1369.物語篇:物語113.やってきたのは天使か悪魔かそれとも
今回は「来訪者」についてです。
主人公の前に突然現れた謎の人物。その正体によって物語は大きく動き始めます。
天使が来たり悪魔が来たり。死神や女神なんて最近のライトノベルの流行りですよね。
そんな流行りの展開について考えましょう。
物語113.やってきたのは天使か悪魔かそれとも
主人公の前に現れる謎の人物。
それは天使かもしれないし悪魔かもしれない。ひと目惚れするかもしれないしガン無視するかもしれない。
謎の人物は正体がわからないから「謎」なのです。
学校なら転校生としてやってくるのか。教育実習生としてやってくるのか。新任教師としてやってくるのか。
会社なら新入社員としてやってくるのか。人事異動でやってくるのか。左遷されてくるのか。出向を命じられてやってきたのか。
現実世界でも多く見られる「外来」の人物は、当初「謎」に包まれています。
転校生
ライトノベルの主要な読み手が中高生である以上、学園生活が物語の主となるのは必定でしょう。
そこに突然現れた転校生は、そのクラスにどんな風を巻き起こすのか。
天才的な頭脳の持ち主で模範的な生徒かも。極悪なチンピラ風情かも。転校を繰り返して人間関係を作るのが嫌になっているかも。
転校生というだけで、在校生の注目を集めてしまいます。
私は小学三年生で一度転校を経験し、その小学校では近くの幼稚園・保育園からつながっているグループが多かったので、いじめの対象になりました。しかし私は元々「ガキ大将」気質なもので、いじめてきたらその都度倍返ししていく始末。そのためか、他にもグループ外となっていた生徒たちとよく遊んでいました。
養護施設で『アーサー王伝説』を読んでいましたから、「正義は勝つ」論理だったんですよね。だからこそ虐げられていた生徒たちから人気があったのだと思います。
転校前の小学校では掃除の時間にほうきを剣に、ちりとりを盾にして剣術ごっこをする小学生なんて私たちくらいなものでしょう。日本の剣術には盾を使いませんからね。西洋の剣術に憧れていなければ発想できません。当時の特撮ヒーローでも盾を持って戦う戦隊ヒーローも仮面ライダーもウルトラマンもいませんでした。ギリギリ『機動戦士ガンダム』が引っかかりますが、実際には私たちのほうがちょっと早い。
私のような転校生はなかなかいないと思います。しかし学校のカースト制度に穴を穿ったり順序のパラダイム・シフトが起こったりする起点として「転校生」は貴重な転機となりうるのです。
私が転校した当初苦労したので、私の後に転校してきた生徒と積極的に話していましたね。その学校での伝統的なスクール・カーストを打ち破るジョーカーのような存在になったのです。
転校した経験があれば、そのときに感じたもの体験したものをそのまま書けば「転校生」ものは書けます。
在学中に転校生を迎え入れた経験があれば、それによってこれまでとなにが変わったのか。そこにリアリティーを持たせられます。
正直に言って、転校した経験のない人がいくら転校生を主人公にした作品を書いても、嘘くさくしかならないのです。
最低限転校生を受け入れた経験がないと「転校生」ものは成立しづらい。
転校の経験があれば「転校生」を主人公にしても心境は手にとるようです。
なにごとも経験がたいせつな現れでしょう。
教育実習生・新任教師
学校で生徒と教師の間に位置するのが教育実習生や新任教師です。
とくに教育実習生は大学教育学部の生徒が教員免許を取得するための実習で派遣されてくるので、中身は実際に学生ですからね。
しかし実際に教育実習生として学校に行った経験のある人はほとんどいません。いたら今ごろ教師になっていますからね。小説を書いている暇なんてないはずです。
そんな時間はないはずでも、書いてしまうのが文豪というもの。
夏目漱石氏は教育実習生の経験もある教師でありながら、大ヒット小説を連発した文豪です。世界でもその知名度は高い。もし夏目漱石氏があと十年、いや五年でも遅く生まれていたら、ノーベル文学賞は獲れていたはずです。もしくはあと十年長生きできていたら。夏目漱石氏は四十九歳という若さで亡くなっています。六十歳まで生きていたら、獲れていたと思います。そのくらい国際的な評価が高い日本人作家なのです。某村上春樹氏とは格が違います。(某になっていませんが)。
教育実習生の経験がなければ、生徒の側から教育実習生を見る作品が想定できます。
教育実習を受けるために学校へ派遣され、実習の終わりとともに去っていく。しかし仮に一年生を担当していると、教員免許を取得して教員となり、再び同じ学校へやってくるのはじゅうぶんありえます。
最初は教育実習生として、次は新任教師として。
そういった物語を書けば、教育実習生を身近に感じられるよい小説になると思います。
転校生と同じで、教育実習生と触れ合っていない方が取り入れて成功する存在ではありません。ここでも経験が求められます。
新任教師はたいていの方が経験していると思います。公立高校なら転属が当たり前で、去る人あらば来る人あり。中学・高校の三年間ずつ計六年間で新任教師に出会わなかった方はいらっしゃらないはずです。まぁ私立だと違うのでしょうけどね。
私は市立小学校、市立中学校、都立高校の出身なので、私立の組織体系がわからないんですよね。だから私は私立校が舞台の作品は書けません。それでも求められるのなら、適当な私立校へ取材に行かせてもらいたいですね。
経験もないのに書けはしない
これは今回の裏テーマですね。
学校生活は日本人ならほとんどの方が経験しています。しかし転校生や教育実習生は経験した人は少なく、受け入れる側ならそれなりに多いはずです。
日本は一種の村社会で、コミュニティーが出来ているところに新しい人がやってくるとまず爪弾きに遇います。
それに反発するか、受け入れられよう気に入られようとするか。そこに人間性が現れます。
私は反発するほうだったのでいじめに遭いましたが、それすら凌駕する強い意志はスクール・カーストで底辺だった方々と仲良くなって、彼らを守るためにケンカもしました。
私に義侠心があったのかは今でもわかりません。ただ不当に扱われるのに堪えられないだけかもしれません。
だからいじめをテーマにした作品なら書けます。不当さを厭い、正義を貫こうとする「小さな勇者」の物語は私の人生の一部だからです。
この経験があるからこそ、私はヒロイック・ファンタジーを書きたくて仕方ないのです。
どんな分野にも「小さな勇者」は存在します。要はそれに気づけるかどうか。
太宰治氏『走れメロス』のメロスは、たとえ処刑されるとしても、敢然と立ち向かいました。「小さな勇者」が暴君を改心させる物語。これは太宰治氏にもある程度経験があったのかもしれませんね。もし想像だけで書けたのなら、とてつもない才能です。
小説の書き手は「表現者」とも呼ばれます。
経験・実体験をどのように「表現」するのか。
逆に経験のないものをどのように「表現」するのか。
殺人鬼が書いた文章は、その殺人鬼にしか書けません。だからと言って戦争ものは戦争をしたことのない人には書けないものなのでしょうか。そうではないはずです。平和だからこそ戦争が書ける面もあるのです。今享受している平和を乱す戦争が起こったら、私たちはどうすればよいのでしょうか。
それを考える力こそが「表現者」に求められる資質です。
最後に
今回は「物語113.やってきたのは天使か悪魔かそれとも」について述べました。
転校生が出てくる作品は、転校した経験があるか、転校生と親しんだ人にしか書けません。経験は最大の武器なのです。
しかし「表現者」としては、経験のないものをさもあるように「表現」できなければなりません。
そのものに経験がなくても、近しい経験をもとに構成してみるのです。
それすらできないのであれば「表現者」としては二流と言われても仕方ありません。
「小説賞・新人賞」の選考さんは、応募された作品の中から確実にリアリティーを感じとります。
「この人にしか書けない」と思わせる作品こそが「小説賞・新人賞」にふさわしいのです。
誰にでも書ける物語には価値がありません。
あなたが構想している物語は、あなたにしか「表現」できない作品でしょうか。
もし誰にでも書けるようなら、いつまで経っても「小説賞・新人賞」は獲れないでしょう。
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