1275.物語篇:物語20.相棒と信頼

 主人公と「対になる存在」だけでも物語は作れますが、どうにも味けなく感じてしまう。

 そんな人は「ライバル」か「相棒」を作りましょう。

 今回はそんな「相棒」について述べてみました。





物語20.相棒と信頼


 物語には主人公が不可欠。当たり前の話です。

 しかしすべての物語を主人公だけでは書けません。「対になる存在」も必要です。

 それだけで物語は書けますが、できれば主人公に「相棒バディー」が欲しい。

「相棒」ものはいつの時代も物語を多彩にし、面白くしてくれます。




相棒は好対照に

「対になる存在」は主人公とは正反対に設定します。善なら悪、勇者なら魔王といった具合です。

 では「相棒」はどうするべきでしょうか。「相棒」も主人公とかけ離れていたほうがより面白いコンビになります。かといって「対になる存在」と同じような設定にはなりません。

 主人公の背が低いのなら、背の高い「相棒」は絵的に映えます。

 主人公が男性なら、「相棒」を女性にすれば「恋愛」もの「ラブコメ」ものに発展しやすい。

 主人公がズボラだったら、「相棒」は几帳面に。主人公がバカなら、「相棒」は頭脳明晰。主人公がホラー映画好きなら、「相棒」は怖い話が大嫌い。主人公が寡黙なら、「相棒」は言い過ぎなくらいしゃべり好き。

 このように「相棒」の設定は、主人公とは正反対な「対になる存在」とは明確に異なっています。

 主人公と同じサイドですが「好対照」がポイントです。

 では主人公が善で「対になる存在」が悪の場合。「相棒」はどうするべきでしょうか。

「相棒」も善ですがちょっとだけいたずら好き、なんてどうでしょうか。主人公よりもさらに清廉潔白を地で行く、なんていうのもよいですね。

「相棒」は少なくとも主人公に近くなければなりません。「対になる存在」に近ければ、「相棒」は「対になる存在」のほうと手を組むのが常だからです。

「剣と魔法のファンタジー」で一般的な「勇者パーティーが囚われの姫を助けるために魔王を倒す」という物語。

 この中で主人公は「勇者」ですよね。「対になる存在」はもちろん倒すべき相手である「魔王」。では「囚われの姫」の役割はなんでしょうか。「相棒」ではありません。以前ご紹介した「探索と冒険」の物語で「姫が誰かにさらわれたらしい」という不確定情報から主人公たちが追い求める存在です。

 では今回ご紹介している「相棒」って誰でしょうか。もうおわかりかと思います。「勇者パーティー」の「仲間」たちです。力を合わせて「対になる存在」を倒す者たち。主人公である「勇者」の力を何倍にも引き出してくれる存在こそが「相棒」なのです。




信頼があるから相棒になる

 主人公と「相棒」は互いを認め合わなければ成立しません。

 主人公がいくら「相棒」を信頼していても、当の「相棒」が主人公をまったく信頼していないのでは強固な関係は築けないのです。

「相棒と信頼」の物語なら、必ず「主人公と相棒が互いを深く信頼している」ことを確かめるシーンを作りましょう。

 単に言葉だけで「さとしはかすみを信頼している。かすみもさとしを信頼している」なんて書いても読み手に信頼の深さは伝わりません。

 主人公がピンチに陥る、そこにひとり加勢に現れた「相棒」。しかしふたりだけで二十人余りを相手にしなければならなかった。ふたりは絶妙のコンビネーションで並み居る強敵をわずか五分で始末する。

 この「ピンチ」「相棒登場」「大逆転」はよくある鉄板の展開です。しかしこういった展開を読ませなければ、主人公と「相棒」が互いを深く信頼していると読み手には伝えられません。欠かせないエピソードなのです。

 サー・アーサー・コナン・ドイル氏『シャーロック・ホームズの冒険』でも、主人公のホームズと助手で医師かつ視点保有者のワトスンは互いに強い信頼で結ばれています。どんなに知恵者で偏屈なホームズでも、医師としての技量と友人としての親愛からワトスンを深く信頼している、というシーンが必ず出てくるのです。

 もちろん『シャーロック・ホームズの冒険』は二人称視点なので、主人公を深く理解している人物が視点保有者として語らないと整合性がとれない面もあります。

『シャーロック・ホームズの冒険』は「推理」ものでありながら「相棒と信頼」の物語を内包しているのです。そこに作品の奥深さを感じさせます。 

 江戸川乱歩氏『明智小五郎シリーズ』に登場する少年探偵団も、主人公である名探偵・明智小五郎の「相棒」としてさまざまな情報収集や手がかり発見などに役立っているのです。これは『シャーロック・ホームズの冒険』に登場する「ベイカー・ストリート・イレギュラーズ」と呼ばれるストリート・チルドレンたちの団体からの発想でしょう。

 主人公ひとりでなんでも解決するような「ご都合主義」ではない作品を書くには、どうしたって協力者が必要です。その協力者もただ情報をくれるだけではなく、一緒に冒険の旅へついてくる。つまり協力者ではなく「相棒」にしたほうが思い入れが強くなるのです。




エアリスは相棒だった

 最近プレイしたゲームにスクウェア・エニックス『FINAL FANTASY VII REMAKE』があります。

 この作品は原作自体が名作として知られており、とくに序盤で仲間になるエアリスが大きな人気を集めたのです。

 なぜエアリスが人気を博したのでしょうか。それは彼女が単なる協力者ではなく、苦楽を共にした「相棒」だったからです。途中まで主人公クラウドと一緒に冒険をしてきましたから、プレイヤーも思い入れが強かったのだと思います。そして劇的な別れ方をしましたので、なおさら印象に残ったのです。

 協力者と「相棒」にはこれだけの差があります。

 エアリスに関する一連の物語はまさに「相棒と信頼」そのものだったのです。

 もちろんエアリスが去っても、パーティー・メンバーはすべて「相棒」でしたし「信頼」で結ばれていました。

『FINAL FANTASY』シリーズは「クリスタル」や「マテリア」などをキーワードにした世界観で統一されています。ですが「剣と魔法のファンタジー」もあれば「スチームパンク」もある多様性に満ちたシリースです。そんな一種統一感のないシリーズにもかかわらず人気を集め続ける理由は、根本に「相棒と信頼」の物語がしっかりと描かれていたからではないでしょうか。

「剣と魔法のファンタジー」からブレなかったエニックス(現スクウェア・エニックス)『DRAGON QUEST』シリーズは、どうしても「勇者が竜王や魔王を倒しに行く」物語になりやすい。というよりそれしかやりようがありません。一市民が国王から「竜王を倒して世界を救ってくれ」と頼まれるはずがないのです。「相棒と信頼」についてはシリーズが進むごとに進化しています。シリーズ五作目『DRAGON QUEST V 天空の花嫁』では仲間となる王女のフローラと幼馴染みのビアンカのどちらと結婚するかで世論が割れたほどです。双方「相棒」として頼りになる存在ですが、そのどちらかと結婚しなければならない。つまり選ばなかったほうとは別れることになるわけです。今後の戦いを有利に進めたければフローラを選ぶべきですが、「相棒」に求めるのはなにも強さだけではありません。不利を承知で幼馴染みのビアンカを選ぶ方も多かったのです。このフローラ・ビアンカ論争は現在でも決着せず、移植されるほど論争は拡大していきました。





最後に

 今回は「物語20.相棒と信頼」について述べました。

「相棒と信頼」の物語が読み手に強いインパクトを与えるのは、現実世界での人間関係と同じだからかもしれません。

 誰かを「信頼」していて、それでも別れなければならない状態に追い込まれたら。あなたはどの「相棒」と今後も「信頼」関係でいたいのでしょうか。

「相棒」と見込んだ相手ならば、最期まで「信頼」していたいものですよね。

 それほど強い人間関係だからこそ、物語として多くの作品に採用されています。



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