1376.物語篇:物語120.ピカレスク

 今回は「ピカレスク」ものについてです。

 聞き慣れない言葉ですが、「ピカレスク・ロマン」「ピカレスク小説」などとして使います。

「悪党」「悪漢」が主人公の物語を指します。

 さて、ここで朗報です。

 物語篇も終わりが見えました。明日から「ハードボイルド」「パラレル・ワールド」「異世界転移」「異世界転生」で終わります。

 やってここまで来られました。お待ちいただいた皆様のおかげです。

 その後は「日本語」について一回まとめてから、その先を考えたいと思います。「日本語」を完結させたら、本コラムもひと区切りしたいと思っているので、そこまでノンストップで行けるようにいっそう精進致します。

 ということはコラムNo.1400までいかない予定になるのかな?





物語120.ピカレスク


 小説の中でも異質な物語が「ピカレスク小説」です。

「ピカロ」はスペイン語で「悪党」「悪漢」の意であり、とても模範的とは言えない主人公が活躍する小説を指します。

 最近ANIMAXでアニメの吉田秋生氏『BANANA FISH』を観て、ギャングとマフィアの抗争の物語に触れました。類い稀な美貌と天才的な頭脳を持ちストリート・ギャングを束ねる少年アッシュが主人公です。よって「ピカレスク」物語と呼べる作品ではないでしょうか。




悪党でも極悪非道ではない

「ピカレスク小説」の主人公は、悪漢ではあっても「極悪非道」ではありません。

 悪漢であっても一本筋の通った人物が多いのです。

 陳寿氏『三国志』で「乱世の奸雄」と称された魏の曹操は、その非情さから「悪漢」のイメージがあります。しかし実際には付き合いの長い人物や才能あふれる人物を厚遇し、暴虐を極めた董卓や最強の反逆者呂布などを反董卓連合軍の力でねじ伏せました。

『三国志』はまさに「悪漢」曹操が、三国一の強国・魏を築きあげた「魏志」中心で成り立っているのです。

 曹操がいかに「悪漢」「乱世の奸雄」とはいえ、荀イク・荀攸・程イク・郭嘉・賈クといった智将、夏侯惇・夏侯淵・典韋・張遼といった武将を次々と引き込んでいきます。一時的にでものちに蜀を建国する劉備やその部下である関羽すら手駒に置いていた時期があるのです。

 もし曹操が羅漢中氏『三国志演義』のような人物であれば、とてもこれだけの名将は集められなかったでしょう。すぐれた人々が忠誠を誓うような人物は「極悪非道」とは言いがたい。『三国志演義』はあくまでも蜀を主人公にした伝奇小説であり、劉備や諸葛亮が仁義に篤い人物つまり「善人」。曹操を「極悪非道」として「勧善懲悪」に仕立てなければ対比が生まれなかったのです。

 だから『三国志』は「ピカレスク」で、『三国志演義』は「勇者と魔王」と見立てられます。




悪党なりの仁義はある

 そもそも劉備が善とはかぎりません。

 劉表を頼って荊州に渡り、お家騒動に乗じて新野を占拠し、荊州と引き換えに呉の孫権と組んで魏の水軍を赤壁で叩きます。そののち劉璋の益州へ侵攻して平らげ蜀を建国します。そして呉との約束を反故にして荊州を占拠したままとなるのです。

 荊州の火事場泥棒はするわ、同姓の劉璋の領地を騙し討ちして奪い取るわ、呉と約束していた荊州割譲をなかったことにするわ。

 とても仁義を重んじていたとは思えません。

 しかも関羽が呉の呂蒙に殺されたら、同盟を無視して呉に派兵しようとして諸葛亮に諌められ、張飛が敵討ちのために兵を集めて景気づけに酒を飲んで暴れたため部下に殺される。これで劉備はキレて呉へ大規模出兵を強行します。

 劉備って相当な「悪党」なんですよ。

 それでも関羽・張飛との義兄弟とも呼ばれる連帯や、趙雲・諸葛亮から忠誠を取りつけるなど、ある程度の仁義はあったと思います。

『三国志演義』の著者である羅漢中氏は蜀の出身なので、蜀を主人公にした『三国志』を書いたのです。

 ですが前述したように君主の劉備はとんでもない人物。これをそのままの設定にしたら絶対ウケないのは自明です。

 そこで「仁義」を物語の中心に据えました。

 物語は劉備と関羽・張飛が義兄弟の契りを結んだ「桃園の誓い」から始まり、「臥竜」諸葛亮を「三顧の礼」で迎え入れて呉の孫権の連合軍が魏の水軍を火計で破った「赤壁の戦い」を経て、「鳳雛」ホウ統による益州攻略で蜀の建国に至ります。すると荊州を譲る約束を反故にしたのに腹を立てた呉は呂蒙が関羽を水攻めにして殺害し、復讐戦を期す張飛は酒癖の悪さで部下に殺されたのです。頭にきた劉備は諸葛亮の諌めも聞き入れず呉へ大遠征し、陸遜に敗れて白帝城で諸葛亮に後事を託して死にます。ここで主人公が諸葛亮に切り替わります。遺児である皇太子・阿斗を劉禅として即位させて諸葛亮は宰相として補佐する形をとりました。そして国力に劣る蜀は「攻められる前に攻める」という「防衛のための先制攻撃」である北伐を行ないます。諸葛亮は国事の全権をひとりで勤め上げ、過労によって第五次北伐の際「五丈原の戦い」に挑むところで陣没するのです。このとき諸葛亮の人形を使って司馬懿の追撃をかわしたことで「死せる孔明生ける仲達を走らす」の故事が生まれました。

 つまり、ろくでもない「ピカロ」な主人公・劉備が相応の死を迎え、真面目な主人公・諸葛亮も真面目さ故に死んでしまうという形で幕を閉じるのです。

『三国志演義』は「ピカレスク小説」とも呼べますね。




皆、悪党に憧れた時代

 東映が全盛期を迎えていた頃、上映する多くの映画は「悪党」が主人公の「ピカレスク」だったのです。

 主人公がヤクザだったり風来坊だったりする任侠映画。

 高倉健氏、菅原文太氏を筆頭に、寡黙で不器用な「悪党」が仁義を通そうと奮闘する物語は多くの観客にウケました。高倉健氏の映画を観た観客は皆、映画館を出るときに肩で風を切って歩き、高倉健氏を気取っていたとされるほどです。

 任侠映画が失速して一般の映画にも出始めてから、高倉健氏はよりいっそう輝きを放ちます。

 山田洋次氏監督『幸福の黄色いハンカチ』、新田次郎氏『八甲田山』、浅田次郎氏『鉄道員ぽっぽや』と、出演作は高く評価されているのです。

 高倉健氏は本来とても照れ屋で実直な性格をしていたそうで、自身の撮影がなくても雪中の撮影にコートを着て無言で立って観ていたくらい。とても「悪党」の匂いがしないのですが、「任侠映画」では「寡黙で不器用な高倉健」をあえて演じていました。

 CMにもなった「自分、不器用ですから」というほど不器用な方ではなかったのです。

 でも「任侠映画」で求められた「悪党」な人物を演じるためだけに「寡黙で不器用」に振る舞い続けました。

『幸福の黄色いハンカチ』で共演した武田鉄矢氏も高倉健氏の誠実さを高く評価しています。「寡黙で不器用だからカッコいい高倉健」というアイコンだけでなく、「照れ屋で実直だがカッコいい高倉健」を見られたからこその評価だと思います。

「悪党」だからカッコいいのではなく、元々カッコいいから「悪党」を演らせても魅力のある存在になれるのです。

「ピカレスク小説」のキモは「いかに悪党を魅力的にするか」にかかっています。

 任侠映画の「高倉健」のようなカッコよさを、小説でどのように表現すればよいのか。

 そこに「ピカレスク小説」の魅力は詰まっています。





最後に

 今回は「ピカレスク」について述べました。

「悪党」が主人公というのは今なら尾田栄一郎氏『ONE PIECE』もそうなんですよね。海賊が主人公なのですから。その論理ならジョニー・デップ氏主演『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズもそうなりますね。ジャック・スパロウはじゅうぶん魅力的な「悪党」です。

「悪党」が魅力的な作品は多くのファンを獲得します。

 あなたの小説に登場する「悪党」はただのヤラレキャラになっていませんか。



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