469.発想篇:そもそもなにを伝えたいのか

 今回は「伝えたいもの」を書くことについてです。

 ウケがいいから「テンプレート」を用いて小説を書く。

 ただそれだけで終わっていませんか。

 小説は「伝えたいもの」を読み手に「伝える」ための娯楽です。





そもそもなにを伝えたいのか


 小説は書き手から「あるもの」を読み手に伝えるための手段です。

 あなたはそもそも読み手になにを伝えたいのでしょうか。

 そこがしっかりしていないと、伝えたいものが伝わりません。

 つまり文章であっても、小説ではなくなってしまうのです。




テンプレートで伝えたいものがあるのか

 小説投稿サイト最大手の『小説家になろう』では、「テンプレート」を用いた作品がランキングを独占しています。

 ですが、どうやらランキング上位になりたくて「テンプレート」を用いているだけの作品が目立つようです。

「テンプレート」を使うと、「なにを伝えたい」のかがわかりにくくなるように思います。

「読み手を楽しませたい」から「テンプレート」を使う。

 こちらは読み手に「楽しさ」を伝えたいわけです。

「ランキングの上位に載りたい」から「テンプレート」を使う。

 こちらは書き手の欲望を満たそうとしているだけです。

 欲望剥き出しの小説でも「テンプレート」に則っていればランキング上位に入れる。

 チョロいものだと思われかねません。

 小説投稿サイトに作品を掲載しているわけですから、「伝えたい」ものがある書き手も、できればランキングの上位には載りたいところですよね。

 うまくすれば「紙の書籍化」も狙えますから。

 ですが「テンプレート」で勝ち取った「紙の書籍化」では、二の矢が放てません。

「テンプレート」にべったりと寄り添っていて、構想力がほとんどないからです。

 そうなるとまた小説投稿サイトで今流行りの「テンプレート」を拝借することになります。

 そんなことで「プロの書き手」としてやっていこうだなんて、虫がよすぎませんか。


 田中芳樹氏『銀河英雄伝説』では銀河帝国と自由惑星同盟との大戦を描いています。

 戦いを通じて田中芳樹氏が読み手に伝えたかったことはなんでしょう。

 現代日本のような民主共和制の自由惑星同盟がいかにして敗れ去ったのか。

 ヤン・ウェンリーが看破したように、「政治の腐敗とは政治家の腐敗を指すのではない。それは政治家個人の腐敗だ。そういった政治家を糾せない国民の腐敗を政治の腐敗というのだ」という点もあるのではないでしょうか。

 また国家制度をドラスティックに改革するには専制政治のほうが効率がよいことも言及しています。

 専制君主にも直言してくれる友人は必要だ、というメッセージもあるかもしれません。

 そういった主義主張を小説の中に収めた田中芳樹氏の筆致には「テンプレート」がありませんでした。

 自分の「伝えたい」ことを、物語の形で読み手に「伝える」ことが「小説」の主たる機能なのです。




伝えたいものを書こう

 小説を書くからには、読み手に「なにかを伝えよう」という意識を持ってください。

 先ほども述べたように「読み手を楽しませたい」でもかまいません。

「楽しませる」目的の小説を総じて「娯楽小説」と呼びます。

 ライトノベルは基本的に「娯楽小説」の一部だとされているくらいです。


「楽しませる」に似ている「ワクワク・ハラハラ・ドキドキさせたい」とすれば「大衆小説」と呼ばれます。

 アクションもの・戦争もの・サスペンスもの・推理もの・ホラーもの・逃亡ものなどが「大衆小説」の代名詞です。

 空想科学(SF)も「大衆小説」として扱われます。

「大衆小説」は「読み手をワクワク・ハラハラ・ドキドキさせたい」から小説を書くのです。

 ライトノベルは「大衆小説」の簡易版として「Light」を付けたとも言われています。

「読み手を楽しませたい」の他に「読み手をワクワク・ハラハラ・ドキドキさせたい」という「大衆小説が伝えたい」ことも上乗せできれば上出来です。


「文学小説」は言い換えれば「哲学小説」です。

 小説のお題としてひとつの哲学的な観念が取り上げられます。

「それについてあなたはどう思うのか」を問い、「書き手の私の答えはこれだ」と読み手に突きつける作品が「文学小説」なのです。

 つまり「読み手を楽しませよう」とか「ワクワク・ハラハラ・ドキドキさせよう」だなんて考えもしません。

 哲学的な観念を取り上げて小難しいことを並べ立て、「書き手の答えはこれだ」と観念を押しつけるのが「文学小説」ということになります。

 つまり「娯楽小説」「大衆小説」は「感情を伝えよう」としますが、「文学小説」は「哲学的観念を伝えよう」としているのです。

「なにかを伝えよう」としない小説なんてありえません。

 小説の形をしているのに、楽しめもしなければワクワク・ハラハラ・ドキドキもしない。哲学的観念も指し示されない。

 それは「小説」ではないのです。


 書き手であるあなたに問います。

 あなたは小説を通して、読み手に「なにを伝えたい」のですか。

「伝えるためにどのような文章を紡いで」いますか。

 ジャンルとそれに見合う「伝えたい」ものを「伝える」ことができていますか。

 「伝わら」なければ、それは「小説」ではないのです。





最後に

 今回は「そもそもなにを伝えたいのか」について述べてみました。

 小説は、書き手が読み手に「なにかを伝える」ために用いられる手段のひとつです。

「楽しさ」を伝えるのか、「ワクワク・ハラハラ・ドキドキ」を伝えるのか、「高尚さ」を伝えるのか。

 ジャンルに差はあれど、「伝えたい」ものがどれにもあり、「伝わる」ように書くから「小説」なのです。

 そもそも芸術とは、「受け手になにかを伝えたい・感じてもらいたい」ものを形に表しています。

 絵画もマンガもアニメも、ドラマも映画も、ゲームも。

 あらゆる芸術は「受け手に訴えかけている」のです。

 芸術を親しむとき、それが「なにを伝えようとしているのか」「なにを訴えかけているのか」を意識してみましょう。

 それだけで、今までとは違った芸術の受け取り方を知り、小説も読み手に「なにを伝えたいのか」を意識して書けるようになります。



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