第5話 運命の再会

 サラマンダーは告げ終えると、今度こそ、その姿を消した。残ったのは、何とも言えぬ後味の悪さのみ。断定的でない物言いはイリアたちに困惑を与え、すっかり翻弄されていた。


「大いなる意思の導き……でも、奴を封じるって、一体何のこと? それに、千年の時って……古の大戦と何か関係があるのかしら」

「因縁の鎖に、破滅への道、そして大いなる意思か……。奴ってのも、誰のことだかさっぱりだな」

「ですが一つだけ、分かったことがあります。『我が庇護する大地の姫』とはおそらく、サモネシア王国のアリエス王女を指しているのではないでしょうか?」

「そっか! カインはさっき、サラマンダーを『我等が大地の守護聖獣』って言ってたしね!」

「その可能性が高いな……。とりあえず、神殿に戻ろう」


 ルイファスの言葉に従い、来た道を引き返す。その道中、カミエルの杖から発せられる魔力の光を受けた聖剣エクスカリバーを、イリアはじっと見つめていた。




 ある壁画を一心に眺め、何か小声で呟いているカイン。その壁画に描かれているのは、黒髪の男に対峙する白髪の男。

 黒髪の男は剣を高々と掲げ、もう一方の手を白髪の男へと向けている。対する白髪の男は、杖を手に臨戦態勢を取っていた。

 その壁画がどんな意味を持っているかは知らない。だが、それを見つめる彼の目は、あまりに真剣で。


「お待たせしました、カインさん」


 そんな彼に躊躇しながらも、イリアが声を掛ける。彼はハッと息を呑み、振り返った。


「ああ、貴女たちでしたか……意外と早かったですね」


 どこか皮肉めいたカインの言葉。イリアは苦笑を浮かべながら曖昧な返事を返すと、「ところで」と話題を変えた。


「カインさん、この壁画には何が描かれているんですか?」


 壁画を見上げるイリアたちに倣い、カインも視線を上げる。そして、おもむろに語り出した。


「この壁画には、サモネシア王国の古い伝説が描かれているんです」

「伝説って、どんな?」

「どこにでもあるような昔話ですよ。遥か昔――……」


 それは、遥か昔のこと。天地創造を終えた八柱の神は、自らの手足となって地上を管理する天使を創り、森羅万象を司る聖獣を創り、世界の命の源となる精霊を創り、エルフやドワーフ、最後に人間を創った。そして地上は楽園となった。

 だが、そんなある時。最上位天使のルキフェリスが一部の人間を引き連れ、神に謀反を起こしたのだ。その結果、世界の各地で混乱が起こり、その後も人間同士による戦火が広がり続けているという。


「これは、その時のルキフェリスの様子を表している、とされています。ちなみに、ルキフェリスは黒髪の方の男で、文武両道をそのまま表したような天使だったそうですよ。そんな彼が何故そんな行動を取ったのか、未だに謎に包まれていますが……」

「それなら、もう一人は誰なんだ?」


 それはルイファスの素朴な疑問。だが、カインはそれに対して、緩やかに首を振っただけだった。


「分かりません」

「分からない?」

「ええ。白髪の男が誰なのかは諸説ありますが、決定的なものはありません。今のところ、ルキフェリスの直属の部下であるベルセリウスが有力ですね」


 カインの言葉の傍らで、改めて、その壁画を見つめ直す。感嘆のため息すら呑み込ませる、厳かな空気。心惹かれ、目を離すことすら許されない。ただ美しいだけではない。絵画に秘められた強いメッセージが、脳裏に焼き付いていくのを感じる。不思議な絵だ。

 しばらくの沈黙の後、カインはイリアへと視線を戻した。


「それはそうと、そちらは如何でした? サラマンダーには会えましたか?」


 問い掛けに、イリアはため息交じりに首を振る。サラマンダーの涙は手に入らなかったのだから、当初の目的としては、無駄足を踏んだことになるからだ。

 だが、成果が何も無かった訳ではない。それを伝えると、カインは怪訝そうに眉をしかめた。


「サラマンダーは私に、召喚師の姫に会うように言いました。それが大いなる意思の導きだ、と。召喚師の姫とは、サモネシア王国のアリエス王女のことではありませんか?」


 その瞬間、カインがその目を大きく見開かせる。そして顎に手を当て、何か確認するように呟き出した。


「大いなる意思の導き……なるほど。占いの結果は偶然ではなかった、ということか。ならば、聖剣の使い手が現れたことも頷けるな」


 何度も頷くと彼は顔を上げ、にっこりと笑みを浮かべた。穏やかで、優しい笑顔。彼とはここ数日しか一緒にいないが、一番清々しい印象を受ける。サラマンダーの言葉に、何か心当たりでもあるのだろうか。

 ルイファスが確かめようと、口を開き掛ける。だがそれよりも一瞬早く、カインが声を上げた。


「分かりました。僕がアリエス様の元へ案内します。その前に、祭祀の間の封印をし直さなければなりませんね。イリアさんたちはここで待っていてください。それからブラバルドへ戻りましょう」


 カインは踵を返し、奥へと消えていく。

 だが、疑問が一つ。アリエス王女に会うのだから、てっきりサモネシア王国首都のテーゼへと向かうと思っていた。なのに何故、あの港街に戻るのか。

 互いに顔を見合わせ、首を傾げるカミエルとティナ。イリアとルイファスも似たような感じだ。すると間もなく、カインが戻って来た。


「お待たせしました。さあ、行きましょうか」

「待ってくれ。何故、首都へ向かわずに、ブラバルドへ戻るんだ? 王女は首都にいるんだろう?」

「いいえ、アリエス様は首都にはいらっしゃいません。来たる王位継承の儀のため、旅に出ています。そしてそろそろ、国王様に現状を報告するために、一時帰国される予定なんです」


 そしてカインはイリアをじっと見つめ、小さく笑った。何か、意味ありげに。


「僕からもお願いします。アリエス様に、会っていただけますか?」




 イグニムス神殿を出てから数日を掛けて、テルメディア大陸の玄関口、ブラバルドへ戻って来た。そこで彼女等を待っていたのは、慌ただしく港の方へ向かう住人たち。ある意味で異様なその光景を、イリアたちは不思議そうに眺めるのだった。


「一体、どうしたのかしら? 港で何かあったの?」

「そうですね……重大な事件や事故という雰囲気では無さそうですが……」

「とりあえず、誰かに聞いてみるか。……すまない、聞きたいことがあるんだが、少しだけお時間貰えるかな?」


 ルイファスが目の前を通った若い女性のグループに声を掛ける。すると彼女たちは、たちまち頬を染め、我先にと身を乗り出した。


「あの、聞きたいことって何ですか?」

「皆して港の方へ向かっているが、何かあったのかと思ってね」

「ああ、それだったら……ついさっき、港にアリエス様が着いたって聞いたんです! それで、みんなで見に行こうって」

「あ、そうだ! もしよかったら、私たちと一緒に行きませんか?」

「それいいね! お兄さんも一緒に行きましょうよ!」


 あっという間に、彼女たちに囲まれてしまったルイファス。だが、彼は困ったような素振りは一切見せず、一人ひとりに微笑み掛けていった。


「その気持ちは嬉しいし、俺自身もそうしたいところではあるんだが、今は先を急ぐ身でね。状況が落ち着いて、またお目に掛かれたら、その時は必ずお相手するよ。約束する」


 優しい声色に、再び黄色い声を上げる彼女たち。ルイファスに夢中になっているのか、アリエスのことなどすっかり頭から消えてしまっているようだ。

 そんな彼等を遠目から眺めるイリアたち。イリアは彼のこんな態度は見慣れているが、ティナに至っては軽蔑するような白い目を向けている。

 見かねたイリアが、彼等の方へ歩み寄って行った。


「ルイファス」


 突如として聞こえたイリアの声に、彼女たちはハッと振り返る。突然現れた女性の姿に、彼女たちの瞳に戸惑いや嫉妬の色が宿る。みるみるうちに、イリアを見つめる目に鋭さが増していく。

 だがルイファスは、いつもと変わらない様子で視線を返した。彼女たちの変化を気にも留めていない。


「ああ、イリアか」

「『ああ、イリアか』じゃないわよ。何してるの? ほら、早く行くわよ」

「えー、もう行っちゃうんですか?」

「ああ、悪いな。また会えることを祈っているよ。可愛いお嬢さんたち」


 足早に立ち去るルイファスに、彼女たちは手を振っている。そんな様子に気付いたのか、顔だけ後ろを向き、手を振り返した。途端に聞こえる黄色い声。イリアの眉間にしわが寄り、ため息が漏れる。


「ルイファス……女遊びもほどほどにしておかないと、いつか痛い目に遭うわよ?」

「そうかもな。その忠告、ありがたく聞いておくよ」


 聞いているようで、まったく聞いていない。笑いながら受け流すその態度に、イリアは再度ため息を吐いた。

 そして二人が戻ると、今度は、不機嫌そうに口を尖らせたティナが出迎える。そして、勢いよく口火を切った。


「ちょっと、ルイファス! どさくさに紛れてナンパしてるなんて、何考えてんの!?」

「そんなに怒らなくてもいいだろう。港にアリエス王女が着いたという情報が手に入ったんだ。少しくらいいいじゃないか」

「それはそうかもしれませんが……」


 チラリ、とイリアを見やるカミエル。彼女からも何か言って欲しいと、その目は訴えている。

 また、カインはカインで、いい加減にして欲しい、と呆れたようにルイファスとティナのやり取りを眺めているだけ。こちらも口を出す様子は無い。

 しょうがない、とイリアはため息交じりに割って入った。


「無駄よ、ティナ。ルイファスったら、筋金入りだもの。いくら言ったって聞かないわ。とりあえず、私たちも港へ行きましょう」

「それこそダメだよ! それじゃ、ますます付け上がるだけだよ? ここはビシッと言わなきゃ!」

「そうですね。女性にあんな風に軽い態度を取るのは、僕も如何なものかと思います」

「だよね? ミックもそう思うよね?」

「だがな……向こうから来るんだから、無碍に出来ないだろう? それこそ失礼じゃないか」

「もうっ! ああ言えばこう言う! だいたい――」

「あのっ!」


 一際大きな声に、一同はそちらの方を振り向く。すると、カインが引き攣った笑みを浮かべていた。


「どうでもいいですが、いい加減、行きませんか?」


 今にも怒りが爆発しそうな表情。イリアとカミエルはティナを宥め、港への道を急ぐのだった。




 人の流れに沿って港へと向かうと、案の定、そこは人々でごった返していた。そしてよく見ると、流れはある一点に向かっている。その中心にアリエス王女がいると思われる。

 だが問題は、そこまでどうやって行くか、ということだ。


「なあ、カイン。この状況、どうにかならないのか?」

「どうにか、と言われても、こんなに人が多くては……。だいたい、もっと早くに来ていたら、桟橋までアリエス様を出迎えに行けたんですよ? それなのに、いつまでもくだらないことで言い合っているから……」


 カインの声には困惑と焦り、そして多くの棘を孕んでいた。彼としても、何とかしてイリアたちをアリエスに会わせたいのだが、この状況では難しい。

 ティナが出遅れた元凶であるルイファスを軽く睨み付けた、その時だ。


「見て! 人の流れが変わっていくわ」


 イリアの言葉の通り、人の流れが変わりつつある。中心点がこちらに向かって動き出したのだ。しばらくして人々の間から姿を見せたのは、一人の少女だった。

 深いルビーレッドの瞳に、ダークブルーのツインテール。そして、細い体に布を巻いたようなゆったりとした衣服。その従者と思われる二人の男は、黒髪と明るい茶色の髪の剣士。彼等はどちらもディープブルーのマントを身に着けている。


「あ……」


 イリアとルイファスが同時に声を上げる。イリアは明るい茶色の髪の男を、そしてルイファスは彼女等三人の姿を見たことがあったから。

 それとほぼ同時に、ツインテールの少女と目が合った。すると少女は顔を輝かせ、従者の二人を振り切り、イリアたちの方に駆け寄って来た。


「やっと見つけたわっ! 私の王子様っ!」

「……はっ!?」


 少女は勢いよくルイファスに飛び付き、きつく抱き締めた。胸板に顔を埋めて上目遣いで彼を見れば、うっとりと瞳が蕩けている。

 一方のルイファスはというと、突然舞い降りたこの状況に酷く混乱しており、声を出すのもままならない。彼がここまで取り乱すのは珍しいくらいだ。


「き、君は……あの時の……?」


 ルイファスが辛うじて声を掛けた、その途端。少女は瞳を輝かせ、頬を染めて口を開いた。


「嬉しい! あたしのこと、覚えててくれたのね! あたし、エリュシェリンで別れて以来、ずっとお兄さんを探していたの。だってあたし、お兄さんのこと、好きになっちゃったんだもん!」

「え……? す、好きにって……お、おい、ちょっと……!」


 さらにきつく抱き締められ、困惑を深めるルイファス。訳が分からず、イリアたちはもちろん、群衆でさえも呆然とその様子を眺めることしか出来ない。

 だが、ただ一人、怒りのあまりに顔を真っ赤にしている人物がいた。わなわなと肩を震わせ、ルイファスを睨み付けている。


「な……何をやっているんですかっ! 早く離れてくださいっ! ルイファスさんもルイファスさんです! いつまでボケッとしてるんですか!」

「ふーん、お兄さん、ルイファスってお名前なのね! じゃあ……ルイス様ね」

「は? い、いや、ちょっ――!」

「いい加減にしてくださいっ! ほら、早く離れてっ!」

「えー、何でよ? カイン」

「そ、それは……! そう、民の目があるからに決まっているでしょう! 王女なんですから、軽はずみな行動は慎んでください! アリエス様っ!」

「えっ!?」


 イリアたちは一斉に、声の主であるカインへと顔を向ける。彼は今、『王女』や、『アリエス様』という単語を発していた。


「ということは、まさか……君が……アリエス王女?」


 その時、群衆を掻き分ける従者の二人が、ようやく追い付く。そして、少女に特大の雷が落とされた。


「アリエス様! こんな人の多い中で勝手な行動は慎んでくださいと、あれ程言ったではありませんかっ!」

「いきなり走り出すんじゃねぇよっ! ったく、何考えてやがる! この馬鹿がっ!!」

「ちょっとマルス! 誰がバカよ! っていうか、しょうがないじゃない! 探してた王子様が見付かったんだもん!」

「そんなことは理由になりません」

「むぅ……エリックの分からず屋っ!」

「その台詞、そっくりそのままアリエス様にお返しします」


 未だ抱き付かれたままのルイファスを挟んで口論を繰り広げているという、なんともおかしな光景が目の前で繰り広げられている。そしてカインだけは、険しい視線でルイファスを睨み付けていた。

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