993.筆洗篇:地の文のテンポ【回答】
今回は「地の文のテンポ」についての回答その1です。
「テンポ」は緩急で表されます。
ゆったりと読ませたいのか、パパパッと読ませたいのか。
それを考えましょう。
地の文のテンポ【回答】
今回もご質問にお答え致します。
皆様は小説を書くときに「テンポ」を意識したことがありますか。
ここで言う「テンポ」とは「リズム」とは異なりますのでご注意ください。
「リズム」は次回に執筆予定です。
スピードとしてのテンポ
本来「テンポ」はスピードのことであり、たとえば「テンポ120」なら「1分間に4分音符が120回鳴るスピード」を表しています。だから今回のご質問である「テンポ」は本来文章の「リズム」を意味しているはずです。
ですが「テンポ」について先にお話ししておかないとわかりにくいと思い、今回は「スピード」としての「テンポ」を取り上げました。
「テンポ」には明確な答えがあります。短文なら「テンポ」が速く、長文なら「テンポ」は遅くなります。
たとえば「窓の外を見たら雨が降っていた。」と「雨が降っていた。」と「外出しようと思い、窓の外を眺めてみたらあいにく雨が降っていた。」の三パターンあったとしましょう。
この中で最も「テンポ」が速いのは「雨が降っていた。」です。いちばん短いですから、この文はすぐに読めたと思います。最も「テンポ」が遅いのは「外出しようと思い、窓の外を眺めてみたらあいにく雨が降っていた。」です。いちばん長いですから、一文を読み終わるまでに時間がかかりましたよね。
数々の文章読本でオススメされているのは、「テンポ」の速い文章です。つまり短文を連続させて一文一文をサクサクと読んでもらえるようにします。
「テンポ」の速い文章は一文が短く、
「テンポ」の遅い文章は一文が長く、一読して意味を理解するのに時間がかかります。
小説読本でも、よく「テンポ」の速い短文を用いるよう指摘するものがあるのです。ただし、私は小説の「テンポ」は書き手次第だと思っています。
現に長文でも味わい深い文章に仕上げる書き手もいらっしゃるからです。たとえば野坂昭如氏の文は、とにかく長い。一般人なら「句点」で区切れるだろうと思うところですら「読点」によって文をつなげてしまいます。
長文を用いる文体は書き手のセンスによる
たとえばこんな文章は一読で理解できますか。
「今日は私の誕生日なのだが、二十代で結婚して子どもを産みたいと思っていたのに、二十九歳になっても彼氏ひとりできないなんて、世の中どうかしている。」
意外と理解できてしまいます。なぜかと言えば、助詞が重複していないからです。
助詞「は」「が」「で」「を」「と」「のに」「に」はそれぞれ一回しか用いていません。これが長文でもわかりやすくなる秘訣です。
私は本コラムをおよそ千日連続で投稿していますから、意識しなくてもある程度「助詞の重複」しない文章が書けてしまいます。
あえて崩すのは、私にとって難易度が高いのです。
長文スタイルは「助詞の重複」を回避できない人が真似るとほとんどの場合「悪文」になります。
「とにかく長い文を書けば味わい深くなるんだな」と形から入って、結果として複雑な入れ子構造の文章が出来あがってしまうのです。
「今日は私の誕生日なのだが、そういえば今年で私も二十九歳になったのだなと思い返して、中学生の頃は二十代で結婚して子どもを産みたいと思っていたななんて考えていたものだが、今日に至るまで彼氏のひとりもできなかったから、私って意外と不幸じゃないかな。」
今回は意識して助詞の重複を考えたのですが、助詞「は」「が」「も」「と」を重複させるにとどまりました。私の文体では、どうにも「助詞の重複」が難しいようです。
ですが、読みにくさは伝わったのではないでしょうか。
入れ子構造も意図的に取り入れていますので、「なんのこっちゃ」と思うような文になったはずです。
読みやすい長文は重文になっている
では次の長文ならどのように感じますか。
「今日で二十九歳の誕生日を迎えた私は、二十代で結婚して子どもを産みたいと思っていたのに、いまだに彼氏のひとりもいないつましい生活を送っていて、すぐにでも誰か好きな人ができて結婚式を挙げ、なんとか二十代ギリギリで出産したいと思っているのだが、なかなかよい人に巡り会えないなんて、私ってかなり不幸な人間なのではないかと最近思い始めている。」という文。
この長文を読んでみると、意外と頭の中にすっと入ってくるのではないでしょうか。先ほどの長文よりも長いのにわかりやすい。
なぜかと言えば「短文をつなげて長い重文に仕上げているから」です。
短文にバラしてみると「私は今日で二十九歳の誕生日を迎えた。二十代で結婚して子どもを生みたいと思っていた。なのにいまだに彼氏のひとりもいないつましい生活を送っている。すぐにでも誰か好きな人ができて結婚式を挙げたい。そしてなんとか二十代ギリギリで出産したいと思っている。しかしなかなかよい人に巡り会えない。私ってかなり不幸な人間なのではないか。最近そう思い始めている。」になります。
ほとんど修正していません。単に短文へ改めただけです。先ほどの長文は、このような短文を「テンポ」よく読ませたいがため、わざと「句点」を省いた形に仕立てました。「思う」の「重ね言葉」はありますが、それぞれ短文に切り出すと、まったく別の文であることがわかります。だからそれほど違和感を与えません。
野坂昭如氏の長文はこちらの「短文をつなげて長い重文」に仕上げているのです。
フラッシュの連続、滑らかな重文
短文を重文でつなげると、テンポは遅くなります。その代わり、流れるような動作が表現できるのです。
極端な短文の連続はただのぶつ切りになります。「今日で二十九歳。誕生日を迎えた私。二十代で結婚したい。そして子どもを産みたい。でもいまだに彼氏がひとりもいない。つましい生活だ。すぐにでも結婚式を挙げたい。そして子どもを産みたい。でもよい人には巡り会えない。私ってかなり不幸なのでは。最近そう思い始めている。」
今回はとにかく短くしてみました。読んでみたらぶつ切りもよいところです。でもテンポは速まりましたよね。サクサクと読めるはずです。極端に短いからでしょう。
でも、これはこれで味わいがある。なぜかなと思って分析してみると、形容詞文が多いのです。とくに「そして子どもを産みたい」が二回出てきます。つまり韻を踏んでいるし反復しているのです。だからぶつ切りでもそれなりに味わいが出てきます。
本コラムをおよそ千回続けていますので、どうも下手な短文すら書けないようになってしまいました。
本来喜ばしいことなのに、うまく説明できない歯がゆさを感じるのです。わかっていただける方は少ないと思いますが。
短文を連続させるとテンポがよくなって、躍動感が出ます。
長文を書くとテンポが遅くなって、じっくりと描写できるのです。
たとえばバトルシーンを考えてみてください。長文で書きたい場面ですか。それとも短文の連続で書きたい場面ですか。
おそらく「短文の連続」を選ばれた方が多いと思います。
「左ジャブを三回打つ。すべてかわされた。読まれているのか。一発右の大砲を打ってみた。間髪入れずに左のカウンターが飛んでくる。慌ててダッキングしてかいくぐった。」
いかがでしょうか。「短文の連続」によって場面のフラッシュを見るかのように次々と動作が浮かんできませんか。
しかしこれが唯一の正解かと言えば違います。「短文の重文」にしても動作が次々と浮かんできます。
「左ジャブを三回打つと、すべてかわされ、読まれているのかと思い、一発右の大砲を打ってみたら、間髪入れずに左のカウンターが飛んできて、慌ててダッキングしてかいくぐった。」
こちらは滑らかに動作が連続しているように感じませんでしたか。
「短文の連続」はフラッシュのようにチカチカと動作が浮かぶのに対し、「短文の重文」は一連の滑らかな流れを見ているようです。
バトルの描写としては、これはこれで「あり」でしょう。
短文にするか長文にするかの差に見えます。しかし実際は短文にするか重文にするかの差です。単なる長文ではここまで滑らかなバトル描写はできません。あくまでも短文を重文にして動きをつなげるのです。
最後に
今回は「地の文のテンポ【回答】」について述べました。
テンポを意識した文章を書きましょう。
ゆっくりと読ませたいのか、パパパッと読ませたいのか。
それを意識するだけでも、文章のテンポが整いますよ。
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