のどかな農園で
第49話
「え?」
聞き取りにくいしゃがれ声で告げられた宿の主人の言葉に、アルフェは一瞬固まった。
「ですから、お手紙です。お客さん宛てに、手紙を預かってますよ」
「手紙……ですか?」
――誰から? いえ、それより――。
どうして自分の居所が分かったのだろうか。その手紙を受け取りながら、アルフェは考えた。自分が泊まっているこの宿の場所は誰一人、リグスにも、それ以外のこの町の知り合いにも伝えていない。手紙など、届くはずがないのに。
アルフェは手紙というものに、いい思い出を持っていない。手紙というのは、唐突に良くない知らせを運んでくるものだという印象がある。そもそも、アルフェ個人に宛てて手紙を送ってきたことのある人間、それは彼女の短い人生の中で、一人しかいない。
――まさか、クラウスが?
少女の中に、不安と警戒心が沸き起こる。反射的に周囲を見まわし、次いで宿の主人である老婆の顔を見るが、深い皺のよった顔からは何も読み取れない。不審に思いつつも、アルフェはその封筒を受け取った。
封筒の表面をゆっくりとなでる。手触りが指になめらかな、混じり気の無い白い紙は、それだけで相当に高級品だ。かつてクラウスが送ってきたものとは質が違う。
「すみません、これは――」
誰が持ってきたのか。アルフェは老婆に聞こうとしたが、彼女は既に安楽椅子に座り、目を閉じて眠りこけている。
素早いことだと思いながら、アルフェは封筒を裏返した。
「……なるほど」
そして、封筒に押された赤い印章を見て、アルフェは一言つぶやいた。差出人の素性は、その印章が疑う余地もなく知らせている。
しかしどうしてこの差出人が、彼女に手紙を送ってきたのか。分かったようになるほどとは言ってはみたものの、それは全く不明だった。
◇
「確認だが、明日からは少し遠出になる。遠征が終わるまで、長引けば半月くらいはかかるかもしれん。そのつもりでいてくれ」
「はい」
「うん」
手紙を受け取った明くる日の朝、アルフェは冒険者組合で、リグスと仕事の打ち合わせを行っていた。今日は久しぶりの大きな仕事の、最後の調整だ。それ故に、連絡役のウェッジではなく、直々にリグス本人が出張ってきている。
「クルツの坊ちゃんが馬で、他は徒歩。残りの馬は荷馬にまわす。もっとも、お前が来るなら、坊ちゃんは特別に二人乗りの馬車を仕立ててもいいと仰ってるが……?」
「歩きますのでお構いなく」
「だろうな」
「そうかぁ、じゃあ、僕も歩くよ」
「……。手強い魔物はいないが、とにかくやたら数が多いと聞いてる。油断はするな」
「分かりました」
「僕の魔術にかかれば、たいていの魔物は大丈夫さ」
「……」
さっきから会話に割り込んでくる少年に閉口して、リグスはアルフェの耳に口を寄せてささやいた。
(さっきからなんなんだ。なんで、こいつはここにいるんだ?)
(さあ?)
(そ、そうか……)
皆目分からないという風に、アルフェが首を傾げる。埒が明かないので、リグスは目の前に座っている本人に、直接問いただすことにした。
「リーフの坊ちゃん、あんたなんでここにいるんです」
リーフは研究材料の収集の関係で、リグスたちの顧客になったこともある。それもあって、リグスは丁寧な言葉遣いをしている。
「新しいゴーレムを作ったんだ」
「ご……? なんだっけか、それ」
リーフの言葉が呑み込めなかったリグスは、アルフェに聞いた。
「リーフさんが作っている、魔術で動く人形です」
「あ、ああ、それな。それで?」
「性能試験をしたくて」
「……?」
「僕も君たちについて行くよ」
あっけらかんとリーフは答えた。
再びリグスがアルフェの耳元に口を寄せる。
(どうしたんだこいつは。お勉強のし過ぎで、ついにいかれたのか?)
(それはないと思いますが……)
アルフェも困ったように眉をひそめている。
リグスは考える。そういえば、部下のウェッジの報告にもあった。彼がアルフェと連絡をつけるために冒険者組合に行くと、なぜか毎日、この魔術士の青年がいると。
そもそもこの坊やは、たまに素材集めのために外に出るが、基本的には自分の工房に引きこもり、研究に没頭しているタイプの人間だったはずだ。それがどうして用もないのに、朝も早くから冒険者組合などに顔を出すのか。
「あ~、つまり、坊ちゃんも俺たちと一緒に行きたいんですか?」
「まあ、隊長とも長いつきあいだしね」
上から目線で、恩着せがましく言われなければならない理由は分からないが、少なくとも今この坊やが言っていることの意味は理解できた。要するにさっきから、リーフはリグスたちの遠征への同行を申し出ているのだ。
「どうする、アルフェ?」
「私に聞かれても」
「それはそうだが……」
「人手は多い方がいいんでしょ? 隊長」
「う~む」
腕を組んだリグスがうなる。
リーフが言っていることは事実だった。今回の遠征の目的は、大発生した魔物の駆除である。正直、戦力はいくらいても困らない。
リグスの団は、傭兵団としては小所帯だ。しかも団員に魔術の使い手はほとんどいない。例え変わり者の青びょうたんだとしても、研究所の研究員になるほどの魔術士がいてくれるなら、安心感は違う。
あと気を付けなければならないことと言えば、雇い主のクルツを狙う刺客だが、素性もはっきりしているこの青年が、暗殺者とつながりがあるとは考えにくかった。
「なら別に、構わんのかな?」
リグスの横に座るアルフェは、大柄な傭兵隊長よりも頭一つ以上は小さい。上目遣いになってアルフェは答えた。
「ですから、私に聞かれても……」
アルフェはそう言うが、リグスはアルフェに聞かなければならないような気がしたのだ。なにせこの坊やはさっきから、ちらちらちらちらとアルフェの反応を伺っているのだから。言い方は悪いが、まるで飼い主のご機嫌を伺う犬のようだ。
「……ん? ああ、そういうことか」
と、そこでリグスは、何かに気付いたようにうなずいた。
「……全く、どいつもこいつも、よりにもよってなぁ。やっぱり顔に騙されるのかねぇ」
一人で納得した様子のリグスは、今度はリーフに気の毒そうな視線を向けた。
「じゃあ、いいですよ、リーフの坊ちゃん。ついてきてもらいましょう」
「いいのかい? ありがとう!」
リーフの顔に気色が満ちた。
「――その代わり! 遠征中は俺の指示に従ってもらいますし、最悪あんたが死んでも、こちらは責任持てませんよ? それでもいいんですか?」
「うん、大丈夫」
釘を刺したリグスの目は鋭く、声は重々しかった。しかしそれに対して、リーフはふんわりとした返事をする。ぼりぼりと頭をかきながら、リグスがぼやいた。
「本当に分かってんのかねぇ……」
そう言いながら、リグスはアルフェに目を向けたが、こちらはこちらで、相変わらず何を考えているのか全く読めない、無表情にすました表情をしている。リグスはため息をつくしか無かった。
翌早朝には、一行は既に旅の空だった。彼らはウルムの市壁を出て、隊列を組んで街道を歩いている。
その構成は、もしもの時のために都市に残った者を除いた、リグス傭兵団のほぼ全団員と、アルフェにリーフの追加メンバー、それに加えてもう一人。
「暑い……。こう暑いとやってられんな。隊長、なんとかならないのか」
エアハルト伯次男のクルツが、馬上でわめいている。
「そりゃ、そんなもん着てれば当然でしょう。蒸し焼きになりたいんですか?」
クルツは非常に高級そうな、金の装飾が入った全身鎧を身につけている。フルフェイスの兜と相まって、夏の日差しの中では見ているだけで暑かった。
「これは亡き母が私を守るために遺した伝来の至宝だ。そう簡単には脱げん」
「そうですかい。至宝なら、涼しくなる魔術でもかかってないんですか?」
「残念だがな。その代わり、この鎧には邪なるものを退ける秘術が施されている。素晴らしいだろう」
「良かったですねぇ」
気の抜ける会話をしながら一行が向かっているのは、エアハルト伯の陪臣である小領主の領地だ。そこまでは結界の外を通らず、魔物に怯えずに進むことができる。
もちろん警戒を怠ることはできないが、さればといってクルツのように、こんな都市に近いところから臨戦態勢をとるのも愚かな話だ。
それに結界の中に出る野盗の類いなどは、あらかたとっくにクルツの兄のユリアン・エアハルトが駆逐してしまった。
エアハルト伯領は、現在の帝国の中では最も治安の良い領地の一つだ。他の領邦との表立ったいざこざも少なく、皇帝不在の帝都などより、よほど領民は安心して暮らしている。
しかし逆に言えば、ここは荒事が少ない、すなわち傭兵が暮らしにくい場所でもあった。本当なら、こんな雇い主は早々と見限って、別の領に流れるのが傭兵団長としては正しい選択だったろう。
だが、それができていないのは、ただただ自分の要領の悪さによるものだ。
ここの所どうかすると、リグスはついそのことを思い悩んでしまう。
伯が病死すれば、クルツの兄が家督を継ぐ。この男を暗殺者から守り抜いても、そうなれば自分たちはお払い箱だ。その時は、この男に支払いの能力が残るのかすら怪しい。
団の長として、その先の事を考えなければならないが、それが難しかった。
――これから仕事だって時に……。俺も焼きが回ってるな。
リグスは心の中で、自分自身に対して舌を打った。今回の相手が強力な魔物ではないとはいえ、こんな雑念にとらわれていたのでは、足をすくわれかねない。とにかく、今は目の前の仕事をこなさなければならない。それが問題の先送りに過ぎないとしてもだ。
リグスは無理やり、鬱屈とした気持ちを切り替えて前を向いた。
◇
特に外的に襲われるということもなく、行軍は至極順調に進んだ。その結果、およそ三日で一行は目的地である小領主の領村に到着した。
その村は、ここまで通り過ぎてきた他の村々と同じように、一面に黄金色の穀物が実ったのどかな光景が広がっている。
しかしその牧歌的な風景も、ある“線”を境にがらりと様相が変わる。その線を越えると、突如として畑はなくなり、そこからはひたすら、人間の手が入らない荒野が広がる。
それは土質のためでも何でもない。ただ、その線を境界として、目に見えない結界が途切れるのだ。
境目に作られた土塁と木の柵は、その気になれば簡単に崩し、乗り越えられるような代物だ。それは魔物の侵入を阻むためというよりも、人々に対して結界の端を示すという視覚的な意味を持った構造物に過ぎない。
「諸君! 私が来たからには、最早怯える必要はない! このクルツ・エアハルトが必ずやこの地の魔物を打ち払い――」
そして今、その村の中央でみすぼらしい木の台の上に立ったクルツが、村人たちを集めて熱く語っていた。
「何をなさっているんですか? あれは」
「見て分かるだろ。演説だよ」
アルフェの疑問に、傭兵の一人が答えた。
村にはまだ着いたばかりで、傭兵団のほとんどは野営地の設営にいそしんでいる。アルフェは正式な団員ではないので、その作業には参加しておらず、従って手持ち無沙汰だった。
「演説……。何のために?」
「知らん」
矢を束ねながら、傭兵は肩をすくめる。そこに別の人間の声が響いた。
「支持者集めだ」
「あ、団長、お疲れです」
「おう、カイル。設営は終わったか?」
そう言いながら、リグスがのしのしと二人に近づく。
「ええ、一通りは。でも団長、支持者ってなんです」
「決まってんだろ、伯の跡目争いの支持者だ」
「……あれを相手に?」
あきれ顔でカイルが指さしたのは、クルツの話を聞いている小作人たちだ。ぽかんと口を開けて、面食らっているような表情の者が多い。あれらの支持を集めた所で、一体なんの意味があるというのだろう。
「それを言うな……」
「ここのご領主は?」
アルフェが聞く。領主の館はこの村には無い。だが無いにしても、主君の息子がこうして兵を引き連れてきているのだ。自らも出向くのが筋だろう。
「さすがに、顔くらいは見せると思うが……」
しかしリグスの予想に反して領主は現れず、それから数十分後、代理だという男が顔を出した。
「主はやむを得ぬ事情があり、お出でになれません。くれぐれもクルツ様にはよろしく伝えるように伺っております」
どこか横柄な態度が漂うその男が言うには、領主は都市ウルムで急用があり、ここまで来ることが出来ないそうだ。その代わりに男が連れてきたという兵は、どう見ても農民に槍を持たせただけの民兵で、数も二十に満たなかった。
「ここまで露骨だと、逆に清々しいな」
「あの坊ちゃんは、何考えてるのかねぇ」
傭兵たちの間からも、口々に不満の声が上がっている。ここの領主はクルツのことを、体のいい使い走りくらいにしか考えていない。それが態度でよく分かったからだ。
自領で起きた魔物被害に主君の息子を差し向けながら、自分は都市に引きこもっている。それがいい証拠だ。
「まあ、いつものことだ」
リグスが言うには、先日のオーク討伐のおりにも、同じような状況があったらしい。そういえばあの時にも、クルツはリグスたち傭兵だけを率いていた。
「地方領主の連中は、坊ちゃんにあれやこれやと頼んでくるが、実際に兵を出すわけでもなんでもない。お前らの言う通り、使いっ走りだ。……問題は、あいつがそれを分かってるのかどうかなんだが――」
「ありがとう! 諸君、ありがとう!」
クルツの演説の調子は、増えた民兵も交えてさらに白熱している。農民たちも面白くなってきたのか、クルツをはやし立てる声なども響き、広場は妙に盛り上がっていた。
「――分かってねぇんだよな」
リグスは深いため息をついた。
「まあいいさ、俺たちは雇い主の命令に従うだけだ。そうすれば報酬が出る。大事なのはそれだ。だがいいか、雑魚が相手だからって、油断してへまをするなよ」
傭兵たちは、声を揃えて返事をする。その輪から離れたところで、アルフェは引き続き、演説をするクルツの様子をぼんやりと眺めていた。
「面白い人だね、クルツ様って」
「リーフさん」
背の低い石垣に腰かけていたアルフェに、リーフが声をかけてきた。
「調子はどうだい、アルフェ君」
「ええ、まあ。リーフさんの方こそ、大丈夫ですか? こういうお仕事の経験は、あまり……」
「ふふふふ、問題ないよ。今から彼女の性能を試すのが楽しみさ」
「“彼女”、ですか……」
少し引いた表情をしているアルフェに気付かず、自慢気に胸をそらせているリーフの背後には、彼が連れてきたゴーレムが控えている。
「うん。だろう、マリー?」
リーフの言葉に返事をするように、黒色のゴーレムが関節からきしみをあげた。
鉄製のアイアンゴーレム。結局アルフェとの探索では珍しい素材は見つからなかったので、これに落ち着いたようだ。巨体に似合った力を持っていて、道中では馬の代わりに荷車を一つ引いてきていた。
この農場の小作人たちは、魔術士など見たことも無かっただろう。それに加えてこのように珍奇なものを見せられては、怯えるのはしょうが無い。リーフは彼らから遠巻きにされていたが、特に気にしていないようだった。
「ユリアン様とはご兄弟なのに、あんまり似てないよね」
アルフェがそんなことを考えていると、リーフが言った。
「クルツさんですか?」
「うん。――よっと」
リーフはアルフェの横に来ると、少し離れた所に腰を下ろした。
確かに違う。目の色も髪の色も。そしてそれ以上に、性格が違う。
「私はあまり、得意な人ではありません」
「え、そうなの? どうして?」
「どうして、ですか?」
初めて会ったときから、アルフェはクルツのことを何となく受け入れられなかったのだが、その理由については、彼女自身、あまり深く考えたことは無かった。
「う、うん。いや、他意は無いよ!? ……ただ、参考までに」
「そう、ですね……」
リーフの投げかけた問いを受けて、アルフェは考え込んでしまった。
クルツだけでなく、彼女が苦手だと感じてしまう人間には、ある共通点がある。それは彼女を見る時の、身体の上を這いまわっていいるかのような、あの視線――。だが、それがどうして嫌なのか、言語化するのは難しい。
「その通りだ!」
「クルツ様万歳!」
「ありがとう! 本当にありがとう!」
一体演説はどういう成り行きになったのだろう。農民たちがクルツに拍手を送り、クルツはそれに応えてさわやかに微笑みながら手を振っている。それを見て、アルフェはとりあえずの答えを見つけた。
「軽薄なところ、でしょうか」
「し、辛辣だね……。確かに派手好きな人だけどさ」
「リーフさんは、あの方と以前から面識が?」
「うん。城で会った時も、結構気さくに話しかけてくれるよ」
リーフの所属する研究所は、城に併設されている。そこで二人が遭遇する機会もあるのだろう。
「ユリアン様と比較して、色々言う人が多いのも知ってるけど、それでもめげないっていうか、自信満々なところが憎めないっていうか……。まあ、僕はそんなに悪い人じゃないと思うわけだよ」
「……そうですね」
色々な見方があるものだ。そう思いながら、もう一度広場のクルツを見やるアルフェ。その彼女と目が合ったクルツが、金髪を片手でかき上げ、白い歯を見せて微笑む。
アルフェと同じくその様子を見ていたリーフが、真顔になって言った。
「……確かに、軽い感じの人なんだけどね」
「そうですね」
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