第41話 異境への一歩

 とある町に母娘が住んでいた。隣国からの移民である二人は貧しいながら穏やかに暮らしていた。

 二人は薬草を摘みに行った野原で幼い少年を拾う。行き倒れになっていた少年はその辺りでは〈流浪の民〉と呼ばれる者の一人らしいが身寄りもなく、人買いから逃げてきたらしい。少年は母娘と一緒に暮らすことになった。

 少年は感謝し、努力して十年後には上級魔術師、やがて宮廷魔術師にまで昇りつめた。そして次々と功績をあげる。

 だがある日、隣国の侵略を撃退した後に、隣国出身者に内通者がいると噂が流れる。それを心配し母娘の待つはずの家に帰った魔術師が見たのは、隣国出身者として処刑され通りで晒し首にされた母娘だった。

 魔術師は宮廷に戻ると王族と歯向かう者を虐殺し、血塗られた支配者となった。人々はある者は逃げ、ある者は保身のために媚びへつらい、多くの者は流行した奇病で死に、町は百年かけて滅んでいく。

 それを見届け、魔術師は自ら作った棺に横たわった。そこで眠ると精神が魔力へと変換され二度と目覚めない、という棺に。

 生きた者がなくなり見捨てられたような町は奇妙な植物たちに囚われ、その近くを通る旅人などは、『あれは魔術師の呪いだ』と噂し合った。

「それはまた、想像力豊かな……」

 ペルメールへ帰る平原の道中、魔族が語った今朝の夢の話を聞いた少年は少し感心したように言う。

 ただ、想像であれそうでないものであれ、〈流浪の民〉が〈赤い爪の民〉なのではないか、という予想はすぐに頭に浮かんでいた。

 後方で聞いていた医師が腕を組み、ふむ、と納得したような声を上げる。

「あの場……冥府はここよりも異世界に近いというが、世界の壁が薄そうにも感じられましたからね。異世界出身者にはなにか通じるものがあったのかもしれません」

「単純に、わたしの願望が見せた夢かもしれないが。もう少し調べてみたかったな、あの宮殿の中とか」

 ソルはまだ残念そうに肩をすくめる。

 木々の向こうの、手が出せない宮殿などの建物たち。冥府で見たその内部に入ることができれば、その地の歴史を知れたかもしれない。落ち着いたらできればもう一度行ってみたいと思うほど、ヒューも好奇心をくすぐられていた。実際には難しいだろうが。

 薄曇りの朝の空の下に、目的地の城壁に囲まれた街並みが近づいてくる。

 宿に馬車を預けたままなので、一行はすぐに戻ってこれたことに安堵した。長期間留守にすると預かり賃もかさんでしまう。

「まだ森の主は来てないのかしら?」

 門番の許可を得て門をくぐりながら辺りをうかがい、聖霊は疑問を口にする。山を出発前の時点で惑いの森へはすでに連絡していた。

 もしすでに到着しているのなら、門の近くなど目につく場所で待っていそうなものだ。

「とりあえず馬車を引き取って……しばらく待って来ないようなら昼食にしましょうか」

「そうね。待ちながら食べればいいし」

 山のふもとの木こりの家で出された食事を思い出せば、保存食でないものを口にしたい気持ちは湧かないでもないが、すでに保存食に慣れきってもいる。ダドリーの用意したものは味もいい。

 できれば早く森に戻り、祖父の作る昼食が食べたかった――と、ヒューが馬車を引き取り通りに出たとき。

「ヒュー、先に来てたみたいよ」

 レジーナが近くの酒場の窓を指さす。

 酒場の窓の向こうでは、赤毛にフードを被った青年が酒をそそいだカップを片手に、もう一方の手で手招きをしていた。


 焼け焦げ崩れ落ちた建造物の残骸の山を、軽装の兵士たちが連携しながら片付けていた。まだ山の下の方には熱がこもり、時折、水をかけて冷めるのを待ってから手をつける。

 その様子を、少し離れて三人の男が監視していた。

「残念ながら、同じものを再現しようと思えばどれだけ急いでも二年はかかるでしょう」

 三人のうち白衣の男が肩を落として説明するのに、ジャリス帝国の紋章が刻まれた銀色の鎧兜の男もうなずく。

「今は周囲の守りの兵力を割いて帝都を防衛しているくらいだからな。これ以上人手も使えないし、再建の話が出るとしてもかなり先だろう。今は市民感情も〈超兵器〉に対して良くはないからな」

 あのような目立つ兵器などがあるから竜の目に留まったのだ――そんな不満が人々の間で言い交されているのは、帝国宮廷内にも届いていた。

 帝国軍は人々の不満や不安を鎮めるため、帝都の護衛を増強して安全を誇示しているところだ。見回りの兵も増やしているため、帝都の外の戦力を一部引き戻して人数をそろえている。

「兵士を増やせば安全なんて、本気で思ってんのかね」

 三人の中で最も若い、黒髪の甲冑姿が鼻を鳴らす。

「雑魚はいくら集まっても雑魚だ。百人の雑魚が二百人になったところで、竜に燃やされる黒焦げ死体が増えるだけだろ」

「そんな身もふたもない……」

 咎めるように言いながらも、もう一人の帝国将校も理解していた。兵士たちどころか、多くの将軍たちも巨大な炎竜の前には役に立たないだろう。

 その目は若い将軍の左腕に向く。

 人間のものとは思われない青白い左腕が青年の肩の先につながっていた。まるで人間の二回りはある筋肉質の巨人から腕を切り取り、無理矢理肩につなぎ合わせたような、不釣り合いな外見だ。

「その腕で竜が倒せるならいいがな」

 そう声をかけると、青年将校は腕の先で拳を握り、口の端を吊り上げる。見る者をぞっとさせるような冷たい笑み。

「近くにさえ来てくれれば仕留めてやるさ。そのためには竜を引き付けるための生贄はいるかもしれねえが」

 彼の目は血に飢えた獣のようにギラつくが、となりの将校の目はそれを頼もしく感じているような明るい色ばかりが浮かんでいるわけではない。強力で得体の知れないものへの恐れ、そしてそのようなものに身体を捧げたことへの侮蔑にも似た光がたたえられていた。

 しかし相手は、細かい感情の機微を気にする男ではない。

「竜の前に、上はうるさい虫を駆除しておくのをお望みらしいけどな」

 『侵入者たちを捜索せよ』――

 その命は秘かに一部の将校たちに下されていた。侵入者の中に人物たちがすでに石柱の林にいないであろうと推測され、レジスタンスらの仲間という説が有力になっている。

 レジスタンスの拠点は破壊された。それは遠方からは確認されているが、拠点の詳しい状態はまだ確認できずにいた。第一陣は少なくとも、生存者の気配はなかったと伝えていたが。

「どのような強敵かもわからない。貴公のその力に期待しよう」

 将校は心にもないことを言い、口の中で、『神に与えられたというその力に』と誰にも聞こえない声で付け加えた。


 傾きかけた陽の光が木々とその間を橙に染めつつあった。

 西日の中に濃淡が生まれる。少年の手のひらの間に揺らめく炎の塊は音もなく、時折火の粉を飛ばした。

 その状態をしばらく維持すると、そばで金髪の聖霊が動く。

「これくらいできれば上出来でしょう。だいぶ慣れてきたわね」

「ありがとうございます」

 認められたことが嬉しいのもあるが、ヒューは自分でも法術を使いこなしつつあることを認識していた。まだ扱えるものは限られてはいるが。

 炎を消して視線をずらすと、妹が大量の木の葉を舞い上げて雪のように降らせる中で小妖精たちと踊っていた。とても兄には手に負えないほどの枚数だ。

 ヒューは見なかったことにして視線を戻す。

「そろそろ温泉の時間だから、早めに夕食をとりたいわね。先に戻るわよ」

 軽く手を振り、オーロラは木々の間に消えていく。ダドリーの店では昼食以降、レジーナが手伝いをしているはずだ。

 夕食の時間にはまだ早い。できればそれまでに剣術も見てほしいところだ、とヒューは立ち上がるが、見る前にすでにわかっていた。魔族の剣士は幹の太い木の根もとで身を丸めて眠っている。

「一度妖精の魔法薬をもらって飲んでからは、ずっと寝ていますよ」

 薬草の補充のためにしばらく離れていたソロモンがいつの間にか戻っており、医療鞄の中を整理していた。

「まあ、温泉の時間もあるでしょうし起こしますか。たぶん、剣術の訓練には付き合えないと思いますが」

「仕方ないですね。寝て回復しているんじゃないか、ってオズマさんもおっしゃっておられましたし」

 気持ち良さそうに眠っている魔族を申し訳なさそうな手つきで医師が揺り起こす。まぶたを持ち上げるとソルは眩し気に目を細めて西日から顔を背け、身を起こしてあくびをする。

「まだ寝足りない気がするが、もうこんな時間か」

「眠いのはわかりますが、食事と入浴は済ませてからゆっくりベッドで寝てください。今度出発したら、しばらくはありつけないかもしれません」

「北の果てへ行く道中にも町がいくつかあるだろう……まあ、さっさと食事を終えて星を見ながら温泉入浴にでもするか」

 ヒューは少しだけ、ソルが温泉で眠らないか心配した。しかし入浴時間が区切られているため、その場合も次の入浴時間帯の者が気がつくだろう。

「保存食でも食べれはしますが、作り立ての祖父の料理を食べる機会もしばらくはないでしょうし、いつもより多く食べるとしましょう」

 少年が目を向けると、妹も機会を狙っていた様子で駆けつけてくる。

「今夜ね、ララの好きなおやつをたくさん作ってくれるようにお祖父ちゃんに頼んでおいたの。お兄ちゃんやみんなにも分けてあげるね!」

「それはなんと、楽しみですね」

 医師が笑うとララは気をよくしたように、軽い足取りで祖父の店までの道のりを先導する。

 夕日の中のこの光景を、明日危険な場所へ旅立つと思えないようなのどかさだと、ヒューは内心思っていた。

 馬車に積んだ食料はより新鮮なものに入れ替えられ、馬車自体も点検されて壊れかけた部分などがあれば修理された。森の住民たちの協力により着々と準備も進んでいる。

 その協力に報いるためにも、生きて帰ってきて皆の役に立ちたいものだ――と彼は思う。いつまでも手伝ってもらう側、子ども気分ではいられない。

 祖父の店の前、テーブルと椅子の並ぶ広場には森の住民の姿が多かったが、ほとんどは談笑している者たちで、まだ夕食を始めている者は少ない。

 先に来ていたオーロラと手伝いをしているレジーナとも合流し、一行は夕食をとった。馬車に残っていた食料も有効活用したシチューや果物のタルト、レジーナが焼いたミートパイにピクルスとヨーグルトを使ったサラダ、木の実のクッキーなど。

「自画自賛だけど美味しいわ。もうパイの作り方はわかったから、材料さえあればシチューパイもミートパイも作れるわよ」

「なら、小麦粉も持ち歩きたいわね」

 調味料はいくらか持ち歩いているが、小麦粉は馬車の荷物にも少ししかない。せいぜい何度かシチューなどに使う程度だ。

 時間があればパンやパイを作ることもできるかもしれないが、そんな機会などあるのかは疑問だった。

「まあ、食料は充分用意してくださっていますよ。念のために小麦粉は持っていてもいいかもしれませんが」

「シチューパイとミートパイも沢山作っておいたぞ」

 調理の間に、店主が出入り口から顔を覗かせる。

「温め方はレジーナに教えておいたし、必要なことは書いて渡していた。食事のことは今度からレジーナにきくといい」

「ええ、なんでもきいてね」

 と笑う少女のエプロン姿は、これまでより堂に入っているように見えた。

 いつもより沢山、と言った手前、ヒューは残さないように料理を平らげた。大量の菓子は周囲の者にも配って食べてもらえるが、それを除いてもさすがに腹は大きく膨れ動くのが厳しく感じるほど。

 様子を察してか、祖父が食後のハーブティーを入れてくれる。

 茶をすすりながらのんびりしている間に夕日はほぼ山に沈みかけ、空の色は夜を迎え始めている。一番星を見つけよう、とララが目を輝かせたとき、翼のある影が空を横切る。

 影は間もなく近くに舞い降りた。すでに見慣れた白髪に白髭の大魔術師がすぐに店のそばのテーブルに座る一行を見つける。

「充分に栄養はとれたらしいな。あとはよく寝て、朝もよく食べていくことだ」

「あたし、今夜、森の主と一緒に飲む約束があるんだけど、べつに馬車を操るわけじゃないからいいわよね」

 聖霊が言うと、バサールはあきれた様子で肩をすくめた。

「あやつ、余計なことを……まあ、帝国は帝都を守るために北の砦からも兵力を割いているようだから、果てに向かう入口も手薄にはなっているようだけどな」

 それは朗報だった。多少の兵士など、強行突破できるどころか炎竜の姿を見たところで戦意を失うだろう。

「レジスタンスはしばらくイルニダを拠点にするようだな。そこを本拠地とするか、別の場所へ造り直すのかはまだ決まっていないようだが」

 イルニダに本拠地ができれば、否が応にも湖の対岸のゴスティアにも影響が出るだろう。それはゴスティアの人々も拒絶する可能性がある。

 ゴスティアと言えば、と、バサールはエルリーズ博士を思い出した様子で一時預かっていた通信用魔法具を渡す。それは古代機械の資料を参考に出力を強化できたというが、果てまで通じるかどうかはわからないという。

「なにしろ結界が張られているらしいからな。それがなければ竜の力でも飛んでいけるだろうが」

「北へ進みながらどこまで通じるか実験してみましょう」

 途中まででも、声のやり取りだけでもできれば心強い。

 明日からの旅の大部分は孤独を感じるものになるかもしれないが、ヒューはそれより、今は未知の旅路への好奇心が勝っていた。それに、一人旅をするわけでもない。仲間がいることを思えば、本当の孤独など感じられなかった。

 ――翌朝、多くの森の住民たちに見送られ、開けた平原で馬車ごと炎竜に持ち上げられ、一行は旅立った。

『帝国を刺激したくない。少し遠回りで飛ぶぞ』

 そう声をかけ、竜は高く、石柱の森の西の端上空を飛んでジャリス帝国北の関所近くまで、弧を描くように移動し降り立つ。

 地上に降りる途中から、土色の二階建ての砦が城壁と門の向こうに見えている。

 もののついでと、炎竜は門の木の扉を炎の息で吹き飛ばした。

「ありがとうございます」

『ああ、気をつけてな。しばらく砦を見ておいてから帰るとしよう』

 馬車が動き出しても、門のあった場所を抜けても砦から兵士が出てくるような気配もない。竜の目にすくみ上っているのか。

「砦に人間の気配はある。出るに出られないんだろうな」

 ドラクースの手綱はソロモンが取り、ソルは後方で警戒していた。

 砦の小窓からいつ矢が飛び出してくるかとヒューも緊張しながらそちらを凝視していたが、攻撃の気配はない。そんなことをすれば炎の息が浴びせられると理解しているのだろう。

 遮るものなく馬車は砦の近くを抜け、高い山に囲まれた黄土色の大地を進む。やがて炎竜が背後の空へ飛び去り、行く手に白くぼやけた稜線が見えてくる。

「いよいよね」

 前方を睨むレジーナの声に、かすかに緊張がにじんでいた。

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