1390.構文篇:標準語と方言を使いこなそう
今回は標準語と方言についてです。
標準語と言いますが、元々「山の手」で使われていた言葉です。しかもその源流は「京言葉」つまり関西の言葉をもとに文法の体系化をしたのが「標準語」となりました。
そのため「東京弁」と呼ばれることもありますね。
標準語と方言を使いこなそう
小説は基本的に標準語(東京弁)を使って書きます。
地方の言葉つまり方言を用いてしまうと、住む地方によって意味のとり方が変わってくる場合もあるからです。
もちろん地方を舞台とした小説ならば、登場人物の言葉に方言が出てきて当たり前。
ですが、地の文まで方言で書いてしまうと、多くの人にとってわからない小説になってしまいます。
なぜ小説が標準語で書かれるのでしょうか。
方言には注意
それは多くの日本人が共通のものを思い浮かべられるからです。
方言で書いてしまうと、その地方の人たちにしか正しく伝わりません。
日本一短い会話として雑学の書籍に昔載っていたものに「どさ」「ゆさ」というものがあります。
これ、なんの意味かわかりますか? 日本一の難解方言である青森県の津軽弁です。
正解は「どさ(どこへ行くんさ)」「ゆさ(湯に浸かりに行くんさ)」です。
津軽の冬はひじょうに冷えるため、言葉もどんどん効率を求めるようになっていきました。結果として「どさ」は「どこさ」「どこ行くさ」「どこへ行くんさ」が元ですし、「ゆさ」も「湯さ」「湯行くさ」「湯に行くんさ」が元です。これが寒い津軽では「どさ」「ゆさ」まで効率よくなりました。
ここまで説明してきましたが、ご理解いただけたでしょうか。
方言が一部の人にしか通用しない例として挙げてみました。
山の手言葉とべらんめぇ
厳密に標準語を東京弁と称したとします。東京都の人口は日本全体の九分の一ほどにも上るのです。つまり日本人の九人に一人が東京人であり東京弁を話します。
そして学校教育も今では全国一律に標準語で授業を受けますから、東京弁を知らない方はほとんどいません。知らないのは地方のご老人方くらいです。
人生百年時代ですが、東京弁を知らないご老人はせいぜい百万人程度、だいたい人口の一パーセントもいればよいほうでしょう。
であれば残り九十九パーセントに伝わる言葉で書いたほうが、より多くの方に読まれる文章になりますよね。
関西方面の方は東京弁と総称しますが、「下町」の江戸っ子が使う「べらんめぇ」口調と「山の手」が使う「ざます」口調では異なります。また同じ東京でも「山の手」の端から世田谷区・杉並区・練馬区以西では話す言葉も変わります。
「山の手」と「下町」の区切りを簡単に思い浮かべるために、JR東日本の山手線の路線図を見てください。山手線の内側が「山の手」と呼ばれる地域で、外側が「下町」と呼ばれる地域です。その下町でも「べらんめぇ」口調の江戸っ子言葉を使うのは「山の手」から東へ外れた地域、今の江戸川区・江東区・荒川区のあたりになります。浅草やスカイツリー近辺と言えばわかりやすいですかね。「フーテンの寅」さんが「べらんめぇ」口調なのもそれが一因でしょう。
ちなみになぜ「山の手」と呼ぶのかわかりますか。実際「山」になっているからです。正確には「高台」になっています。「高台」の中心に江戸城が築かれ、そのそばに各藩の大名屋敷が立ち並んでいたのです。
なぜそんなところに城や屋敷を建てたのか。
まず攻めづらいから。兵法でも「坂の下から攻めるのは不利」とされています。「高台」に城を築けば、そこから兵を出すときに歩兵隊や騎馬隊は坂を利用して勢いよく突撃できる。「水は高きより低きに流れる」のです。
次に当時の江戸は高いビルなどありませんから冬は北からの空っ風が吹きやすく、どこかで出火すると下町一帯がほぼ焼失してしまう、という事情がありました。だから大勢が焼け死ぬ「大火」を引き起こす「火付け」は死罪だったのです。その点「高台」に城や屋敷を構えれば延焼は防げますからね。
以上は大昔に読んだ書籍からの受け売りですから、どこまで本当かはわかりかねますが。違っていたらコメントをしていただけたら幸いです。
関西弁とひと括りにしない
「関西弁」とよく言いますが、東京弁のように各府県によって微妙に異なるのです。
大阪弁と京都弁、兵庫弁、奈良弁あと和歌山弁ではけっこう言葉遣いが異なります。それをひとまとめに「関西弁」と呼ぶのはかなりの暴論です。江戸だって「山の手」と「下町」ではまったく異なる言葉遣いなのですから。
現在のテレビ番組では「吉本芸人」に代表される関西芸人が数多く出演していますから、関西弁を聴かない日はない方もいらっしゃるかもしれませんね。
だから東京人が「あの人ってこんなしゃべり方をするよね」という安易な考えで「なんちゃって関西弁」を書いてしまうのです。しかし関西人が書く「なんちゃって標準語」が不自然なように、「なんちゃって関西弁」は不自然極まりない。
だから東京人が書くのは「なんちゃって関西弁」であって、関西人にはめっぽうウケが悪いのです。「なんちゃって関西弁」よりも、関西にいながら標準語をしゃべっているキャラクターのほうがウケがよいくらい。だからこそ小説は「標準語(東京弁)が基本」なのです。
しかも「大阪弁」だって岸和田と西成と難波ではけっこう違います。
こればかりは大阪で長年暮らしていなければわからないでしょう。
大手のマンガ家や小説家は、方言を正しく表記するためだけに方言指導を受けることもありますし、方言に詳しい校正さんがつく場合もあります。
しかし私たちアマチュアの書き手にはそんな便利な方はつきません。すべて独力でなんとかするしかないのです。
であれば、キャラクターが立つからと安易に「関西人」や「江戸っ子」を物語に出すべきではありません。書き手本人が自信を持って使える方言だけを使いましょう。
方言が使えないのなら、標準語つまり東京弁だけで物語を書けばよいのです。
まぁ以前書きましたが、異世界のエルフがエセ関西弁を使う設定にすれば、いかにもな胡散くささが表現できて結果的に成功するケースもあります。この場合は、どれだけ「いかにも」なエセ関西弁を使いこなせるかが勝負です。正確に書いてしまうと、胡散くささが表現しきれないのです。
方言は大きな武器となりうる
もちろん方言がひとつでも使えたほうが、地元小説としてウケがよいのは確かです。しかしそれも標準語がしっかり書けるのが大前提になります。標準語の中に方言がちらほら混じるから、方言が引き立つのです。
ですが方言を書いたら「どんな意味なのか」説明くらいするべきでしょう。方言同士で話していると難しいのですが、方言と標準語との会話でなら、いくらでもフォローのしようがあります。
「方言は伝わらないもの」と最初から認識していれば、伝わるにはどうすればよいのか、に工夫を凝らせるのです。
だから一人称視点の主人公はたいてい標準語で話します。地の文を標準語で書けるからです。
もし地の文まで方言になってしまったら、その地方でしか正しく読まれない作品になります。それでは自ら読み手を減らしてしまうだけです。
「小説は標準語で書かれている」という不文律を受け入れて、読み手の信用を獲得してください。
地の文まで方言に侵されてはなりません。
しかし会話文では「方言全開」にするとかなりの混沌が生み出せます。
先ほどの「どさ」「ゆさ」のようなものです。なにを言っているのか、津軽弁が使えない読み手にはさっぱりわかりません。
ですが、この暗号のような方言の語り口を使いこなせれば、作品に大きな武器が加わります。
方言による地域性のある小説は舞台がそのぶん広がるので、壮大な物語を書く心強い武器となるのです。
最後に
今回は「標準語と方言を使いこなそう」について述べました。
小説の基本はあくまでも「標準語」つまり「東京弁」です。
日本の初等教育から高等教育に至るまで、国語の読み書きの授業で習うのは「標準語」だけ。
現在では学校と学習塾の往復だけの生活が続いていますから、方言を憶える人は少なくなりました。使えたとしても家族との会話でくらいです。とくに昭和中期世代までの祖父母が健在なら日常でも使う機会があります。最近ではめっきりとその機会も減りました。「核家族」化したからです。田舎の祖父母と会うのも夏休みや年末年始だけが当たり前となりました。しかも今は新型コロナウイルス感染症が蔓延していてなかなか会えませんしね。
片言の方言しか使えないのなら、いっそ方言は捨てましょう。
完璧な方言が使えないかぎり、小説で方言を用いるべきではないのです。
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