第65話 好きになったおんなのこ

【浩一】

         ※

『黛さんが入院したんだって…。詳しいことはよく分からないけど、もしかしたら結構ひどい状態かも知れないって…』

 今にして思えば非常に胡散臭うさんくさい話だし、少し考えればおかしな点はいくらでもある。

 僕はあのとき確かに、ゆかが麻友さんのことを知っているはずがないという考えに至っていた。(実際には既に二人は知り合っていたのだけど)

 それでもゆかの言葉を完全に拭い去ることができなかったのは、たぶん、自分で思っている以上にパニクっていたからだ。

 僕は居ても立ってもいられず、ゆかが口にした総合病院へ走り出した。

 降りしきる雨の中、周りのことなど目に入らないくらい無我夢中で、途中、危うく交通事故に遭いそうになった。

 実はその後のことについては正直、記憶が少し曖昧だ。事故に遭いそうになったことで茫然自失となっていたのだ。

 どうにか病院に辿り着いた僕は受付やナースステーションで麻友さんの病室を聞き出し、彼女の元に向かったのだと思う。

 彼女にあてがわれていたのは個室だった。

 個室に入院するのはそれだけ重篤じゅうとく、あるいは長期化する場合が多いという勝手な印象が僕にはあって、単に大部屋に空きがなかっただけという考えには至らなかった。


         *

 病室に駆け込んだ僕はカーテンで仕切られたベッドに向かって叫んだ。…らしい。

 何を叫んだのかは麻友さんから散々聞かされたので把握はしている。

 まぁ…その、なんだ。

 要するに

「僕を一人にしないでほしい」とか、

「君がいない人生なんて嫌だ」とか、

「ずっと一緒にいてほしい」みたいなことだ…。

 恋人として付き合うようになってからは、あまり麻友さんのことをからかい過ぎると反撃を受けるようになった。


「わたしは悲しいよ…あのとき「君のことが好きなんだっ! 一生だっ! えへん☆」って言ってくれたのにさぁ~」


 ほぼ間違いなく「えへん☆」は言っていない。

 でも他の部分は言ったのだろう。

 それらは全部、本心だから。


         ※

 自分でも不思議だけど、その後のことは逆に鮮明に覚えている。

 まくし立てるように一通り叫んだ僕は勢いよくカーテンを開けたんだ。

 果たして、そこに彼女はいた。

 ベッドに腰掛けた状態で「はわわ…」とか言いながら両手で顔の辺りを扇いでいる。

 その顔はゆでだこのように真っ赤だった。

「………へっ?」

 僕はそれしか言えなかった。

 彼女と目が合う。

 その瞬間「ボンッ!」という“彼女がショートする音”を聞いた気がした。

 目を回した彼女はベッドに仰向けになるように倒れ込んでしまう。

 両手で顔を覆っていても、耳まで真っ赤なので隠し切れていない。

 どうしていいか分からなかった僕は、とりあえず、隣に腰掛けた。

 仰向けで顔を隠したままの彼女がこちらを向き、一瞬だけ指の隙間を開いて僕を見た。

 目が合う。

 また直ぐに隙間を閉じてそっぽを向く。

「コウくん、びしょ濡れだね…。雨、すごいもんね」

「あ、うん。座ったからシーツまで濡れちゃった。ごめん」

「ううん。大丈夫。そこのバッグに綺麗なタオルが入ってるから使って」

 足でバッグの位置を示すのは行儀が悪いと思うけど、ありがたく使わせてもらおう。

「ありがと」

「ん」

 バッグから桜色のタオル(変な動物のイラストつき)を取り出すと、ほのかに彼女の匂いがした。

 彼女が上半身を起こし、居住まいを正す。

 少しだけ僕の方に近づいて座り直した。

 触れてはいないのに体温が伝わってくるほどの距離。

 しばらくの間、沈黙が続いた。

 やっぱり、いい匂いがする。

 タオルとは比べものにならない、とてもいい匂い。

 そのときの沈黙を彼女がどう思っていたかは分からない。


 少なくとも、僕はこの上ない幸せを感じていた。


 だって、


 僕の隣にいるのは、紛れもなく、僕が好きになった黛麻友おんなのこだったのだから。

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