258.意欲篇:紙の書籍化を目指す

 意欲篇も今回を入れて2回となりました。

 今回は「紙の書籍化」についてです。

 やはりそういう夢があるとモチベーションが上がりますよね。





紙の書籍化を目指す


 あなたは小説投稿サイトに小説を掲載しています。

 そこで出版社から目をつけられて「紙の書籍化」の話が舞い込むためにはなにが必要なのでしょうか。




小説投稿サイトで目立てばオファーは来るのか

 最初に語るべきは「テーマ」と「方向性」です。

 出版社が見据える消費者のターゲット層に直接響くような「テーマ」と「方向性」であること。

 商業的にヒットするかどうかの判断はそこで定まります。

 逆に言えば「テーマ」と「方向性」が定かでない小説は商業的にヒットする要点がないということです。

 バトル小説・冒険小説・恋愛小説などでは読み手が「ハラハラ・ドキドキ」するような「テーマ」と、先々の展開がどのようになりそうかと「ワクワク」させる「方向性」を示せているかどうか。そこが問われます。


 たとえばマンガの鳥山明氏『DRAGON BALL』はキーアイテムである「ドラゴンボール」を探し出すという「方向性」と願いを叶える「テーマ」ががっちりと固まっていたのです。

 そしてもう一度探し出す「方向性」には一年かかるということで、ブルマの用心棒だった孫悟空が旅で出会った武天老師に弟子入りして「天下一武道会に出場する」という「方向性」が提示されました。

 そして「テーマ」も「孫悟空が強いやつと戦って勝つ」という単純明快な仕組みが取り入れられたのです。

 すると間もなく連載の人気が沸騰しはじめます。

 この沸騰をそばで見ていた他作家や他編集さんが「うちも武道会をやりましょう」というノリになっていくのです。

 それが今では「ジャンプマンガ」の体現のように扱われています。

 当時では宮下あきら氏『魁!!男塾』、徳弘正也氏『ジャングルの王者ターちゃんハート』が「武道会」の筆頭だったのではないでしょうか。


 この「天下一武道会」システムで話が大きく変わってしまったのが冨樫義博氏『幽☆遊☆白書』です。

 当初「霊界探偵」として浦飯幽助が都度事件を解決していくという、北条司氏『キャッツ★アイ』『CITY HUNTER』に見られるショートエピソード連作ものでした。

 それが「暗黒武術会」でのバトルものへと大きく変更され、さらに「魔界統一トーナメント」まで振り切ってしまいます。

 魔界編が終了したら幽助は霊界探偵へと戻る「結末」に到達しました。

 迷走から脱却しようと『レベルE』が書かれたわけですがニッチなSFものだったためそれほどビッグヒットはしません。

 そして再び王道の少年マンガに立ち返ったのが『HUNTER×HUNTER』です。

 当初はハンターを目指す「方向性」と、父親ジンに会いに行くという「テーマ」が与えられました。

 しかしハンター試験に合格してから、なぜだか「天下一武道会」路線へと舵が切られます。

 私は正直この路線変更は不要だったのではないかと思っています。

『CITY HUNTER』の冴羽リョウのように、主人公ゴンのハンターとしての日々を描くショートエピソードものにしながらジンを探し出す話にするべきでした。

 そうすればいつまでも連載を続けられますし、いつでも終了させることができたからです。

 その利点を知りつつ『幽☆遊☆白書』の同じ轍を踏む「天下一武道会」システムへと変更してしまいました。

 もったいないことをしたな、と今でも残念でなりません。


 話が逸れました。

 数多くのメディアミックス戦略を展開したことのある出版社なら「テーマ」と「方向性」を見ただけで、物語がハッピーエンドに向かうかバッドエンドに向かうか判断できるはずです。

 もちろんどちらに向かうかわからないようにして「ハラハラ・ドキドキ」感を強調して連載してもいいでしょう。

 ただ小説誌に連載するぶんにはそれでも「紙の書籍化」まで持っていけるのです。

 しかし小説投稿サイトで連載している場合はハッピー・エンドかバッド・エンドかがわからなければ、出版社の編集さんが見極められるまで「紙の書籍化」しようと思わないはずです。


 書き手であるあなたは小説投稿サイトで小説を連載して、何十万字も費やして物語を展開していきますよね。

 読み手の関心を惹きたくてハッピー・エンドかバッド・エンドかを悟らせないようにギリギリまで揺れ動かしていると、それだけ「紙の書籍化」するのが難しくなっていくのです。


 たとえば渡航氏『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』略して『俺ガイル』は当初単巻で完結するはずでした。

 単巻それだけを見て「テーマ」と「方向性」が明確だったから「紙の書籍」になりました。

 ですが人気が予想以上に高かったため急遽続刊を書くことになったのが長期連載の経緯だそうです。(情報は『Wikipedia』を参照しました)。

 つまり「紙の書籍化」した後で人気が集まり、それから出版社が「メディアミックス戦略に乗せられる」と判断したということになります。

 もし最初から小説投稿サイトで今の『俺ガイル』が延々と連載を続けていたらどうだったでしょうか。

 三百枚の時点で「テーマ」はわかっても最終的にどういう結末になりそうか「方向性」がまったくわからないので「メディアミックス戦略に乗せづらい」と判断されていた可能性が高かったと思います。

 そうなれば『俺ガイル』は小説投稿サイトでは盛り上がったとしても「紙の書籍化」までには行かなかったはずです。


 皆様も出版社の長編小説賞を獲れば、少なくとも「紙の書籍化」はされると思います。

 それが『俺ガイル』と同様に人気が沸騰したら続刊を書かせられますし、メディアミックス戦略にも乗せられるのです。

 読み手の関心を惹きたくてハッピー・エンドかバッド・エンドかがわからない小説にしようとするのはやめましょう。

 潔くどちらかに狙いを定めて三百枚をきっちり書ききることです。

 その連載が好評を博したら初めて超長編の連載小説に仕立て直していけば、人気も出るし出版社も目が離せなくなります。


 現在長期連載をしていて、近く訪れる「結末」へ向かってハッピー・エンドかバッド・エンドかの流れが決まれば「紙の書籍化」の話が来るのかなと、上級者の書き手の皆様は思いますよね。

 こういうダラダラ続いてきた作品は「紙の書籍」にはまずなりません。




ビジネスとして良い小説とは

 物語がもうすぐ完結しようとしている作品を今さら「紙の書籍化」したところで、その後のメディアミックス戦略まで連載が続くとは思えないからです。

 読んでいて「テーマ」や「方向性」が見えてこない小説はメディアミックス戦略に乗せるのが難しいと判断されます。

 となれば「紙の書籍化」しても小説止まりになってしまう可能性が高いのです。


 出版社は「紙の書籍化」して安定した売上を確保するだけでは「良い小説」だと思っていません。

 マンガ化・アニメ化・ドラマ化・映画化などの映像作品やコラボCD・ドラマCDなどの音声作品、ミュージカルなどの舞台演劇、スマートフォンアプリのソーシャルゲームといった多種多様なコンテンツへ幅広く展開できることを目指しています。

 一粒の「小説」から幾重にも稼ぎを生み出せるような小説こそが出版社にとっての「良い小説」なのです。

 メディアミックス戦略をとれば、出版社は書き手に「著作物使用料」を支払うだけで、それ以外の売上を手にできます。(製作委員会方式の場合は出資社で出資額に応じて分配されるようですが)。


 この「メディアミックス戦略の展開力(の可能性)」が現代のビジネスとしての「良い小説」なのです。

(『ピクシブ文芸』大賞などの選評を参考にするとやはりこの結果に行き着きます)。




メディアミックス戦略はキャラが立ってこそ

 出版社はメディアミックス戦略を仕掛けようとします。

 しかし需要のないところへ供給を行なっても投資がムダに費やされるだけです。

 メディアミックス戦略で展開しようとするとき、何がたいせつなのか。

 これははっきりしています。

 登場人物の「キャラが立っている」ことです。


 たとえばアニメ『おそ松さん』第一期が放送された際、松野家の六つ子にはそれぞれ異なる声優があてがわれ、性格や外見などがそれぞれ他の五人とは明確に異なっています。


 おおもととなったマンガの赤塚不二夫氏『おそ松くん』のアニメ版では松野家の六つ子は一人の声優さんが担当して、外見もまったく同じです。

 そのため六つ子が実はモブキャラで、イヤミやハタ坊やデカパンのほうが主要キャラだったわけです。

『おそ松くん』ではイヤミの「シェー!」やハタ坊の「ハタ坊ダジョー!」のほうが六つ子よりも世の子どもたちにウケていました。

 特撮映画の東宝『ゴジラ』シリーズでゴジラが「シェー!」のポーズをとるほどの人気ぶりだったのです。

 それに対して六つ子はまったく話題にも上らなかったのではないでしょうか。

 私は『元祖天才バカボン』世代にギリギリ入るかなくらいなので『おそ松くん』の印象はないんですよね。

 ただ「シェー!」と「ハタ坊ダジョー!」は今でも記憶に残っています。


 そんなオリジナルを持つ『おそ松さん』は六つ子にも個性を与えて一人だけでも「キャラが立つ」ように設定されています。

 これにより二次創作とくにBL界隈が大いに賑わいました。女子は「推し松」を最大限にアピールしていましたよね。

 だからアニメからスタートしながらも、さまざまなコラボ商品を生んで一大ムーブメントを巻き起こしたのです。


 出版社が「紙の書籍化」させたいと思うビジネスとしての「良い小説」とは、まさに『おそ松さん』のような広範な展開が期待できる小説になります。

 そのためには世界観でもストーリーでもなく「キャラが立っている」小説が求められるのです。

 ですから世界観もストーリーも「テンプレート」に則っていてもなんら問題ありません。

「キャラが立っている」こと。

 ただそれだけで「紙の書籍化」への道は開かれます。

 とくに「一人称視点を有する主人公のキャラが立っている」ことが重要です。


 次に例として挙げたいのがアニメのビッグウエスト『マクロスフロンティア』です。

 二大歌姫“銀河の妖精”シェリル・ノームと“超時空シンデレラ”ランカ・リーの「キャラが立って」います。

 主人公の早乙女アルトも「天井のない空を飛びたい」という動機を持ち、元歌舞伎の女形という過去もあって「キャラが立っている」と言えるでしょう。

 まぁその結果を最終話最終シーンの「お前たちが俺の翼だ!」ですべてぶち壊してしまいましたけどね。

 どちらを選ぶのかという「方向性」を放棄してしまったわけですから。

 劇場版ではそのあたりをきっちり修正してシェリル・ルートを明確に打ち出しました。

 この劇場版により『マクロスフロンティア』は女子人気のひじょうに高いSFアニメとなったのです。





最後に

 今回は「紙の書籍化を目指す」ことについて述べてみました。

「テーマ」「方向性」が万人ウケすること。そして「キャラが立っている」こと。

 この要素が揃っていれば、メディアミックス戦略を展開しやすくなり、出版社が放っておけない小説になるのです。

 二十万字・三十万字と連載を続けているのに出版社から声がかからない。

 よくあることです。

「紙の書籍化」するには「テーマ」「方向性」「キャラが立っている」を満たしている必要があります。

 このうちとくに「キャラが立っている」作品であれば十万字の時点で出版社から打診が来るはずです。

 なるべく他社より早く声かけして出版社名を書き手に憶えてもらいます。

 そうすれば「紙の書籍化」を他社と競うときに幾分優位に話し合いが持てるからです。

 だから十万字をきっちりと書いて「テーマ」「方向性」を明確にして「キャラが立っている」状態なら、出版社はその作品に可能性があるのか判断できます。

 十万字書いて、もし出版社から打診がなければ「テーマ」「方向性」「キャラが立っている」を意識してもう十万字書いてみましょう。それで音沙汰なしなら、その連載は潔く畳むべきです。そして新しい物語を始めるのです。



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