第31話 天翔けるもの
マストの中頃の高さから吊るされた金属の板は、波による船の揺れだけでなく、横から吹きつける潮風によっても大きく振れ、同じ場所に静止していることなど一瞬たりともないくらいだった。
それでも、鋭い目は逃さず鉄板の中心点を捉えている。その手にかまえた小型クロスボウガンにつがえた矢の先も。
風と波、船のきしむ音、周りの見物人の気配など、とても集中できそうな状況ではないが、もともと、どのような状況でも当てられるように、という目的もあるのだろう。少女は周りを意に介さず木製のトリガーを引く。
鉄板の揺れの速さや方向をしっかり計算した一撃は、的確に鉄板の中心近くに当たり的の揺れを前後に変える。
「おお――」
『凄え』『なんて命中力だ』などと、周囲から小さくどよめきが起こる。七人の乗員もほとんどが少女の訓練の様子を見守っていた。
「いやあ、見事なものです。ここまでの腕前のかたは他にはなかなかいないのでは」
聖霊とともに船べりに背中を預けて見ていた医師が賛辞と拍手を送る。
しかし、揺れる的をじっと凝視していた少女の表情は緩まない。
「いえ、少しだけ中心点を右にずれたわ。まだまだ練習が必要ね」
緊張を断つことなく、次の矢をつがえる少女。
ソロモンとオーロラは顔を見合わせる。
「ずれたって……見ててわかりました?」
「いえ、中心に当たったようにしか見えなかったけど」
人外の多い顔ぶれだが、常識人然としたレジーナにも、人並外れた部分があるらしい。それはひとえに努力の賜物として現われたものだ。
彼女に負けまいと、幼馴染みも離れたところで技を磨く。不安定な場所でも扱う可能性がある、震動が原因で攻撃が逸れることがあるというのは、射撃だけに限らない。
しかし、強い波が打ちつけ船が大きく揺れると、攻撃するどころでもない。攻撃を避けるのも苦労するだろうが、それ以前に立っているのさえもやっとだ。
「うおっと!」
揺れに足をとられかけ、ようやく足を踏ん張り落ち着いたところで、少年は首筋に柔らかいものが触れるのを感じる。ソルが模擬刀の代わりにしている、布を巻き付けた棒だ。
「隙だらけだな」
「そんなことを言ったっ……て!」
捕まえようと伸ばした手は空を切る。船は不規則に揺れ続けているが、魔族はそれをまったく障害とせず、軽業師のように木箱に跳びのり、さらに左手一本で船室の屋根に当たる上の段へと跳び移る。
「なんでソルさまは普通に動けるんですか」
まるで羽根でもついているかのような身軽さに、少年は思わず羨むような目を向けた。
段の端になんの苦も無く立ったまま、黒衣の姿は笑う。
「ヒューもまだまだ足腰ができてないな。どうしても安定しない場所なら、魔法を補助として使うという手もあるが」
「魔法……なるほど」
言われてみれば思いつくことは色々ある。風や土、氷を自在に操ったりできるのなら、それらを体勢の安定に利用できるだろう。
見たところ、ソルは魔法は利用していないが。
「これはこれは、どうやら凄い護衛を雇っていたようで……魔法も使えるとは」
驚きながら眺めていたラティオが拍手をしながら感嘆する。
「できるだけ長く一緒に旅ができればいいのですが。まあニールセンドが駄目でも、ペルメールへ行ければそこそこの腕の者はいるでしょうけど。雇えるかはわかりませんが……」
「確か、傭兵を沢山集めてるんでしたね、ペルメールは」
「その上、先日すでに一度、帝国軍の襲撃を撃退しておりますからね。傭兵たちの中にも戦果を挙げ名をはせた者もいますし、さらに腕のある者も集まってきているそうですよ」
初耳の情報に、ヒューとソルは目を見開く。
「それは聞いたことがなかったな。傭兵たちの部隊でも上手く立ち回れば帝国軍に対抗できるというのは朗報か」
「そうですね……今回のは様子見程度の軍隊だ、という説もあるようですが士気は上がってますし、周辺の国や町からの強い期待もあるのは確かみたいです。力を合わせれば対抗できるのでは、という希望ですね」
帝国の侵攻を止められるのなら、ハッシュカルのように滅ぼされる街もなくなるかもしれない。あるいはそれ以上のことも――帝国に革命を起こし、その在り方を変えることすら。
他力本願に気は引けるものの、ヒューはつい期待せずにいられない。
「まあ……それで、帝国に刺客を送る余裕がなくなればいい」
と、魔族はぼやく。
帝国からの刺客に狙われる彼にとっては心からのことばだろう。
この船に乗る際も、積むのを手伝う名目で積み荷に不審なものはないかあらため、乗員が全員、少なくとも五年前からの顔見知りや身内同士のゴルバン出身者だと確かめ、やっと安心して過ごせると判明したのだ。いざ襲撃されても対処できるとはいえ、常に気が休まる方が良いには違いない。
「帝国軍も反撃への対応で忙しくなれば、少しはこちらを気にする余力を失うかもしれないですね」
そのためにも、傭兵隊には頑張ってもらわねば――と、内心苦笑しながら、少年ははっきり他力本願な望みをかけていた。
港に新たな船を迎え入れたエスティナの町の上空には、灰色の雲が重そうにのしかかっていた。
エスティナは港町のためかどことなくノヴルに似た雰囲気があるものの、ノヴルよりずっと小さく、港の大きさと不釣り合いなくらいだ。しかし石畳も建物も新しいものが多く清潔そうである。
「人口は少ないでしょうが発展途上の町でしょうね。しかし店も少なそうですが……買い物していきますか?」
森から持ち出した食料はとうに尽き、手持ちも充分ではない。医師の提案にヒューは少し迷う。
「ここから先は自然が多いだろうし、食用の野草や魚なども採れると思うけどな。二、三日かかりそうだから、多少はあった方がいいかもしれない」
ソルのことばを受け、ヒューは一抱えほどの安いパンと干し肉、チーズの塊とクッキーを買う。ララの姿を見ると、食料品店の店主は安くしてくれた。
雨が降り出さないように祈りながら、一行は海岸沿いの道を馬車で西に向かい出発した。
エスティナの北西にはエルレンがあり、さらに北にシルベーニュや惑いの森がある。ニールセンドを経由するとかなり遠回りになるが仕方がない。
どうせ数日は馬車に乗っているしかないんだ、のんびり過ごそう――と一行はある意味達観していた。最初の頃は腰を痛めることの多かった馬車の揺れにもすっかり慣れ、毛布や敷物を厚く重ねて対策し、痛くならないうちに筋肉をほぐす。このラティオの馬車は造りも最先端のもので、今までの馬車より震動は伝わらないようになってはいるが。
馬車が移動する間も、護衛は交代で周囲を見張る。自分の番を終えて昼寝の体勢に入りかけたソルが、不意に身を起こす。
「ん……?」
声を洩らし手をやったのは腰のポーチだ。そこから握り拳大の水晶玉を取り出す。
それは旅立つときにバサールに渡された通信用魔法具だった。魔力を当てるともう一対の水晶玉に周囲の音や映像が伝わり連絡を取り合うことができるというもので、ソルは一度、船上でそれを使い成り行きをバサールに伝えていた。
「なにか連絡かしら?」
ソルが水晶玉を掲げるのを中心に、ほかの皆も集まってくる。
水を固めたように透明だった水晶玉がその中心から白く淡い光に染まったかと見えると、霧が晴れたように見慣れた姿が映し出される。
『ずいぶん暗いな。馬車か……ということは、無事に大陸に戻っては来たようだな』
バサールの声はややこもったように響くが、聞き取れないほどではない。
「エスティナからニールセンドに向かう道中だ。まだそちらに戻るには時間がかかるな」
『その件だが、帝国も反帝国組織に対抗して動きが活発になる可能性もあることだし、帝国の刺客に狙われているところをあまり長く移動に時間をかけるのは危険だからな。ひとつ、手を打っておいた。ニールセンドで馬車を返却されたら、郊外の開けたところでその水晶玉を空に掲げるといい』
と、彼は水晶玉の中心あたりを指さす。
「目印ですか? それを標的に、瞬間移動魔法のようなものを使うとか」
ヒューはアガスティアの大図書館でさまざまな珍しい魔法について掲載された事典も目にしていた。時間を渡る魔法が存在するのなら、当然、空間を渡る魔法も存在していた。
『なにがどうなるかは、まあそのときまでのお楽しみに取っておこう』
老魔術師は少年のことばに直接は答えず、かすかにその目にいたずらを楽しむような色を浮かべる。
『まずは、無事にニールセンドに着くことだ。気をつけてな』
短い挨拶を最後に通信は途切れ、水晶玉はもとの、向こう側の景色を透過するだけの綺麗な石の球体に戻る。
沿岸の見晴らしの良い道は心配されるまでもなく、大きな危険にさらされず馬車を導いた。時折、旅行者や旅の商隊などとすれ違い、野生の獣を追い払うといった事態が起き、退屈な時間は長くはない。
立ち寄った小さな漁村で多少の買い物はしたものの、食料に困ることもない。少し砂浜へ出て歩くと貝が落ちていたり、釣りで魚を手にすることもでき、食用の野草もソロモンの見立てで必要なだけ採集できた。
ニールセンドが近づく頃、馬車の幌の上部の縁からはソルが釣った魚三匹が身を開かれ吊るされていた。
川を渡り、帝国に滅ぼされた街を横目にしながらの道中になったときにはさすがに馬車にも緊張が走ったものの、帝国兵の気配のないままで目的地の町の門を前にする。
門をくぐる前にラティオは馬車を止めた。
「終点です。名残惜しいですが、お別れですね」
馬車は積み荷も調べられ、門をくぐるのに時間がかかる。ここで別れるのはそのための配慮だろう。
「なんだか、同行させてもらっただけになっちゃいましたが……」
「いえ、ヒューさん、そんなことはないですよ。皆さんの実力は日々の訓練を見ているだけでもわかりました。もし襲撃しようという野盗がいても、それを見れば引き返したでしょうし。ありがとうございました」
報酬は交通費なので収入にはならないが船代だけでも莫大な金額になっているはずなので、少年は返って萎縮してしまう。
「助かったわ。ありがとうね」
「またどこかでお会いして同行できるときは、お願いします」
任を解かれた護衛たちは馬車を降り、最後はお決まりの『気をつけて』を言い合ってラティオと別れた。
門をくぐると広がるニールセンドの街並み自体は最後に見たときと変わっていない。そのことに少し安堵しながら孤児院に向かう。孤児院の建物も変わりなくそこにあり、離れたところにそびえる灯台も見えた。
「おかえり。あなたたち、よく無事で」
メイベルは水を汲んできたところらしく、袖をめくりあげた両手に桶を持ち上げたまま立ち止まって訪問者たちを迎えた。周囲で遊んでいた子どもたちも見覚えのある姿を目にすると集合し、嬉しそうに笑顔を見せる。
「あ、あの子たち帰ってきたー!」
「お帰りなさい!」
「ねえねえ、旅の話聞かせてね」
子どもたちのうち特に幼い者たちはララに駆け寄る。少女の方も再会できた顔ぶれを明るい笑顔で迎えた。
ここでも長居はできないが、話を聞きたい子どもたちを無視するのも忍びない。
「お茶の一杯くらいは飲んでいきなよ、すぐ用意するから」
メイベルも気を回したのか、迷う六人にそう提案したのだった。
「帝国軍が南の大陸にもねえ」
この辺りの郊外でもよく見かける薬草を煮出した、ほんのり甘いハーブティーが全員のカップにそそがれると、メイベルはヒューたちの話を聞く。一方、ララは離れたところで孤児院の子どもたちに冒険譚を披露していた。
「痛手を受けて少しは勢いが弱くなるかと思ったけど、すでに南の大陸にまで手を伸ばしているってことは、今は一時しのぎに過ぎないかもしれないね」
「痛手、というとペルメールで帝国軍を撃退した、という話か?」
カップの中の香りを味わうようにそれを傾けて液体を回しながら、ソルが尋ねる。
ペルメールが傭兵たちを集め帝国軍を撃退したというのは、つい数日前にラティオから聞いた通りの話だ。
「そうだよ。その少し前にこの付近に帝国軍の偵察が来ていたけれど、ペルメールを襲撃した部隊と一緒に連中も撤退したみたいだね」
茶を一口含み、彼女は続ける。
「それで、戦力を整えれば帝国にも対抗可能じゃないかって周辺の町や都市ものり気になってね。ボラキア共和国の北の方に拠点を作って戦力を結集しようとしているようだ。水面下で活動していた反帝国組織の者も先導している指導者たちの中にいるとかね」
ボラキア共和国に、反帝国組織。
ヒューたちの脳裏に思い出させられるのはやはり、ノヴル近郊にアジトをかまえる海賊たちだ。彼らはボラキア共和国とつながっていた。他にも同じように、秘かに帝国に対抗しようとしている者たちを支援していた国や町も存在していただろう。
その秘かな裏側の動きが、ペルメールの勝利を目や耳にしたことで一気に表に出てきたというのが現状のようだ。
このまま力を蓄えれば帝国軍に対抗できるかもしれない、恐れるべき敵も力を合わせれば勝てるのかもしれない――人々は希望を抱き正面から迎え撃つつもりでいるらしいが、そう上手くいくだろうか、とヒューは疑問だった。
ラティオに話を聞いたときのように、他力本願ながらそうなってほしいという思いはある。それでも心のどこかで信じきれない理由のひとつはやはり、アガスティアの大図書館で聞いたこと。
「超兵器……っていうそれが聞いた通りなら、そして完成したら、いくら力を合わせたところで一網打尽かもね」
あっさりとして口調だが、メイベルのことば通りの事態が起きることが最大の心配だった。帝国が超兵器を入手したら、もう対抗できる者はいないかもしれない。
「そうなんだ、凄いねー!」
子どもたちからの歓声と笑い声に、ヒューは我に返る。
帝国をどうするかまで自分が悩む必要はない。結局他力本願で後ろめたい気はしながらも、それ以上背負ういわれもない。
少年の内心に気がつくことなく、個々の住人の女は思い出したように口を開く。
「そういえば、反撃の拠点は北に移ったけれどペルメールでも人材の募集を続けていて、腕の立つ者を見つけるために色々と催しがあるみたいだよ。剣術大会とか。上位入賞者には賞金も出るみたい」
「賞金?」
聖霊が目の色を変える。そしてその目は、魔族と銀髪の少年の上へ。
「わたしは出る気はないぞ。もう船賃を稼ぐ必要もないだろう」
「僕は剣術大会なんて、とてもとても」
無駄に怪我をする可能性もあり、ヒューとしては恥をかくだけにしか思えなかった。ソルの方も、普通に旅費が必要なだけならまた大道芸でもすれば良いだけで、賞金を欲しがる理由はない。
「欲のない……槍術大会があれば出たいくらいだけどねえ。剣術だけじゃなくて、弓や射撃の大会もあるみたいだけどね。射撃は参加人数を集めるのに苦労しているみたい」
と、メイベルはボウガンを装着した少女に視線をやる。
レジーナの方は、剣の使い手たちとは違う反応をした。
「射撃の大会は、直接相手と撃ち合う、というわけじゃないんでしょ?」
「そうね、的を撃って点数で対決する感じみたい」
「怪我をすることもないだろうし、自分の力を試してみたい気はするわね」
と、彼女は毎日欠かさず整備と訓練を行っているボウガンを軽く叩く。
メイベル、とそれ以上に聖霊は目を輝かせた。
「きっとあなたならいいとこ行くわ。賞金が出たら一杯くらい奢ってね」
「そうね、優勝も狙えるんじゃないかしら。来月の二度目の海神の日にやるみたいで、受付も当日朝までって聞いたね」
「だいぶ先ね。それまでにもっと練習して精度を上げておかないとね」
普段の訓練を見ている限り、あれ以上に精度を上げられる余地はあるのだろうか――と周りは誰もが思うが、当の本人にしかわからないこだわりがあるのかもしれない。
長居しては帰りが遅くなりそうだと、カップのハーブティーを飲み切るとすぐに一行は馬車を返してもらうことにした。メイベルが孤児院の建物のひとつ、馬小屋に案内する。
「子どもたちも喜んで世話をしてくれていたよ」
彼女のことばで説明されるまでもなく、馬たちは来たときよりも毛並み良くつやがあり、毎日良く手入れされている様子だった。
「ちょっと寂しくなるなあ」
柵から手を伸ばし、別れを惜しむように馬の顔を撫でていた少年がこぼす。馬もその少年に良く懐いているようだ。
「元気そうだ。世話をしてくれてありがとうな」
ここの生活に馴染みつつあっても、馬たちはヒューたちを忘れたわけではないらしい。ソルが少年に礼を言いながら軽くたてがみを撫でると、ブルル、と応えるように鼻を鳴らした。
メイベルや子どもたちに見送られ、以前よりも少し活気や人々の表情の明るさが増したようにも見えるニールセンドの町を出て北門をくぐり、馬車は軽快に進む。久々に広大な大地を行く馬たちの足取りも弾んでいる。
「バサールの話、忘れてないわよね」
「当然だ」
手綱を握るソルが御者台からオーロラに答える。彼は馬車を、ニールセンドから見えないくらいまで進めてから道を外れた。ニールセンドの北側は山が近づくまでの大部分が草原だ。
その中でも、木々もほとんど生えていないできるだけ凹凸のない辺りを選び、そこで手綱を引いた。
「なにが起きるのかな?」
ポーチの中を探るソルのとなりにララが身をのり出す。
「バサールさんの言い分では、早く帰れるらしいけど……」
「この水晶玉に別の力があるような話は聞いていないが、古代の資料の解読が進んで新たな発見があった可能性はある。それにしても、手順が簡単過ぎる気はするが……」
ただ、水晶玉を取り出しその手で空へ掲げればいい。
魔族はバサールに言われていたとおりにした。透明な球体を通し、ほとんど雲もない青空が見える。
そのまま少しの間、静寂のときが流れた。
「ん……?」
果たして、これで合っているのか。
ヒューもソルも疑問を抱き始めたとき、視界の中、青空の端に動きが見えなにかが近づいてくる。
それは姿を一気に大きくすると即座に正体が判明する。人々の日常生活の中にはそぐわない大きさと異質さ。それと同じ外観の生き物は他には一度も見たことがないからだ。
それは馬車の上空まで飛来すると、ゆっくり降下して巨大な翼を閉ざす。巨体の割に動きは静かで周囲への余波も少ない。
「まさか、森の主どのがお迎えとは思いませんでしたね」
さすがに医師の声にも、やや驚きの響きが混じる。
『たまに運動しないと、身体がなまるからな』
見下ろす金色の目はどこかまだ眠たげだった。
『では帰るとしよう。そのまま楽にしていればいい。すぐに惑いの森に着くからな』
主が言うなり、馬車は馬ごと青白い光の膜に包まれ、それを赤銅色の竜の手が上から鷲掴みにする。鋭く長い三本の鉤爪は光の膜の内側に食い込むことなく、軽々と持ち上げる。
翼が広げられ、大きな影を草原に落とす。
ふわり、と巨体と馬車が浮く。浮遊感はあるものの風も内部には入らず、馬たちも少し不思議そうにしているだけである。
「わあ、凄いね!」
ララは下を覗き込み小さくなる景色に歓声を上げるが、そのとなりの魔族は眉をひそめ後方の景色に目をやる。
「なにがあってもここまでくればニールセンドから見えないだろうと思っていたが……今頃騒ぎになっていそうだな」
『この大陸にいればひとつやふたつ魔法生物か魔法の道具でも見ているだろうし、どうせ一時的だろう』
「そうかもしれないが……しかし、こんなものでよく捕捉できたな」
ソルは持ったままだったことに気がつき、水晶玉を軽く掲げてからポーチに戻す。
『なに、それは簡単なことだ』
森の主の声が、なんのことはない、という調子で頭の中に響く。
『それの材料には、儂の鱗の一部が使われておるわけだからな。自分自身の魔力を辿れば良いだけだ』
「なるほど……」
出発前にバサールが言っていたことを思い出すと、ヒューも腑に落ちた。
森の主は話しながらも空中を滑るように飛び始めていた。本来なら強風にさらされるところだが、馬車に当たるのはそよ風程度だ。
この異質な体験は長くは続かない。
ヒューが空の旅を楽しもうかという気分になった頃には、すでに行く手に見覚えのある地形の森が現われていた。
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