第41話 あの日のこと

【由香子】

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 ぱちん。

 車で家まで送ってくれた彼氏に改めてお礼のメールをするために携帯を開いた。

 もうとっぷりと日が暮れているというのに充電は満タンだった。

 さすがに充電の減りが早くなったことは否めない。

 でもまあ、まる二年は使っているので仕方ない。

 それでも今日のようにほとんど使わない日であれば、夜まで満タンを維持できるくらいには頑張ってくれている。

 以前のように不自然な減り方をすることは、もうない。

 今でもときどき考える。

“あの浩一”は一体なんだったのかと。

 現象的にはイマジナリーフレンドということになるのだろう。

 でも何故か“彼”は突然ウチの前から姿を消した。

 その理由と“彼”の正体について、ウチは一つの仮説を立てていた。


 あれは“浩一本人”だったのだと思う。


 幽霊とか、残留思念とか、言い方はこの際なんだっていい。

 ミズから聞いた話では、浩一の死を受け入れられなかった当時のウチは心身ともにかなり不安定だったらしい。

 それを見かねた浩一は現世に留まり、ウチが快復するまで

 でもウチが勝手に暴走した挙げ句、最初から存在すらしていない架空の女性を浩一のイマジナリーフレンドだと突きつけた。

 このままでは正体がバレるかも知れないと焦った浩一は慌てて天国に行ったのだ。

 荒唐無稽だってことは分かっている。

 でも、そう思いたかった。

 今思えば、

“あの日”の「勇気」と「展開」は、浩一が最後にくれた、ささやかな贈りものだったのかもしれない。


         2

「あっ…ごめんなさい。知り合いに似ていたもので。つい…」

「はぁ…」

 普通ならそこで会話が途切れ、「それじゃあ…」って流れになって終わりだと思う。

 何か話すにしても、精々、ぶつかったことへの謝罪を繰り返すくらいが関の山だ。

 でもそのときは違った。

「えっと…ウチ、小林由香子って言います」

 どうして名乗ったのかは自分でもよく分からない。

 てか、見ず知らずの男の人にいきなり自己紹介するなんて、まず有り得ない。

 青年はポカンとしていた。

 …そりゃそうなるよね。

 普段だったら、この時点でかなりの「勇気」が必要だったと思う。

 でもこのときは不思議とすんなり言えたんだ。

 そして自分でも信じられないような言葉が口をついて出た。

「貴方にお願いがあるの」

 その後の「展開」は不自然過ぎるくらいに上手くいった。

 最初はさすがに怪しまれた。

 当然だろう。

 もし逆の立場だったら、怪しむどころか、すぐに逃げ出していただろう。

 大声を出していたかもしれない。

 でも青年はウチの話を聞いてくれた。

 あまり詳しい事情は話せなかったけど、徐々に警戒を緩めてくれた。

「もう一回だけ確認しますけど、ナンパとか詐欺とかではないんですよね?」

 ウチは青年の目を真っ直ぐに見つめながら首肯する。

「自分が物凄く怪しいっていう自覚はあります…。だから「信じて」としか言えないです」

 青年はウチの視線を受け止めながら、どうするべきか考えているようだった。

 やがて、負けましたとばかりに目を閉じた青年は少し困ったような、でも優しい口調で「何をすればいいんですか?」と言ってくれた。

「もちろん、出来ることと出来ないことがありますよ? それと、実は人を待たせているのであまり時間は取れないんです…。それでも良ければ」

 それで構わないという旨を伝え、ウチは「貴方に言ってほしい言葉があります」とお願いした。

 詳しい内容を青年に伝えると、あからさまに怪訝な顔をされた。

 でもそれは当然の反応だと思う。

 何故そんなことを言ってほしいのか、青年には全く意味不明のはずだから。

 きっとウチのことを頭のおかしな奴だと思っただろう。

 青年は、

「本当によく分からないですけど…それくらいなら別にいいですよ」

 戸惑いながらも、そう言ってくれた。

 見ず知らずの人に変なことを言わせて、勝手に涙ぐんでいたウチはかなり挙動不審だっただろうなぁ…。

 別れ際にクリーニング代のことを提案すると、

「初対面の人にあんなことを言うなんていう、とても貴重な体験ができたので、それが代金ということで」と断られてしまった。

 それはそれで本心だったと思うけど、これ以上不審者に関わりたくないという気持ちもあったのかもしれない。

「それじゃあ。僕はこれで」

 そう言い残して青年が映画館に入っていくと、少しして、やけに大きな女性の声が聞こえてきた。


「コウくん、おっそーい!」

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