1084.鍛錬篇:赤ちゃんの息とコミュニケーション

 今回は「初めは誰でもうまくできない」ことについてです。

「小説を書く」のは誰にでもできそうでも、実際書いてみるとよい評価が得られない。まったく反応がないこともあります。

 現在は小説投稿サイトの時代です。

 それに合わせて、書き手には執筆スキルだけでなく、コミュニケーションスキルも必要になります。





赤ちゃんの息とコミュニケーション


 文章を書くのは、さながら息をするようなものです。

 赤ちゃんがこの世に現れて初めて息をするとき、うまくできなくて泣き声をあげ続けます。

 あなたが小説を書こうとしても、初めのうちは赤ちゃんの息のようにうまくいかないはずです。

 赤ちゃんは息ができるようになるまで泣き続けます。

 あなたは小説が書けるようになるまであがき続けているでしょうか。




書きはじめは誰でもうまく書けない

 いざ「小説を書こう」と思いついても、実際にPCやノートに向かうとどう書いてよいのかわからない。だから私には小説を書く才能はないのだ。そう考える方が意外と多い。

 ですが、赤ちゃんは初めて息ができるようになるまで泣き続けます。そのうち息が整ってきて穏やかな寝息を立てるようになるのです。

「小説」も、赤ちゃんが息をするのと同じように、初めは誰でもうまく書けません。

 そこであきらめてしまった方は思い直してください。

 初めは誰もがうまく書けないものなのです。

 意味が通らなくても、文章を書くだけなら誰でもできます。

 日本人なら誰もが日本語を喋れるからです。

 ですが小説は「書き言葉」で書かなければなりません。日本語を喋れるつまり「話し言葉」ができるからといって「書き言葉」が使えるとは限らない。

 もし最初の小説(処女作)がスラスラと書けた方は、相当な数の小説を読んできたはずです。小説をたくさん読み「書き言葉」が脳に刻み込まれた方なら、処女作もスラスラと書け、「小説賞・新人賞」へ応募したら大賞を射止めることもありえます。

 読まずに書けはしないのです。

 たまに「今まで小説を読んでこなかったけど、小説を書き上げました」という剛の者も現れます。

 この言葉は話半分で聞いてください。

「今まで小説を読んでこなかった」というのは半分間違いです。

 現在の国語教育は「文豪」の書いた小説を学ぶところから始まります。つまり「小説をまったく読まない」はずがないのです。

 しかし学校で「小説の書き方」は教えてくれなかったはず。私も教わりませんでした。

 学校の国語では「文豪」の書いた小説を読んで、設問に答える「読解力」だけが求められました。あとは漢字の読み書きだけですよね。

 だから「今まで小説の書き方は教わらなかったけど、小説を書き上げました」が正しい。

 では「小説の書き方」はどう身につければよいのでしょうか。

 多くの「小説読本」「小説の書き方」関連の書籍の中から、あなたに合うものを読みましょう。

――と言いたいところですが、世にある「小説の書き方」を可能なかぎり集めてきたのが本コラムです。

 つまり本コラムを読めば「小説の書き方」は身につきます。

 たとえどんなに評価が低くても、小説を一本書き終えて小説投稿サイトへ掲載する。それがあなたにとっての「赤ちゃんの息」です。

 初めは誰もがうまく書けません。ですが処女作からすべての作品を小説投稿サイトへ掲載していれば、筆力は必ず高まります。これから小説を書こうと思っている方はとても運がよいのです。

 私が小説を書き始めた三十五年前にはこのような「作品を大勢に発表する場」なんてありません。だから自分の書いた作品がよかったのか悪かったのかわからない。唯一知り得る手段は「小説賞・新人賞」に応募することだけだったのです。それも賞を獲れたか獲れなかったかしかわかりません。

「赤ちゃんの息」が整うようにあなたの処女作が形になり、周りから「小説を書く人」と認められれば、ようやく第一歩を踏み出せます。

 昔は「紙の書籍」の「小説賞・新人賞」しかありませんでしたが、今は小説投稿サイトが出版社と「小説賞・新人賞」を共催しているのです。しかも応募作はすべて小説投稿サイトで読めます。同じ「小説賞・新人賞」へ応募している書き手と自分の作品とを比べて、うまく書けているのかまだまだ及ばないのかは一目瞭然です。もし多くの読み手に評価されれば、ランキングにも載れます。たとえ受賞できなくても、多くの方が読んでくれて評価してくれればよしとしましょう。




小説書きにとっての悪夢

 小説を書いていて最も嫌なのが「誰からも評価されない」ことです。

 たとえば「小説賞・新人賞」に応募すると、その作品は他の「小説賞・新人賞」へ応募できません。応募したら「二重応募」の禁則に触れるからです。

 これが「紙の書籍」の時代であれば、作品自体がよかったのか悪かったのかを知るすべはありません。主催雑誌には途中経過が載ります。一次選考を通過した。二次選考を通過して最終選考に残った。各賞に選ばれた。運がよければ大賞を獲れた。

 それしかわからないのです。

 しかし現在は小説投稿サイトが全盛の時代。「小説賞・新人賞」も主戦場は小説投稿サイトへと移りました。

 そして小説投稿サイトの「小説賞・新人賞」に応募すると、そのサイトの利用者は応募作の全文が読めます。つまりその作品自体が面白いのかつまらないのかは、ブックマークや評価によって判別できるのです。

 だから「小説を書く」のは「紙の書籍」時代に比べて孤独ではなくなりました。

 そう、昔は孤独な仕事だったのです。

 孤独に耐えられる人だけが、小説で食べていけました。

 あまりの孤独に自死したり早逝したりする書き手も多かったのです。「文豪」の中にも自死した者、早逝した者がいます。それほど孤独に耐えなければならなかった。

 ですが小説投稿サイトが「小説を書く」孤独を打ち破ったのです。

 今や「小説を書く」のは読み手との「コミュニケーション」手段となりました。

 TwitterやmixiなどのSNSでつぶやくのと同じ感覚になったのです。

 一話投稿するごとに読み手からブックマーク(リツイート)や評価(いいね)、コメントや感想(リプライ)で応援や叱咤され、次話の執筆にそれらが反映されるようになりました。

 だからこそ、書いた作品を小説投稿サイトへ掲載したのに「誰からも評価されない」と才能のなさを感じてしまうのです。


 あなたは、あまり話したことのないクラスメートに話しかけるときどうなさいますか。

 あなたの都合を優先して話しかけますか。それとも相手が興味を持つように話しかけますか。

 おそらく後者のはずです。であれば小説もかくあるべき。

 読み手が興味を持つように書かなければなりません。

 タイトルで興味を惹く、あらすじ・キャプションで興味を惹く、本文の最初の一行で興味を惹く。

 すべてが整って初めて読み手はあなたの作品を評価します。

 いずれかで興味を惹けなければ、魅力を感じず評価も残してくれません。

 書き手と「コミュニケーション」のとれない作品は評価されない時代なのです。

 もし夏目漱石氏が小説投稿サイトを利用していたら、どんな作品を書いたでしょうか。もし芥川龍之介氏が、もし太宰治氏が、もし三島由紀夫氏が。

 夏目漱石氏なら生き残れるかもしれません。彼は教師であり、生徒との「コミュニケーション」に長けた人物です。芥川龍之介氏は谷崎潤一郎氏と舌戦を繰り広げており、あまり「コミュニケーション」能力は高くなかったとされています。太宰治氏と三島由紀夫氏はともに自死しており、「コミュニケーション」能力には疑問符がつく。

 小説投稿サイトは「文豪」でも生き残るのが難しい。というより大半の「文豪」は誕生しなかったでしょう。昭和中期までの「文豪」は、孤独と闘いながら作品を書いていました。つまりほとんどの「文豪」は対人能力には長けていなかったのです。

 前述のとおり小説投稿サイトは「コミュニケーション」能力が物を言います。

 人付き合いが苦手だから小説を書いて、それで食べていこう。これはもう通用しません。

 今の小説は、読み手と「コミュニケーション」して作品を共同で創りあげていくものです。人付き合いが苦手だとかなりのハンデを背負います。読み手が振り向いてくれるまで孤独にアピールをし続けなければならないからです。

「いつか誰かが気づいてくれる」という淡い期待は抱かないほうがよいでしょう。

 読み手から評価されなかった連載は早々に畳むべきです。

 読み手から評価されなかった短編小説は素直にあきらめてください。

 悪あがきするのも結構ですが、得られるものは限られます。その限られたものを手に入れようとしても「労多くして功少なし」です。

 短編小説は、次作から見知らぬ相手の興味を惹くような入り方にしましょう。

 連載小説はそれに加えて、読み手との「コミュニケーション」を重視してください。読み手が「こんな展開が読みたい」と述べてきたら、本筋が変わらないよう注意しながらリクエストに応えるのです。リクエストを取り入れれば物語に幅が生まれます。書き手ひとりでは気づかなかった作品の魅力を引き出してくれるのです。

 だからこそ小説投稿サイトには「コミュニケーション」能力が欠かせません。

 小説を通じた意思疎通。「コミュニケーション」こそ小説投稿サイト時代の「小説の書き方」なのです。





最後に

 今回は「赤ちゃんの息とコミュニケーション」について述べました。

 赤ちゃんは息を身につけるまで泣き続けます。泣き続けながらも、自分が息苦しくないことに気づいたら泣き止んで眠りにつくのです。それ以降、息遣いを意識しなくても呼吸できるようになります。

 小説も、初めのときはどう書いてよいのかわからず煩悶はんもんとするのです。しかしあがき続ければ、いつか赤ちゃんの息のように自然と自分の書き方がわかってきて、スラスラと書けるようになります。

 しかしそれだけでは現在の小説界は生き残れません。

 現在の小説界には「コミュニケーション」能力が欠かせないのです。

 小説投稿サイトはSNSの一種だと思ってください。読み手と「コミュニケーション」することで作品をともに創りあげていきましょう。

 執筆中は孤独を感じるものですが、投稿したら読み手と積極的に「コミュニケーション」を図ってください。



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