第4話 罪の告白

 イリアとアリエスが食堂に入ると、既に皆が揃っていた。入口に立つ二人を見付けたティナが、「こっち、こっち!」と手を挙げている。

 テーブルに向かいながらチラリとマルスを見れば、憮然とした顔で端の席に座っていた。恐らく、ティナかカミエルに捕まったのだろう。彼はイリアの姿を目の端に留めるなり、平静を装った様子でそっぽを向いた。


「ねえ、イリア。マルスと何かあったの?」


 目敏く彼の変化に気付いたアリエスが、イリアの方を向く。その目は、好奇心という名の輝きに満ちていた。

 だが、彼とのやり取りを話していいものか。「ああ……」と曖昧な響きを立てながら、思わずマルスを見やる。そこには、予想通りの彼の顔があった。鋭い目で睨み付ける顔が。

 そして彼は、イリアの声に被せるように口を開いた。


「おい、ンなとこに突っ立ってないで、さっさと座れ!」

「あら、やけに珍しいわね。あんたがそうやって椅子を勧めてくれるなんて。また吹雪になったらどうしてくれるのよ」

「うるせぇ! こいつが、朝飯のついでにこれからのことを話すっつーから、わざわざこうして来てやっただけで、俺は早く飯食って出て行きてぇんだよ!」


 と言いながら、ティナを指差す。それに気を悪くした彼女が食って掛かったことで、場の騒がしさはより一層増すことになった。

 客は食堂に点在している程度とはいえ、これ以上は宿に迷惑が掛かる。何より、既に視線が痛い。居た堪れなくなったイリアは、彼の言葉通り、アリエスを連れて席に着いた。

 テーブルを囲んで朝食を取り、落ち着いた頃。おもむろに席を立ったエリックは、丸めた紙を手に戻って来る。そして、宿の女将に借りたというアスティリア王国の地図を、テーブルの中心に広げた。


「アスティリア王国の王都が……ここ。今、私たちがいるのは……この町ね」

「意外と近いじゃない! この距離なら、歩いても一週間あれば余裕ね」


 難しそうな顔で地図を差すイリアの指先を見て、アリエスが嬉しそうに声を上げる。だが、地図を一瞥したマルスに、「駄目だ」と吐き捨てられてしまった。


「何でよ!」

「俺もマルスと同意見だ」

「そんな、ルイス様まで……! どうしてダメなの?」

「アリエス様は、この町から王都へ向かう道を見て、どう思われますか?」

「どうって言われても……」


 エリックにそう問われ、アリエスは改めて地図に目を落とす。

 町と王都までは比較的距離が短く、歩いても一週間と掛からないだろう。そこへ向かう街道は、両側が山に挟まれた一本道。近くには森もあることを考えると、実際に通れる場所はかなり狭いように思われる。逆を言えば、いくら方向音痴でも迷いようがない点は、メリットと言えなくもない。


「……あ」

「そうか……」


 うんうんと唸るアリエスの隣で地図を覗き込んでいたティナ、彼女の正面に座るカミエルが、ほぼ同時に何かに気付く。陸路では行けない理由に。

 これで、理由に気付かないのは自分一人だけ。焦ったアリエスが二人の方を向くも、彼女等は伺いを立てるように、揃ってエリックを見るばかり。だが、肝心の彼は表情一つ変えない。

 その意図を察するも、救いを求める彼女の瞳に晒され、耐えきれなくなったカミエル。困惑しながらも「そうですね……」と思考を巡らせる。


「王都に向かうための街道は、山や森に挟まれた一本道のみ。ということは、どういうことだと思いますか?」

「どう……?」

「おい……これだけ言われてそれでも気付かないとか、一体どういう構造してんだ。お前の頭は」

「うるさいわね! 気が散るから、ちょっと黙ってなさいよ!」


 ため息交じりで馬鹿にしてくるマルスに噛み付くなり、アリエスは地図に向き直った。仲間外れにされたかのような居心地の悪さから一刻も早く抜け出したいと、懸命に答えを見付け出そうとしている。

 焦ったさが募り、早く前に進みたいと皆が思い始めた頃。ようやく彼女の顔がパッと明るくなった。


「あっ、そっか! この雪は季節外れなのよね? 暖かくなって雪が崩れてきたら、逃げ道が無くて危ないからだわ! そうよね?」

「何でそうなる! こんな細い谷間だ。盗賊連中の狩場になってるに決まってんだろうが! 何でンなことも分かんねぇんだよ、てめぇは!」


 散々待たされ、さらには斜め上を行く答えまで聞かされ、臨界点を超えたマルスの怒りが爆発する。

 そしてエリックもまた、深いため息を吐いた。


「兵法の基礎くらいは、科目に加えた方がいいかもしれませんね」

「ええー、まだ増えるのー?」

「当たり前です。あの答えは看過出来ません」


 不満げに頬を膨らませるアリエス。そのやり取りを、苦笑をしながら眺めていたイリアは、「それじゃあ、」と先を促す一石を投じた。


「陸路がダメなら、海路しかないわね。リチャードさんの船に乗せてもらいましょう」

「それなんですが……」


 珍しくエリックが言い淀む。先程のアリエスを嗜める口調が、まるで別人のよう。「ダメなの?」と眉を下げるアリエスに、申し訳なさそうに口を開いた。


「実は今朝、シルビス連邦に向けて出航してしまったんです」

「はあっ!?」

「ええーっ!? 何で? どうして!?」

「ブルシィドの地下オークションで、彼が長年探し求めていたものが出品される、という情報があったそうなんです。それでも、私たちをアスティリア王国に送り届けるだけの時間的余裕はあったんですが……あの悪天候で足止めを喰らった影響で、もう戻らないと間に合わない、と。オークションが終わったらまた戻ると言っていたので、次の聖獣の場所へ向かうには問題ありませんが……」

「そういうことなら仕方ないけど……でも、これからどうするかが問題ね」


 イリアは再度、地図に視線を落とし、眉をひそめた。


「迂回するにしても、地図を見る限り町はほとんど無さそうだし、そんなところを通るのは危険だわ」

「じゃあ、手分けして乗せてくれる船を探す?」

「そうね……本当ならそうするべきだけど」

「お前の目は節穴か? あの港のどこに、船があるって言うんだよ」


 顎で窓の外を指すマルスに、ティナは顔をしかめる。だが、小さく唸るだけで、反論をすることはなかった。

 彼の言葉通り、港には船が一隻も残っていなかった。この数日の吹雪が晴れたものだから、待ってましたと言わんばかりに、今日も日の出前から一斉に海に出て行ったのだから。また、定期船が昼過ぎに出る予定だが、王都の天候までは分からない。最悪、出航しても逆戻りという可能性すらある。

 誰もが難問に頭を悩ませていた、その時。


「それなら、古代王家の隠し通路を使えばいい」


 ルイファスが静かに声を上げる。諦めの色を滲ませながら。そして身を乗り出し、町と王都を繋ぐ街道の脇にある、内陸側の山の麓を指差した。


「この辺りに、古代アスティリア王国の王族が使っていた避難通路がある。限られた者しか存在は知らない上に、魔術による封印も施されているから、魔物も出ないはずだ」

「封印って、解く方法は知ってるの?」

「ああ。……昔、聞いたことがある」


 それきり、ルイファスはその話題に対して口を閉ざしてしまった。顔も険しく、おいそれと話し掛けられない空気だ。

 だが、状況からすれば、彼が言う隠し通路を通るしか、道は残されていない。イリアたちはすぐさま準備を進め、町を出て行った。




 光の消えた部屋から、忍び足で廊下に出る男性が一人。彼は音を立てないように扉を閉めると、安堵の息を一つ。そして音も無く傍に立つ男性に目配せをし、二人は静かに足を踏み出した。

 言葉も無く廊下を進むと、前を歩く男性はある部屋の前で立ち止まる。今度は周りに気を遣うことなく扉を開け、二人して中に入って行った。

 部屋に入ると、目の前には応接用の机とソファがあり、奥には主人の執務机。成人男性が両手を広げた程度のスペースには、紙束や本が積まれている。その机の左右には本棚が並んでいた。

 前を歩いていた男性は、迷うことなく奥の机まで進み、革椅子に腰掛ける。そしてもう一人の男性に声を掛けると、彼は一礼をし、応接用のソファに腰を下ろした。


「昨夜、ルイファス君が来たそうだな。エリシアと瓜二つというお嬢さんを連れ出そうとして」


 いきなり本題に入る男性に、ソファに座る男性が「はい」と頷く。


「彼女がルイファス様とお知り合いとは、私も奥様も、思ってもみませんでした。それだけに、ショックも大きかったのでしょう。旦那様には、お忙しい中でお手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした」

「いや、構わないさ。たまには夫らしいこともしないとな」


 主人は小さく笑うと、引き出しから木枠に納められた絵を取り出す。その中でにっこりと笑う女の子に目を細めながら、彼は口を開いた。


「……ところで、彼女はそんなに似ていたのか? エリシアに」

「はい。お嬢様があのまま成長していたら、こんな女性になっていただろう……そんな風に感じる女性でした」

「そうか……私も会ってみたかったな。ルイファス君と一緒にいるなら、そう簡単にはいかないだろうが。……私たちは、彼に嫌われているから」


 言いながら、主人は力無く笑った。そして続ける。


「だが、嫌われても仕方がないな。それだけの状況に彼を追いやってしまったのだから」

「そうかもしれません。奥様にとっては、目の上のたんこぶだったでしょうが」

「だが、お義姉さんのことは本来ならスーザン自身の問題であって、彼には何の罪も無かった……今となっては後の祭りだがな」


 二人の頭の中に、ある女性の姿が浮かぶ。雪のような白銀の髪に、涼やかな青い瞳の女性。町長だった父親の言い付けを守り、後継ぎとして育てられたが、ある男性との出会いを機に、駆け落ち同然でこの町を出て行った彼女。彼女と相手の男が病で亡くなる少し前、エリシアが同じ病で倒れ、家から出ることが出来ない体となってしまった。それを不憫に思い、義姉夫婦の一人息子をエリシアの話し相手のつもりで引き取ったのだった。

 だが、女性の妹であるスーザンは、姉に対する確執から、彼を受け入れることが出来ないでいた。そして、彼女の意思に反して子供たちが距離を縮めることが許せず、彼に対して殊更きつく当たってしまっていたのだ。そうしてエリシアの死が決定打となり、互いに修復しようのない深い亀裂を残したまま、彼は家を飛び出した。


「あれから十二年……エリシアの命日に、娘と瓜二つのイリアさんが現れ、スーザンとルイファス君を引き合わせた。まるで、エリシアが二人を仲直りさせようとしているようじゃないか」

「旦那様……」

「お義姉さんに比べれば半人前の魔術師の婿養子が口を出すのも烏滸がましいが……やはり、家族がいがみ合う姿は見たくない」


 心にしこりを残したまま両親を亡くした自分から見れば、相手が生きているだけでも羨ましいと思ってしまう。いくらでも話し合う機会を作ることが出来るのだから。

 悲しげに笑う主人。男性は言葉を掛けることが出来ず、膝の上に乗せた拳を握り締めるだけだった。




 太陽が空の頂上に到達する頃、一隻の帆船がアクオラの港に入って来た。海鳥が出迎える中で桟橋に横付けすると、集まっていた作業員たちが慌ただしく動き出す。

 しばらくして、続々と船から降りる客の中に、アイラの姿があった。それを目敏く見付けた一羽の鷹が、彼女の肩に降りる。


「久しぶりのテルティスの空はどうだった、ホークアイ」


 微笑みながら撫でられ、鷹は気持ち良さそうに目を細める。そんな様子に笑みを深めたアイラだが、すぐに笑みを引くと、人混みを掻き分けるように聖都へと急いだ。

 アクオラと聖都テルティスを結ぶ街道には人が戻り、脇で露店を営む者もいる。少しずつ元の様子に近付く光景が眩しく目に映るが、今は感慨に浸っている余裕は無い。客寄せの声を意識の遠くで聞きながら、アイラはさらに足を速める。

 そうしてテルティスに着くなり、街の中央を走る大通りの人出には目もくれずに、真っ直ぐに神殿へと向かう。アーチ状の正門を潜り、ヒーラーたちの詰め所である救護棟で目的の人物を探し回り、最後の目撃場所である書庫の中へ入って行った。

 本棚の間を縫うように、目当ての人物を探し歩く。しばらくしてようやく姿を見付けた時、安堵の息を吐いた。

 その気配を感じ取り、その者は波打つ明るい茶髪を揺らして振り向く。


「まあ、アイラ。どうしました?」

「ルナティアに聞きたいことがある。場所も移したい。ちょっといいか?」

「分かりました。行きましょうか」


 アイラはルナティアを連れ出し、救護棟を後にする。人気のない建物の裏手に回り、それでもなお気配を探ると、静かに口を開いた。


「光の巫女にのみ伝わる禁書がある……そんな話を聞いたことはないか?」


 真剣な表情に触発され、ルナティアは記憶の糸を手繰る。だが、どれだけ思い出しても、そのような書物に辿り着くことは出来なかった。


「いいえ……ヘレナからはもちろん、先代のフリージア様からも聞いたことはありませんわ。お父様やお爺様も、そんなことは一言も……」


 神殿内に敵と通じる者がいる可能性を考えると、情報を聞く者は厳選する必要がある。となるとルナティアは、アイラにとってこれ以上ない適任者だった。彼女の家は代々ヒーラーの長として、光の巫女はもちろん、神殿の幹部とも深い繋がりがあるからだ。

 だが、そんな彼女でさえ、禁書の存在は知らないと言う。ネルソンの言っていた通り、ただの噂なのだろうか。


「そうか……時間を取らせてすまないな」


 アイラは肩を落としながらも、次の行動へと思考を進める。手掛かりは一つ消えてしまったが、ここで立ち止まる訳にはいかないのだ。


「いいえ、構いませんわ。ですが、何なんですの? 光の巫女にのみ伝わる禁書とは」


 お伽話のような代物が、まさかアイラの口から聞かされるとは。ルナティアは想像もしていなかった。

 アイラは「実は……」と、サムノアで得た情報を言って聞かせた。古の大戦の第一人者と言われる考古学者から、千年前の古の大戦の終戦頃にも、今回と同じような空間の歪みが現れた可能性があるということ。その情報が現代に伝わっていないことから、戦争の敗者として葬られたテグラスの技術ではないかということ。封印の書と呼ばれる、光の巫女にのみ伝わる禁書の存在が噂されているということを。


「魔術を使わずに空間を歪める転移術が、テグラス側の技術……そうですわね。貴女がこれだけ調べ回っても、何の情報も出てこないんですもの。その可能性が高いと考えるべきですが……そうなると厄介ですわね。戦争の終結と共に葬ってしまった技術を蘇らせるのは、容易なことではありませんから。……ちょっと待って」

「ルナティア?」

「光の巫女にのみ伝わる禁書ですが、もしかしたら本当に存在するのかも」

「何だって!?」


 ルナティアの言葉に、アイラは目を見開く。視線の先にいるルナティアは難しい顔をしながらも、しっかり頷いたのだった。

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