1135.鍛錬篇:落選したけど誇れる作品はあるか

 今回は「傑作」が書けたかどうかです。

 たとえ落選しても誇れるような、自分にとっての「傑作」を持っていますか。

 もしないのなら、今からでも「傑作」を書きましょう。





落選したけど誇れる作品はあるか


 勇気を出して「小説賞・新人賞」へ応募してみた。けれども落選した。

 悔しいものです。

 ですが「こんな作品が書けたんだから、たとえ落選しても胸を張れる」くらいの、あなたにとっての「傑作」は書けたのでしょうか。

 もし「傑作」が書けたと思えるのなら、それをステップにして、もう一段高いところを目指しましょう。




誇れる作品がないと

 以下は「小説賞・新人賞」の受賞者インタビューを読み込んだうえでの感想です。

 ほとんどの「プロ」の書き手が、一度は落選しています。

 処女作で初めて「小説賞・新人賞」へ応募して大賞を獲った方は本当に稀な存在です。

 なぜか。たいていの処女作は、大賞に選ばれるレベルに達していないからです。

 処女作で大賞のレベルに達するのは、偶然の産物でしかありません。

 そんな書き手だと大賞を獲ったのち「プロ」として作品を手直ししていく段階で、自分の才能のなさに気づいてしまいます。そして大賞を獲ったのに「紙の書籍」化せず去っていくのです。

 本人としては腕試しのつもりで執筆して応募した「小説賞・新人賞」なのかもしれません。しかし大賞を獲ってしまうと、もう腕試しなどと言ってはいられないのです。

 では生き残れる「プロ」は、処女作で去っていく書き手となにが違うのでしょうか。

 それが副題の「誇れる作品」です。

 生き残れる「プロ」は、たとえ一度や二度「小説賞・新人賞」に落選したとしても、「これだけ書けたのだから満足」というくらい、そのときの限界を引き出して執筆しています。

 限界を引き出し、それを踏み台にしてさらなる限界に挑戦する。

 まるでマンガの鳥山明氏『DRAGON BALL』の主人公・孫悟空のようですね。

 一作ごとにレベルアップしていき、超サイヤ人に。さらに超サイヤ人2に。

 なぜ「プロ」は安定してレベルの高い作品が書けるのか。

 それも「限界を何度も突破してレベルが高まっている」からです。

「落選したけど誇れる作品」が書ければ、次はもっと「誇れる作品」が書けます。

「誇れる作品」がないと、いつまで経っても同じレベルにとどまってしまうのです。いくら数多くの作品を書いたとしても、経験値がたまりません。

 だから小説を執筆するなら「たとえ落選しても胸を張って誇れる作品」になるよう今出せる最高の力で励みましょう。




最高をよりよくする

「誇れる作品」が書けて、それが落選した。落ち込んでいる暇はないですよ。

 あなたが「今出せる最高の力で執筆に励んだ誇れる作品」は、なにかが足りなかったから大賞を逃しました。

 そのなにかがわかるでしょうか。落選してすぐにはわからないかもしれませんね。

 しかし冷静になれたら、受賞作を読んだ後に「誇れる作品」を読んでみてください。

 そこにどんな差があったのか。なにが足りなくて受賞作に及ばなかったのか。それを見つけ出すつもりで読み比べるのです。

 すると「主人公の魅力が受賞作より劣っていた」とか「対になる存在が受賞作より目立てなかった」とか「ヒロインがあざとすぎた」とか。いろいろと気になる点が見えてきます。

 及ばなかったところがわかったら、次作では必ずそれを改善するつもりで執筆しましょう。

 もし及ばなかったところがわからなかったら、一度小説の執筆から離れてみてください。そして自分が書きたいものが見えてきたら、再度受賞作に及ばなかったところを見つけ出しましょう。

 時間をあけると「気づき」が得られます。

「時は金なり」と言いますが、よい「小説を書く」には時間をムダにせず書き続けるだけではなりません。ときに時間をあけて「気づく」のも重要です。

 人は理屈を知れば道理を理解します。しかし理屈だけでは本性までは変えようがありません。本性を変えるには、自発的な「気づき」が必要です。

 自分で「あ、そういうことか」と気づけたとき。それが本性を改めるきっかけとなります。

「誇れる作品」はその時点での最高傑作でしょう。それが落選すれば誰だってへこたれます。しかし「最高傑作」から及ばなかった点に気づければ、「より最高な傑作」が生み出せるのです。

 次の「小説賞・新人賞」へは「より最高な傑作」を投稿しましょう。

 これを繰り返すことが大賞への近道なのです。




大賞を逃しても全否定しない

 渾身の「傑作」が大賞にかすりもしなかった。これは本当に落ち込みます。

 そして「受賞しなかったこんな作品なんて、私の人生には必要ない」とばかりに応募した小説投稿サイトから作品を削除する方が多い。

 それは最もやってはならない行為です。

 その時点での「最高傑作」を全否定してはなりません。

 なにを基準にして次の「小説賞・新人賞」へ応募する作品が書けるのでしょうか。

「受賞を逃した作品」には逃しただけの理由が必ずあります。

 それを知らずに全否定して削除してしまっては、次に書く「最高傑作」も前作と同じレベルにしかなりません。

 その時点での「最高傑作」が落選したら、それは反省材料になります。

 大賞を授かった書き手の作品には、どこが及ばなかったのか。それを知らずに次作を書いても、また誰かに及ばない作品にしかならないのです。

 だから「大賞を逃しても全否定して小説投稿サイトから削除しない」でください。

 一作書くごとに受賞を逃す、反省材料にする、よりよい「傑作」に仕上げる、を繰り返すのです。

 そうすれば「小説賞・新人賞」へ応募した作品は、一作ずつ確実にレベルアップしていきます。レベルアップしていく過程が見られるのも、小説投稿サイトに応募作を残しておく理由のひとつです。過程がわかると再び創作意欲が湧いてきます。

「これまでの作品をさらに超える傑作を書く」というモチベーションにもつながるのです。

 だから「受賞しなかった作品」であっても、小説投稿サイトから削除しないでください。

「受賞しなかった作品」はいずれ大賞を獲った暁に、手直しして「紙の書籍」化の話が来ないともかぎりません。

 少なくとも、その時点での「最高傑作」だったのですから、物語自体はじゅうぶん面白いものだからです。

 でも応募した時点ではその「最高傑作」をじゅうぶんに表現できるだけの筆力がなかった。ただそれだけです。

 いつか筆力が高まって大賞を獲れれば、過去の「最高傑作」は新作のストックとなります。物語自体は面白い。それを手直ししたり構成の見直したりして「再構築」すれば、新たな「最高傑作」へと生まれ変わります。

 そんな宝物を、ただ「受賞を逃した」という理由だけで削除するのは、あまりにももったいなさすぎるのです。

 だから「今書ける最高傑作」なら、けっして小説投稿サイトから削除してはなりません。





最後に

 今回は「落選したけど誇れる作品はあるか」について述べました。

 落選したのは、受賞作にはなにかが及ばなかったから。

 その差を見つけ出さなければ、あなたの進歩にはつながりません。

「小説賞・新人賞」へは、そのとき書ける「最高傑作」を応募しているはずです。

 つまり「物語の面白さ」には誇れるほどの自信があると思います。

 それを「落選したから」と小説投稿サイトから削除しては駄目なのです。

 反省材料にして「より最高な傑作」が書けるようになりましょう。



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