第45話 明かされた正体

 木々の向こうに自然界にはない色を見つけ、聖霊は木を抜くための法術を使おうとしていたのを中断して切れ長の目をさらに細めた。

「誰?」

 問いかけるものの答えはない。ただ、近くにいたメロの若い衆たちは首をすくめる。

「あの銀色のは、帝国の鎧なんじゃあ……何十年か前、帝国兵が人さらいに来たって長老に聞いた。昔からたまに来るらしい」

「なるほどね」

 聖霊の意思に従い、周囲の木に巻きつく蔦や茂みの植物の茎が縄のように伸びて素早く絡み合うと巨大な網を作り、奥の兵士たちを文字通り一網打尽にした。彼らの足もとの草ももすべて聖霊の意のままに動くのでひとたまりもない。

「しっかり捕まえてとっちめましょ……コイツらだけじゃないみたいね」

 別の方向に強力な魔力の集中を感じ、そちらを振り向いた彼女はすぐに駆け出し始めた。

 他方で強い魔力が何度か弾けたようなものをヒューも感知していた。その頃には血相を変えた妹が呼びに来て、レジーナとともに疲れた脚を無理矢理動かして駆け出す。

 途中、オーロラと合流する。

「血の臭いがする」

 彼女はララの案内を受けるまでもなく、臭いを辿り木々の間を目的地へ進む。

 やがて、突然前方が開けた。

 まず視界に飛び込んでくる、木の根もとの血溜まりに倒れているソルと、それを魔法で治療している金縁眼鏡の姿。

 その向こうには、黒髪の帝国将校らしい青年。

「ソロモン先生! ソルさまは」

 反射的に駆けつける。意識なく身を丸めて倒れているソルの脇に、千切れた護符が落ちていた。

「バサールさんの護符がなければ即死に近かったかもしれませんが、どうにか治療します……できれば、もう少しだけ後で来てくれると良かったのですが」

 付け加えられたことばの意味は、ヒューにはわからなかった。

 尋ねる前にガサガサと重なる葉音に気を取られる。舌打ちして去っていく一瞬見えた相手は、顔の半分を血に染めて大きな筋肉質の肩の部分に握り拳大の風穴を空けた青年の姿。

「ソロモン、あんたやっぱり……」

 聖霊の怪しむような視線とことばで少年も思い至る。誰があの帝国将校を撃退できたか。少なくとも、異形の腕の肩に空いた傷は刀傷ではない。

 ソロモンは苦笑する。

「まあ、いつかはわかることだったかもしれませんね……とりあえず、病院に戻ってからお話ししましょう」

 動かせる程度まで治療を終えると、昨晩も寝室代わりに使っていた病室へと戻る。病院内はもともと入院中だった患者や医療関係者が残っているくらいで、人の気配も少なく静まり返っていた。

「まあ、大体予想がついている方もいらっしゃるようですけれど」

 靴も帽子も脱がないままベッドの上に横たえられたソルに治療魔法を使いながら、ソロモンは背中に突き刺さる視線に薄く苦笑いを浮かべていた。そして、事務的な口調で告げる。

「はい、わたしはただの人間の医者ではありません。この世界の者でもありません。ソルさまと同じ世界から来た魔族です」

 何ヶ月か前のこと。

 ソルは丸一日の間行方不明になりいつの間にか戻ってきたが、いなくなっていた間のことは覚えていなかった。それから数日もどこか心ここに在らずの様子なので、ソロモンは彼の上司に調査を命じられる。

 その結果、十数年前にも似たようなことがあったと判明する。洞窟の泉に棲む竜に水中に引きずり込まれて戻っては来たものの、その間の記憶を失っていたという。

 そして泉の中と最近行方不明になった間のソルの魔力の痕跡を追うと、どちらもとある世界への壁が薄くなった地点を通ったことがわかる。

「それがこの世界? じゃ、あんたは自分でここへ来たの?」

「お借りした強力な魔法石を使って、手のかかる儀式をしてですが……でも、あまり簡単ではありませんよ」

 世界を渡る方法があるのなら、オーロラもソルもそれを使い帰還できる。しかし、好きな世界へ渡れるというものではないらしかった。

 ソロモンは魔力の強まる満月の夜に、強力な転移の魔法を使えばこの世界の特定の場所、小さな島の古代神殿に渡れると知り、調査に訪れた。後から再びソルが召喚されたのは偶然だ。

「再び召喚されたと知ったときは驚きました。調査の目的は果たせましたが。ですので正直に言いますと、今はソルさまさえ無事なら、ほかはわたしにはどうでもいいことです」

 はあ、とヒューはあまり実感の湧かない返事をする。

 しかし、医者が魔族なら今までの言動に納得する点もある。それに、思い出されるのはやはりクラリスのことば。ソロモンはソルを探していたのでは――それなりに長くソロモンと接してた少女には、なにか察する部分があったのだろう。

「でもそれならどうしてソルさまは気がつかないのかしら?」

 同じ世界の同じ種族、同じ組織に属しているというのに、なぜ。レジーナは当然の疑問を口にした。

「ああ……ソルさまはわたしの個を認識していませんので。あっちの世界ではわたしは仮面に制服ですし」

 仮面に制服、で皆も納得する。ソルの前で素顔をさらしたのはこの世界に来てからが初めてなのだろう。

「ソルさまから見たわたしは、近所に住む義理の親の部下でたまに手伝ってくれるものの顔も名前もわからない相手、みたいな感じでしょうか」

「そんな近くはないわね……」

「それも、こうしてこの世界に来る前のことです。今の状況を知られたら、同僚には嫉妬でボコボコにされそうな気がしますが……」

 本来は顔や名前は晒さない立場らしい。自由気ままに接しているように見えていたが、ソルとソロモンの間にもかなり地位の差があるようだ。

「ん……」

 治療が続けられている中で、ソルが小さく頭を動かしまぶたを持ち上げる。

「大丈夫ですか、ソルさま」

「うん……背中が痛い」

 目をしばたき意識がはっきりすると、即座に覗き込む医師にそう応じて、仰向けから横向きに身をずらす。

「骨や内臓を優先しましたので背中の傷はまだ止血だけですからね。痛み止めを飲んでください」

 すでに用意してあった薬と水をソロモンが手を貸して飲ませる。効果はすぐに表われるわけではないが、顔をしかめながらも魔族の剣士は周りの顔ぶれを見回した。

「みんな無事か。よくあの帝国の将軍を撃退できたな」

「それは……」

 どう続けるべきか迷い、ヒューはソロモンを見る。

 ――まさか、このままソルさまだけに話さないなんてことはないだろうし……。

 その視線の意図を汲み取ったのかどうかは不明だが、医師の姿をした魔族は自分から話を切り出した。

「ソルさま。すでに予想はついていたかもしれませんが……実はわたし、あなたと同じ魔族なんです」

 それをソルは一拍の間真剣なまなざしで受け止めていたが、

「なにを今頃言ってるんだ……冗談にしても、もっと洒落の利いたことを言え」

 と、苦笑する。

 ソロモンは、はっとしたように眼鏡の奥の目を見開く。相手のこの反応はまったく予想外のだったらしい。

「いやその、これは冗談ではなくてですね」

「どうせいつもの、口説き文句のような冗談だろう。わたしに近づいたところでなにも出ないぞ」

 ヒューは幼い頃に聞いた、『ガーゴイル少年』という古くから伝わる物語を思い出していた。ガーゴイルが夜な夜な羊を襲うと嘘ばかりついていた少年は、最後に本当のことを言っても信じてもらえなくなってしまう。

 しかし、これでは話が進まない。

「信じられないのはわかりますが、ソロモン先生は一人であの将軍を追い払ったんです」

 少年が助け舟を出すが、相手は特に驚くでもない。

「そりゃあ、ソロモンならそれくらいしてもおかしくはないな」

 どうやら彼は、ソロモンをソロモンという種類の生き物だと分類しているらしい。

 周りの一同は顔を見合わせる。まさか、ソルだけがソロモンの正体を把握しないままに終わるのだろうか。

「べつに、わからないままでも不都合ないかもしれないけど」

「どうすんの、この状況……」

 背後のことばを受けながら、白衣姿は息を吐く。

「魔界ではわたしの個は表わされませんでしたが……それでもいくつか、ソルさまと共通の出来事はあります。そうですね、かなり大昔ですが」

 少し考え、語り始める。

「かなりご高齢の賢者のかたが病気で一週間ほど塔の自室にこもっていたことがあるんですけれど。ソルさまはよく図書館でお会いしていて親しかったので、あのかたの好きな花を採りに雨の中の森に入って」

「あーっ!」

 唐突にソルが声を上げると身を起こし、ソロモンのことばを遮るように手を伸ばす。

「わかった、誰なのかわかった。わかったからもう言うな」

 と、必死に口を塞ごうとする。

「なに、恥ずかしい過去なの? 教えなさいよ」

「駄目だ、言うな」

 聖霊がソロモンに要求するのをソルは拒絶し、両手で白衣姿の口を塞ぐ。それが強過ぎて呼吸を止められ相手は咳き込みだす。

「ソルさま、意外に元気そうね……」

 心の中で幼馴染みに同意しつつ、少年は内心でほっと安堵した。


 捕らえた兵士らをオーロラが植物によるくすぐり地獄で尋問したところ、彼らはあっさりと口を割る。どうやら、帝国は〈果て〉とその道中の現状を知りたいようだ。メロの者たちが最果ての町と筆談で交流していることも把握しており、その内容も知りたいらしい。

 メロの町の人々によると、まだ人口や町の簡単な様子しか情報はないようだが。

「それでも誰もさらわれなくてよかった」

「本当に、あなたたちには世話になったね」

 人々は出発のときになると口々に感謝を言い、この辺りで採れる果物や鳥の燻製など、なけなしの食料を渡してくれる。一方、ソロモンが回収していた薬草の多くは彼が使い方を教えて病院に渡していた。

 帝国兵らはしばらく病院で預かることになるが、帰りに回収できるならしようと約束する。

「駄目そうなら、いつでも戻って来なよ」

「若いんだから命は大事にな」

「ええ、みなさんも元気で」

 動き出す馬車を、人々はいつまでも手を振って見送っていた。それへやはり見えなくなるまでララも手を振り返す。

 湖の集落を出てしばらくは丘の上の草原を進む。最初は木々も多く生えていて馬車の幅より広い行先を選ばなければなかったが次第にまばらになり、下り坂に入ると岩が視界に増え、坂の下の荒野が見えた。そのさらに向こうは景色が歪み揺れている。

「どんどん暑くなっていくわね。ヒュー、帽子だけじゃ肌が焼けそうよ」

 レジーナが御者台に厚手の布を渡す。まだソロモンがソルを治療しているため、ヒューが手綱を握っていた。

 ドラクースはどこへ進むべきか自分の判断で理解しているようで、御者はほとんどただ手綱を握っているだけだ。ヒューはもう、日光の強さのほかに心配することはなかった。

「ああ、日に焼けるのも痛そうだけれど、正直脱ぎたいくらい暑くなるかもしれないね」

 ――もう少し暑くなったら上着を脱ごう。

 荒野を進み始めた頃にはもう、そんなことを考え始めるくらいには気温が高く感じられる。

「全裸じゃなければご自由に。露出すると肌がかゆくなりそうだけど」

「風は、今の時季はマシらしいけどね」

 荒野ですらたまに風にのって乾いた砂埃が吹きつける。その上封じられていた旅行記やメロの図書館にあった手記によると、季節によっては砂漠でたびたび砂嵐が起きるらしい。しかし今はその季節は外れていた。

「この暑さの上に砂嵐は勘弁願いたいわ」

 聖霊は長い髪を一本に束ねていた。彼女の涼しげな格好でも厚さを強く感じているらしい。

 うなじの汗を一拭きし、その切れ長の目は向かい側をあきれたように見る。

 そこにいるのは治療魔法を使う白衣姿に、その胸に寄り掛かるようにしながら本を開いているソルととなりで一緒に覗くララ。

「あんたたち……見てるだけで暑苦しいわ」

 彼女のことばとは裏腹に、すっかり着込んだままの三人とも汗ひとつかいていない。

「全然、涼しいよ」

「わたしの周りには冷気の幕を張っていますからね。今だけはモテモテです」

「今だけって自覚あるのね……どおりで、ララまでついてると思った」

「うん、でもララは涼しいとこより、この本についてるんだよ」

 幼い少女は笑い、開かれているページの一文を指さす。それをソルが読み上げた。

「砂漠の下には数々の遺跡が埋もれているとされている。かつては外界の高山からピラミッドらしき巨大構造物が見えていたが、数百年前に埋もれてしまったらしい」

 それは実にソルとララが好きそうな内容だった。

「なるほど……でも、遺跡を探している余裕なんてないからね?」

「わかっている。残念だが、早く抜けてしまわないとな。その前に、わたしは動けないが」

 薬で痛みは抑えられ目と手と口は元気そうだが、まだ治療は続いている。本来なら命を落としてもおかしくないくらいの重傷だ。

「きっとね、ララがいつかまたここのへんに来て遺跡を見つけるよ。そして砂漠に昔どういう町があったかとか、全部調べるの」

 幼い少女の目は未来の夢に輝いている。この馬車上の顔ぶれの中で最も若い彼女が一番、明確に将来を思い描いている。

「そうだな。ララならきっと実現できるだろう」

 黒衣の魔族が笑うと、少女は自信をつけたように胸を張った。

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