1060.鍛錬篇:思いついたらどんなにくだらなくても書く
今回は「どんなものでも書く」ことについてです。
「あなたの素の思考」を書き出しているとき、ふと「つまらないのでは」「くだらないのでは」なんてことが浮かんできます。
たとえそうであっても、囚われず自由に「あなたの素の思考」を紙のノートへ書き出してください。
思いついたらどんなにくだらなくても書く
「あなたの素の思考」で思いついたら、それがどんなにつまらなくてもくだらなくても、紙のノートへ書き出してください。
今のあなたにとってはつまらなくてもくだらなくても、数日後、数年後には価値を見出だせるかもしれません。
そのときネタに困らないよう、思いついたらなんでもノートに書き出しましょう。
あなたの素の思考を選別するな
「あなたの素の思考」を書き出すときはそれがどんなものであれ、絶対に選別しないでください。
思いついたら余さずすべて書くのです。
たとえば紙のノートへ「あなたの素の思考」を書き出しているとき、目の前を一匹の蚊が飛んできたとします。
そのことに気づいて「あ、蚊だ」と思ったら、それがこれまでの論旨とまったく関係がなくても「あ、蚊だ。」と書かなければなりません。あなたがまさにそのとき思いついたことだからです。
つまらないとかくだらないとか。そんなフィルターは要りません。
「あなたの素の思考」はなにものにも遮られてはならないのです。
頭の中、心の中をそのまま紙のノートに書き出してください。それさえもできなければ、小説を書くのは難しい。小説はあなたの頭の中、心の中にあるイメージを文字に起こして、読み手が同じイメージを頭の中、心の中で再現する「一次元の芸術」です。
まずあなたの頭の中、心の中をなにも考えず文字にします。それが文章として整っていなくてもよいのです。むしろ整っているほうがおかしい。
人間の頭の中、心の中はあらゆる煩悩が絶えず湧きあがっています。紅茶が飲みたくなった。ハンバーガーを食べたくなった。トイレに行きたくなった。もう眠たくなった。そんな原始的な「欲求」が突如として湧きあがります。
もし原始的な「欲求」つまり煩悩がいっさい湧きあがらなければ、あなたはすでに悟りを開いています。煩悩から解脱する域に達しているのです。もしそうなら、あなたは小説書きではなく、高僧を目指しましょう。人々を煩悩から救い出すのです。
悟りを開いていない私たちは、煩悩が湧いたらそれを余さず紙のノートへ書き出さなければなりません。将来煩悩と向き合うために。
つまらないとかくだらないとか。そんな気持ちの湧きあがりは煩悩があるからです。
煩悩という名のフィルターが、あなたを「己の素の思考」へ近づくのを拒みます。
「あなたの素の思考」が現実世界に形として吐き出されたら、あなたは煩悩のひとつを見つめられたのです。また同じ煩悩が湧きあがることもあります。それは私たちが悟りを開けていないからです。何度でも同じことを書き出してかまいません。「一度書いたから」というフィルターにさえも遮られてはならないのです。
本来の嗜好や
あなたが「己の素の思考」と向き合うことで、どんな嗜好や
伏見つかさ氏の著作に『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『エロマンガ先生』があります。伏見つかさ氏を有名にしたのはこれら「妹萌え」の作品なのです。もし伏見つかさ氏に「妹萌え」という要素がなかったら、そもそも「妹萌え」の小説は書けなかったでしょう。
腕のある書き手なら「己の素の思考」に「妹萌え」要素がなくても「妹萌え」小説は書けるはずです。しかしそれほどの腕があれば、そもそもあえて「あなたの素の思考」に存在しない要素を苦労してまで書く必要などまったくありません。苦もなく書ける「あなたの素の思考」に存在する嗜好や
ちなみに「妹萌え」は妹のいない環境でも嗜好としている方々がいます。男兄弟しかいなくても「妹萌え」要素を持っている方は存在するのです。
だからこそ「あなたの素の思考」をすべてさらけ出さなければなりません。
あなた自身思ってもいなかったものを引きずり出すのが、「あなたの素の思考」を紙のノートへ書き出す理由のひとつです。
理性をかいくぐって深層へたどり着く
思いついたら、どんなにつまらなくてもくだらなくても、全部紙のノートへ書き出しましょう。
人は表層意識だけで物事を考えすぎです。
その人の本当にたいせつなものは深層心理・潜在意識へ、本人さえも気づかずにぽつんと佇んでいます。
つまり当人の意識だけでは一生かかってもたどり着けないのです。
そのことに気づくには「あなたの素の思考」を紙のノートへ書き出すしかありません。
とにかく書いてみる。毎日書いてみる。たとえつまらなくてもくだらなくても全部書いてみる。
そうすればきっと意識と切り離された部分で佇んでいる隠された嗜好や
たどり着くのを妨げているものこそ、「コントロールしようとする力」つまり理性です。
理性が自由な発想を抑制してしまいます。
禅宗では座禅を組んで「無」となり、理性のたがを抑制するのです。
だから紙のノートが続けられない方は、座禅を組んでください。ですが、座禅を組んで隠されたところへたどり着くには相当な時間を必要とします。
それよりも紙のノートへ「あなたの素の思考」を書き出し続けたほうが、はるかに短時間でそこへたどり着けるのです。
つまらない、くだらない、大いに結構。
そういうものをどんどん紙のノートに書き出していくことで、その下へと潜り込めるのです。
今書き出している物事を批判したくなったら、そこで執筆作業は終了します。そして「どんな批判をしたいのか」を続けて書きまくってください。批判を出し切れば、もう二度と同じ批判は湧きあがりません。その批判については決着しているからです。
恐れず「あなたの素の思考」を引き出していきましょう。
本来のあなたがどんな人物なのかに気づければ、書きたいものも自ずとわかります。
あなたが心の奥底から「剣と魔法のファンタジー」が書きたいと思っているのか。
本来のあなたはマンガの和月伸宏氏『るろうに剣心〜明治剣客浪漫譚』のような「時代」ものが好きなのかもしれません。
世間のウケ狙いでジャンルや作風を決めるよりも、本来のあなたが書きたいジャンルや作風を選ぶべきです。
先ほども書きましたが、筆の乗りがまったく異なります。
「本来のあなた」を見つけるために、紙のノートに消せない筆記具で「あなたの素の思考」を書き出し続けるのです。
とにかく書きまくりましょう。
批判したいと思ったら執筆作業はやめて、とことん批判のコメントを書き出しまくってください。延々と批判し続けるのです。出せるものがなくなるまで絞り尽くしましょう。言いたいことがなくなるまで批判しまくれば、もう二度と同じ批判は思い浮かばなくなります。
そうなれば、翌日の「あなたの素の思考」を書き出す鍛錬は、より深みへと潜っていけるのです。
最後に
今回は「思いついたらどんなにくだらなくても書く」ことについて述べました。
「あなたの素の思考」をとにかく紙のノートに書きまくってください。
それがつまらないとかくだらないとか考えずにひたすら書きまくるのです。
つまらないなとかくだらないなとか考えると「あなたの素の思考」へとたどり着けなくなります。
だから「たとえつまらないとかくだらないとか感じてもよい。どんなにつまらなくてもくだらなくてもすべて書き出す」つもりで取り組みましょう。
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