335.執筆篇:本文の文体

 今回は「本文の文体」です。

「言い回し」による文体の決まり方について見てみましょう。





本文の文体


「見た目の文体」をクリアして「読みやすい小説」にできたはずです。

 そこから読み手は実際に試し読みを始めます。

 ここでどれだけ読み手を惹きつけられるかは、「本文の文体」の出番です。




です・ます体とだ・である体

「本文の文体」としてまず挙げられるのが、文末が丁寧語「です・ます体」で書かれているか、常体の「だ・である体」で書かれているかです。

 小説ではありませんが、本コラムは基本的に丁寧語「です・ます体」で書かれています。

「です・ます体」の良いところは、文章が読み手の心に当たるときの強さを和らげることができる点です。

「これはこんなですよ」「こうしたほうがいいですよ」はいずれも和らいだ表現に見えますよね。

「だ・である体」の良いところは、文意が断定できるところです。

「これはこんなだ」「こうしたほうがいい」はいずれも断定していますよね。

 断定すると読み手に「確信」を読ませることができるのです。

 小説の地の文や新聞記事などでは、文を「断定」していかないと情報が頭の中に入ってきません。


 一人称視点において主人公が「です・ます体」で話すのなら、地の文も「です・ます体」で書くことになります。

 すると文体が柔らかくなるのです。

 控えめな性格をした主人公であれば、会話文も地の文も「です・ます体」が基本になります。


 主人公が「だ・である体」で話すのに、地の文が「です・ます体」という小説もあります。

 これは語り手の几帳面さを演出する効果がありますが、少しまわりくどい印象を読み手に与えてしまいます。

 なので、最近ではあまり見ない文体です。

 逆に言えば、会話文が「だ・である体」で、地の文が「です・ます体」というのも「あなた特有の文体」となりえます。


 対して「だ・である」体は、会話文とは関係なく用いるのです。

 主人公の会話文が「です・ます体」で話しているときに、地の文は「だ・である体」にすると二つのメリットがあります。

 一つ目は「地の文と会話文が明確に区別できる」点です。

「です・ます体」であれば会話文であり、「だ・である体」であれば地の文ということが瞬時にわかり、読み手を混乱させません。

 二つ目は「主人公の本心がわかる」点です。

「です・ます体」であれば音声として発している会話文であり、「だ・である体」であれば心の声文であるという区別がつきやすくなります。

 外面をいくら丁寧に取り繕っていても、内面には強い意志がある場合はこのような書き分けをするのです。

 猫をかぶるような主人公のときによく見られます。


 このように「です・ます体」と「だ・である体」の用い方によって「文体」はある程度決まってくるのです。




一人称

 一人称視点では主人公が自分のことをどう呼んでいるのかによって「文体」を決めることがあります。

 たとえば「私」「わたし」「あたし」「あたい」「あっし」「おいら」「僕」「俺」「儂」「それがし」など一人称の代名詞はさまざまです。

 人によっては自分の名前をそのまま言う人もいます。

「奈緒はその意見には賛成できないわ」「美帆はトロがいいなぁ」のような形ですね。

 自分のことをどう呼んでいるのか。

 それによって「文体」が決まる一例です。


 一人称視点における主人公のことだけを取り出しましたが、脇役や「対になる存在」が主人公をどう呼んでいるのか、他の人をどう呼んでいるのかでも「文体」が生まれてきます。

 こちらの場合はどちらかという「世界観の筆致」に関することかもしれません。

 どのような世界観にするのか。人と人との関係はどんな感じなのか。

 それを決めるのです。

 たとえば王様が異世界転移してきた勇者に対して「そなたは」「お前は」「そちは」など主人公をどう呼ぶかで世界観の印象が異なります。

「対になる存在」が主人公のことを「あなたは」「お前は」「貴様は」と呼び分けることでも印象は変わってきますよね。

 これが「文体」を決める一要素なのです。




言い回しによる文体

「文体」には「独特の言い回し」が含まれています。

 わかりやすくするために、前回のコラムにおいて『Google』で「文体」を検索すると出てきた項目を再掲しましょう。

 1. 文章の様式。和文体、漢文体、あるいは書簡体など。

 2. 筆者の個性的特色が見られる、文章のスタイル。


 このうち2の「筆者の個性的特色が見られる」というのが主に「言い回し」のことなのです。

 心理描写に重きを置いたり背景描写を重点的にしたりするのも「言い回し」のひとつ。

 夏目漱石氏『吾輩は猫である』のように、冒頭から「吾輩」について延々と述べるのも「言い回し」です。

 川端康成氏『雪国』のように一文が短くてサクサク進行するテンポの良さも「言い回し」になります。

「句読点」に書きましたが、重文がいくつも続いていくのも「言い回し」です。

「言い回し」にこそ、その「筆者の個性的特色」が表れます。


 だから私は他人の原稿を添削する際、その書き手の「言い回し」についてはとくに言及しません。

 私好みの「言い回し」に改めてしまったら、それはもうその書き手の「言い回し」ではなくなり、「私のクローン」が出来あがるだけだからです。

 ファンタジー小説に「現実世界の慣用句や格言」が出てきたときに朱を入れるのも、そのファンタジー小説の「世界観(ファンタジー感)」に合った用い方をしているのかを見ます。

 「異世界転移ファンタジー」であれば、主人公側が「現実世界の慣用句や格言」を用いても違和感はありません。

 ですが異世界の住人が用いると、明らかに違和感を覚えるはずです。

 そういうところには朱を入れます。

 そのファンタジー世界では「現実世界の住人が頻繁に行き来している」という設定があるのなら、「現実世界の慣用句や格言」を用いてもいいでしょう。

 しかし「異世界転移」が希少な現象なら、ファンタジー世界にやってきた現実世界の住人の人数は当然少ないはず。

 その数少ない人が用いた「現実世界の慣用句や格言」が、ファンタジー世界の住人にまで浸透しているのかと考えれば、やはり朱を入れたくなりますよね。

 ファンタジー小説の場合は、小説が書けるほど文才のある方ならたいてい「現実世界の慣用句や格言」を用いたくなるのです。

 書き手の才能を計るのは「慣用句や格言」の「量」ではありません。

 世界観に合わせた「質」です。

 ファンタジー世界なのに「現実世界の慣用句や格言」が出てくるから違和感を覚えます。

 書き手の才能を示すポイントを見誤っているのです。

 あなたの「ファンタジー小説」に合った「ファンタジー世界の慣用句や格言」をひねり出すのが、書き手が求められる「言い回し」になります。





最後に

 今回は「本文の文体」について述べてみました。

「です・ます体」「だ・である体」による「文体」。

 一人称による「文体」。

 言い回しによる「文体」。

 大きく分けてこの三つのポイントがあります。

 ここでどれだけ「筆者の個性的特色」が出せるのか。

 あなた独自の「文体」はこうやって生まれていくのです。

 そのためには、とにかくたくさんの作品を書きあげてください。

 書けば書くほど、あなた独自の「文体」が出来あがってきます。




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