387.深化篇:漢字をひらけゴマ
今回は「適度にページを淡くする」ことについてです。
現在の小説は過剰なほどに漢字の量が多くなっています。
PCでの執筆が普及してきたときから増えてきたのです。
漢字が多いと「ページが濃く」なってしまいます。
本日で(『ピクシブ文芸』での)毎日連載丸一年を過ぎて二年目に突入しました。
まさかここまで続くとは思っておりませんでした。
これからも生暖かく見守ってくださいませ。
漢字をひらけゴマ
小説を書いているとき、あなたはご自分が紙に書ける漢字だけで執筆していますか。
これが意外と重要です。
PCで執筆する時代となり、紙に書けない漢字を使いまくる書き手が多くなりました。
漢字には読める漢字と書ける漢字があるのです。
その漢字、読めますか
ほとんどの方が読めない漢字を用いるのは「自己満足」「自己承認欲求(心理学用語では「承認欲求」と言いますがわかりやすくするために「自己」を加えています)」以外のなにものでもありません。
「私はこんなに難しい漢字を知っているんだぜ」自慢をしても、読めない漢字が読めるようにはなりません。
「躊躇」「蟋蟀」は画数が多いので中高生が読めるかというと難しいと思います。
「彷徨」「流離う」は画数はそれほどでもないので読めそうかなと感じられますが、おそらく読めないでしょう。
それぞれ「ちゅうちょ」「こおろぎ(きりぎりす)」「ほうこう」「さすらう」と読みます。
小説を読み慣れているなら「ちゅうちょ」は読める方が多いでしょう。
しかし「こおろぎ(きりぎりす)」「ほうこう」「さすらう」はなかなか読めません。
その漢字、書けますか
またこの四語は書きにくいと思います。
あなたに「PCや辞書などを見ることなく『ちゅうちょ』『こおろぎ(きりぎりす)』『ほうこう』『さすらう』を漢字で書いてください」と出題したとき、あなたはペンで書けますか。
なかなか書けないはずです。
明治後期から昭和中期までのいわゆる「文豪」の作品には読むのも書くのも困難な漢字がたくさん並んでいます。
なぜ「文豪」は難しい漢字を用いているのでしょうか。
言文一致体が生まれるまで文章は書簡体のいわゆる「候文」で書かれていました。
「候文」は難しい漢字を知らないと書けません。
つまり言文一致体が完成するまでは「難しい漢字が書ける人でなければ小説が書けない」時代だったのです。
だから「文豪」は難しい漢字をいともたやすく書くことができました。
すでに言文一致体が確立している現代において、難しい漢字は必要でしょうか。
もちろん知っていれば表現が広がりますから憶えようとしますよね。
読めないのならルビを振る
でも難しい漢字を読める人はどれだけいるのでしょうか。
理想的な小説とは「辞書をひくことなく、ルビも振られていないけれど苦もなく読める漢字で書かれている」ことです。
あなたにとっては「躊躇」「蟋蟀」「彷徨」「流離う」は「辞書をひくことなく、ルビも振られていないけれど苦もなく読める漢字」かもしれません。
ですが小説の読み手はどうでしょうか。
「辞書をひくことなく、ルビも振られていないけれど苦もなく読める漢字」と受け取ると思いますか。
とくに小説投稿サイトで小説を無料で読む中高生にとってはどのように映るでしょうか。
「どうしてもここではこの単語を使わなければならない。だから読めない漢字を書く」。ここまではある程度仕方のないことです。
「でも読めない可能性があるからルビを振っておこう」という心遣いができる書き手ならとくに問題はありません。
小説から難しい漢字の読みを習うことはよくあることなのです。
だから漢字の勉強をとくに熱心に行なっていなくても、小説を読みまくっているから難しい漢字を苦もなく読める人は実際にいます。
ですがルビも振らず「このくらい読めて当然だ」という態度になっていませんか。
その態度でいる限り、あなたの小説は閲覧数(PV)こそ増えてもブックマークも評価もまったく伸びないのです。
読めるけど書けない漢字はひらく
小説を書くときにどの漢字を用いるかは、読み手として想定している主要層が「辞書をひかずに読める」漢字であることが望まれます。
そのうえで、書き手であるあなたが書ける漢字であるべきです。
「読み手が読めるのであれば、書き手が書けなくてもいいじゃないか」と思っている書き手が殊のほか多くいます。
代表例としては「薔薇」「醤油」などですね。
いずれも読めはするけど書くのが難しい漢字だと思います。
これらは「バラ」「しょうゆ」などかなにしたり和語に置き換えたりして漢字をかなにひらいていくのです。
漢字をかなで書くことを「ひらく」といいます。
なぜ「書けない漢字をひらく」必要があるのでしょうか。
そうしないと「ページが濃くなる」からです。
たとえば「薔薇」と「バラ」ではどちらの字面が濃いまたは淡いですか。
画数を考えても漢字のほうが濃いですよね。
「たった二文字の漢字をひらいたからといってページはそれほど淡くはならない」とお思いの方もいらっしゃいます。
そこで「書けない漢字はひらく」ルールを提起するのです。
今はページが濃くなりやすい時代
書き手が紙の原稿用紙に執筆していた時代、一般文芸の小説であっても「読んでみるととくに難しい漢字でもないのになぜひらがななんだろう」と思う箇所がいくつも見られました。
なぜひらがなにしたのか。
それは「漢字を間違えるほうが、かな書きするよりもみっともない」と思っていたからではないでしょうか。
それなら辞書をひけばいいわけですが、小説の書き手が必ず辞書を手元に用意しているとは限りません。
とくに旅館やホテルで缶詰にされて原稿を執筆しなければならないとき。
手元に辞書なんていう便利な「あんちょこ」は存在しないのです。
だから書けるかどうか怪しい漢字を使うときがきたら「漢字を間違えるほうが、かな書きするよりもみっともない」と思ったのではないでしょうか。
ですが現在はPCで小説を執筆する時代になりました。
書き手が書けない漢字を、まったくためらいもなく書けてしまうのです。
それにより、PC前夜では適度に「ページが淡かった」小説が、再び「ページが濃く」なり始めました。
キーボードで読みを入力してスペースキーで「変換」するだけで、難しい漢字をいともたやすく入力できるようになったからです。
それにより、PC前夜の読みやすかった小説が、再び「文豪」が活躍した「読みにくい」時代まで巻き戻ってしまいました。
これが読み手の「小説離れ」に拍車をかけたのです。
あなたが書ける漢字以外はひらく
あなたがペンでその漢字を書けるのか否か。
それを基準にして小説を執筆してください。
書ける単語は漢字を用いればよいですし、書けない漢字はかなにひらいていく。
ひらくとピンとこない単語は言い換えてください。
「躊躇する」なら「ためらう」でよいはずです。
たったそれだけのことで「ページが淡く」なりますし、格段に「読みやすく」なります。
どうしても「その単語でなければイメージを正確に伝えられない」とお思いなら、必ず「ルビを振る」ようにしてください。
ルビさえ振ってあれば、難しい漢字を使うハードルは下がります。
しかし読めたとしても「意味がわからない単語」というものも存在するのです。
「読めるようにしたからそのまま読め」という態度では困ります。
その単語の説明をうまく前後の文脈で読み手に悟らせるように配慮してください。
もしそのような配慮ができないのであれば、その単語は使うべきではありません。
潔く他の語に言い換えましょう。
最後に
今回は「漢字をひらけゴマ」について述べてみました。
読みやすい小説にするためには「適度にページが淡い」ことが求められます。
漢字を多用して、パッと見で「ページが濃い」と思われたら、内容を読まれることなく他の小説へ向かってしまうのです。
閲覧数(PV)が多いのにブックマークや評価などが低いときは、ほとんどの場合読み手に「ページが濃い」と思われています。
適度にひらいて「ページを淡く」することで、読み手が受ける文章からの圧力を低減できるのです。
連載している小説では、今から「ページを淡く」していくことは難しいかもしれません。
もしそれほど連載していないのであれば、今のうちに「漢字をひらい」て「ページを淡く」するように心がけましょう。
ですが、あまりにも「ページを淡くしすぎる」のは困ります。
試しに小学校1年生の教科書を読んでみてください。
簡単な文章のはずですが、想像以上に頭に入ってこないと思います。
漢字の多くは「表意文字」なので、漢字があれば言いたかった意味がパッと見で理解できるのです。
だから淡すぎず「適度にページが淡い」ことが求められます。
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