1483.質疑篇:なぜ過去形だけでは駄目なんですか

 過去のご質問などを精査しながらお答えしているため、応募期間が多少前後しますのでご了承くださいませ。


 日本語は「過去の話を現在形で書ける」世界でも珍しい言語です。

 それは単調さを回避する、物語には必須な働きといえます。





なぜ過去形だけでは駄目なんですか


 過去の出来事だからと文末をすべて過去形「〜た。」にするのはオススメしません。

 村上春樹氏の小説は、意図的になのか冒頭から「〜た。」が延々と続きます。

 だから私は村上春樹氏の作品を第一章すら読み終えられませんでした。

 なぜ「〜た。」を続けてはいけないのでしょうか。




小学生の感想文にすぎない

 過去に起こった出来事だから、文末で「〜た。」が続くのは当たり前。

 多くの方がそんなふうに思っているのかもしれません。

 しかし「〜た。」が延々と続く文章を読んでいて、どうも洗練されていないように感じるのです。

 以下に例文を挙げます。

————————

 昨晩は東京に雪が降った。観測史上最も早い降雪だと今朝のテレビニュースが伝えていた。出社するため家を出る際、ブーツを履いた。足元は溶けた雪でぐちゃぐちゃになっていた。駅へ向かう道を歩いていくと多くの転倒者を見かけた。駅に到着すると案の定電車が止まっていた。

————————

 この例文を読んで「幼稚に見える」と思いませんでしたか。

 そうなのです。文末がすべて「〜た。」だと、まるで小学生が書いた感想文のような稚拙さを醸し出してしまいます。

 「しかしすべて過去に起こったことなので、過去形で書く以外に方法はないではないか」

 そうお叱りの声が届きそうです。

 ですが「過去に起こればすべて過去形」では「小学生の感想文にすぎない」のは揺るがしようのない事実。

 「他に書き方がない」と言われていますが、あるのです。他の書き方が。

 それは「過去でも現在形にする」のです。

 「過去に起こったことを現在形にしたら、過去の話にならないではないか」

 本当に過去の話にならないのでしょうか。

 例文に「現在形」を混ぜてみます。

————————

 昨晩は東京に雪が降った。観測史上最も早い降雪だと今朝のテレビニュースが伝えている。出社するため家を出る際、ブーツを履いた。足元は溶けた雪でぐちゃぐちゃになっている。駅へ向かう道を歩いていくと多くの転倒者を見かける。駅に到着すると案の定電車が止まっていた。

————————

 いくつか現在形に直しましたが、どこで過去の話ではなくなったのでしょうか。

 すべて過去の話ですよね。「過去の話だからすべて過去形」にしなくても、じゅうぶん過去を語れます。




過去の話に現在形の効用

 なぜ過去の話に現在形を混ぜても過去の話が変わらないのでしょうか。

 それは日本語の現在形が持つ「実況感」にあります。

 現在形にした文を目にすると、そこだけ動作に現実感・ライブ感が生まれてくるのです。

 例文を詳しく見ていきます。


 「観測史上最も早い降雪だと今朝のテレビニュースが伝えている。」は「今朝」に「この文は過去の話ですよ」の意味合いが含まれています。つまり文末を現在形にしてもじゅうぶん「過去の話」なのです。

 そして「テレビニュースが伝えている。」で今しがたテレビニュースを見ているかのような現実感・ライブ感が生まれています。つまりニュースの鮮度が高まるのです。


 「足元は溶けた雪でぐちゃぐちゃになっている。」は「過去の話ですよ」を意味する単語がありません。これは純然とした現在形です。当然現実感・ライブ感があります。それなのに「過去の話」として成立するのは、最後の文の「電車が止まっていた。」が過去形だからです。つまり過去形でサンドイッチすると、現在形も「過去の話」になります。


 「駅へ向かう道を歩いていくと多くの転倒者を見かける。」は現在進行形「歩いている」が入ります。さらに現実感・ライブ感が高まっているのです。さながら実況中継のようなリアリティーを感じます。それでも「過去の話」として成立するのは前文と同様「過去形でサンドイッチされている」からです。


 もちろん「過去形でサンドイッチ」ですべて「過去の話」にはできません。

 「出社するため家を出る際、ブーツを履いた。」は現在形「ブーツを履く。」にはできないのです。「家を出る際」に「この文は過去の話ですよ」の意味合いが含まれています。それだけなら「観測史上……」と変わりません。しかし「ブーツを履いた。」は語り手である主人公が自ら行なった動作です。つまりここを現在形にしてしまうと、「まさに今ブーツを履きます」の意味合いが強く出てしまうのです。だから「過去の話」をぶった切って、「現在の話」が始まってしまいます。

 リアリティーが強すぎるため、あえて「ブーツを履いた。」と過去形にする必要があるのです。


 これで過去形の中に現在形を含めても「過去の話」は継続する理由はおわかりいただけたでしょうか。




村上春樹氏の基本は翻訳家

 毎年ノーベル文学賞最有力と喧伝されながら、その都度落選してフェードアウトしていく村上春樹氏。

 彼の書籍を開くと、1ページ目からすでに過去形「〜た。」の目白押しです。

 村上春樹氏が本当に小説家としての矜持を持っているのなら、「小学生の感想文」にすぎない過去形「〜た。」の連続なんてできようはずもありません。

 しかし彼にはできてしまうのです。

 なぜか。

 おそらく彼は英語小説の翻訳が性に合っているからではないでしょうか。

 村上春樹氏は小説家の一面よりも「翻訳家」の一面のほうが本職ではないかと思われます。自著の発行点数より翻訳の発行点数のほうが多いからです。自身が気に入った英語小説を和訳したいと著者に打診し、翻訳権を独占する。そうして和訳した書籍を販売して翻訳料を稼いでいるわけです。

 翻訳本は年に数回出るのに、自著の長編小説は数年に一度しか発売されません。


 では「翻訳家」なら過去形「〜た。」の連発は当たり前なのでしょうか。

 これは日本語の特殊性のほうが挙げられます。

 英語を含めて多くの言語では、「過去の話」は過去形で書くのです。日本語のように交ぜ書きしても成立する言語のほうが数少ない。

 しかも英語小説は物語の始まりがたいてい過去形になっています。

 そういう小説ばかり読んできたので、村上春樹氏は文末が過去形の連続でも違和感を覚えないのです。

 しかし名翻訳家ともなれば、たとえ原文が過去形でも現在形に改めて現実感・ライブ感つまり躍動感を出そうとします。村上春樹氏にはその発想がなく、純然と原文ママで直接和訳しているにすぎない。それこそGoogle翻訳でも使えば済むような翻訳をしているのです。


 日本の小説は日本語で書かれています。英語で書かれているわけではないのです。

 だから「過去の話」でもすべて過去形ではなく、現在形を混ぜて現実感・ライブ感・躍動感を出そうとします。

 これこそ日本語が、実は最高峰の言語である理由です。

 現在では英語でも俳句を詠む時代。しかし日本語の五七五の十七音とは程遠い英文で詠まれているのです。これも日本語がいかに音律に馴染む言語であるかを証明しています。

 私たちが日常使っているなんてことのない日本語は、実は恐ろしく高度なシステムで構築された、きわめて無駄のない言語だったのです。

 そもそも世界中のあらゆる言葉をそのまま使用できる言語なんて、世界を見渡しても日本語くらい。フランス語もある時期まで英語に侵食されていましたが、復古主義の台頭で「公共の場での英単語禁止」に舵を切っています。

 日本語は英語の「オーマイガー」もアラビア語の「ジハード」もフランス語の「ラマン」もドイツ語の「アウフヘーベン」も。それこそ世界のどんな言語の単語でも使用できてしまうほどの寛容さです。

 日本で知られていない少数民族の言葉はさすがに共通理解がないので使われません。でもかなりの英単語が日本語でそのまま使えます。


 もしかすると日本語で小説を書く行為は、世界を相手にして作品を問う行為なのかもしれませんね。

 川端康成氏、大江健三郎氏は日本語の小説でノーベル文学賞を獲りました。

 村上春樹氏は何語でノーベル文学賞を狙っているのでしょうか。

 少なくとも過去形「〜た。」を連発している以上、日本語でないのは確かかもしれません。





最後に

 今回は「なぜ過去形だけでは駄目なんですか」にお答え致しました。

 日本語は「過去の話」に現在形が使える、世界でも数少ない言語です。

 後世まで残る作品を書きたければ、「過去の話」に現在形が使えるようになりましょう。文末が「〜た。」の連発である「小学生の感想文」レベルからはもう卒業するべきです。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る