589.明察篇:紋切型を避ける
今回は「紋切型」についてです。
慣用句や常套句、決まり文句の類いを「紋切型」と総称します。
本当にそのような状態なのですか。紋切型は言葉こそわかりますけど、状態が伴っていないものも多いのです。
状態が伴っていないのなら「紋切型」を使うべきではありません。
紋切型を避ける
小説に限らず、文章でなにかを表そうとするとき、とくに考えもしないで紋切型の表現を用いることがあります。
しかし紋切型は読み手の誰もが知っている表現です。そんなものがいくつ書いてあっても書き手の技量は測れません。
紋切型でない、書き手独特の表現こそが、読み手に書き手の腕前を示すことになります。
紋切型とは慣用句・常套句・決まり文句とも言うので、こちらのほうがわかりやすいかもしれませんね。
目を丸くした
登場人物が驚く場面で、誰もが「彼は目を丸くした」「浩一は目を丸くした」などと紋切型の表現を書いてしまいます。
しかし出てくる人物がことごとく「目を丸くした」のでは、読み手になんの印象も残せません。
たとえば「彼は驚きのあまり両目をこれでもかと見開いて体がこわばった」と書いてはどうでしょうか。
紋切型の「目を丸くした」よりも光景が鮮明に見て取れるのではありませんか。
しかし出てくる人物がことごとく「彼は驚きのあまり両目をこれでもかと見開いて体がこわばった」と書いたらどうでしょう。この表現もまたその作品の中で紋切型になってしまいます。
登場人物が驚く場面では、その時々に合わせて最適な表現をしなければなりません。
ひとつの表現が生み出せたからといって、それを使いまわし続けるのはただの手抜きであり、読み手への侮蔑に等しいのです。
登場人物が驚くのであれば、その性格や性質や状況などに合わせた驚き方があります。それを見つけ出して文章に書いていくのが小説の書き手なのです。
私はよく「ざわつく」という言葉を用います。しかもたびたび用いるため私にとっての紋切型になっているのです。できれば別の表現を模索したいと思っています。
不敵な
ふてぶてしい笑い方を指して「不敵に笑う」「不敵な笑みを浮かべる」「不敵な面構え」と書いてしまう。
これも紋切型の典例です。元は「大胆不敵な」から来ています。
「不気味な笑い」「気味の悪い笑み」「ふてぶてしい笑い顔」「むかつく笑顔」のように「恐れ知らず」な印象を持つ笑い方です。
「普通とは様子が異なった」笑顔ということでは「異様な笑い」「謎めいた笑い」「うす気味の悪い笑み」「奇妙な笑み」というのもあります。
これらはすべて紋切型の表現です。
「目が据わり右の口角を上げながらゆるやかに笑った」くらいの描写ができないものでしょうか。
こちらも、性格や性質や状況などに合わせたふてぶてしい笑い方があります。作中に出てくる「不敵な笑み」はすべて別の表現がなされるべきです。
くすりと
ちょっとした笑い方を指して「くすりと笑う」「くすっと笑う」「くすくすと笑う」と書いてしまう。
もうお気づきかもしれませんね。これも紋切型です。
「彼女は平静を装いながらも、ちょっと恥ずかしそうにこらえきれず声を殺して笑った」くらいは書きましょう。
笑い声は性別や性格や年齢といったもので大きく変わります。
それをひとまとめに「くすりと」「くすっと」「くすくすと」で片付けてしまう書き手が案外多いのです。
笑い声では他に「ガハハと」「ワハハと」「ウヒヒと」などがあります。いずれも紋切型です。
「男はふんぞり返って声を大にして笑った」「頓狂なしぐさに声高に笑ってしまった」「男は卑屈そうな癇に障る笑い声を立てた」くらいはすっと出てきますよね。
と言った
皆様にとってあまり気にしない紋切型として「と言った」があります。「そう言った」や「言ったそばから」なども同様です。
そもそも会話文を示すカギカッコ「 」そのものが「言った」ことを指し示す記号になります。
つまり厳密には[「 」と彼は言った。]は「馬から落馬した」と同様の重ね言葉(重言・二重表現)です。
紋切型と重ね言葉。これを小説で書くのは、自ら作品の質を落としているのです。
「言った」には「ささやく・つぶやく・叫ぶ・喚く・そそのかす・グチる・罵倒する・うそぶく・告げる・誘う・吐き捨てる」などの語彙があります。
また「 」のあとに動作を書くことで誰が言ったのかを特定することもできるのです。
「提案する・笑い飛ばす・せせら笑う・賛成する」など直結する動作は脳裏に浮かんでいますよね。それを書きましょう。
どうしても「言った」としか書けない状況のときもあるのです。そのときは修飾語を付けて「照れくさそうに言った」「恥ずかしそうに言った」「申し訳なさそうに言った」「虚しく言った」「空々しく言った」のように、どんな動作や状態で言ったのかを書いて区別します。
走馬灯
紋切型の最たるものがこの「走馬灯」です。
「今までのことが走馬灯のように浮かんでは消えていく」などと使いますよね。
しかし実際に「走馬灯」を見たことのある書き手がどれほどいるのでしょうか。
「走馬灯」を見たことのある読み手がどれほどいるのでしょうか。
現在「走馬灯」を見たことのある人はごく少数です。
本来「走馬灯」とは江戸時代にロウソクを使ったカラクリ式の、絵を書いた回り灯籠を指します。どこかの博物館にでも行かなければ体験することすら難しい。
誰も見たことがない「走馬灯」を文章に用いること自体が紋切型の最たる例なのです。
蜘蛛の子を散らすように
これも紋切型の最たるものです。
あなたは「蜘蛛の子」を見たことがありますか。都会ではまず見なくなりました。
自然の豊かなところではまだ見られるかもしれません。
そんな見たこともない「蜘蛛の子」が「散らすよう」に逃げていくさまを見た人なんてまずいないはずです。
なのにあなたの小説で「蜘蛛の子を散らすように」を使ってしまいます。
この紋切型が読み手ウケすることはまずありません。
書き手が知っている慣用句を使っただけにすぎない。また読み手も慣用句として知っているからどういう意味かは理解できる。でも具体的な情景が浮かんできませんよね。
手に汗握る・首を長くして・肩を落とした
「手に汗握る熱戦を繰り広げた」「手に汗握る展開でハラハラした」といった「手に汗握る」も紋切型です。
すっぱり切り落として「熱戦を繰り広げた。」と書いたり、言い換えて「熱気あふれる展開で目が離せなかった。」と書いたりしたほうがわかりやすい。まぁ「目が離せない」も紋切型なので、ここは皆様の感性に期待します。
「首を長くして吉報を待っていた。」の「首を長くして」も紋切型です。こちらは「吉報を待ち続けていた。」で意味が通ります。
「がっくりと肩を落とした」は「落胆した」と書いたほうがわかりやすいですね。擬態語の「がっくりと」を使わなくても済みますし、「肩を落とした」という紋切型を避けることができます。難点は漢熟語になってしまうことくらいです。
紋切型は他にも
人物に対する紋切型の慣用句や常套句などは以下のものが代表格でしょうか。
「つぶらな瞳」「きりりと結ばれた唇」「水もしたたるいい男」「穴があくほど見つめる」「変わり果てた姿で無言の帰宅をした」
感情に対する紋切型としては以下のものがあります。
「目くじらを立てる」「嬉しい悲鳴」「開いた口が塞がらない」「その場で泣き崩れる」「底抜けの明るさ」「喜びを隠しきれない」「海よりも深く山よりも高い親の愛」「天を仰いだ」「興奮さめやらぬ」
行動や状態を表す紋切型はこれらのものがよく見られます。
「うだるような暑さ」「雲ひとつない青空」「幕を切って落とす」「閑古鳥が鳴いている」「押すな押すなの大盛況」「セピア色の写真」「草の根を分けても捜し出す」「枚挙にいとまがない」
また文型として「たかが〜、されど〜」も紋切型です。
本当にそのようになったのか
紋切型の多くに比喩や誇張が含まれています。
「天を仰いだ」は、本当に「真上を見上げた」のか。「雲ひとつない青空」は本当に雲がひとつもなかったのか。誇張無しでそのような状態であったのなら、これらを一概に紋切型だとは言えなくなります。
たいていは感情表現として「天を仰いだ」「雲ひとつない青空」が使われているのが現状です。
感情表現としての紋切型は極力省きましょう。
最後に
今回は「紋切型を避ける」ことについて述べました。
慣用句やことわざなども紋切型です。
では実際に紋切型として書いたものを見聞きしたり体験したりしたことがありますか。
おそらくほとんどないはずです。
それなのに紋切型として書いてしまいます。
それが問題なのです。
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