256.意欲篇:ゴールが見えてくると読み手の興味を惹ける

 今回は「読み手の期待感」についてです。

「紙の書籍」であれば目視して「あとどのくらいページが残っているのか」がわかります。

 ですが小説投稿サイトなら「あとどのくらい残っているのか」が客観視できません。

 また小説投稿サイトで連載しているときも「どこで盛り上がるのだろう」と思ってしまいます。

 どうしましょうか。





ゴールが見えてくると読み手の興味を惹ける


 小説に限らずマンガやアニメ、ドラマや映画などの物語には「結末」つまりゴールが必ずあります。

 ゴールが見えてくると、受け手が「佳境クライマックス」に前のめりになって物語に没入してくれるのです。

 それまで反響が少なかった小説であっても、そこが「佳境クライマックス」であることが伝われば読み手が一挙に増えます。




三百枚の長編小説では

 三百枚の長編小説であれば、残りページが少なくなるにつれて読み手の期待感は高まっていくのです。

 電子書籍ではなかなか文量を客観的に見つけづらいのですが、「紙の書籍」であれば残されたページの厚さから物語の「ゴール」がどこにあるのか一瞬で把握できます。

 書き手としては残りページが少なくなるにつれて読み手をどんどん物語に惹き込むことができるのです。

 でもそこまで読み手を飽きさせずに連れて行くことが難しい。

 この「ゴールが近い」ところまで一息に読ませるような筆致が求められるのです。


 これは書く際にも現れます。

「あと少し、あと何枚で三百枚に到達する」と思えば、できるだけムダのない文章を書き、物語の「佳境クライマックス」を盛り上げて「結末エンディング」へ導こうと思案します。

 つまり読み手にも書き手にも「あと少しで終わりだ」という共通認識が生まれるのです。

 ただし読み手は「もう終わってしまうのか」と思いますが、書き手は「やっと終わりまでたどり着きそうだ」と思ってしまいます。

 読み手はできるだけ盛り上げてほしいのですが、書き手は連載の義務からの解放感からルーズになりやすいのです。

 このギャップを理解して、書き手は「ゴールが近く」なることで「より読み手を楽しま」せなければなりません。

「もうすぐ終わりだ」ではなく「最後の一文まで物語を貫徹させて読み手を楽しませるぞ」という心構えが必要なのです。




小説投稿サイトの連載小説では

 しかし小説投稿サイトで超長編の連載小説を書いている場合、読み手にはどこが「佳境クライマックス」で、いつ終わるのかがまったく見通せません。

 となればブックマークは増えども評価が付かないという「様子見」する読み手が増えてしまうのです。


 その場合は「あと何回で完結します」のような告知をしておくべきでしょう。

「紙の書籍」ですが、2017年12月15日発売の田中芳樹氏『アルスラーン戦記』第16巻はシリーズ完結編となりました。その旨は第15巻末に記されていたため「佳境」へと読み手を誘ったのです。

 この第15巻で「一年以内に完結させます」と予告があったことで、読み手は第16巻の「佳境クライマックス」をよりワクワクして待つことができたのです。


 小説投稿サイトで超長編の連載小説を書いていると、物語のゴールがどこなのかが読み手にはわかりません。

 書き手がいくらでもエピソードを追加できるため「終える」ことが難しくなり、読み手に「いつ終わるのか」を提示できなくなるからです。

 だから「佳境クライマックス」に差しかかる前に「あと何話で終わります」と明示しましょう。

 書いてあれば読み手は「佳境クライマックス」をじゅうぶんに堪能しながら、「結末エンディング」を心待ちにしてくれます。

 できるだけ長く連載を引っ張りたいという書き手もいるでしょう。

 その場合はエピソード単位で「ここから佳境クライマックスに入ります」と示すのです。

 書き手は連載を始めるよりはるか前から、あらかじめ「佳境クライマックス」から「結末エンディング」への流れを先行して「あらすじ」「箱書き」「プロット」を作り込んでいたはずです。

 そこを読ませたいから小説を書いていたわけですからね。

 だから読み手のためにもどこからが「佳境クライマックス」でどこからが「結末エンディング」なのかをあらかじめ「前書き」「キャプション」などで書いておきましょう。


 人は物事を継続するのが苦手です。

 今どこにいるのかをきちんと提示されてこそ、先を読み進めようという意気込みも生まれます。

 一回の投稿ぶんで全体の何%のところにいるのか。

 それがわからなければ、いくら興味深い小説でも読み手は必ず挫折するでしょう。

 だから今自分がどこにいるのか。それを提示することが必要なのです。




先に決めた佳境と結末だと不相応になるときは

 私は先に「佳境クライマックス」から「結末エンディング」までを書いてから「書き出し」を書くように提言してきました。

 それは先がまったく見通せない状況で「書き出し」から書こうとすれば。必ず筆が止まるからです。

 少し書いてはみたものの、どうにも「書き出し」がしっくりこない、納得できない。

 だから書いては悩んで消していく。この繰り返しです。

 それでは生産性が皆無ですよね。まったくなにも生み出せていません。

 だから私は先に「佳境クライマックス」から「結末エンディング」までを書いたほうがいいですよと主張しています。


 ですが、超長編の連載小説を書いているときは話が別です。連載は水もの。

 当初は想定していた「佳境クライマックス」から「結末エンディング」までの流れに沿ったエピソードを構築していたはずです。

 でも読み手からの要望で急遽想定外のエピソードを挟むことも出てきます。

 それによって当初想定していた「佳境」から「結末」までの流れがどうしても不自然になり、変更を余儀なくされることがあるのです。

佳境クライマックス」から「結末エンディング」までを変更する際は「読後感」を意識して書き換えや変更の判断をするとよいでしょう。

 変更するのであればいったん冒頭から読み返して、自然な流れになるよう「佳境クライマックス」から「結末エンディング」までを新たに書き直して違和感のない「結末エンディング」を迎えるように図らうべきです。

 おそらく『アルスラーン戦記』の連載が途中で大幅にストップしてしまったのも、当初想定していた「佳境クライマックス」から「結末エンディング」までの流れが通用しなくなったからかもしれません。

 模索しながら書くことになれば、どうしても筆が止まってしまいます。

 最初に書いたものは、あくまでも「書き出し」を書きやすくするためのものです。

 あまりにも当初プランにこだわりすぎると物語が破綻しかねません。

 そうなるくらいなら柔軟に変更していくほうが建設的です。


 ときに「予想外の終わり方」をして見事に物語を着地させる場合があります。

 それはたいてい当初想定していた「佳境クライマックス」から「結末エンディング」への流れを流用しているものです。

 途中でなにがあってもゴールは動かさないパターンと言えますね。

 変えるべきか当初プランを押し通すべきかは、物語の流れを今一度冒頭から読み返してから決めたほうがよいでしょう。

 物語の流れを逸脱するような「佳境クライマックス」と「結末エンディング」にしないためにも必要なことです。





最後に

 今回は「ゴールが見えてくると読み手の興味を惹ける」ことについて述べてみました。

 読み手は「いよいよゴールが見えてきた。あと少しで物語が完結する。この先どう盛り上がって、どのような結末が待ち受けているのだろうか」と期待しているのです。

 そして書き手も「ゴールがようやく見えてきた。当初想定したとおりの佳境クライマックス結末エンディングは使えるのか。使えないようならきちんと整合性のある佳境クライマックス結末エンディングを書かなければいけない」と思わなければなりません。

 良い書き手は読み手の立場がわかっています。

 つまり「この先どう盛り上がって、どのような結末エンディングが待ち受けているのか」という読み手の心境と寸分たがわぬ、または予想に反した意外性のある「佳境クライマックス」と「結末エンディング」を提示するのです。

 ちなみに「物語を劇的に進め始める」のに程よい場所は全体の三分の二の位置になります。

 ここまでに起承転結の「転」が来なければ、読み手は飽きてしまうのです。

 だから全体の三分の二の地点まで進んだら、すぐに「転」に進んで「佳境クライマックス」まで一気に書き進めてください。



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