1283.物語篇:物語28.復古と復権
「昔はよかった」
人はよく原状よりも昔のほうがよかったと言います。
とくに原状が最悪を極めているようなときはとくに。
新型コロナウイルス感染症がこれほど広がらなければ、夏休みは海外でバカンスもできたし、田舎へ規制して両親に顔を見せられた。
「昔はよかった」
そこから始まる物語があります。
物語28.復古と復権
人々から忘れ去られた存在が見直され、地位を回復する物語があります。
たとえば立憲君主制国家に王政が復古する。それは人々が過去に否定した制度であるはずなのに、時代が国王という統治者を求める話もあるのです。
宗教上の理由で法王に施政権を与えるという行為も、文明が興った頃まで遡る「復古」と呼べるでしょう。
復古する
映画のジョージ・ルーカス氏『STAR WARS』シリーズでは、宇宙に広がった人類社会が舞台です。そこでは帝国軍と反乱軍が戦っています。
やはりレーザーガンが主流であり、派手な銃撃戦を繰り広げるのです。
しかし「ジェダイの騎士」はライトサーベルを武器にして「フォース」と「剣術」でレーザーガンの敵を凌駕します。
「レーザーガン」が戦闘手段なのに、「ライトサーベル」が力を持つ世界観。
これは明確な「復古」主義です。
マフィアの取引に突如現れるサムライやニンジャ。おかしなシチュエーションですよね。そもそもサムライやニンジャが現れてマフィアのサブマシンガンをどう防ぐのでしょうか。なにがしかの特殊な能力でもなければ、相手を斬るより前に蜂の巣になってしまいます。
それでもサムライやニンジャを登場させたいならどうするか。
ジョージ・ルーカス氏が思いついたのが特殊な能力「フォース」の存在です。
つまり宇宙を舞台にした「剣と魔法のファンタジー」を描いてみせました。
『STAR WARS』は「SF」映画ですが、その中には「剣と魔法のファンタジー」が内包されているのです。だから多くの方に支持される物語となりました。
科学の最先端の「SF」であえて「復古」してみる。
その発想が斬新だったのです。
ジョージ・ルーカス氏は黒澤明監督を尊崇していました。さまざまな作品に「黒澤明節」とでもいうべき映像美、演出美を追い求めていたのです。
これは「黒澤明監督作品」は色褪せないと主張するような「復古」主義でもあります。
過去の作品からインスピレーションを得る。映画に限らず創作界隈ではよく見られます。
近年「異世界転移」「異世界転生」「悪役令嬢」のような、さまざまな「剣と魔法のファンタジー」の派生が誕生しました。
そんな時代だからこそ、原点である純粋な「剣と魔法のファンタジー」は再評価されやすいのです。
現在、小説投稿サイトでは「主人公最強」「ざまぁ」が主流。だからこそ、主人公が挫折を乗り越えようとする古典的な物語の魅力は増すのです。
今は流行りに押されて忘れ去られようとしている「古典」には、スタンダードだからこその魅力があふれています。
いつの時代でも王道への「復古」には需要があるのです。
派生が広まれば広まるほど、王道への「復古」意欲は増します。
原点を知らずに派生は書けません。
いくら今「異世界転生」「主人公最強」がトレンドでも、王道の「異世界ファンタジー」「主人公の挫折と成長」の物語は廃れないのです。
復古の物語
小説そのものの「復古」について述べましたが、物語にも「復古」があります。
立憲君主制が王政へと「復古」する。武家社会から天皇制へと「復古」する。
「復古と復権」は「貴族と革命」の物語の一部でもあります。
しかし明確に異なるのは「新しくする」のではなく「昔に戻す」のが目的である点です。
だからたいていの「復古」は、前の体制を知っている人が起こします。
劉邦による漢王朝の際、太祖・劉邦の死後その后だった呂太后が実権を握るのです。
すると呂太后は、劉邦の寵愛していた戚夫人の手足耳鼻を切り落とし、目を潰し炭で喉を奪って「人豚」と呼んで便所に放り込んだのです。それを劉邦との子・恵帝に見せたため、恵帝は病を発します。
そんな呂太后の専横は人事の面にも及び、各地域を収める長官職を劉一族から呂一族へと次々とすげ替えていき、呂氏の独裁国家へと突き進むのです。
それを危惧した陳平ら劉邦の遺臣たちが密かに策をめぐらし、呂太后が病で死去すると、各地の呂一族をすべて誅殺します。
こうして劉邦以来の「劉一族」の支配体制を「復古」し、嫡子である恵帝へ『復権」させたのです。
このように「昔はよかった」と思う人がいなければ「復古」の物語は成立させづらい。
日本では蘇我一族が朝廷を専横していました。それに端を発した、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中で暗殺して蘇我一族を滅ぼす「
これも蘇我氏専横を憂いた勢力が「復古」を掲げた事変です。
これとはかなり毛色が違う「復古」もあります。「明治維新」を目指した「大政奉還」です。
慶応の世において六百八十三年にもわたる武家社会を天皇制に戻そうと、維新志士たちが行動を起こします。そのとき誰も天皇制がどんなものだったのかを知らなかったのです。知らないのに「王政復古」を掲げて江戸幕府に戦いを挑みました。これは黒船来航による諸外国との軍備の差を見せつけられた武士たちが鎖国を布いていた現状に危機感を覚えたからです。軍備増強には全国の大名を統率するだけの人物が必要になります。当時形だけだった天皇家は、曲がりなりにも徳川幕府に征夷大将軍の称号を授ける側でしたから、徳川家よりも上と判断されたのです。だから維新派は天皇家を担いで「王政復古」を唱えました。
「昔はよかった」ではない「復古」もあるのだと知ると、「復古と復権」の物語には大きな可能性が見えてくるのです。
維新志士が魅力的に映るのも、実状を知らない「王政復古」を旗頭に戦ったからではないでしょうか。知識としては「徳川家の上に天皇家がいる」とわかっていても、天皇家に実権がなかったのですから。それを担ぐためには「はるか昔は天皇家が日本を支配していた」という事実を、実態もわからずに盲信するしかなかったのです。
視野が極端に狭かった。それでも維新派の圧力は強く、結果として開明的な十五代将軍・徳川慶喜氏が「大政奉還」を受け入れ、それ以上の犠牲者を出さずに事態は終息していきます。
復権したら物語が終わる
「乙巳の変」から「大化の改新」へ至る流れは「昔はよかった」が「復古」の原動力となり、結果として蘇我一族から天皇家へ「復権」する流れとなっています。
しかし「明治維新」から「大政奉還」へ至る流れでは「昔はよかった」と言える人など誰ひとりおりません。それでも維新志士らの脳裡には天皇家による直接統治のシステムが浮かんでおり、天皇家が「復権」する手助けとなったのです。
面白い事実なのですが、「復古と復権」の物語は「復古」を成し遂げて「復権」するまでしか書かれていません。
ちなみに私が学生だった頃は、中大兄皇子と中臣鎌足が起こしたクーデターは「大化の改新」だと習いました。しかし現在ではクーデターは「乙巳の変」と呼び、そこから始まる政治改革を「大化の改新」と規定しているのです。
では「大化の改新」を成し遂げたのちの物語をご存知の方はいらっしゃるでしょうか。おそらくご存じの方は少ないと思います。
それは「復古と復権」の物語が、「復権」を果たした段階でプツリと終わってしまうからです。
物語の見せ場はあくまでも「復古」に成功して「復権」するまで。だから事後なんて書かなくてもよいのです。
後日談を付け足す方もいらっしゃいますが、基本的にはないほうがすっきり終われますよ。
最後に
今回は「物語28.復古と復権」について述べました。
「昔はよかった」ので「復古」を唱え、実現したらすぐ幕引き。
そんな復興の物語です。
「復権」したシーンまでを書けば、それ以上書き足す必要もありません。
物語の見せ場は「復古」に成功して「復権」するまでです。長々と後日談を付ける必要もありません。すっきりと終わらせましょう。
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