1232.学習篇:記憶は保てないと思え

 今回は「記憶はあてにならない」ことについてです。

 すぐれた頭脳の持ち主なら、ちらっと見ただけのものを憶えているかもしれません。

 しかし大半の人は、ひらめいたものをあとで思い出そうとしても思い出せないのです。

 それは「憶える」行為が脳力のリソースをかなり消費してしまうから。





記憶は保てないと思え


 アイデアを思いついたとき、ひらめいたときに「これは忘れないでおこう」と記憶しようとするでしょう。

 しかしのちほど思い出そうとしてもさっぱり思い出せない。それが人間です。

 生命に危害が加わるような、生死にかかわるものは一生忘れません。創作で思いついたものなんて、生死にかかわらないので憶えられるはずがないのです。




脳を創作に使うため、憶えたいなら必ずメモ

 判断力はずば抜けているのに記憶力がまったく駄目、という方はけっこういます。

 たとえば「一分間で二十個の単語を憶えてください」と言われたらどうでしょうか。

 五個も憶えられたらよいほうです。

 このくらい、脳は記憶するのが大の苦手。

 記憶するのはとても労力が要ります。

 小説を書くとき、必要となるのは記憶力ではありません。判断力です。

 もし記憶力だけで小説を書くとどうなるか。以前読んだ誰かの小説の一文を思い出して書いているにすぎません。つまりあなたの文章ではないのです。

 これでは創作家を名乗れませんよね。

 頭の中で構築してある物語を、どのように表現したらよいのか判断する力が「筆力」なのです。

 小説に求められるのは、その場その場を適切な言葉で表現する判断力であって、他人の表現を数多く憶えている記憶力ではありません。

 そこを誤ると、どこかの誰かの書いた文章とほとんど同じになってしまうのです。

 記憶力に頼らず、判断力で小説を書くには、記憶力が働かない工夫をしましょう。

 たとえば「メモをとる」。ちょっとした「憶えておきたいもの」を記憶力に頼らず、すべてメモ帳や付箋紙に書き出しておくのです。そしてパソコンのディスプレイにでも貼っておけば、記憶しておく必要がなくなりますよね。ただ、日付と時間が重要な場合もあります。その場合はパソコンのリマインダーやToDoリストに「○月△日□時にAさんに連絡」とアラーム設定しておきましょう。これで完璧に忘れても用事の時間に気づけます。


 小説のアイデアが思いついたら、その場でメモするクセをつけてください。

 たとえ就学中でも就業中でも、メモをとるくらい怪しまれずにできますよね。

 もしメモをとらず記憶力に頼ってしまうと、たいてい忘れてしまうのです。

 小説のアイデアは、一度思いついたら二度と思い出せない可能性が高い。

 なぜなら、周辺環境が特定の条件だからこそ、そのアイデアをひらめけたのですから。

 だから偶然同じ環境が整わないかぎり、一度ひらめいたアイデアは二度とひらめきません。

 それを記憶力だけに頼ってしまうと、憶えたつもりで忘れてしまいます。

 たちが悪いと「ひらめいた」ことすら忘れてしまう、最悪忘れたことすら忘れてしまうのです。

 せっかくひらめいたアイデアは、余さずメモするようにしてください。

 そのひらめきは「二度と思いつかない」と覚悟するべきです。




異世界は記憶では書けない

 思いついたことをメモしておけば、脳は記憶の呪縛から解放されます。

 創作に必要なのは判断力です。記憶ではなく感受性です。

 頭の中で思い描いている場面を、どのような文章で書くのがふさわしいか。それを感じとる力だけが求められます。

 たとえそれが「呉越同舟」と言い表すのが最適な状況であっても、「異世界ファンタジー」に「呉越同舟」なんて単語はふさわしくありません。異世界に「呉」も「越」も存在しないからです。しかし記憶に縛られていると、つい「呉越同舟」と書いてしまいます。それが最適だと「記憶が」訴えているからです。

 もしつい「呉越同舟」と書いてしまうのであれば、あなたは「異世界ファンタジー」ではなく「現実世界」の物語を書くべきです。

「異世界ファンタジー」はなんでも書けるように見えます。実際には知識を大幅に制限されてしまう「窮屈」な世界です。頭の中で「異世界」をすべて構築できる方だけが、正しく書けます。

「呉越同舟」という記憶(知識)にとらわれず、同じ事柄を別の言葉で表せるかどうか。「記憶力」に頼っているうちは必ずボロが出ます。

「異世界ファンタジー」を書きたいのなら、記憶にとらわれてはなりません。

 そんな言葉さえ知らないほど「バカ」になったつもりで小説を書いてください。

 ここ、重要です。

「異世界ファンタジー」は「バカ」にならないと書けません。

 一般人でも知っているような知識や常識も、異世界ではまったく通用しないのです。

 なまじ記憶力が高いと、知識や常識がすぐ思い浮かんでしまって、別の表現なんて思い浮かばなくなります。

 いったん「バカ」になって、主人公が今置かれている状況を読み手へどう伝えればよいのか、考えるクセをつけましょう。

 記憶から単語を選ぶのではありません。感性から単語の良し悪しを見極めるのです。

「文豪」といえば「文章を書くのにうんうんとうなってペンの尻で頭をかいている」イメージがありませんか。あれは記憶を引っ張り出そうとしているわけではないのです。今書いている状況では、どの単語が最もふさわしいのだろうか、と頭を悩ませています。

 ここで記憶力と知識のある方なら「推敲」という単語が思い浮かんだはずです。

 本コラムでも触れていましたからね。

 おさらいすると「唐の詩人賈島カトウが科挙試験を受けに行く途中、自作の詩で『僧はす月下の門』の部分を『たたく』とするべきか迷っていたら、都督であり高名な詩人でもある韓愈カンユの列にぶつかってしまいます。そこで韓愈が理由を尋ねて『敲く』のほうがよいと助言した」のです。これにより「推す」か「敲く」か適切な単語を探す。その行為を「推敲」と呼ぶようになりました。

 この故事を見てもわかるとおり、異世界に「推敲」という単語も存在しません。

 つまり「異世界ファンタジー」では「バカ」になって「推敲」の単語を知らない前提で、どう説明すれば伝わるかを工夫する必要があるわけです。

 当然「天ぷら」「かぼちゃ」も存在しません。諸説ある語源ですが、「天ぷら」は「テンパラチュア(temperature)」、「かぼちゃ」は「カンボジア」の聞き間違いから生まれた言葉ですからね。異世界に英語があるのも変な話ですし(その割に全員が日本語を話していても成立するのですが)、異世界にカンボジアがあるわけもありません。


 どうせ「バカ」になるなら、いっそ「推敲」「天ぷら」「かぼちゃ」を「あえて」使う手もあります。

 その世界にはないはずのものを、さもあるかのように書いてしまうのです。

 そもそもその世界の住人が全員「日本語」を話しているというのが異常ですよね。であれば「推敲」「天ぷら」「かぼちゃ」と書いても、それは「日本語」という名の「異世界語」だと主張できます。





最後に

 今回は「記憶は保てないと思え」について述べました。

 人間は、ものを憶えようとすると意識がそちらへ移ります。つまり感性で書かなければならない小説に「記憶」を持ち込んでしまうのです。それであなたらしい文章なんて書けません。

 だからひらめいたもの、憶えたいものは残さずメモしておきましょう。

 とくに異世界は記憶では書けません。書くと「矛盾」が生じます。

 この「矛盾」も中国古典『韓非子』に由来するので、本来なら異世界では使えません。

 そこでどうせ「異世界語」を「日本語」で書くのなら、故事成語も書けるはず。という屁理屈をつける方法もあります。

「バカ」になったつもりで、読み手へ丁寧に説明する手間をかけなければ、「異世界ファンタジー」は書けません。



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