1291.物語篇:物語36.夢と実現

 サブタイトルは書き間違いではありません。

 主人公には「夢」があり、それが「実現」するつまり叶う物語です。

 叶ったらどうなるのでしょうか。





物語36.夢と実現


 最近派手に誤字をしているのですが、今回はタイトルから誤字ではないですよ。

 これまで「夢」として想っていたものが「実現」してしまう物語をご紹介します。

 着想はマンガの桂正和氏『ウイングマン』からですが、そういえばマンガの藤子・F・不二雄氏『ドラえもん』の「ひみつ道具」も「あんなこといいな、できたらいいな」で「実現」させていますね。




中二病の夢

 そもそも『ウイングマン』の主人公・広野健太は中学二年生です。そんな彼に「中二病」と言うのはおかしなものですが。

 彼の「夢」であり憧れでもある無敵のヒーロー「ウイングマン」。まさに彼の「中二病」が全開されたアイデアで満ちています。

「中二病」とは、ひらめきの天才と称される伊集院光氏が自身の冠ラジオ番組『伊集院光のUP’S』の中で用いたのが始まりとされています。

 中学二年生といえば「ちょっと他人とは違うんだぜ」という思春期にありがちな自意識過剰やコンプレックスから発する一部の言動傾向を見せる年頃です。

 虎虎氏『中二病でも恋がしたい!』で作品のタイトルにも使われています。

 揶揄して「厨二病」と書く方もいらっしゃる。

 のび太は小学生なので「中二病」ではありませんが、その妄想力はじゅうぶんに今の「中二病」の要素を満たしています。

「中二病」には「自分は他人よりもすぐれている」「自分は特別な存在である」「他の人は気づいていないが、自分だけが気づいているものがある」といった共通の要素があります。

 そもそも中学二年生は第二次性徴期にあたり、自己のアイデンティティーを確立する重要な時期です。

 そのアイデンティティーを確立するために、「他人とは明確に違うんだ」という証が欲しい。自らの存在意義は「アイデンティティー」によって支えられています。「自分は自分であり、他人とは違うんだ」。そう主張したいのです。

 第二次性徴期の心の拠りどころが「中二病」的な「夢」なのです。

「反抗期」が重なるのも「中二病」的な「夢」と現実が乖離しているから。そう考えると、反抗したくなる気持ちもわかると思います。




もし夢が実現してしまったら

 そんな、傍から見ていて痛々しい「夢」の数々が、もし「実現」してしまったらどうしましょう。

「夢」の中には「実現」してしまうと幻滅するものもあります。

 もちろん無害な「夢」のほうが圧倒的に多いのです。『ドラえもん』の「ひみつ道具」はそのほとんどが他者に害を与えない、楽しめるものであふれています。

 まぁ「どこでもドア」でしずかちゃんのところへ行こうとして風呂場につながるという定番ネタがありますけどね。便利だけど安易に使うと弊害がある。「ひみつ道具」はたいていただ楽しいだけではありません。のび太が調子に乗ってしくじるものです。

「実は自分はこの世界を救うために人知れず戦っているんだ」と「中二病」的な「夢」を持っていたとして、本当にそんな「夢」が「実現」してしまったら。実はとても面倒な事態に巻き込まれてしまいます。

 そんな状況をアニメにしたのがアニメの新房昭之氏&虚淵玄氏『魔法少女まどか☆マギカ』です。始めのうちは「魔法少女」ものらしい展開でした。しかし中盤以降からどんどん話が重くなっていき、「夢」の「魔法少女」が「実現」してしまったらツラいことばかり起こってしまう、という現実を突きつけられます。

「夢」が「実現」すれば、理想と現実のギャップに苦しめられるのです。

 たとえばアメリカ合衆国のメジャーリーグベースボール(MLB)でプレーしたい、と夢見ているプロ野球選手がいたとします。

 彼の「夢」は「メジャーリーガーになる」ことであり、そこで活躍することではないのです。「夢」が「実現」したらそれだけで満足してしまいます。

 村人Aが竜王を倒すと「夢」見ても、行動を起こすのかどうか。仮に行動を起こして、たまさか竜王を倒したら、それだけで満足してしまうのです。実は魔王が竜王を操っていたとしても、村人Aは竜王を倒す「夢」を「実現」しているので、魔王にまで気が回りません。

「夢」を「実現」したらそれで満足してしまう人が多いのです。

 魔王まで倒そうとするには「世界を救う」という「夢」を持っていなければなりません。「世界を救う」なら倒す相手が実は魔王であったとしても戦えます。

 なにを「夢」とするかで「実現」するときの状況はがらりと変わるのです。




夢の実現がゴールとはかぎらない

「中二病」的な「夢」が「実現」すると気恥ずかしさすら感じます。

 また「主人公最強」「チート」「俺TUEEE」の「夢」が「実現」すると、「ざまぁ」な展開になりやすい。

 因果が一対とはかぎりません。ひとつの「夢」が「実現」したら、三つの結果が現れることだってあります。

「夢」が「実現」してもまったく変わらないなんてありません。必ずなにかが変わります。

「実現」すると「夢」の本質が露わになるのです。

 問題は主人公が本質を受け入れられるかどうか。

『魔法少女まどか☆マギカ』も安易に「実現」してしまい、本質が持ち上がっても素直に受け入れられませんでした。「夢」の本質はいつだって残酷です。

「勇者」になる「夢」を抱いていた現代人が、異世界転移して「勇者」にされてしまいます。すると「勇者」の本質が身に迫ってくるのです。

「勇者」といえば向かうところ敵なし、どんな強敵にも楽勝で勝てる。そう思い込んでいたのに、いざ「勇者」に選ばれたらすべての戦いで気が抜けない。気を抜いたら殺されてしまう。まさに「弱肉強食」の世界が広がっています。

「異世界転移ファンタジー」で「勇者になりたい」が叶っても、待ち受けるのは過酷な戦いの日々です。確かに「勇者」として世界中から歓迎されるかもしれませんが、どこへ行っても難敵との戦いが待っています。小説では「勇者」イコール「主人公最強」かもしれませんが、現実には「最強でい続ける」義務を課されるのです。どんなに負けそうな難敵が現れようと、そのすべてを打ち倒さなければなりません。

「主人公最強」は男の子の「夢」ですが、現実はとても過酷なのです。「実現」するための努力を怠れない。とてもシビアな物語です。

 ですが小説投稿サイトの「主人公最強」は、なんの苦労もせずに「実現」しています。

 それで本当に読み手がリアリティーを抱けるものなのか。

「異世界ファンタジー」にリアリティーは求めていない。というほど無頓着な読み手は少ない。「異世界ファンタジー」だからこそリアリティーを求めるべきです。

「夢」が「実現」したらしたで、問題は次から次へとやってきます。

 決して「実現」がゴールではないのです。むしろそこからが本当の物語の始まりと言ってもよいでしょう。

「夢と実現」の物語は、「実現」してからが本筋なのです。





最後に

 今回は「物語36.夢と実現」について述べました。

 人間なら誰にだって「夢」があります。考え、記憶する能力を持っているからこそ、「夢」や願望も存在するのです。

 その「夢」が「実現」したらきっとよいことがある。というほど単純な構造でもありません。

 むしろ「実現」してからの物語のほうが長いくらいです。

「実現」された「夢」がどんな結果をもたらすのか。

「夢と実現」の物語は、長い物語の導入部にすぎません。

 逆に言えば、連載小説を構想しているなら、「小説賞・新人賞」へ応募すると連載のしやすさから賞レースで有利になる可能性が高いのです。



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