第45話 過去

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 小さかった頃のわたしは、外で遊び回るのが大好きな、わんぱくな女の子だった。

 ままごとや人形遊びなどには興味がなく、男の子に混じってサッカーをしたり、泥だらけになって虫やカエルやザリガニなんかを捕まえたりしていた。

 特に好きだった遊びはドッジボールで、自分で言うのもなんだけどエース級の男の子にも引けを取らないほどの腕前だったと思う。

 小学校に上がると男子が休み時間にドッジボールをするのがブームになった。

 女子の間で流行っていた、あやとりには見向きもせず、わたしは当然のようにドッジボールに混ざることを選んだ。

 小学校で知り合ったばかりの男子からは「女のくせに混ざってくんなよ」と邪険にされることもあった。

 でも、それも徐々に「黛って女なのにすげぇな」という声に変わり、わたしはすぐに受け入れられるようになる。

 その頃からだ。

「麻友ちゃんってさ、ちょっと可愛いからって調子に乗ってるよね」

「そんなに男子にモテたいのかな?」

「いつも男子にぶりっこしてて馬鹿みたいよねー」

 朝のホームルームや休み時間の度にひそひそと、でも確実にわたしに聞こえるように、ささやく声が聞こえるようになった。

 始めのうちは当然反論をしていた。

 でもすぐに、それが火に油を注ぐだけだということに気づき、わたしは何も言えなくなってしまう。

 こういうとき、女子というのは驚くほどの狡猾こうかつさと陰湿いんしつさを発揮する。

 いじめと捉えられるような行為を先生おとなたちに気取られないように実行することに関して、彼女たちは、まさに天才だった。

 また、男子は女子の問題に介入しようとは思わないもので、なんの頼りにもならなかった。

 わたしは次第に孤立していった。

『今は周りの空気が変になっていて、みんな、その空気に飲まれているだけ。そのうち、わたしの悪口を言っていたことなんて忘れてしまうはず。

 だからこんなことはすぐに終わる。

 わたしの中にわだかまりは残るだろうけど、それさえ気にしなければ前みたいな学校生活に戻れる…。また、ドッジボールができる…』

 そう、信じるしかなかった。


 でもそれは甘すぎる考えだった…。


         ※

 心無い言葉を浴びせられる日々がしばらく続いたある日のこと―――。

 わたしの通う小学校では二時限目と三時限目の間に「業間休み」という少し長めの休み時間があった。

 その日、業間休みの始まりを告げるチャイムが鳴ると女子の一人が教壇に立った。

 その子は率先してわたしをおとしいれようとしている子の一人だった。

 クラスの全員が「なんだなんだ?」とその子に注目する。

 新しいオモチャを見つけた子供のように目を輝かせて教壇に立つその子は、一体どこでそんな知識を得たのか、こんなことを言った。


「みんな知ってる? 麻友ちゃんみたいな子のことを「いんらん」って言うんだって!」


「淫乱」なんていう単語は、当時のわたしたちにとってまったく馴染みのない、耳に入ることすらない単語のはずだった。

 教壇に立っている子と席について縮こまっているわたしに、みんなの好奇の目が向けられる。

「いんらん?」

 一人の男子が間の抜けた声で聞くと、教壇に立っている子が嬉々とした様子で言う。

「そう! いんらんッ!」

 まるでわたしが「いんらん」であることを宣言するかのような口調だった。

 今度は女子の誰かが質問する。

「いんらんって、どういう意味?」

「すぐに男の人といやらしいことをするって意味だよ!」

 わたしは愕然がくぜんとした。

「いやらしいこと」なんて子供のわたしは知るよしもなかった。けど、今まで言われたどんな言葉よりも嫌な感じがした。

 教室内に満ちていた好奇の視線が徐々に軽蔑けいべつのそれへと変わっていく。

「麻友ちゃん、ふけつなんだぁ!」

「ちがうよ! 麻友ちゃんはいんらんだよ!」

「麻友ちゃんは……いんらん」

「そう! いんらん!」

「いんらん!」「いんらん!」

「麻友ちゃんは、いんらんッ!」

 みんなは何が楽しいのか、ろくに意味も分かっていないはずのその言葉を休み時間が終わるまで言い続けていた。


 この日からわたしのあだ名は「いんらん」になった―――。

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