第28話

 村に来るはずの荷馬隊が襲われた。

 こんな辺境でも、外部とのやり取りはある。定期的に村が掘り出した岩塩を運ぶ荷馬車が訪れており、それはまた、食糧や鉄など諸々の、村では自給できない品を供給していた。

 その一隊が襲われた。襲ったのはもちろんオークだ。それが分かったのは、生き残りが一人、半死半生の状態で村に逃げ込んできたからだ。


「まだ生きてるやつがいるかもしれない! 助けてくれ! 頼む!」


 ここは、生き残りの男が運び込まれた宿の一室だ。ステラによる治療もそこそこに、男は床に手をついてオズワルドに懇願している。


「助けに行きましょう! まだ間に合うかもしれません!」


 ステラが声を上げる。放浪の治癒術士として、慈悲の心をもって村々を巡っている彼女としては、見過ごすことはできないのだろう。


「……助けたいのは俺たちも同じだ。だが……」

「そうだな。村には、その余裕は無い」


 言いよどむオズワルドの思いを、トランジックが代弁する。荷馬車隊の顔見知りである分、オズワルドの方は苦しそうな表情をしているが、トランジックはばっさりと切り捨てた。


「でも――!」

「だめだ。これは奴らの挑発だ。オークもそれほどアホじゃない。減らせる敵は減らしてから、ここに攻め込もうと思ってる。どのみち、今から出て行っても間に合わない」


 なおもすがろうとするステラに、トランジックが無慈悲に事実を突きつけていく。オズワルドは何も言わないが、内心は同じ意見なのだろう。二人の男に見捨てられた格好になった生き残りの男は、いかにも哀れな表情で彼らを見ていた。


「――た、頼む。頼む! あそこにはまだ弟が……。あいつはまだ、死んでない! お願いだ!」


 例え今から助けに行ったところで、オークが残った人間をそのまま生かしておくわけはない。頼んでいる男だって、そんなことは重々承知だ。それでも彼は頭を床にこすりつけ、必死にすがっている。


「なら私だけでも――!」

「馬鹿なことを言うな!」

「っ!」


 私だけでも助けに行くと叫びかけたステラを、トランジックが一喝した。

 ステラは貴重な治癒術士だ。村の誰よりも戦力的に価値がある。こんなことで犬死させるなど、あってはならない。

 トランジックの剣幕に、ステラはすっかり気圧されてしまった。しかし気丈にも、なお言いつのろうとステラが口を開きかけたその時、思わぬ方向から声がした。


「私が行きます」


 この部屋の中に、他に誰かがいるとは思っていなかった。一同は驚いて、一斉に声の方を振り向いた。


「場所を教えてください」


 細いがよく通る声。トランジックとステラは、初めて彼女の声を聴いた。


「――あ、あんた……」


 ――いつから。

 オズワルドがうろたえた声を出す。トランジックは平静を維持していたが、内心はオズワルドと同じく動揺していた。

 確かに今の今まで、この部屋には他に誰もいなかった。大部屋だが調度も少なく、見通しのいい質素な室内。確かに誰もいなかった。いかに話に集中していたとはいえ、それなりに修羅場をくぐってきた冒険者のトランジックが、気付かないはずがない。


「ア、アルフェちゃん。……こ、こんにちは」


 そういったことは、ステラには分からなかったのかもしれない。彼女は的外れな挨拶を少女に返した。しかし少女はそれに答えず、じっと彼らを見ている。


 そう、少女だ。トランジックと同じ日にここを訪れ、以来ずっと口も開かなかった、アルフェと名乗る旅の少女が、部屋の隅に立っていた。


「私が行きます」


 場を支配していた沈黙を破り、アルフェがもう一度繰り返した。


 ――行く?


 いったいどこへ行くというのだ。ステラには最初、彼女の言葉の意味が分からなかった。


「オークが現れたのは、どこですか」


 思っていたよりも、ずっと大人びた、丁寧な言葉遣い。その声色から狂気を感じることはできないが、言っている内容はまさに狂気だった。たぶんステラよりも幼いこの娘は、自分が襲われた荷馬隊を助けに行くと言っているのだ。

 それを理解しても、ステラからは言葉が出なかった。このアルフェという少女は、やはり正気を失っているのだろうか。そう思うのは、相手に対して失礼なのかもしれない。だが――


 ステラ以外の二人も、何も言わない。オズワルドはただ、やはりという目をしている。――やはりこの娘は気狂いだったかと。トランジックは……、怯えている? 何に? いつもと変わらない表情の彼が、震えているように見えるのは、ステラの気のせいだろうか。


「――こ、ここから三里も無い! 南の街道の林のそばだ!」


 しかし、荷馬隊の生き残りの男にとっては、そんな彼女たちの動揺も関係なかったようだ。藁にもすがる思いからか、あるいはオークに襲われたショックと失血で、正常な判断力を失っているのか、彼は襲撃の地点を口走る。


「分かりました」


 そして少女が、何のためらいも見せずに言葉を返す。部屋の中の誰も、彼女が踵を返して去って行くのを、止めようともしなかった。



 日が暮れようとしていた。

 オークは特に火を恐れるわけでは無いが、村人たちも、何もしないよりはましだと考えているのだろう。あちこちにありったけのかがり火が灯されだした。防壁の外に見える森を赤く染めていた太陽が、地平線に隠れようとしている。


「――今日も奴らは……来なかったな」


 トランジックがつぶやく。


「はい。ひょっとしたらもう――」

「いや、襲撃はある。必ずだ。奴らは、一度狙った獲物を諦めない」

「……はい」


 楽観的な言葉を口にしかけたステラ自身にも、それは分かっている。しかし彼女が言いたいのは、本当は別の事だ。


 ――あの子は、どうなってしまったんだろう。


 あれからすぐ、ステラたちが止める間もなく、旅の少女は村から消えた。いや、本当にあの娘が外に出ていくとは、誰も思っていなかったと言った方が正しい。

 アルフェがいないことに気づいて、慌てて探しに出ようとしたステラを、オズワルドをはじめとする村の人間たちは必死で止めた。

 それが今日の昼前の話。もう、日が暮れようとしている。


 村人たちに気にしている様子の者はいない。それはそうだろう。正気を疑われていた少女が一人、村からいなくなったところで、はじめから何も無かったことと同じだ。

 それでも諦めきれない表情のステラに、トランジックが声をかけた。


「戻るぞ。見張りは他の奴に任せればいい」

「はい……。でも」

「夜風は冷える。万が一あんたが倒れたら、全員の士気がくじける」

「……分かりました」


 冷淡に聞こえる台詞だが、声音には彼なりの優しさが見えた。

 防壁に続く階段を下り、村中央の広場から宿屋に入ろうとする彼らの耳に、ざわめきが聞こえてきた。――門の方からだ。


「……? 何でしょうか」

「何かあったのかもな」


 また何事かが起こったのか。

 顔を見合わせ、うなずき合ってから駆け出す二人。門の前に人だかりができている。人垣をかき分けると、そこには。


「生きている人は、いませんでした」


 あの少女がいた。


「あ、あんた……、戻ってきたのか? 襲われなかったのか? 何にも?」

「……」


 彼女に対しているのはオズワルドだ。

 ――戻ってきた? ――どうやって? この村は魔物に包囲されているはずなのに。

 少女が無事に帰ってきたことに、喜びを感じている者はいないようだ。それよりもただ、一同は困惑した様子で彼女を取り囲んでいる。


「――お、お帰りなさい! 無事だったんですね!」

「……! ……」


 ステラが飛び出て、アルフェに駆け寄った。詰め寄るステラに、初めて彼女の表情が動いたような気がしたが、その気配はすぐに消えた。


「血が……! 怪我をしたんですか?」


 ステラの言うとおり、アルフェの衣服は血にまみれていた。彼女がいつも身につけているフードもマントも、赤黒く染まっている。


「……私のものではありません」


 彼女が目をやった先を見れば、地面に一つの塊が横たわっている。

 死体だ。人間の死体。ちぎれた足に、容貌が分からない程につぶれた顔面。損壊が激しく、かろうじて人の形を保っているだけだ。


 職業柄、死人や生傷は見慣れているが、それでもまだ年若い娘だ。ステラがひっと息をのむ。しかしそれは一瞬の事で、すぐに毅然とした表情に切り替わったステラが、寝かされた死体のそばにひざまずく。

 何か施せる手はないか――それを確かめているようだったが、しばらくして、彼女はがっくりとうなだれた。


 当然だ。治癒術士の出る幕など無い。これをどうにかできるとしたら、そいつは神か悪魔だけだ。そんな顔をしている村人たちの輪の中に、荷馬隊の生き残りが連れられてきた。


「――ハンス! ハンス! うあぁぁぁぁ!」


 ぐちゃぐちゃになった顔でも、兄にはそれが弟だと判別できたようだ。彼は振り絞るように弟の名を呼びながらくずおれ、地面に両拳を打ちつけている。


「――っ」


 ステラが呪文を唱え、死体の顔に手をかざす。死人に残されていたわずかな生命力の残滓が、治癒術に反応した。復元した表情は、安らかな寝顔とは言いがたかったが、それでもステラは哀れな犠牲者の目を閉じてやり、冥福の祈りを捧げた。


 村人が死体を運び、すすり泣いている兄をなだめ連れて行く。わずかな人数だけがそこに残った。見張りの人間とオズワルド。ステラとトランジック。――そして、血まみれの少女。


「死体を運んできてくれたのか。礼を言うよ」

「……いえ」


 オズワルドの言葉に対して、少女はにべもない反応を帰した。

 しかし、この小柄な少女が、本当に死体を背負って帰ってきたというのか。おそらく襲撃してきたオークたちは、既にその場にはいなかったのだろう。例えそうだとしても、この娘が無事に帰ってきたのは、奇跡に近い。


「まあともかく、着替えなきゃな……。ひどい血だ」


 まったくもってその通りだ。彼女のかぶっているフードとマントは、べったりと血に塗れ、ひどく重そうに見える。これほどになるまでして、死体を背負って帰ってきた少女の苦闘を思い、オズワルドの目頭は熱くなった。目の前の少女は間違いなく気狂いだが、こんな優しさもあるのだと。


 ――しかし、その血の量は、一人分にしてはいささか、多すぎはしないだろうか。


 彼の頭には、ふとそんな考えがよぎったが、すぐ気を取り直して、娘を宿の方に促す。拒むわけでもなく、少女はそれについて行く。 

 それを見送ったステラが、トランジックに話しかけた。


「亡くなられた方の血で、あんなに汚れて……。ここまで戻ってこられたのは、神のご加護ですね」

「……違う」

「え?」


 トランジックがぼそりと否定した。

 「神のご加護」というのが、この男には気に入らなかったのだろうか。とにかく冒険者の男というものは、不信心で斜に構えた現実主義者が多い。それも仕方ないと思い、ステラはその言葉を深く追求しなかった。


「……」

「……? どうしたんですか? トランジックさん、行きましょう」


 反応しないトランジックに怪訝な顔を向けながら、ステラはオズワルドの後について、宿の方に戻っていった。

 その後、トランジックは暗くなった広場で、一人立ち尽くしていた。


「……魔物の、血だ。あれは」


 呻くようにつぶやいた彼の言葉を、聞いた者は誰もいなかった。



 そして明くる日の朝、村人たちが待ち構え、それでいて永遠に来なければいいと思っていた襲撃は、突然に始まった。


 ――グララララララ!


 朝もやの中、凄まじい吠え声がして、森から一斉に鳥が飛び立つ。

 木々の間から湧き出るように、オークたちは姿を現した。


 潰れた低い鼻に尖った耳。背丈はどれも、人間の大人よりも一回りほど大きい。分厚い筋肉に覆われた緑色の肉体には、白い泥で戦化粧のようなものが施され、首からは、何かの牙や骨で作られた首飾りを下げている。

 手にはそれぞれ、不揃いな斧や棍棒、盾を持ち、簡素で醜悪な皮鎧を着ている者もいる。オオカミやイノシシの皮の他に――ヒトの皮さえ使っているのだろう。


「来たぞーッ!」


 見張りの声と、非常事態を告げる鐘の音が響く。それを聞いた村人たちが、慌てて配置につくが、その間にも、森から出てきた魔物の数はどんどんと増えていく。


「こりゃあ……、一体、何匹いるんだ」


 防壁の足場の上から、様子をのぞいたオズワルドが呆然とつぶやいた。彼自身も鉄製の兜をかぶり長剣を持って、戦いの支度を整えている。

 二百か、それとももっとか。オークの数は、事前の偵察で聞いていた数よりも、はるかに多く見える。


 オークたちは村を三方から囲むように展開しはじめた。人間には理解できない聞き苦しい言葉を叫びながら、足を踏み鳴らし、得物を盾に打ち付けている。村人たちを威嚇しているのだろうか。


「数もそうだが……、見ろ」


 トランジックが指差した方向には、他のものより一回り大きなオークが、腕を組み、牙をむきだして立っている。


「ハイオークだ……。やけに大きな群れだが、あれがボスなんだろうな」


 ハイオーク――。知能・肉体面で優れたオークが、群れの長となったものである。一般的に、率いている群れが大きければ大きいほど、その能力も優れているとされる。

 あそこに見える個体は他のオークよりも浅黒く、引き締まった筋骨は、歴戦の傷に覆われている。


「見るからにやばそうな奴だな……。あんたなら勝てるか?」

「……それはやってみないとわからんな。――正直、勝算は低い」


 トランジックの表情はひどく厳しい。それ程に手ごわい相手だということか。嘘でもいいから、問題ないと言って欲しかった。オズワルドの頭に後悔が浮かぶ。やはりこうなる前に、のたれ死にする覚悟で、村を捨てるべきだったのか。


「一人でやればだ。そんな顔をするなよ」

「――あ、ああ、すまない」

「あんたが村の中心だ。あんたがくじければ、村は終わりだ。顔を上げてくれ」

「分かった。……大丈夫だ」

「……そろそろ奴らが動き出す。あんたは皆に指示を出せ」


 うなずいたオズワルドが村人たちを鼓舞し、気炎を上げる。それを開戦の合図と受け取ったか、オークの群れも前進を開始した。

 トランジックは弓を構えた。先頭のオークに狙いをつけ、引き絞る。村人たちもそれにならった。


「――放て!」


 そしてオズワルドが剣を振り下ろすと、ぱらぱらと矢が放たれた。



 一方、村の中央、正門前の広場にステラは待機していた。

 戦闘は既に始まっている。離れたところから、オークの叫びと村人の怒号が響いてくる。ステラは治癒術士として、ここに設置された救護所で怪我人が運ばれてくるのを待っていた。

 村にいるわずかな女子供は、一番頑丈な建物――宿の中に避難している。その他は、老人すら武器を取って、この防衛戦に参加していた。


 聞いている敵の数に対して、こちらの戦力の劣勢は明白だ。しかしこの数日で、できる限りの防備は施した。壁と空堀を盾に、飛び道具で応戦していれば、突進してくるしか脳のないオークが相手ならば、持ちこたえてくれるかもしれない。

 だがそれは、大いに希望的な観測だった。


 ――もし、壁を乗り越えられたら……?


 一匹でも敵の侵入を許せば、そこから雪崩のような崩壊が始まるだろう。数と膂力に勝るオークたちに接近されたなら、本職の兵士でもない村人たちに、それを押し返す方法などありはしない。

 その時の光景を想像し、ステラの細い身体に震えが走る。

 しかし、自分はもう引き返せないところにいる。今から逃げることなどできないし、また、そうするつもりも無かった。


 ――やっぱり、私も向こうにいたほうが……。


 少しでも前線に近い場所で、救護に当たった方がいいのかもしれない。だからといって、むやみにここを離れることができない理由もあった。

 伝令役の報告によると、戦いは村の奥――森に面した防壁を中心に行われている。そこに大群が押し寄せているのだという。村の戦力も、ほとんどがそこに集まっている。


 だが、オークたちは前日まで、この村を包囲する動きを見せていた。昨日、街道からやってくるはずの荷馬隊が襲われたのが、その証拠である。汚らわしい魔物に、そんな知恵があるのかとステラは思う。しかし、油断はするなというのがトランジックの言だった。

 あるいは彼は、ステラを戦闘から少しでも遠ざけるための方便として、そう言ったのかもしれないが。


「なあ、俺たちも――向こうに行ったほうがいいんじゃないか?」

「ダメだ! 持ち場を離れるなって言われたろ!」


 彼女と共にこちら側に配置された村人は、若者が中心だ。彼らもステラと似たようなことを考えていたようだ。皆不安げにそわそわしている。


「だからって、裏が破られたらなんにもならないだろうが! 見ろ! 今だって――。え?」

「だからダメだって――。いっ……て……」


 口論していた若者たちが、あっけにとられた声を出した。一人は村の裏手の方角を指したまま固まっている。何が起こったのか。あちらには宿屋があるが――。


 ――え?


 そして振り向いたステラ自身も、とても奇妙なものを見た。

 宿の方から、例の少女――アルフェが歩いてくる。昨日から姿を見なかった。


 少女は以前から、村にとって奇異なものではあったが、それでも村人たちは、すでにその存在に慣れていたはずだ。ならばなぜ、若者たちは彼女を見て素っ頓狂な声を出したのか。その理由は一目見て、ステラにも理解できた。

 血まみれになったものを脱いだのだろう。ステラは彼女がフードとマントを外したところを、初めて見た。


 少女はあまりにも。そう、まるで異界から現れたかのように美しかった。


 隠されていた長い白銀の髪があらわになり、まぶしいほどに輝いている。この距離からでも分かるなめらかな白い肌。恐ろしく整った顔立ちは、それでもまだ、あどけなさを残している。


 ――だが。


 門を守っていた見張りの若者たちは、彼女が近づいてくると、何かに気圧されたように道を空けた。見るからに震えている青年もいる。

 若者たちが何を恐れたのか、ステラには分からなかった。そう、彼女の位置からは、見えなかったのだ。

 少女の荒んだ、恐ろしいまでに荒んだ、その目が。


「来た! こっちにも来たぞ!」


 見張り台の上から響く声。

 少女の出現により、奇妙な沈黙が訪れた場に、音が戻る。


「本当に来やがった! ――畜生!」


 わめき散らす見張りの声が、若者たちを正気に返した。


「そ、そうだ! 配置につけ! 弓を構えろ!」

「わ、分かった!」


 リーダー役の青年が皆を叱咤し、防壁に上らせる。だが、例の少女はその場を動こうとしない。

 門を前にうつむき、両腕をだらりとぶら下げたまま、微動だにしない少女。彼女はいったい、何を考えているのだろうか。ステラからは、その立ち姿がとても危うげに見えた。


「やるぞ! 壁に付かれる前に、矢で数を減らすんだ!」


 しかし今は、彼女に気をとられている時では無い。ステラは少女から目を切って、攻め寄せる魔物を見た。

 敵の数はそう多くない。だが、こちらに配備されている村人の数はさらに少ない。


 持ちこたえられるだろうか。門の前だけは空堀が途切れている。丸太を組み合わせて作られた門も、魔物の太い腕の前には頼りなく見える。ここにオークが殺到すれば、踏み破るのはそう難しく無いだろう。

 村人たちは弓に矢をつがえ、緊張に身を震わせている。


 ――私だって……!


 樫の杖を握る手に力を込め、息を整える。

 専門は治癒術だが、戦闘用の魔術だっていくつか知っている。魔物とはいえ、殺生はためらわれる。しかし彼女もこの時代に、一人で巡礼の旅をしている人間だ。自衛のためにゴブリンと戦ったことだってある。

 ステラは再度、戦う意志を固めた。


 射かけられる矢を意に介さず、こちらに向かって疾走してくる緑色の塊。若者たちの弓の腕前は拙く、焦ってもいる。動く的にはほとんど当たっていない。わずかに敵に届いた矢も、盾ではじかれ、武器で打ち落とされている。肩に矢が刺さったオークもいるが、意に介さずに突進してくる。


「――すぅ」


 深呼吸したステラは呪文を唱え、大気に漂うマナを練り上げながら形にする。

 杖から発射されたのは、命中地点に轟音を発生させ、相手に衝撃を与えると同時に体の自由を奪う魔術だ。門の前でひとかたまりになったオークの群れめがけ、目に見えない魔力の塊が吸い込まれる。群れの一体に命中した魔力が、乾いた爆音を発生させた。

 直撃したオークの体が仰け反り、そのまま倒れて動かなくなる。他のオークたちも耳を塞ぎ、一瞬だが動きを止めた。


「放て!」


 その隙を目掛けて、再び村人たちが矢を放つ。その矢がオークの胴体に突き刺さっていく。

 多くはないが、それでも敵の数を減らした。しかし体勢を立て直したオークたちは、倒れた仲間たちにもかまわず、村の門へと殺到した。彼らは次々と手に持った棍棒や斧で門を打ち叩き、押し破ろうとする。


「この野郎ッ! 離れろ!」

「石だ! 石を投げろ!」

「――【眠りの雲】! ――だめ! 効かない!」


 村人たちは、弓から投石へと切り替え、応戦している。ステラも魔術で援護するが、オークの勢いは止まらなかった。


「……おい、ありゃ何だ!?」


 畳み掛けるように、森の方から新たに十体ほどのオークが加勢に現れた。さらなる敵の出現に村人が声を上げたが、それだけではない。新たに現れたオークたちは、大人の腰周り以上もありそうな、先の尖った丸太を抱えていたのだ。


「破城槌のつもりかよ!」

「あれで門を破るつもりか!」


 原始的な攻城兵器を使う知能まで持っているのか。どうやら自分たちは、敵のことを侮りすぎていたらしい。愚かな人間たちは歯噛みしたが、今更後悔しても遅すぎる。

 丸太を抱えたオークたちは、勢いをつけてその先端を村の門に叩き付けた。一撃で門が傾ぎ、ステラたちが立っている足場までもが揺れる。


「丸太を持ってる奴を狙え!」


 班長が指示を出すが、他のオークたちが盾を掲げ、それを防ぐ。


「くそッ!」


 苛立った一人の青年が木壁から身を乗り出し、弓を引き絞って丸太を抱えるオークに狙いをつけた。


「これでも喰ら――え?」


 しかしまさに矢を放とうとしたその瞬間、青年の脳天に斧が突き刺さった。オークの一体が投擲した斧が、過たずに青年の頭に直撃したのだ。噴水のように大量の血が噴き上がり、周囲の村人に降り注ぐ。青年の身体はゆっくりと傾き、空堀の中に落下していった。


「ひ、ひぃ!」


 犠牲者を出した村人たちの動きが、明らかに悪くなった。死んだ青年の隣にいた若者などは、恐慌状態に陥っている。


「しっかりして下さい!」


 すかさずステラが沈静の魔術をかけ、若者を落ち着かせる。彼女自身も犠牲者の血をかぶったはずだが、気丈にも折れずに村人を励ます。

 オークによる手斧の投擲は、飛び道具による攻撃を阻害するのに十分な効果を発揮した。村人たちは自由に頭を出せなくなった。

そうしている間にも、オークたちによる破城槌の攻撃は続いていた。ずしんずしんと繰り返し響く衝撃に門は軋み、丸太と丸太を繋ぎ止める金具は、今にも弾け飛びそうになっている。


「――だめだ、破れるぞ!」


 悲壮な声が響く。門を破られるのは時間の問題だ。そうなった時の自分たちの運命が頭をよぎり、村人たちはおののいた。


「後退しよう! もうここはダメだ!」

「弱音を吐くな! まだ裏の連中が持ちこたえてるのに、ここを抜かれたら――!」

「このままじゃここで死ぬぞ!」

「今更――」


 若者の声を打ち消して、広場中に凄まじい音が鳴り響く。ついに門がはじけ飛んだ。


「ああ!?」


 もはや防壁は用をなさない。後はオークがなだれ込み、内から外から、村を破壊し、人間を殺し尽くすだけだ。

 もうもうと立ちこめる砂埃。魔物が侵入するのに十分な空間が開き、そこから様子をうかがうように、緑色の顔が覗いた。それは一瞬のことで、すぐにその空間からオークたちが入り込んできた。一番槍を争うように他の固体を押しのけて、群れの中で最も体格の良いオークが先頭に立つ。


「畜生! 後退だ! 宿に逃げろ!」


 叫び声が響く。その声を待たずに、既に脱兎のごとく逃げ出している若者もいれば、腰を抜かして立つことさえできない男もいた。


「待ってください! あの子が!」

「諦めろ! 助からん!」

「――そんな!」


 足場の下には、まだアルフェがいる。ステラが押しとどめようとするが、村人は乱暴な言葉遣いで、少女を見捨てる判断を下した。


「逃げて! そこにいちゃだめ!」


 ステラの必死の呼びかけにも関わらず、アルフェは両腕を垂らした姿勢のまま動こうとしない。足場から飛び降りて、無理矢理にでも引きずろうと決心した時、ステラには彼女の表情が見えたような気がした。


 一瞬だった。見間違いだったのかも知れない。

 だが、彼女の顔には、ステラが今まで見てきたどんなものよりも、妖しく美しい笑みが浮かんでいたように見えた。


 その次に何が起こったのか、正確なことはステラの目と常識では捕えきれなかった。ステラだけではない。その場にいた全員が、少女と魔物の間に起こったことを理解できなかった。

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