第65話

「ふっ!」


 剣の切っ先を紙一重でかわして、アルフェの手刀が相手の腹にめりこんだ。

 手を引き抜いたところから、鮮血がほとばしる。さっきまで、この相手は生きていたのだ。それを、血の温かさが教えてくれる。


 不死者となった助祭長を倒し、クルツたちの元へ引き返そうとしたアルフェの前に、当然のように次の敵が立ちはだかった。

礼拝所で死んでいた神殿騎士たちが起き上がり、彼女の行く手をふさいでいる。

 肝臓を貫いたはずなのに、騎士の動作に衰えは見えなかった。上段からの斬り下ろしは、十分に鋭い。アンデッドだからだろうか。かわしざまに神殿騎士の肘から先を斬り飛ばしながら、アルフェは思った。


 剣を持つための手を失っても、断面の見えるその両手で平然と殴りかかろうとする。腹部に少女の蹴りを受けたその騎士は、礼拝所の椅子を蹴散らした後、床に沈んだ。

 それでもまだ次がいる。片足を浮かせたままのアルフェに、背後から斬撃が迫った。少女の白い手がそれをいなし、剣先は地面に刺さる。


 神殿騎士の亡霊たちは、生前の技量そのままに、アルフェに襲い掛かっている。これを一人の術士が成したとしたら、恐ろしいまでの技量、恐ろしいまでの魔力だ。これがあの、メルヴィナという死霊術士の仕業なのか。

 あの女の目的は、クルツたちの儀式の妨害だったのか。状況を見るに、結界の秘蹟の成功を防ぐため、メルヴィナは教会の中に潜り込んでいた。そうとしか思えない。現に助祭長たちは、儀式の場を襲撃されて死んでいた。しかし、なぜ。


「……ひとまず、これで」


 アルフェは右腕についた血を振り払った。これで礼拝所にいたアンデッドは、一通り処理できた。

 その代わり、荘厳であるべき礼拝所の中は、見るも無残なありさまになっている。神像の差し出した腕には神殿騎士の胴体が突き刺さっているし、長椅子や説教壇は破壊され、そこかしこに肉片と臓物が転がっていた。

 むせかえるような血のにおい。これはもはや、彼女にとっては日常の一部である。


 彼女は別に、残酷な殺し方を好むわけではない。敵となった者に、容赦をしないだけだ。命を懸けたやり取りの中で、殺し方を選ぶ余裕は無いとも言える。それに相手はアンデッドである。四肢を引き裂いて行動不能にするまで、戦いは終わらない。

 しかしそれでも、普通の少女ならば卒倒するような情景の中に、アルフェは平然と立っていた。


 ――死霊術士は、まだこの聖堂のどこかに……? ……でもとにかく、一度グレンさんとウェッジさんのところに戻らなければ。


 少なくとも表面上、アルフェに心を動かした様子は見られない。放浪の日々の中で、そういう心はささくれて、麻痺してしまったのだろうか。それともそんなものは、初めから彼女の中には無かったのだろうか。あくまで冷静に、彼女は次に自分がどうするべきかを考えていた。


 ――この先にも、まだ敵がいるはず。


 礼拝所に続く回廊にも、神殿騎士の死体はあった。それらがすべてアンデッドと化していれば、それなりに手間取るだろう。

雇い主に害が及ぶ前に、戻らなければならない。少女は壊れた説教壇に背を向け、礼拝所を出た。



「正面はいい! 団長が抑えてる! 誰か東側の入り口を塞いでこい!」

「了解!」


 一体目が、兵営内のどこに、いつ出現したのかは分からない。聖堂の外を巡回していたリグスたちがアンデッドの出現に気付いたときには、既に抑えようがないほど、敵の数は膨れ上がっていた。

 あまりに唐突なアンデッドの大量発生。現場に居た者たちの中で、そんな事態に遭遇したことのある人間など居なかっただろう。


「ジェイスたちが戻って来てないぞ!?」


 それでも歴戦のリグスたちは、即座に聖堂への一時撤退を決断し、行動に移した。そしてそれは、生き残るためには多分正解だったのだ。

 バリケードを築いた彼らは今、押し寄せるアンデッド相手に奮戦している。暗くてわかりにくいが、聖堂の外は人間とアンデッドが入り乱れての乱戦となっているようだ。あらゆる方向から、剣戟と悲鳴が絶えず聞こえてくる。

 兵営にいた三千の兵と千の人夫、合わせて四千もいたはずの集団は、全く統制が取れていない。魔物に対する抵抗は組織的ではなく、戦うか逃げるか、その指示を出す者もいなかった。

 かろうじてまとまった抵抗をしているのは、聖堂にいるリグスたちの傭兵団だ。傭兵団以外の生き残りも二人三人と逃げ込んできて、彼らに加わりアンデッドと戦っている。


「死んだやつが、――死んだやつが起き上がりやがった! 畜生!」


 しかし敵は減るどころか、ますますその数を増やしている。地面から湧き出てきたスケルトンの他にも、殺された兵がそのままグール――食屍鬼となり、逆に軍勢を拡大していた。

 計画の崩壊を悟ったクルツは、負傷者の収容所と化した奥の部屋で、ウェッジに護衛されながら放心している。捨てておきたいところだが、あの男を守るという目的があることで、傭兵団――いや、リグス自身が何とか踏みとどまっているという部分もあった。


「火が要る! もっと燃やす物はないか!?」


 混乱の中で、ヘルムート卿の死体が見つかった。クルツに協力することで、あの男にも何か実現したい野心があったのだろうが、死んでしまえば無意味だ。この状況下では、些事として彼の死は片づけられた。


「逃げられない……。逃げられなかったんだ。外にはもっと、恐ろしい化け物がいて……。ここは、地獄なんだ。俺たちは、逃げられないんだ……」


 囲みを突き破って、この荒野から脱出しようという意見もあった。そうしたいのはやまやまだが、今のところ、それはできていない。単純に戦力が不足しているのと、兵営の外に逃げて、アンデッドではない魔獣に喰われた奴を見たと、そう、うわごとのように語る男もいたからだ。


「うおおおおおお!」


 石畳ごと、リグスの戦鎚がレイスを圧し潰した。

 束になってくるスケルトンは、それほどの脅威ではない。混乱していなければ、普通の兵でも対処できる。だが、幽体であるレイスは別だ。魔力の通った武器でなければ、攻撃は通じない。

 マジックアイテムの数は少ない。兵営内にいた貴族連中は、各々魔法の武器の一つ程度は持っていただろうが、威張り腐っていた彼らは、早々に死んだ。この戦場を子細に検討する余裕が彼らにあれば、アンデッドは混乱を助長するために、むしろそういう者たちを優先して襲うかのような位置に現れたことに気づけたかもしれない。

 ともかく、リグスの戦鎚以外には、副長のグレンが持つマンゴーシュくらいしか、魔法の武器はこの場には無かった。あとはわずかな魔術の使い手だけ。彼らはそれだけで、飛来するレイスに対抗していた。

 幸いというべきか、レイスなどの強いアンデッドの割合は多くなかった。だがそれも、少しずつだが増えている気がする。すでに何度か防衛線を抜かれて、後衛に被害が出ていた。


「教会の奴らはどうした!」


 正門前の階段に設置されたバリケードの外側に立っているリグスが、声を張り上げた。

 このアンデッドの軍勢は十中八九、それどころか九分九厘、助祭長が連れていた死霊術士と関係がある。リグスとしては、教会の人間は残らず罵ってひねりつぶしてやりたい。

 とはいえ、聖堂内にいる神殿騎士が戦いに加われば、戦況がかなり楽になるのも事実だ。神殿騎士たちは、邪悪な魔物に対する特別な訓練を積んでいる。レイスを斬ることも、彼らならできるはずだった。

 しかし、彼らは一向に、聖堂の奥から出てくる気配がない。


 領主の兵は、既に何人死んだか分からない。傭兵団の仲間にも、少なくないけが人が出ている。仲間を探しに行って、まだ戻ってこない者もいた。

 スケルトンの中に、グールとなった兵の姿が混じる。その割合は徐々に増えていた。


「くそったれ共め!」


 リグスは腹の底から悪態をついた。そうしながら彼が片手で振り回した戦鎚は、それだけでグールの構えた長剣をへし折り、鎧をひしゃげさせた。

 リグスの脇をすり抜けて、バリケードをよじ登っていく敵も多い。しかしそれに気を取られれば、もっと多くの敵の通過を許すことになる。後方の敵は、バリケードの後ろにいる他の者がなんとかする。そう信じて、ここで踏ん張り続けるしかない。


「ぎゃあああ!」

「大丈夫か! しっかりしろ!」


 背後から、聞き慣れた声が悲鳴となって聞こえてきた気がしたが、リグスは振り向かない。そんな暇など無い。


「うおっ!」


 足を払ってきた槍を、リグスはかわした。そうしながら、斜め後ろから鋭く脇腹をついてきたグールの顔面を、肘で潰す。


――何なんだこいつらは! 


 敵の中にはこのように、“人間のような動き”をするアンデッドが混じっている。

アンデッドとなった者は、どれほど高等な技能の持ち主だろうと、生前よりは力が落ちるはずなのに、このグールたちにはそれが感じられない。

 まるで生きているかのように、こちらの攻撃をかわし、器用に距離をとって戦ってくる。他のアンデッドと連携して戦う気配すらあった。ただ群がるだけのスケルトンとは違う動きだ。知能があるとしか思えない。厄介なことこの上なかった。


「おおおおおおおお!」


 それでも、叩いて潰して、リグスは奮戦した。

 いつの間にか、彼の足下に積み上がった骨と死体が、バリケードの高さを超えようとしている。その上に立っていると、心が戦場時代に戻っていくように感じる。やがてリグスの横顔には、残忍で獰猛な笑みが浮かぶ。実際に、彼はいつの間にか、笑い声を上げながら戦っていた。


 そうだ。これが戦いだ。叩いて、潰して、潰して、潰す。戦鎚の頭に、臓物が絡む。

 心から迷いが消える。これまで抱えていた、あらゆる憂いや煩わしさもなくなる。クルツのことも、傭兵団の仲間のことも、真っ白になっていく。

 自分以外の生き死になど、気にする必要があるだろうか。生き残るため、このまま自分ひとりになるまで、目の前の敵を、ひたすら屠り続ければいい。


 忘れていた、目をそらしていた自分の本性が、音を立てて目覚めていく気分だ。

何のことは無い。結局、あの娘と同じだ。自分も結局、一匹の化け物なのだ。

 戦鎚を、渾身の力で横なぎにした。ばらばらと、食屍鬼たちの四肢が宙を舞う。


「オオオオオオオオオ!」


 黒い魔力が、リグスの周囲に漂っている。どこからか、何かがそれを、興味深そうに見つめている。


 ――死ね! 死ね! 死ね! 死ねぃ!


 自分は、やはり修羅の世界で生きていくしかない。人じみた生き方など、できるはずもないのだ。

 始めから、自分はこういう男だった。自分が生き延びることにしか、興味が無かった。

 大切な部下、守るべき仲間、かけがえのない家族。そんなものはまやかしだ。そんなものは、敵と一緒にこの戦鎚で磨り潰して――


「――!?」


 雄叫びを上げ、戦場の狂気に陥ろうとしていたリグスの精神は、しかし急速に、正気へと引き戻された。


「お前……」


 グールの中に、見慣れた顔を見つけたからだ。


「カイル……!」


 彼は、かすれた声で、変わり果てた団員の名前を呼んだ。

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