409.深化篇:描写とはフェティシズムである

 今回は「描写にはフェチが表れる」ことについてです。

 意外かもしれませんが、前回の「微に入り細を穿つ」書き方をすると、書き手が「どこ」を中心に見ているのかが読み手に伝わります。

 必ず唇を書く人もいますし、鼻を書く人もいるのです。





描写とはフェティシズムである


 小説にはさまざまなジャンルがありますが、書き手によって「なにを書くのか」は異なります。

 だから同じ「出来事」であっても書き手ごとに書かれ方は千差万別なのです。

 その中でとくに「なにを重点的に書くか」で書き手の独自性オリジナリティーが定まります。




描写は主観の領域

 地の文とくに「描写」には語り手の主観を書きます。

 そのとき「語り手はどこを見ている」と描写しているのでしょうか。

 そこに語り手の、そしてそれを書いた書き手の執着が感じられます。


 たとえば女性のうなじを数多く書く書き手は、語り手の目線を使って「自らが関心を持っている『女性のうなじ』」を微に入り細を穿つ「描写」を行なうものです。

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 真理が長い髪を掻き上げてまるで陶磁器のように真っ白なうなじが顕になった。ところどころに静脈の筋が浮かび、肌の透明感を際立たせている。ほのかに香水の匂いが漂ってきて鼻をくすぐる。その光景に私はどきっと胸の高鳴りを覚えた。女性のうなじがこれほどまでに美しいとは夢にも思わなかった。

――――――――

 私にはフェティシズムの要素がないので、例題にフェティシズムが現れているのか不安ではあります。

 今回は「うなじフェチ」な主人公が、フェティシズムを感じる場面を想定して書いてみたのですが、やはり本物のフェチが書いた文章にはまるで歯が立たないでしょう。

 フェティシズムの面白い点は、本来なら誰もが高まるものにはそれほど興味を示さず、自身の「○○フェチ」を刺激されたときは他の人よりも興奮することだと思います。

 たとえば異性の半裸を見たら興奮する人が多いと思いますが、フェチの人はいっさい興奮しません。

 代わりに「女性のうなじ」をちらりと見かけると、猛烈に興奮します。

 一般人からすれば、フェチはなにに興奮するのかがまったくわかりません。

 奇異に映るからフェチなわけですからね。

 フェチは個人差の大きな性質なので、そこを書き分けるだけでも、登場人物に強いクセを作ることができます。




フェティシズムは書き手の執着

 小説の面白いところは、たとえ主人公の一人称視点で書いても、主人公にフェティシズムの要素がある。ただそれだけでそれは「書き手のフェティシズム」であると思われる点です。

 手の甲に浮かぶ静脈が好き、という主人公を書いているはずなのに、読み手から「この書き手は手の甲に浮かぶ静脈フェチなのか」と思われます。

 誤解も甚だしいのですが、現実はそのようなものだと割り切ってください。


 書き手が「私にはそんなフェチはない」といくら述べても、実際に作品を読んだ方は「あぁこの書き手はこんなフェチがあるのか」と思われます。

 先ほどの「うなじフェチ」は意図を持って書いていますが、まるで私にも「うなじフェチ」があるのでは、と感じられた方もいたはずです。

「うなじフェチ」は結構多くの方が持っている傾向なので、すでに一般化したような気がしないでもありません。

 フェチとしてはとくに「眼鏡フェチ」が有名でしょう。

 あなたの小説の登場人物に必ずひとりは「眼鏡をかけたキャラ」を書いてしまうのも、立派な「眼鏡フェチ」です。

 巨乳なキャラを多く登場させる書き手は「巨乳フェチ」ですし、貧乳キャラが多ければ「貧乳フェチ」と呼んでいいでしょう。

 伏見つかさ氏『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『エロマンガ先生』はどちらも妹と兄との関係について書かれています。

 この二作があることで伏見つかさ氏は「妹フェチ」だと読み手に思われているということになるのです。

 フェチの対象が男性の場合は「広い背中」「厚い胸板」「たくましい二の腕」といった部分に魅力を感じる女性も多いと思います。

 それらも当然フェティシズムの一種です。

 フェチには視覚以外に嗅覚や味覚にも及びます。

 たとえば「石鹸の香り」「香水の匂い」「バラの香」といったものを書いていくと、「この書き手は匂いフェチか」と思われるのです。

「匂いフェチ」は「変態」に分類されることが多いのですが、ふと感じた匂いはやはり詳しく描写していくべきでしょう。

 また味覚に関して言えば、池波正太郎氏は江戸時代の質素な食事を、さも美食かのようなレベルにまで高めてしまう筆力を見せつけています。

 池波正太郎氏は特段の「味覚フェチ」とも言えるでしょう。




あなたはなにフェチですか

 書き手は「自分がなにフェチなのか」を知っておいたほうがよいでしょう。

 たとえば「眼鏡フェチ」であれば、作中には大量の眼鏡キャラが存在するようになります。

 そうすると読み手に「眼鏡フェチ」の方がいたら「がっつりと食いついてきます」。

「そうか、フェチをさらけ出せば読み手が食いついてくるのか」と単純に考えないでください。

 ひとりの人物に数多くのフェチを設定するのは難しいのです。

 現実に「眼鏡フェチ」と「うなじフェチ」が両立した人は難しいですし、さらに「爆乳フェチ」を含めて鼎立ていりつすることはなかなか困難だと受け取られます。

 主人公や「対になる存在」であれば鼎立ていりつすることはできなくはないですが、扱いに相当手こずるはずです。

 書き手自身が多重フェチであれば書かれる文章も作品も破綻しにくくなります。

 ですが、多重フェチの人は極めて少ないのです。

 よくて二つくらいだと思います。

 長編小説はそれほど長くありませんので、多重フェチの設定にするとフェチの描写だけで物語が埋まってしまうおそれがあるのです。


 また第三者に多重フェチを設定するとアクが強くなって、主人公や「対になる存在」よりも目立ってしまう可能性があります。

 クラスメートや職場仲間がどんなフェチを持っているか。

 観察を続けていれば必ず見えてきます。

 でもひとりで多くのフェチを持っている人はかなり少ないはずです。

 だいたいひとりにつき「ひとつのフェチ」となります。

 そのほうが扱いやすいですし、キャラが立つのです。





最後に

 今回は「描写とはフェティシズムである」ことについて述べてみました。

 描写をするときにどこをどれだけ詳しく書くのか。

 なにげないしぐさをどれだけ書けば、というラインはありませんが、たびたび続くようなら読み手はそこに書き手のフェティシズムを感じます。

 田山花袋氏の私小説『蒲団』なんて、気持ち悪くなるほどのフェティシズムが書かれているのです。

 いわゆる「文豪」の作品も「フェチ」がふんだんに書かれています。

 とくに書き手の私小説は、「フェチ」だらけです。

 私小説は書き手のあられもないフェティシズムを赤裸々に書いてこそという風潮が当時の主流だったのです。



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