第3話 灼熱の洞窟へ
ギラギラと照り付ける太陽の下、ブラバルドの街を歩くイリアは、見るからに浮かれていた。
街の中央には大通りが走っており、その両脇には等間隔に木が植わっている。枝を大きく広げ、青々とした葉を茂らせる木々。その影では露天商が店を構え、体を休めながら談笑を交わす人々もいた。
道路沿いには路地に至るまで水路が張られ、絶えず水が流れている。それに沿うように土壁の商店が立ち並び、多くの人が出入りしていた。
テラスでお茶を楽しむ人々の様子は見慣れたものだが、街並みは異国情緒に溢れている。見る物全てが興味深い。特に、見慣れない雑貨を置く店を目敏く見付けては、物欲しげな視線を送り続けていた。
「街を見て回るのは、情報収集が終わった後だぞ」
「……分かってるわよ」
軽く嗜めるルイファスに、イリアは口を尖らせる。少しだけ空いた距離を埋めるべく、やや大股で彼に並んだ。
そうしてしばらく経った頃。何かを探す彼の横顔を見ながら、彼女は物思いに耽る。
「……ねえ、ルイファス」
「何だ?」
「アイラと何を話していたの?」
立ち止まり、振り向いたルイファスの瞳が僅かに、本当に僅かに揺れる。それを隠すように、彼は笑みを浮かべた。
「言っただろう? 単なる情報交換だ。それ以外に何がある」
ブルシィドでアイラと再会した時のこと。ルイファスから話があると言われた彼女は、僅かに表情を変えていた。同じくブルシィドの食堂では、一瞬だけ彼の瞳に影が差す。また、先程も本当に僅かな動揺を見せた。
彼は隠しているが、情報交換以外にも何かある。これ等の態度はそれを物語っている気がしてならない。だが、それが何なのかを知る術が無い。
イリアは伏せていた視線を上げ、苦笑を浮かべた。
「……そうね、私の思い過ごしだったみたい」
「そうだ。お前はいろいろと心配し過ぎなんだよ。さて、肝心の情報収集だが……そうだな。あそこの大きそうな酒場にでも行ってみるか」
再び歩き出した彼の少し後ろを付いて行く。そこは大通りに数ある酒場の中でも一際大きな店。人の出入りも多い。これだけ賑わっていれば、様々な情報が集まるに違いないと、イリアは気を引き締める。
だが、そんな思いとは裏腹に、ルイファスは店に入るなり、真っ直ぐに奥のカウンターへ足を進めた。周囲の客など目もくれずに。
それは、イリアにとって予想外の行動だった。暫し呆気に取られて立ち尽す。
不意に、男性客のグループと目が合った。ひそひそと話しながら、ニヤニヤと緩める口元を目にした途端、彼女の背筋に悪寒が走る。彼等の視線を振り切るように、慌てて彼の元へ駆け寄った。
遅れて来た彼女に、ルイファスは怪訝そうな顔をする。イリアが頰を引き攣らせながら首を振るのを見て、店主は話を進めた。
「改めて、いらっしゃいませ。ご注文は何にします?」
「いや、俺たちは一流の料理人が作る、地元食材をふんだんに使った郷土料理の店に行きたいんだ。紹介して欲しい」
「いいんですか? 高いですよ?」
「ああ、金はある」
そう言うと、ルイファスは数枚の金貨を差し出す。主人はそれを一瞥すると、メモ用紙とペンを取り出した。
「そうですね……この街で一流といえば、ここを置いて他にありません。ここの店主は見た目によらず、いい腕してますよ」
主人はメモ用紙にペンを走らせると、小さく四つ折りにしてルイファスに差し出した。
「悪いな。ここじゃなくて」
「ここは料理屋ではなく、あくまでも酒場ですからね。専門の店を紹介するのも仕事のうちです」
「しばらくはこの街に滞在するかもしれないから、その間に今度は客として来るよ」
「ええ、お待ちしています」
互いに口元を引き上げると、主人は金貨をポケットに仕舞い込み、仕事に戻る。そしてルイファスは、目を白黒させているイリアへと視線を移した。
「さ、行くぞ」
「え……どこに?」
「この街一番の料理屋だよ」
含み笑いをして見せると、首を傾げる彼女を連れて酒場を出る。そして店主から貰ったメモを見下ろすと、人の流れを外れて路地へと入って行った。
日が傾き、暑さが幾分か和らぎ始めた頃。宿の階段を軽やかに登るティナの姿があった。
その手には食堂から貰ってきた、たっぷりの氷と色鮮やかなフルーツジュースが入ったグラスが二つ。ある部屋の前で立ち止まると、「ミック!」と声を上げた。
「あれ、ティナ。夕方まで時間があるけど、どうしたの?」
ゆっくりと扉が開かれたかと思えば、目を丸くしたカミエルがひょっこりと顔を出した。そんな彼にティナは、にっこりと笑みを向ける。
「部屋で待っててもつまんないから、遊びに来ちゃった。ミックも喉が乾いてるんじゃないかと思って、ジュースも持ってね」
「ありがとう! ちょうど何か飲みたかったんだ」
カミエルはティナからジュースを受け取ると、彼女を通した。
テーブルと椅子、そしてベッドが二つ並ぶだけの簡単な部屋。彼女はぐるりと部屋を見回すと、素っ気ない声を吐き出した。
「アタシたちの部屋と全然変わんないね」
「それはそうだよ。同じタイプの部屋を取ったんだから」
苦笑を浮かべるカミエル。ティナがベッドに腰掛けたのを見て、彼も椅子に腰掛けた。机の上に置かれた、栞が挟まれた分厚い本を引き寄せながら。
「その本って、もしかして……」
「うん。スティングレイ様からいただいた魔術書だよ」
「あの難しいやつか……」
苦虫を噛み潰したような顔とは、まさにこのこと。その苦々しい声に顔を上げたカミエルは、再び苦笑を浮かべた。
「魔術の基本は学校で習ったじゃないか。簡単な実習もあったし。覚えてないの?」
「ミックこそ忘れたの? アタシは、魔術の授業が大の苦手だったの! ずっと補習漬けだったし。それでも小さな炎すら出せなかったんだよ? 魔術の才能は無いんだよ」
そう言って自嘲するティナ。そしてぷいっとそっぽを向き、唇を尖らせた。
「だいたい、なんで文字まであんなに複雑なのさ? 読めないんじゃ意味無いのに……」
「ルーンスペルのこと? 仕方ないよ。自分の技量を超えた魔術を行使するのは、とても危険なんだから」
「でもミックは、その文字を読めるんだよね。何とかなりそう?」
「そうだね……」
カミエルは呟くと、視線を落とす。滑るように文字を読みながら、小さく頷いた。
「神聖魔法と勝手が違うからね。ちょっと難しいけど……何とかなると思う」
「凄いじゃん! 早く使えるようになるといいね」
「うん、そうだね」
にっこりと笑い合うカミエルとティナ。そんな二人の向こうでは、窓の外が徐々に茜色に染まり始めていた。
曲がりくねった道を進むにつれ、どんどん人気が無くなっていく。そしてルイファスは、ある建物の前で立ち止まった。
そこは、何の変哲も無い一軒家。それを見たイリアの眉間にしわが寄る。料理屋と聞いていたにも関わらず、軒先に看板が出ていないからだ。
「ちょっと、ルイファス。本当にここなの?」
「ああ、間違いない。料理屋は隠語だからな。入れば分かるさ」
その言葉を信じ、彼に続いて建物に入る。まず目に飛び込んできたのは、壁一面に貼られた手配書やメモ。机の上にも無造作に散らばっている。その様子は、ニコルの家を彷彿とさせた。
「あっ! なるほど、そういうことね。料理屋は情報屋のことなのね」
「そういうことだ」
ルイファス曰く、食材は情報を表す。食材を取捨選択して料理を作り上げる料理人を、様々な情報を収集して分析する情報屋に例えているのだという。
その時、奥からひょっこりと男が顔を出した。年はイリアとさほど変わらない。ブロンドの短髪が無造作に跳ね、切れ長の目がじっとこちらを見つめている。
「キミたち、この辺じゃ見ない顔だね。観光客……でもなさそうだけど」
「ああ、訳あって旅をしている。そのことで情報屋のアベルに会いに来たんだ」
「なんだ、お客さんか。どんな情報が欲しいんだい?」
「いや、俺たちが探しているのは、」
「分かってるよ。だから、どんな情報が欲しいのか聞いてるんじゃないか。アベルはボクだよ」
ニッコリと笑みを浮かべるその男は、自らをアベルだと名乗っている。街一番の情報屋が、こんな若者だとは信じ難い。
「貴方が、アベルさん……?」
探りを入れるような問い掛け。発した声には、疑念が満ち溢れていた。ルイファスも声は発しなかったが、眉間にしわが寄っている。
一方のアベルに、二人の態度を気にする様子はない。笑みを携えたまま、もう一度、しっかりと頷いた。
「そうだよ。ボクがこんな若造だから疑ってるんでしょ? でも、心配しなくても大丈夫。街で一番の情報屋は、このボクなんだから。何でも聞いて」
得意げに胸を張るアベル。客の態度に慣れているというよりは、情報屋としての誇りや自信がそうさせている、といったところか。
加えて、情報屋は信頼で成り立っている商売だ。彼や、彼を紹介した酒場の店主が、嘘を言っているとは考えられない。
「こっちは欲しい情報が手に入れば、それでいいんだが……」
「それで、キミたちはどんな情報をお求めだい? 金次第で、どんな情報でも売るよ」
「サラマンダーの涙を探している。この大陸のどこかにあるのは掴めたんだが、具体的な場所が分からないんだ」
「サラマンダー? 見たところ召喚師でもないキミたちが、どんな理由で探しているか知らないけど……まあ、いいや。その情報なら、金貨二枚」
イリアたちを品定めをするように眺めていたが、浮かべた笑みを深めると、スッと手を差し出す。ルイファスが言われた通りに金貨をその手に乗せると、「まいどあり」と懐にしまった。
「サラマンダーは、灼熱の洞窟と呼ばれるところにいる。この街から南西に進むとフレムスブルクって比較的大きな街があるんだけど、そこからさらに二日ってとこかな。それで相談なんだけど……」
「何ですか?」
「ボクの従弟が今この街に来てるんだけど、彼に道案内させるよ。その洞窟の辺まで遺跡調査に向かう途中だったらしいからね。その代わり、彼の護衛をお願いしたい」
「いいかな?」と小首を傾げるアベル。口調は柔らかいが、どこか強制力を持つ言葉。ルイファスは短く息を吐くと、イリアの方を振り返った。
「どうする?」
「いいわ、引き受けましょう。土地勘のある人に案内してもらった方が効率的だし、何かと心強いわ」
「そうだな。今さら一人増えるくらい、どうってことないか」
ため息交じりに頷く彼女等を見て、アベルはさらに笑みを深める。してやったり、といった顔だ。
「うん、決まりだね。そうだ、出発はどうする? 日程はそっちに合わせるけど」
「そうですね……明後日の早朝にでも出発したいと思っています」
「ああ、分かった。従弟の名前は、カイン=ケイティ。サモネシア王国召喚魔法研究所に在籍しているんだ。そうだ、お礼に移動用の動物をこっちで用意しとくよ。それで、そっちの人数を教えて欲しいんだけど……」
「こっちは俺たちを入れて四人だ。だが、いいのか?」
「大丈夫、大丈夫! 全然気にしなくて良いよ。困った時はお互い様ってやつさ」
そう言って肩を竦める。そんな彼が可笑しくて、イリアは小さく笑みを浮かべた。
「アベルさん、どうもありがとうございます」
「いやいや、お礼を言うのはこっちだよ。カインのこと、よろしくね」
「ああ、引き受けたからには、しっかり送り届けるよ」
改めて礼を告げ、建物を出る二人。そしてどちらからともなく、その顔を見合わせた。
「それじゃあ、一度港まで戻るか。そろそろ時間だしな」
空を見上げれば、夕暮れの茜色。約束の時間だ。
「そうね、二人を待たせちゃ悪いものね」
先が見えて安堵したのか、イリアの笑みも柔らかい。思わず、ルイファスにも笑みが零れる。
徐々に沈む太陽の下、長く伸びた影を引き連れ、来た道を戻って行く。どこかの酒場から聞こえてくる騒ぎ声に、間もなく夜が訪れることを感じながら。
そうして迎えた、出発の日の朝。イリアたちは早々に宿をチェックアウトし、街の出入り口まで足を進める。その前方に見えてきたのは、門のところに佇んでいる一人の少年と人数分の動物。それを見たティナが「あ!」と声を上げた。
「あそこにいるのがカインって人かな?」
「ええ、きっとそうだわ」
頷くイリア。初めて目にしたはずなのに、彼がカインだと確信したのは、彼が一昨日会ったアベルとよく似ている容姿だったから。きっと、兄弟と言われても何の違和感も抱かないだろう。
動物の方は、土色の肌に短い毛が生えており、背中に大きなこぶがある。そして時折首を屈め、足もとの草を食べては、それをすり潰すように口を動かしている。
そして彼女等がその目の前まで近付くと、彼は「こんにちは」と笑みを向けた。
「僕の護衛を引き受けてくれたのは、あなたたちだね? アベルから話は聞いてるよ。僕はカイン=ケイティ。よろしく」
「はじめまして、イリア=クロムウェルです」
イリアは握手に応じ、順にルイファスたちを紹介していく。一通り自己紹介を終えると、一頭が欠伸を上げた。
「そういえば、この動物、何て名前? 初めて見るけど……」
「こいつはラクダだよ。砂漠を越える時はこいつに荷物を担がせたり、背中に乗って移動するんだ」
「これがラクダなんですか。図鑑でしか見たこと無かったですが……意外と臭いがきついですね……」
「外の大陸から来たなら、そう感じるだろうね。でも、慣れればどうってことないよ」
「慣れれば、と簡単に言うが……その前に鼻がどうかなりそうだ」
「そうかもね」
笑いながら、カインはラクダの手綱に括り付けた荷物をチェックしている。そして、荷物の中から人数分の外套を取り出すと、イリアたちに手渡した。
その大きさは、頭の先からつま先まで覆うほど。カインは手慣れた様子でそれを身に着けると、軽やかにラクダの背中に乗った。聞けば、砂漠越えにはラクダと水と外套が必需品らしい。
「土地が変われば、ね。私たちだけだったら、きっと思いもしなかったわ」
カインに倣い、イリアとルイファスが後に続く。ティナは最初こそ苦戦していたが、持ち前の運動神経の良さもあり、すぐに自力で乗ることが出来た。だが、カミエルはどうにも要領が悪い。見かねたカインに手伝われながら、なんとか背中に腰を下ろすと、「すみません」と苦笑を浮かべながら彼を見下ろした。
砂漠の入り口だというのに、冷涼な空気に包まれる朝。辺りを吹く風には、心地良さすら感じられる。だが日が昇るにつれて、どんどん気温は上昇していくだろう。
そんな中で目指すのは、ここから南西に進んだ先、灼熱の洞窟。過酷な砂漠越えの旅が、今、幕を開けた。
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