772.回帰篇:下手は恥じゃない
今回は「下手は恥じゃない」ことについてです。
「自分はまだまだ下手だから、小説投稿サイトに掲載するのをためらってしまうな」という方が多いと思います。
ですが「下手だからこそ」投稿すべきなのです。
「恥をかく」のは嫌だと思っているうちは、うまくなれません。
下手は恥じゃない
小説を何本も書いていてもいっこうに「小説賞・新人賞」の一次選考を通過できない。だから自分には文才がないのだ。
こう考える方がひじょうに多い。
確かに今のあなたに文才がないから一次選考を通過できません。これは事実として受け入れましょう。
では「文才がないから小説を書いてはいけない」とお思いですか。
私は「文才がないからこそ小説を書くべき」だと考えています。
「下手な小説」を「小説賞・新人賞」に応募するのは恥ではありません。「下手」なればこそ、検証し改善するための叩き台にできるからです。
どこがどうなっているから「下手」なんだ。この「どうなっているから」を見つけ出し、表現を改めていくことで、あなたは小説の本質に一歩近づけます。
「どうなっているから」を見つけ出すには、原稿を寝かせることがたいせつです。小説を書いていた頃の興奮が冷めてから心静かに読み返してみることで、至らなかった点を見つけやすくなります。
至らない原稿になった原因は
読み返しもせず、「自分の作品が受賞できないなんて、見る目のない選考委員だな」と「他人のせい」にすることがあってはなりません。
「他人のせい」にしている間は、正しい「小説の書き方」を学ぶ、そして気づくことができない。
この姿勢こそが「至らない原稿」を量産してしまう原因です。
だから小説を書きまくっているときは、絶対に「他人のせい」にしないでください。
「小説を書く」ことは、つねに試行錯誤の繰り返しです。「この表現のほうが的確か」「こうしたほうがよりわかりやすいか」「あえてストレートに表現したらどうか」と、ああでもないこうでもないと頭を悩ませます。
これはあなたに「文才がない」わけではないのです。「文豪」であっても必ず試行錯誤を繰り返し、「どういった表現が最適なのか」について頭を悩ませ続けました。その結果として大傑作が生まれることもあれば、駄作に終わってしまうこともあったのです。
「文豪」ですら悩みます。だから「これから小説を書こう」としている方が、一文の表現で悩むことは恥ではないのです。
一文の表現を気に留めず、流れを重視して書くのも一つの方法だと思います。
ですが、推敲する段階では、一文の表現に心を砕いてほしいのです。
今はPCのワープロソフトでいくらでも付け足したり削除したり順番を入れ替えたりできます。元ファイルを複製しておけば、以前の状態に戻すことも可能です。
そんなコンピュータ時代の小説は、「推敲を妥協した」段階で「至らない原稿」が出来あがります。徹底的に推敲すれば完成度はどんどん高まっていくのです。なのに「推敲に飽き」て妥協してしまう方がとても多い。これはたいへんもったいないのです。推敲すればもっと完成度が高まったはずなのに、なぜ途中で飽きて妥協してしまったのか。
他人の小説を読んでいると「ここってこう表現したほうがよりよくならないかな」と疑問が湧いてくることはないでしょうか。私はよくあります。
直近では文庫化された村上春樹氏『騎士団長殺し』の冒頭を読んで、「なんでこの人はいまだにこんなことを続けているのか」と呆れてしまいました。周知の通り、私は村上春樹氏の作品が大嫌いです。元々文学小説に造詣は深くないのですが、それでも村上春樹氏の文章には違和感を覚えてしまいます。
村上春樹氏の小説は地の文のほとんどが「〜た。」で終わります。それも気持ちが悪いほどに。『騎士団長殺し』も勇気を出して昨日書店で立ち読みしたら、例に漏れず冒頭から「〜た。」だけで終わっていました。やはり私は村上春樹氏の感性にはついていけないようです。もちろんそんな「春樹節」とでもいうべき「〜た。」を愛する読み手も多いのでしょう。だからこそ出版部数自体は高いんですよね。ただ古本屋さんで村上春樹氏の作品はなかなか買い取ってもらえないとも聞きます。皆すぐに売りに来られるからだそうです。つまり本当の「読み切り」であり「読み返すほどには面白くない」と皆わかっているのでしょう。
「〜た。」を重ねる文体は、ある意味で「恥」です。語尾の多様性を無視して「〜た。」ですべて終えてしまいます。ある程度小説が書けるようになって村上春樹氏の作品を読んでみると「なぜ地の文がすべて『〜た。』で終わるんだろう」と気になって仕方なくなるのです。だから小説が書ける人ほど、村上春樹氏の評価は低くなるのだと思います。それこそ村上春樹氏が芥川龍之介賞を受賞できなかった原因かもしれません。
それでも村上春樹氏は「〜た。」にこだわり続けます。もはや「恥」以外のなにものでもないのですが、それが翻訳家でもある彼にとって自然に書ける文体なのでしょう。
どんなに「恥」をかいてでも「自分の書きたいように書く」ことを徹底するあたりに、村上春樹氏の非凡さがあるのかもしれませんが。
下手は恥じゃない
「文豪」や村上春樹氏でも「つまらない作品」を書くものなのです。アマチュアのあなたが「つまらない作品」を書くことは「恥」でもなんでもありません。「文豪」や村上春樹氏は「つまらない作品」を「紙の書籍」化しているぶん、面の皮が厚いと言い切ってよいでしょう。
「つまらない作品」を書く人つまり「小説を書くのが下手」な人は、確かに恥ずかしい思いをします。しかし「どの部分がどのようになっている」から「つまらなく」なっているのか。失敗作を振り返ることではっきりと認識しましょう。
この「振り返り」をしっかりと行なうことで、書き手は自分の至らなさに気づいて善処できます。
「下手」な作品を書いてしまったのは、現時点での実力不足を表しているのです。そこから逃げてはなりません。逃げてしまうことが「恥」なのです。
たったひとつの部分を見つけ出すだけかもしれません。それでもかまわないのです。ひとつ見つけ出すことができれば、その失敗を改善しようと努力できます。次に書く小説では、その点で二度と失敗しないように工夫しながら書けば、必ず前作よりも「よい小説」が書けるのです。それでも及第点にすら達しない可能性もあります。達しないのなら、達するまで「つまらなく」なった要因を見つけ出し、次の作品で工夫し続けるのです。そうすれば間違いなく「小説賞・新人賞」の一次選考を突破できます。それは小説として「最低限の文章」が書けるようになったことを意味するのです。
二次選考は物語を見られる
二次選考は物語の「面白さ」が問われます。これは「物語作り」そのもののことです。
どのようにして「面白さ」つまり「物語作り」を改善すればよいのでしょうか。
物語の「面白さ」は構造と展開から成り立っています。
構造は「序破急」「起承転結」といった物語の形です。どこで説明してどこで盛り上がってどこで締めるのか。これを決めるのが構造です。
展開は「主人公」と「対になる存在」がどのように絡み合うのか。仲間や敵との出会いと別れ、協力と裏切り、「主人公」やその周りが「対になる存在」側からどんな仕打ちを受けてなにかを取り返すために立ち上がる。そんな展開を決めるのです。
これは物語のパターンをどれだけ知っているかが関わってきます。
あなたが「こんな作品を書いてみたいな」と思い立った小説を、何度も読み返してみてください。その際、どんな構造をしているのか、どんな展開をしているのか。意識しながら読み、気づいた点を紙に書き出しましょう。あなたにとって「面白い」と感じた小説が、なぜ「面白い」のか。その秘密を手に入れるのです。
正直に言ってしまえば、この「面白さの秘密」を手に入れてあなたの小説に組み込めば、多少文章が下手でも「小説賞・新人賞」は獲れてしまいます。
私は「最低限の文章が書ける」ほうを優先しますが、「面白さの秘密」から小説を書くことも方法論としては「あり」です。ただしあまりにも文章が拙すぎれば、どんなに「面白い」作品であろうとも、選考さんは数行読んだだけでギブアップしてしまいます。
だから「最低限の文章が書ける」ほうを優先してお話ししているのです。
最後に
今回は「下手は恥じゃない」ことについて述べました。
一次選考を通過しない小説を書いてしまった。そのことを「恥」だと思わないでください。一次選考は「最低限の文章が書ける」ようになれば、自然と突破できるものです。
どこが悪くて一次選考で評価されなかったのか。これを振り返って見つけ出す眼力を養わなければなりません。そのためには、通過しなかったあなたの作品だけでなく、通過した他人の作品も検証しましょう。
そこに見られる「差異」に気づけるかどうか。気づければ「下手は恥じゃなく」なるのです。
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