第56話 使いたちの戦い(3)

漆黒の火炎は広間の中心から天井にかけて荒れ狂う龍のように暴れ回り、その炎で岩石の壁や床を焦がし尽くしていた。

幸い洞窟全体を破壊するような威力はなく、岩石を溶かすほどの火力もないが、その黒い炎は何とも嫌な気配を放っていた。

ヒオリの直感では、この炎はただ物体を焼き尽くすだけのものではなく、虚霊と同じく神を襲う本能のようなものを持っていると感じられた。

なぜなら、その姿がまるで獲物を探す生き物のように荒々しいものであり、明らかな敵意がこちらに向けられていたからだ。


「ところで姉さん、“浄化する”ってどういうこと?」


ミツキが炎を警戒しつつ、ヒオリに声をかけた。

少し落ち着いたようで、いつも通りの冷静な表情を覗かせる。


「ただの言葉の綾よ。あれは虚霊たちの怒りから生まれた炎なんでしょ?なら、それを受け止めるってことはその怒りを浄化することになると思わない?」


ヒオリは少し自慢げにそう答えた。

怒りに燃える虚霊の炎と立ち向かうことに、これほどぴったりな言葉はない。

しかし、ヒオリの答えを聞いたミツキは呆れるように顔をしかめる。


「何か意味があるのかと思った僕が馬鹿だったよ…。で、作戦はあるわけ?」

「アレはあたしたちを狙ってくるはず。なら、それを全力で防ぎ切る。それだけよ」


ヒオリはじっと燃え広がる黒い炎を見ながら、覚悟を決めた。

やることは単純な力と力のぶつかり合いだ。あの炎が燃え尽きるまで、神威で耐え切るだけ。

それしか手はないのだ。

もしこちらから攻撃して爆発でもすれば、この洞窟が崩壊して下にいるユズルもまとめて生き埋めになりかねない。


「なるほど、それはシンプルで良い」


ミツキは笑いながらそう言うと、スッと真剣な表情に切り替えて神威を展開させ始めた。

同時にヒオリも地面に大剣を突き立て、そこを起点に全力で神威を盾状に形作った。

神々しい輝きが二人の身体を包んでいく。

そして、ヒオリが正方形の神威の盾を作り上げ、それをカバーするようにミツキの緻密な神威が覆っていく。

そこには神威以外の無駄な要素は一切なかった。

アレは炎を模ってはいるが、本質は虚霊の瘴気だ。たとえ水で覆ったとしても、決して消えることがない。

このぶつかり合いはどちらが力で勝っていたかで決着する。


「――――――来るよ!」


ミツキの鋭い声に、ヒオリは思考の海から顔を上げる。

見れば、黒い炎は縦状の火柱となり、こちらへ向かってきていた。


『グォォォォオオオ!!!』


漆黒の炎は唸り声にも空気が揺れる音にも聞こえる雄叫びを上げながら、獲物に食らいつくかのように飛び込んできた。

触れる物を全て燃やし尽くし、虚霊の憎悪の塊が神威の盾に直撃する。


「――――――」


轟音。そして、神威を維持する身体にとてつもない衝撃が走った。

ヒオリは吹っ飛びそうになりながらも、全力で神威を盾へと注ぎ込む。

漆黒の炎は全てを飲み込むように暴れ回り、神威の盾に触れた部分から黒い瘴気となって消えていく。


「「はぁぁぁぁあああああ!!!」」


ヒオリとミツキは絶えず神威を盾へと込め続けた。

だが、神威の盾は漆黒の炎と中和するようにじわじわと削り取られていく。

神威が光の粒子となって散っていき、虚霊の瘴気とともに消えているのだ。


『―――――ォォォオオオ!!』


漆黒の炎がまるで苦しむようにのたうち回る。

その姿は怒りが浄化されるのを拒絶しているようにも、苦しみから解放されていくようにも見える。

けれど、その勢いはまだ収まる気配を見せていない。


(このままだと、押し負ける…?!)


ヒオリの頭の中を嫌な予感が駆け抜けていく。

もし盾が粉々に砕けたら、比較的傷の少ないヒオリはともかく、ミツキは逃げ切れないだろう。


(こうなったら身体で受け止めるしかない…?いや、違う。まだ手はある!)


この土壇場でヒオリはとっさに打開策を思いついた。

それは決して成功するか分からない賭けだが、ジリ貧になるよりはよっぽど可能性がある。

時間の猶予はもう残っていない。やるなら今すぐしかない!


「ミツキ!少し耐えて!」


そう叫ぶと、ヒオリはミツキの同意を取る前に行動を起こした。

盾へ神威を込めることを止め、突き立てていた大剣を思い切り引き抜く。

そして、それを天高く構え、目を瞑りながら神威を溜め始めた。


「………?―――わかった!」


ミツキは姉の行動に一瞬怪訝な表情を浮かべたが、すぐにその意図に気付く。

そして、盾に流れる神威を調整し、何とか一人で火炎の猛攻を耐え凌ごうと動いた。

神威を中心に集め、可能な限り崩壊を防ぐ。

だが、いくらミツキでも一人だけで支え切るのには限界があった。


『グォォォオオオオ……!!』


漆黒の炎は弱くなった神威の盾を少しずつ食い破り、やがて勢いのままに覆い被さっていく。

そして、力負けした盾には亀裂が走っていき、一気に崩壊を始めた。

怒りと憎悪の炎が弄ぶように神威を砕き、奥にいたヒオリとミツキへと狙いを変える。


(―――――ここだ!)


その瞬間、ヒオリはカッと目を開け、溜め込んでいた神威を解放する。

大剣の刀身からは光が迸り、漆黒の炎を照らすように輝きを放っていた。


「消し飛べっっっ――――!!!」


そして、ヒオリは思い切り大剣を振り下ろした。

剣先から放たれた斬撃は漆黒の炎とせめぎ合いながら、その火柱を真っ二つに断ち切る。


『―――――――』


閃光と轟音。

断ち切られた炎は爆散するようにはじけ飛び、とてつもない衝撃波を生み出した。

そして、亀裂が走っていた壁や天井の一部が耐え切れずに崩壊し、広間全体がその衝撃に揺れる。


「はぁっ…はぁっ…はぁっ…」


その衝撃の中で、ヒオリとミツキは互いに支え合うようにして立っていた。

火炎による熱さと疲労から全身は汗と血に塗れ、肩で息をするほど力を使い果たしていた。

だが、それでも、彼らは前を向いていた。目指すべき場所はもっと先にあるのだから。


「―――行こう」


ミツキが小さくつぶやき、ヒオリもその言葉にうなずく。

そして、疲労困憊の身体を引きずるように、ユズルがいる通路の奥へと駆け出した。

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