1191.技術篇:面白い小説とは、つまらなくない小説

 今回は「面白い小説」についてです。

 反対の「つまらない小説」を考えて、そこから逆の「面白い小説」を見つけてみましょう。





面白い小説とは、つまらなくない小説


 ちょっと変わったサブタイトルをつけてみました。

「面白い小説」を考えてみたのですが、皆様に共通する「面白さ」はないのではと考え至ったのです。

 中国古典の常套手段「陰陽思想」には「陽の陰(裏)は陰。陰の陰は陽」という考え方があります。

 つまり「面白い」の反対は「つまらない」。「つまらない」の反対が「面白い」の公式が成り立つのです。

「つまらない小説」を考えて、その反対を行けば「面白い小説」になるのではないか。

 そこで、小説を「つまらなく」する要素をいくつか書き出してみます。




書き手の個性がない

 そもそも「つまらない小説」とはなにか。

 皆が同じものを書いていたら、読み手もいいかげん飽きてきます。

 小説投稿サイトでランキングに載っている人気のある作品は、えてして同じような作品ばかりです。

 だから私も今人気のあるものを書けば、きっと「面白い小説」と評価されるだろう。

 こういう皮算用をするわけですが、実際に書いて投稿すると反響がない。

 皆が同じものを書いているのに、なぜ私の作品だけ人気が出ないのか。ちょっと考えてしまいますよね。なにが間違っていたのか。

 それは「書き手の個性」が文章から感じられないからです。

 人気のある作品は、まったく同じ物語であっても「書き手の個性」がうまく表現されています。

「つまらない小説」には「書き手の個性」がないのです。

 誰が書こうとまったく同じ表現にとどまるから「つまらない」と感じます。

「あなたの個性」が感じられる表現を読めるから「面白い」のです。

 当たり障りのない表現を小手先で書けてしまう方は、小説にも相当な自信があるでしょう。

 それが駄目なのです。

 誰でも同じように書けるものをそのまま表現したら、皆が書けてしまいます。

 その程度の文章表現力で画一化された作品が、面白くなるはずがないのです。

 もしそれで面白い作品が書けるのなら、大学の国文科を卒業した学生や、専門学校で小説家コースを修了した学生なら、誰もが面白い小説が書けます。

 毎年何千、何万という卒業生、修了生が世に輩出されますが、その中で「小説賞・新人賞」を獲れる方はせいぜい五十人程度のはずです。「小説賞・新人賞」がだいたい五十個ありますからね。

 彼らは「文豪」の作品を細かく勉強し、「文豪」がどういった文章を書いたのかを研究しています。読解力はひじょうに高い。ですが読解力と表現力とはまったく毛色が違います。

 文章からどのような意図を感じ取るのか。それが「読解力」です。

 しかしどのような文章を書いたら、読み手にどう感じてもらえるのかについてはほとんど学びません。つまり「表現力」は教わらないのです。

 たとえ大学の国文科や専門学校を出ようと、書いた作品が読み手に正しく伝わるのか、表現力を磨いてきたのかとはまったく関係ありません。

 もし卒業する、修了する際に卒業課題として小説を書かせたとして、教える側にそれをすべて読んでいる時間はないのです。だから「つまらない小説」を書いても、小説の形をしていれば卒業・修了できます。そこに「面白い」「つまらない」の判断はありません。

 つまり「誰が書いても同じような表現」にしかならないのです。とくに同じ授業を受けていた人同士は、ほとんど同じ表現力しか有しません。




真似をしない

 小説投稿サイトのランキングを眺めていると、「これってほとんど同じ作品の気がする」というものに出くわします。それもひとつやふたつではなく。タイミングが悪いとトップ3が同じ、トップ10の半数以上が同じときがあります。

 これらは誰かが始めて、読んでみたら面白くて自分も書きたくなったから書いただけ、なのかもしれません。

 ですが、読み手として「同じような作品」ばかり読まされるのでは食傷してしまいますよね。

 人気のある作品だから「同じような物語」を書きたい、という方が現れても不思議ではありません。

 しかしそれがランキングの上位を占めるようでは、「人気のある作品」にタダノリしているだけのように映ります。

 するととたんに「つまらない作品」に見えてきてしまうのです。

 あれだけ「面白い」と思っていたのに、読めば読むほど「つまらなく」なってしまいます。

 真似をするとしても「入り」だけにして、中身は独創性のある展開が望ましい。

 そもそも同じアイデアからスタートしても、書き手によって展開は異なって当たり前です。展開まで一緒だと「パクリ」の印象が強くなります。

「続きを読ませる第一話」の作り方を憶えたいから、第一話を徹底的に研究する方はいらっしゃるのです。そういう方の作品は、中身の展開が独創性にあふれています。書いている当人でも「ここまでするとパクリになる」とわかっているからです。

 ウケる主人公、ウケる「対になる存在」、ウケるライバル、ウケる仲間、ウケる脇役など、人物設定を借りてくる方が多い。その人間関係までそっくり真似る方もいます。

 ですが、肝心の中身で独創性を発揮しなければ、あなたが書く必要なんてありません。人の手柄を横取りしようとしている、浅ましさが際立つだけです。

 真似も極めればひとつの芸になりますが、それはあくまでもモノマネ芸であって、オリジナルにはなりません。そしてオリジナルがいなくなれば、モノマネ芸人の需要はなくなります。

 真似はオリジナルの人気に寄りかかっているだけです。たとえ人気が出たとしても、それはオリジナルの人気であって、モノマネ芸の人気ではありません。

 もちろんモノマネ芸は観客を笑わせれば勝ちです。しかしオリジナルがいなくなればそもそも真似する対象がなくなります。昔の有名人を真似しても、それを知らない今の観客には雰囲気でしかウケないのです。雰囲気だけで笑わせようとすると、見た目を極端にデフォルメする方向へ走りがち。

 そういえば、最近テレビで「モノマネ番組」をあまり観ませんね。

 実際には放送されているのかもしれませんが、番組自体の人気はないような気がします。

 芸能界でも真似は敬遠されているのかもしれません。

 そのうち小説界隈でも真似は廃れてくるでしょう。

 表現者として生き残れるのは、いつだってオリジナルだけです。

 真似はオリジナルが活躍していなければ需要も生まれません。

 この際はっきり言っておきましょう。

 二匹目の泥鰌を狙ってコバンザメを続けても、けっしてオリジナルには勝てません。

 もちろん出版社レーベルから見れば「二匹目の泥鰌」はトレンドに乗れる格好の獲物です。あえて「コバンザメ商法」をとる出版社レーベルから「紙の書籍」化の打診もあるかもしれない。ですが王道のデビューとはなりませんので、トレンドが廃れたら捨てられて顧みられないでしょう。それでも「プロ」になれた、という勲章だけは手に入るのでしょうけれども。





最後に

 今回は「面白い小説とは、つまらなくない小説」について述べました。

「つまらない小説」は個性がない、真似をする作品です。

 要は「オリジナリティー」がない。

「オリジナリティー」を追求すれば、面白い作品は必ず書けます。

 モノマネ芸に走らず、自らの道を切り開いてください。



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