460.発想篇:いっそコメディーにしてみる

 今回は「コメディー」についてです。

 どんなにシリアスな小説でも、どこかでクスリと笑ってしまうようなポイントを作ると続きを読む活力が蘇ってきます。

 男性は普通の「恋愛小説」を読みません。「ハーレム」であったり「ラブコメ」であれば読みます。

 そこをにらんで物語のアイデアを発想してみましょう。





いっそコメディーにしてみる


 真剣に小説を書いていると、どうしても真面目で堅苦しい文体になってしまうものです。

 読み手はそれを窮屈に思って、あなたの作品から離れていくかもしれません。

 ときにはコメディーやパロディーを入れて息抜きを作ってみてはいかがでしょうか。




コメディーは心のオアシス

 どんなにシリアスな小説でも、どこか息抜きのできるポイントが必要です。

 息抜きできなければ、読み手は息苦しさを覚えてあなたの小説から逃れていきます。

 シリアスであればあるほど、どこかで「クスリと笑えるところ」があると、緊張がほどよく解けて続きを読む活力が復活するのです。

「クスリと笑えるところ」ではキャラクターの天然ボケだったり、状況のミスマッチだったり、突拍子もないドッキリだったり、とにかく想定外のことを起こしましょう。

 とくに「ラブコメもの」にはコメディーが不可欠です。

 コメディーがなければただの「恋愛もの」でしかありません。

「恋愛」関係になりそうな二人が、心を通わそうとするところでいつもコメディーが起こる。

 だから「ラブコメ」なのです。

 単に「恋愛もの」を書くだけでは、「恋愛もの」が好きな人しか読みません。

 とくに男性の読み手は、純粋な「恋愛もの」をまず読まないと思っていいでしょう。


 渡航氏『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(『俺ガイル』)も、タイトルに「青春ラブコメ」と書いてあるから男性も「読んでみようかな」と思います。

 元々男性は己の遺伝子を残すために、より多くの女性と関係を持とうとする本能があるのです。

 男性で「純愛」志向な人は稀だと思ってください。

 だから男性が「恋愛もの」を書こうとすると「ハーレム」だらけになるのです。

『俺ガイル』は基本的に雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣の二人のヒロインだけでまわしています。

「ハーレム」にはせず、「両手に花」でどちらを選択するかというひじょうにわかりやすい構図だからこそ「ラブコメ」は成立します。

「ハーレム」での「ラブコメ」は「ドタバタ喜劇」にしかなりません。

 それはそれで面白いのですが、女性は「私を選んでくれた」という安心感が欲しいので、「ハーレム」よりも「純愛」や「両手に花」のほうを好みます。

「純愛」「両手に花」のどちらにしても「本命」が存在することが「女性ウケ」するポイントです。

『俺ガイル』はいちおう先に登場する雪乃のほうが「本命」ということになっています。

 物語における人間関係の鉄則として「先に登場した人物がメインキャラ」というものがあるのです。

 主人公の比企谷八幡が奉仕部へ強制入部させられて、最初に接したのが雪乃であり、結衣はその後に依頼人として登場します。

 登場のタイミングとして雪乃のすぐあとに結衣を出すことで、『俺ガイル』は「本命」を読み手に絞らせていません。

 まぁ順番どおりなら雪乃のほうが「本命」ということになります。

 ただしこの「順番どおり」はあくまで鉄則であって、原則ではありません。




機動戦士ガンダム

 アニメの富野由悠季氏『機動戦士ガンダム』では主人公のアムロ・レイの次に登場する女性は幼馴染みのフラウ・ボゥです。

 しかし彼女は「本命」ではありませんでした。

 第1話で次に現れる主要な女性は、トゲのある印象を受けるセイラ・マスです。

『ガンダム』の最終話だけを見れば、セイラこそが「本命」の存在であったことがわかります。

 しかし続編の『機動戦士Ζガンダム』において、セイラはアムロと付き合っていません。

 これは続編を作るにあたり、前作の主人公であるアムロとセイラが結婚していたり付き合っていたりさせたくなかったのではないかと邪推します。

『ガンダム』では女性にうぶだったアムロが、『Zガンダム』で地球に軟禁されているときは道行く女性たちに気軽に声をかけ、カバラに所属してからはベルトーチカ・イルマを傍に侍らせているプレイボーイになっています。

 さらに『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』ではMS技師チェーン・アギがアムロと付き合っているのです。

 これって一種のコメディーですよね。

 七年前には女性との会話も不慣れだったアムロが、『Zガンダム』ではプレイボーイになっている。

 どういう心境の変化があったかはわかりませんが、女好きにする必要があったのでしょうか。

『Zガンダム』の主人公であるカミーユ・ビダンとフォウ・ムラサメの「純愛」を際立たせるため、対比としてあえてアムロをプレイボーイにした可能性もあります。

 また富野由悠季氏がアムロとセイラをくっつけることだけはしたくなかったのかもしれません。

 そもそも小説版『機動戦士ガンダムIII』では、アムロ・レイは戦死しています。

 死人がセイラとくっつくイメージが湧かなかったとしても致し方ありません。

 一方では『ベルトーチカ・チルドレン』のような作品も書いていますから、アムロとセイラをくっつけないことについては富野由悠季氏の中で揺るぎないものになっているのでしょう。

 いずれにしても、『Zガンダム』でのアムロはコメディーキャラになっています。

 カミーユを引き立てるための道化役とも言えるでしょう。

 その証拠に『機動戦士ガンダムZZ』にはアムロは登場しません。

『ガンダムZZ』では主人公のジュドー・アーシタとその一味の存在自体がコメディーです。

 さすがに終盤はシリアス路線ですが、序盤から中盤までは見事なまでの道化師ぶりを発揮し、前作『Zガンダム』の重すぎるラストシーンを払拭する役割を与えられました。


『ガンダム』シリーズは必ずどこかコメディーやパロディーな出来事や設定が用意されています。

 たとえば『ガンダム』においてガンペリーから投下されたガンダムパーツを使っての空中合体シーンのバンクは、オデッサ作戦前まで盛んに使われていました。しかし戦闘中実際に空中合体した場面は一回か二回だったと記憶しています。

 そう考えるとあの空中合体シーンのバンクは、玩具を売るためのパロディーなのではないかと思わずにおれません。





最後に

 今回は「いっそコメディーにしてみる」ことについて述べてみました。

 真面目すぎる作品は肩が凝って荷が重すぎるのです。

 もう少し肩の力を抜いて、落ち着いて作品を読めるよう、コメディー要素を入れてみてください。

 また状況を借りてきてパロディーにするのも「あり」です。

 ただしパロディーは「誰が見てもあの場面を想起させる」という共通理解がなければ成立しません。

 コメディーよりも高い筆力が必要なので、とりあえずはコメディー路線で書きましょう。

 書き慣れてきたらパロディーに挑戦するとよいと思います。



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