場のすぐ直前で立ち止まった。


「よう」


 旅人が被った雨よけのフードの下から、低い男の声がした。

 それを受け、兄弟以外の冒険者たちはざわついた。それはそうだ。まさか向こうから、しかもこんな気軽な調子で声をかけてくるなど想像していなかった。


「やあ」


 しかし兄弟は落ち着いている。兄の方は、まるで町中ですれ違った知り合いに返事をするような返事をした。


「酷い様だな」


 相手の男の方も、奇妙な程に平静だ。彼は転がったままの死体や横転した馬車を見て、そんな風につぶやいた。


「そうかな。よくあることだろ?」

「ああ、そうだろうな。……お前ら、ボイド兄弟だな?」


 冒険者たちの動揺はさらに大きくなった。ボイド兄弟、それはまさにこの兄弟の名であり。彼らを中心とするパーティーの名前でもあった。


「兄がフェルナンで、弟が……何だったか。まあいい、お前らがやったのか?」

「ああ」

「その商人も?」

「かもね」


 兄は軽く肩をすくませる。


「……ふん。中々尻尾をつかませないと聞いていたが――」


 縛られたまま息絶えている商人たちを一瞥し、軽く口の片端を歪ませると、旅人はマントの下から両手を出して、腰に差した剣の鞘を握った。


「あんたも冒険者かい?」


 薄い微笑みを浮かべながら、ほとんど確信を持って兄は尋ねた。自分たちの行状が組合に目を付けられているのは知っている。表向きに賞金などはかけられていないが、目の前の男は、おそらく組合からの依頼で自分たちを狩りに来ている。その事は男の言動からも明白であった。

 既に他の冒険者たちも、一度収めていた武器を取り出して、旅人を取り囲むような動きを見せた。


「まあ、とりあえずな」

「……とりあえず?」

「俺の飼い主がそうだからな」

「飼い主……? よく分からないな。なんだいそれ」

「気にするなよ」


 旅人は無造作に、しかし目にも留まらない速さで剣を引き抜いた。


「どうせお前ら、全員死ぬんだ」


「ははっ」


 旅人の言葉に、兄はこらえきれないという様子で失笑をもらした。

 この旅人は自分たちのボイド兄弟という名前を知っていた。ということは、この男は自分たちがどれほどの強さで、この界隈でどれくらい恐れられているのか、当然それも承知しているはずなのだ。

 なのに、強がる。笑える話だ。


「自信家だな。嫌いじゃないよ、そういうの」

「いいよ兄貴! 相手にしなくて。もう殺そう!」


 面白そうな兄とは対照的に、弟の方はこめかみに青筋を立てている。苛立ちを隠そうともせずにそう言った。


「ちょっと待てよジャン、もう少し。……なあ、君が強いのは分かるけど、俺たち二人に勝てるとでも思ってるのか?」


 二人。兄は自分たち兄弟以外を数に入れずにそう言った。


 この旅人は手練れだ。自分たち兄弟以外の冒険者とは明確な実力の差がある。そんなことは見れば分かる。並の冒険者の十人程度なら、この男はあっという間に切り伏せるだろう。

 しかし、ここにいる自分たちは並では無い。一人でも負ける気はしなかったし、兄弟二人がそろっているならなおのことだ。


「まあ、勝てるとは思ってる」

「ふふふ――。……いい加減にしろよ」


 兄の表情と、まとっている空気が変わった。弟よりも凶暴な気配を放ち始めた兄を見て、他の冒険者たちは冷や汗を流し、旅人の死を確信した。


「落ち着け」

「……?」

「勝てるとは思ってるんだがな……、俺は、お前らの相手はしてやれない」

「……おちょくる気か?」

「別にそんな事はしないさ」


 肩をすくめて、旅人は小さくため息をもらした。


「俺だって残念なんだ。でもな、俺に任せてもらえるのは雑魚だけなのさ。なにせ信用が無いもんでな」


 旅人はそう言いながら、剣先で兄弟以外の冒険者の方を指した。


「……」

「お前たち兄弟の相手は、俺の飼い主がやるってよ」

「飼い主……?」


 さっきもこいつはそんなことを言った。一人だと思っていたが、もしかして他に仲間がいるのだろうか。しかしそんな気配はどこにもしない。そう考えたところで、旅人は兄弟の背後の方を顎でしゃくって見せた。


「――誰が余計なおしゃべりをしろと言ったのです」

「――な!?」


 女の声。同時に振り向いた兄弟は、初めて驚きの色を見せた。


 女――、小柄だ。若い。男と同じようにフードを被り、マントを羽織っている。いつの間に背後を取られたのか。この瞬間まで全く気付かなかった。女の位置はむしろ、前にいた男よりも兄弟に近い。


「お前は、言われた事をやればいい。分かっているでしょう」

「ああ、もちろん」


 女の冷えた言葉を受けて、男が返事をした。

 この上から物を言う態度。この女が男の“飼い主”なのか。男は間違いなく手練れだが、この女はどうなのだろうか。――読めない。分からない。それは逆に危険だ。兄の中でぐるぐると思考が巡る。

 それを打ち破ったのは、女の発した声だった。


「お前たちが“ボイド兄弟”だというのは分かりました」

「――!」

「そこの商人たちも、お前たちが殺した。――間違いないですね?」


 雨の中に、鈴のような声が響く。この娘は今までの会話も聞いていたというのか。兄弟のつま先がそろって女の方を向いているのは、考えるより先に、本能がそちらを警戒するべきだと理解したからかもしれない。


「――間違いなかったら、どうするってよ?」


 弟の声を受けて、女が少し伏せていた顔を上げる。フードの中にあった爛々と光る碧い視線が、兄弟を刺し貫いた。


「フロイド・セインヒル」

「ああ」

「雑魚はお前に任せます」

「承知した」


 娘の言葉に返事をすると、フロイドと呼ばれた男は狼を思わせる獰猛な笑みを浮かべた。男が戦闘態勢に入ったことを、その体が放つ強烈な殺気が伝えてくる。しかしその殺気を背中に受けても、兄弟は娘から目を離すことができなかった。


「何だ貴様は……!」


「知る必要はないでしょう」


 娘は言い放った。


「どうせお前たちは、全員ここで死ぬんです」


 街道に降る冷たい雨は、まだやみそうになかった。

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