第23話 広い空の下へ

 柔らかな日差しが降り注ぐ朝。光を反射するまで磨かれた灰色の石の間を、カミエルは迷わずに進んで行く。そんな彼の後ろを歩きながら、ティナは周囲を見回した。

 賑やかな参道からあまり離れていないにも関わらず、一帯はしんと静まり返っている。ここだけが世界から切り離されたかのようだ。生者の気配がまるで感じられない。

 不意に、彼はある場所で足を止める。その場に跪き、静かに祈りを捧げた。彼女もまた、それに続く。しばらくの後、二人はそっと立ち上がった。


「僕たちが王都を飛び出したことで、いろんな人に迷惑を掛けてしまった。ルイファスさんは直接僕たちを咎めることは無かったけど、たぶん内心では凄く怒ってると思う」

「うん、そうだね」

「でも……でもやっぱり、諦められないんだ。クロムウェル様やルイファスさんに、想いの全てを伝えたい。同行を許してもらいたい……!」


 そう告白した彼の瞳は、どこまでも透き通っていた。

 そんな彼に、満足気に口元を引き上げる。彼の意思が込められた言葉を、ずっと待っていたのだから。


「そうこなくっちゃ! 行くよ、ミック!」


 景気良く彼の肩を叩く。たたらを踏んで見上げた顔は、とても晴れやかだ。彼女の笑顔もまた、つられて輝きが増す。

 そして二人は、その場を後にした。差し込む朝日を背に受けながら。力強く、その一歩を踏み出したのだった。




 朝稽古の後、朝食を済ませて一息ついた頃。イリアとルイファスは、この数日の感謝と近く王都を発つ報告のため、アンナ=ペトロフの元を訪れていた。

 二人が通された応接室の中央には、向かい合うソファと、その間にテーブルが置かれている。装飾品も華美なものは一切無い。その慎ましやかな雰囲気に浸っていると、ここが王都の神殿の長の部屋だと忘れてしまいそうになる。

 アンナはソファに腰をかけ、一口、紅茶を喉に流し込む。そして目の前に座るイリアの姿を見つめ、慈しむような笑みを浮かべた。


「クロムウェル様、顔色もすっかり良くなられて、本当に安心しましたわ」

「こちらこそ、手厚い看病をしていただき、感謝の想いはお伝えしきれないくらいです」


 深く頭を下げるイリア。そんな彼女にアンナは、たおやかに首を振った。


「お気になさらないでください。私共に出来ることでしたら、何でもご協力致しますわ」

「ありがとうございます。それで、早速で申し訳ないのですが……」

「ええ、私共が得た情報のことですね」


 にっこりと笑みを浮かべるアンナ。そして、すぐに真剣な表情に戻すと、おもむろに口を開いた。


「とはいえ、お伝え出来ることは限られているのが現状です。ですがどうやら、巫女様はエリュシェリン王国には入っていないご様子。それ以外の情報は、今のところはまだ……。大してお役に立てず、申し訳ありません」


 アンナは唇を引き締め、眉尻を下げた。イリアは落胆を隠せず、俯いてしまう。ルイファスは表情こそ変えないが、内心では深い溜息を吐きたい気分に陥っていた。

 二人がテルティスを発ち、その間に得た情報と言えば、神殿襲撃に合わせるようにテルティス上空に白いドラゴンが姿を現したこと。ウェスティン村の前村長の屋敷付近で、桃色の髪の女を含む三人の男女が白いドラゴンの傍らに立っていたこと。そして、犯人の最右翼と睨んでいたヴォルデスが真の黒幕に利用され、壊滅させられた、ということのみ。ヘレナに関して、何の情報も得られていない。

 そして敵からの接触がない今、自分たちが取れる行動でヘレナに繋がる可能性があるもの。それは、サラ=ブルーセルの要求を受け入れることのみ。そうして王都の情報屋であるヒース=シュルバッツを紹介してもらえば、新たな道が拓けるかもしれない。

 不意に、アンナが顔を上げる。そして、イリアの方へ視線を向けた。


「ところで、クロムウェル様たちはこれからどうなさるおつもりで?」

「王都を出て、西の方角に進みながら情報を得るつもりです。その後は、シルビス連邦へ向かおうと思っています」

「西……」


 ルイファスの言葉に、イリアは物思いに耽る。

 先日の占い師の女性は、こんなことを言っていた。西の方角に運命的な何かが待っている、と。サラが要求したサラマンダーの涙も西の大陸にあるという。ただの偶然なのか、何か大きな意味があるのか。

 ふと、彼女の頭にある顔が浮かぶ。澄み切った青空を思わせる、優しげな瞳。風が吹く度に波打つ、明るい茶髪。何故ここで、彼の顔が浮かぶのだろうか。アクオラで、たった一度会っただけだというのに。


「クロムウェル様?」


 唐突にアンナの声が耳をつき、ハッと息を呑む。視線を上げると、何もかもを見透かさんとする瞳が覗き込んでいた。目を瞬かせて困惑する彼女に、アンナは僅かに首を傾げた。


「どうなさいました? またお身体の具合でも……?」

「いえ、大丈夫です。何でもありません」


 咄嗟に笑みを繕い、首を振る。その様子を訝しむルイファスに対しても、「何でもないわ」と声を上げた。それでも眉を顰める彼から視線を外し、静かに席を立つ。そして、アンナに向かって手を差し出した。


「ペトロフ司教様、私たちは明日の朝に王都を発とうと思っています。今まで本当にありがとうございました」

「微力ではありますが、お二人のお役に立てたのでしたら、光栄ですわ」


 アンナも立ち上がり、手を握り返して謝意に応える。そして、ルイファスと共に踵を返したイリアを、彼女は静かに引き留めた。


「司教様?」

「無礼をお許しください。ですが、お二人にお願いしたいことがあるのです」

「お願い、ですか?」


 アンナは頷き、扉へ向かって声を掛ける。そうして姿を見せた人物を前に、イリアとルイファスは目を見開かせた。


「カミエルさん? それに、ティナも……」


 部屋に入って来た二人は、静かにアンナの隣へ歩を進める。そしてイリアとルイファスを見据えた。そんな彼等の瞳からは、煌々と燃え上がる感情が読み取れる。

 それを受けたルイファスは、眉間にしわを寄せた。彼等の言いたいことは分かっている。だが、彼等が何と訴えたところで、それを許すつもりは毛頭無い。先日の一件もあるのだから。

 イリアもまた、顔を引き締める。ほんの僅かな感情の波も立てず、ただ真っ直ぐに見返すばかりだ。

 三者三様の思考が混ざり合い、沈黙を作り出す。その様を緊張した面持ちでアンナが見守る中、カミエルが最初に口を開いた。


「今日は改めてお願いに上がりました。私たちも、お二人の旅に同行させてください」

「だがな……」

「分かってるよ。この前、アタシがやっとの思いで倒した魔物も霞むくらい、強い奴等が待ち構えているんでしょ?」

「そうだ。そんなところにお前等を連れて行く訳にはいかない。足手纏いだからな」

「確かに、今の私たちは弱い。ですが、お二人のお役に立てるよう精進します。司教様にも、旅立つお許しを頂きました。ですから、お願いします!」


 固い決意を宿した二人の目に釘付けになっていると、イリアは先日のティナの言葉を思い出した。と同時に、目の前で意気込む少年に対して、懐かしさや親近感のようなものを覚える。


「……カミエルさん」


 言葉を紡ぐイリアに、カミエルは固唾を飲んで次の句を待つ。気を張り詰めている彼からは、普段の穏やかな空気はまるで感じられない。それに圧されぬよう、彼女は努めて冷静に続ける。


「外の世界が常に危険と隣り合わせなのは、図らずも、身をもって感じてしまった。なのに何故、私たちと旅をしたいと思うのですか?」

「……行方不明の双子の弟を捜したいからです」


 一瞬にしてルイファスの表情が変わり、隣を見やる。だが、彼女の表情は、ほんの些細な変化も見られない。彼は静かに目を閉じ、短く深い息を吐いた。

 それに気付くことなく、カミエルは語り始める。切実な想いを抱くまでに至った出来事を。


「十年くらい前になります。ある日突然、弟のウリオスがいなくなってしまったんです」


 あの日、カミエルの弟ウリオスは、友達の家に遊びに行くと言って出て行った。それは何の変哲もない、よくある日常の光景だ。

 だが、ウリオスが出掛けてしばらくした頃。一緒に遊ぶと言っていた少年が家を訪ねて来た。どれだけ待ってもウリオスが来ないから呼びに来た、と言って。


「その時は、ただ寄り道をしているだけだと思っていました。ですが……」


 いつもは夕食前に帰ってくるウリオスが、まだ帰らない。そんな時、今度はあの少年が彼の母親と共に訪ねて来た。どれだけ待ってもウリオスが来ない。何かあったのではないか、と。それを聞くなり、すぐさま詰め所に駆け込んだ。

 それから間もなく、事件と事故の両方の可能性を視野に大捜索が行われた。最後に彼の姿が目撃された地点を中心に、何日間、何ヶ月間も捜し回った。だが、その努力も虚しく、全く足取りが掴めないまま暗礁に乗り上げてしまう。

 それから数年経っても見付からず、結局、捜索は打ち切られてしまった。どこかで既に死んでいるのではないか。そんな噂を残して。

 だが、カミエルは納得がいかなかった。双子だから分かる。弟は必ずどこかで生きている。生きていて、彼も自分たちを捜している、と。


「だから私は旅に出たいのです。その旅の途中で、弟に関する手掛かりが見付かる……そして、これを逃すと二度と弟は見付からない。そんな気がするんです」

「アタシはミックの力になりたい。もう魔物なんかに遅れは取らない。もっともっと強くなるから!」

「私は戦う力を持たぬ身ですが、神聖魔法でしたら、お二人のお役に立てるはずです。ですからどうか、お願いします!」


 身を乗り出して懇願するカミエルとティナ。彼等の必死の思いが、ひしひしと伝わってくる。


「理由は分かった。だがやはり、俺は反対だ。その代わり、弟の情報はありのままに教えてやる。だから諦めな」


 ルイファスの言葉に愕然とし、カミエルの表情から一切の感情が消える。そして顔を歪ませると、唇をきつく噛み締めた。

 片やティナは、怯んだように息を呑む。だが次の瞬間には、威嚇する猫の如く彼を睨み付けた。


「何で? アタシたちは遠足気分で頼んでる訳じゃない。なのに、どうして分かってくれないのさ!」

「俺はお前等のことを思って言っているだけだ。イリア、お前はどう思う?」

「そうだ、イリアは? イリアなら、アタシたちの気持ち、分かってくれるよね?」


 ハッと顔を上げたカミエルはティナと共に、縋るような目でイリアを見つめた。アンナとルイファスの視線も、一身に彼女に注がれる。

 しばらくの沈黙の後、伏せていた目を上げた。


「分かったわ。一緒に行きましょう、カミエルさん、ティナ」


 視線を外したルイファスはくしゃりと髪を掻き、体中の息を吐ききる。アンナは安堵に胸を撫で下ろし、カミエルとティナは歓喜に顔を輝かせた。


「ありがとうございます! お二人の足手纏いにならないよう、頑張ります!」

「ありがとう、イリア! そうと決まれば、早速支度しないとね! 行くよ、ミック!」


 ティナはカミエルを引き連れ、部屋を飛び出した。あまりの浮かれように、アンナへの挨拶も早口で済ませて。

 程なくして、遠くからは喜びではしゃぐ彼女の声が響いてくる。そして、慌てた様子で嗜める彼の声も。

 そんな中で、ルイファスはため息交じりに声を上げた。


「似てるよな。理由が。お前と」


 イリアは軽く目を見開き、彼の横顔を見上げた。彼は二人が出て行った扉を見つめたまま、沈黙を守っている。それがいたたまれなくて、彼女は身を縮こませた。


「ルイファスの言いたいことは分かるわ。それが正しいことだっていうのも分かってる。でも……私……」

「分かった。もう何も言わない。だが、無理だけはするなよ」

「ありがとう、ルイファス」


 苦笑を滲ませながら振り向いたルイファスに、イリアは安堵の笑みを浮かべた。それを受け、彼も頬を緩める。そうかと思えば、不意に彼は口元を引き上げ、肩を竦めた。


「だが、カミエルはともかくティナちゃんも一緒となると、これから一気に賑やかになるな」

「そうね。でも、賑やかな旅も、それはそれで良いかもしれないわ」

「クロムウェル様、アシュフォード様、本当にありがとうございます。あの二人のこと、どうぞよろしくお願い致します」

「はい、お任せください」


 力強く頷くイリアを見て、アンナは深く頭を下げた。そして再度、握手を交わす。彼女の花のような笑みを背に、二人は部屋を後にした。




 次の日の早朝。カミエルとティナは人々から見送りを受け、王都を出発した。その時の彼女の両親の心配そうな顔と言ったら、イリアやルイファスの方が恐縮してしまう程だった。だが肝心のティナは、深くため息を吐くばかり。


「ホント、父さんも母さんも心配性だよね。説得するのに、どれだけ苦労したか……」

「何言ってるんだよ。おじさんもおばさんも、ティナに強引に押し切られたって言ってたよ」

「押し切ってなんかないよ。説得したの!」


 イリアの馬にはティナ。ルイファスの馬にはカミエル。

 手綱を握るすぐ後ろでああだこうだと議論しているのを聞きながら、ルイファスは深いため息を吐いた。どこか遠くを眺めるような眼差しで。

 そんな彼を見て、イリアはただただ苦笑を漏らすばかり。

 と、その時。


「イリア! ルイファスさん!」


 ティナの呼び声に、二人は振り返る。すると、にっこりと笑みを浮かべた、満足気な顔が出迎えた。


「改めて、これからよろしくね!」

「クロムウェル様、ルイファスさん、どうぞよろしくお願いします」


 晴れやかな顔の二人。イリアとルイファスは互いに視線を合わせると、小さく吹き出した。


「呼び捨てでいいよ。ティナちゃんからさん付けされると、こう……むず痒くなる」

「じゃあ、アタシもティナちゃんって呼ばないでよ。子供扱いされてるみたいに聞こえるんだよね」

「カミエルさんも、私のことは名前で呼んでもらって構いませんし、様付けもしなくていいですよ」

「え、ですが……! ……分かりました、それなら……イリアさん、と。それと、私に敬語は必要ありません。何だか、恐縮してしまいます」

「さて、挨拶はこの辺にして、次の目的地に向けて出発しよ!」


 逸る気持ちをそのままに、張り切って拳を上げるティナ。後ろが急に動いたことで少しバランスを崩すも、嬉しそうに笑うイリア。そんなイリアに目を細めるルイファス。ハラハラとした顔で声を上げるカミエル。

 そんな彼等の頭上には、よく澄んだ青い空。それはまるで、彼等の旅立ちを祝うかのように。カミエルとティナが胸に抱く期待を表しているかのように。果てしなく広がっていた。

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