350.不調篇:無理に背伸びをしない
小説は自分の分身だから「高尚な」小説を書こうとしがちです。
でも読み手には「そんなに高尚でない」ことが筒抜けなのです。
そんな「無理に背伸びをしない」ことを念頭に置きましょう。
無理に背伸びをしない
小説は文字だけで書かれています。
だから小説賞・新人賞を狙いに行こうとしたとき、今の自分よりも上級の題材を選んで、背伸びをしながら書いている人が多いのです。
ですが、背伸びをした小説というものは、読んでいてすぐにわかります。
ストーリー展開が大雑把だったり慣用句や故事成語などが不適切だったり。
とかく「アラ」が目立つのです。
高尚さを求めない
「高尚な書き手」という称号を得たいがために、とても手に負えないようなものに手を出してしまう。
ですが「高尚な書き手」という称号はそれほど読み手から支持されません。
かえって「この書き手は説明くさい」「価値観のゴリ押し」という感想が寄せられるものです。
「高尚」イコール「難解」「わけがわからない」という評価になります。
書き手の今持っている表現や知識を用いるから、背伸びしない身の丈に合った作品になるのです。
結果的にそのほうが「高尚さ」を追い求めるよりも多くの読み手から支持されます。
読み手は「書き手が無理して背伸びしている」ことを読むだけでずばりと見抜くのです。
少なくとも「読み手が辞書を引かないとわからない言葉を用いない」ようにしましょう。
そうするだけで「無理して背伸びしている」ような文章にはなりません。
今はコンピュータの時代です。
難しい漢字や熟語、慣用句に故事成語なども使い放題だと言えます。
「使い放題」なのと「使っていい」のとは隔たりが大きいのです。
もし「読み手が辞書を引かないとわからない言葉」が多用されていれば、読み手は辞書を引いてくれるでしょうか。
あなたが読み手になったときのことを考えてください。
まず辞書を引きませんよね。
よほどの「傑作」であることが事前にわかっていれば、無理をしてでも調べるかもしれません。
しかしそんな「傑作」は早々お目にかかれない。
どんな「傑作」であろうとも「辞書を引かないとわからない」文章をありがたがって読むなんて人はよほどの読書マニアくらいなものでしょう。
出版社の編集さんにもわからない表現がなされているのであれば、あなたの作品は「小説賞・新人賞」にかすりもしないでしょう。
そのくせ「なんでこの『傑作』が評価されないんだよ」と明らかに取り違えた意見を述べたりするのです。
中高生には中高生らしい文章が求められます。
社会人になれば、専門分野のことについて書くべきです。
知識がなくても文章は書けるには書けます。
それが人の心を打つかどうかは別問題ですが。
書かれていることが事実だということと、それを読んで感動するかは別問題なのです。
できないことをできるとは思わない
十万語の英単語の意味を知っているからといって、英語がしゃべれるというものではありません。
知識があるだけで文章が書けるというものでもないのです。
物語のパターンを知っているからといって、小説が書けるというものでもありません。
そういった人たちが現実世界で「挫折」するのです。
「自分はそんなことはしない」と言い切る書き手の方は多いと思います。
でも実際には「書けはしない」ことを「私は書ける」と思い込んで書いている人が多いのです。
たとえば聞きかじった単語を用いて「誤用」を指摘されるケースは多々あります。
あなたが普段用いている単語なら「誤用」することなんて稀です。
誤って憶えていたときくらいでしょう。
ムスッと怒った様子を「憮然とした」と書く類いですね。
書き手の身の丈に合った題材を、自分の頭で考えて、身の丈に合った言葉で書くから、読みやすいしわかりやすい文章になるのだと言えます。
知識でコテコテになっている人が小説を書いたところで、その程度はきわめて低い。
そんな人は友人や仲間や家族、今なら小説投稿サイトのコメントを聞いたり見たりすると、もう二度と書こうとしなくなります。
「島崎藤村氏にも夏目漱石氏にも芥川龍之介氏にも太宰治氏にも到底及ばないが、私なりに小説を書いてみました」
こういう意気込みで書いた小説が「書き手の等身大」なのです。
自分の立場から自分に書けるものを書けばいい。
「他人ができることを自分もできないはずはない」という思い込みは捨てるべきです。
自分の能力を問うべきであり、他人の能力と自分とは関係ありません。
実力以上の名作を書こうとしたり人を感動させるような作品を書こうとしたりしないでください。
自分が書けるものを書けばいいのです。
若者は若者の、老人は老人の
「小説を書く」人の中には、「文豪」のような小説を書かなければならないと思い込んでいる方が多くいます。
ですが誰もが「文豪」のような名作が書けるわけではありません。
若者は情熱のほとばしる作品を書けばいいのです。
老人は達観した作品を書けばいいのです。
芥川龍之介賞(芥川賞)の綿矢りさ氏『蹴りたい背中』は若者らしからぬ表現で受賞しました。しかしその後継続的に作品を出版するに至りませんでした。
同じく芥川賞の若竹千佐子氏『おらおらでひとりいぐも』は老人らしい作品でまず文藝賞を受賞し、次いで芥川賞を受賞しました。こちらは高齢ということもあり、継続的に出版できるかは不明です。
主婦であろうと学生であろうと会社員であろうと学者であろうと経営者であろうと。
それぞれがそれぞれの立場で書くから、知識を生かせて論理の明確な小説が書けます。
もし主婦が経営者の立場から訴える小説を書こうとすれば、その話からは
言い訳しない
小説を書くときに「自分はこの程度の実力しかないからランキングに載らなかったんだ」と言い訳しないようにしてください。
言い訳には改善意欲がありません。
「あの場面ではああいう展開にしないと物語の流れが詰まるから、仕方がなかったんだ」「あの人がああいう態度をとったのは、こういう理由があったからなんだ」といった正当化を、小説本編に書かずコメントやあとがきで言い訳する。
見苦しいことこのうえありません。
なによりもまず「現実を直視」してください。
改善意欲のある人は、言い訳するよりもすでに新しい作品を執筆しています。
前作の自分を真正面から直視して分析すれば、改善箇所はすぐに見えてくるものです。
それを踏まえて新作を書けばいい。
失敗を正当化して不満を他人のせいにしているだけでは、いつまで経っても小説の書き方がうまくなるはずもないのです。
自己中心的にならず、自分の内面と真摯に向き合うことでしか、良い小説は書けません。
表面だけを見ず、内面の本質を見抜くから「キャラの人となり」が書けます。
書き手が格好をつけている間は、小説なんて書けはしません。
書き手のすべてをさらけ出すくらいの大胆さが求められています。
「言い訳しない」ということも、自分の失敗を素直に認めて醜態をさらすということです。
「どんなに醜態をさらしても、それでもなお自分は小説を書き続けるんだ」
そういう意志があれば、必ず次作へつながっていきます。
「言い訳する」から書けなくなるのです。
逃げないから名作が書けるようになります。
最後に
今回は「無理に背伸びをしない」ことについて述べてみました。
高尚さを求めないこと。
今の自分を素直に認めること。
自分に相応のことを書くこと。
言い訳をしないこと。
それができれば、あなたの前に立ちはだかる「書けない」の壁は消え去っています。
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