1297.物語篇:物語41.対立と共存
「戦争と平和」はどちらかが勝ち、負けて決着します。
しかし「対立と共存」は対立していても、なんらかのきっかけで和解し共存の道を歩む物語です。
つまり勝ち負けではない終わり方をするのが「対立と共存」になります。
物語41.対立と共存
基本構造として「対立と共存」をテーマにしている物語は多いですね。
ウイリアム・シェイクスピア氏『ロミオとジュリエット』、ちょっと変わったところで太宰治氏『走れメロス』などが挙げられます。
多くは物語が始まる頃は「対立」していて、終わる頃には「共存」の道を歩むものです。
物語の形としては「戦争と平和」に近いのですが、どちらかが勝って終わるのではなく、両者が手打ちをして終わります。
悲劇が対立を生み、対立が悲劇を生む
ドラマチックな物語を書きたい場合。まず主人公の身近な人を殺してしまう手法があります。
「異世界転生ファンタジー」では主人公自身を殺しますが、それだとなんの「対立」も起こせません。だから「異世界転生ファンタジー」で「対立」を起こすには、転生先でなにがしかのトラブルに巻き込まれる必要があるのです。
その場合でも結局は主人公の身近な人を殺してしまうしかない。
まさかまた主人公が殺されて、再び転生する話にするわけにもいきません。これでは「異世界転生ファンタジー」というより「ループ」ものの一種ですよね。
対して「主人公の身近な人が殺されれ」ば、殺した人物と主人公の間に明確な「対立」が生じます。殺した人物は誰かに雇われて機械的に殺しただけかもしれません。しかし主人公が受けた喪失感は表現し尽くせない。その喪失感を晴らすために復讐を考えるのです。
復讐は明確な「対立」要素で、復讐を果たすまで物語は終われません。復讐しようと殺人犯を割り出している段階で連載が終わるなどあってはならないのです。
殺された人物は、なぜ死ななければならなかったのか。その理由さえ示されず、復讐も果たせずに物語は終われません。このような「復讐」については後日「喪失と復讐」で語る予定でいます。
因習によって百年以上戦争を続けてきた国同士には「対立」するだけの理由があります。兵士たちの身近な人物が殺された敵討ちとして、さらに幾世代も戦争は続くのでしょう。
「勇者と魔王」でも「対立」があるとドラマチックな物語に仕上がります。
たとえば勇者の母親が魔王に殺されてしまう。その悲劇で勇者は魔王を許せなくなるのです。ですが魔王を倒したとしても、殺された母親が戻ってくるわけでもない。勝利して仇を討ちましたが、なにかやるせない気持ちにとらわれます。それこそが物語をドラマチックにするのです。
主人公は悲劇に見舞われ、その敵討ちとして殺人犯を探し出します。敵の殺人犯が見つかったら、警察に突き出すなり殺して仇討ちしたりするのです。
単純な「勇者と魔王」の物語が一気に深みを増す。そんな魔法が「主人公に悲劇が起こる」なのです。その走りが「主人公の身近な人が殺される」こと。これ以上主人公が復讐を企図して「対立」する構図はありません。
だからこそ定番であり、かつドラマチックな物語になるのです。
ときに殺した犯人が意識のない自分かもしれません。それが元で苦悩を抱える物語にも深みが出ます。
共存する
物語をドラマチックにする手始めが「主人公の身近な人が殺される」でしたが、もうひとつの構造があります。
「わだかまりを越えて受け入れる」物語です。
先ほどの例では百年間戦争している国同士が、わだかまりを越えて互いを受け入れる。つまり停戦や終戦まで持っていって、両国が「共存」する道を探すのです。
「対立」して始まり「共存」で終わる物語はかなりの数があります。
私の『秋暁の霧、地を治む』も長年戦争を続けてきた「対立」する国同士が「共存」を目指す物語です。
「共存」が難しいのは、ひとりの意志では達成できない点にあります。
たとえこちらが「共存」しようと思っても、相手に「共存」する気がなければ成立しません。
「対立」は主人公に不利益が及べば、ひとりで「対立」まで持ち込めるのです。でも「共存」はこちらの意志だけでは寝首をかかれるだけ。あえて敵に腹をさらすようなもので、「斬ってください」と言わんばかりです。
もちろん「非暴力、不服従」で、いくら相手に裏切られても信じ続ける人物を主人公にしてもそれなりに盛り上がるでしょう。しかしこれはどちらかというとサブキャラクターで表現したいところです。
主人公は読み手に近くなければなりません。
世の中に「非暴力、不服従」の人間は数えるほどしかいない。そけだけで聖人扱いされるほどです。たとえばマハトマ・ガンディー氏は民衆暴動やゲリラ戦などせず「非暴力、不服従」の姿勢でインドの独立を勝ち取りました。
マハトマ・ガンディー氏のような主人公は、読み手がなかなか感情移入できません。基本的な理念が異なるからです。理想的な人物かもしれませんが、すでに体現しているような理念ではありません。もし体現していたら、戦争小説やバトル小説など読むのでしょうか。
このように「共存」は一方的に押しつける理念ではないのです。互いが相手を尊重し、合意してようやく達成できます。
だから「対立と共存」の物語は、明確な「対立」軸と、それを超越する「共存」の意志が揃わなければ書けないのです。
明確なきっかけを作る
「対立と共存」の物語は、「対立」の原因から始めると原稿用紙三百枚・十万字には収まりません。
ですので「すでに対立」している状態から物語は始まるべきです。そして早めに双方が妥協できそうなラインを暗示しておきましょう。
そして双方がそこを目指して近づいていき、ラストで「対立」を乗り越えて「共存」の道を歩むのです。
双方が妥協できそうなラインは「明確なきっかけ」です。これがあると双方まとまりやすい。「敵の敵は味方」の論理でもよいので、「共存」するための「明確なきっかけ」を用意するのです。
「対立と共存」の物語が難しいのは、この「双方が妥協できそうな明確なきっかけ」がなかなか思いつかない点にあります。
どんな問題にも必ず答えがある。私たちは学校教育でそう習ってきたのです。
しかし現実には答えが見つからない問題もたくさんあります。
そして小説に登場する「対立」も、基本的には答えのない問題です。
それにどんな理屈をつけて「共存」へと導くのか。その手法に無理はないのか。束の間の「共存」で終わるのか永劫の「共存」へと導けるのか。
「共存」するには、ふさわしい理由が必要です。
凡人には見つけ出せません。
ですが凡人でも解決策はあるのです。
そもそもなぜその「対立」が起きたのか。その原因を取り除けば「対立」する理由がなくなります。
『秋暁の霧、地を治む』も基本的には「原因」を取り除いて「共存」の道を模索する物語に仕立てているのです。
原因除去は最も簡単な「対立と共存」物語の核となります。
最後に
今回は「対立と共存」について述べました。
人はなにかがきっかけで「対立」し、なにかをきっかけにして「共存」の道へ向かいます。
どんな「きっかけ」を設定するのか、それが本当に物語にするだけの「きっかけ」なのかどうか。
それが求められます。
どうしてもうまく書けないのなら「主人公の身近な人を殺し」て、「なぜ殺さなければならなかったのか」の理由を考えてみましょう。
「対立と共存」の物語は、長編小説には収まりません。しかし巧みな書き手は「すでに対立」しているものを「共存」へ導く手段を持っています。
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