第30話 動揺

【浩一】

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 何を言われたのか分からなかった。

 耳に入ってくる言葉の意味は分かるのに、それを理解するまでに数秒の時間を要した。

 信じられない。

 こんな突拍子もない話。

 だってあまりにも馬鹿げてる……。

 最初に思い浮かんだ感想はそのようなものだった。

 話を終えたゆかは深刻そうな顔で僕を見ている。嘘や冗談を言っているようには到底見えない。

 あまりに真剣なゆかの様子に、僕は一瞬、彼女の語った話がすべて真実であるように思えた。

 でもすぐにそれを否定する。

 …なんて馬鹿な話を鵜呑みにしようとしているんだ、僕は。

 いくら本人が真剣そのものでも、ゆか自身が勘違いをしているということもある。

 むしろその可能性の方が高い。

 そもそも、なんで、ゆかがそんなことを知り得る…? 考えてみれば、そんなことは有り得ないはずなんだ。

 だって、ゆかは“黛麻友のことなんて知りもしない”のだから―――


 それなのに、

 何故だろう…


 僕にはゆかの言葉が真実に思えてならなかった―――。


 あの『猫のような少女』はついこの前まで、確かに僕の隣で笑っていた。

 腹の立つドヤ顔で「えへん☆」なんて言っていたんだ。

 僕たちはこの場所でたくさんの話をした。

 大抵は他愛のない話だったけど、恋愛の話をきっかけに僕たちの距離は近づいた。

 僕はよく、彼女の『猫のようなきまぐれ』に振り回された。

 神社でゴミ拾いをしたり、過激なシーンがある映画の新作を見に行ったりした。

 最初は嫌々だったこともある。…なのに、最後はいつも充実した気持ちになっていた。

 インターを一緒にぶらついたとき、僕たちはずっと笑い合っていた。

 その前は手と口元をべちょべちょにしながらハンバーガーを頬張っていたっけ。彼女にしては珍しく、まるで子供みたいだった。

 僕は「えへへ」とはにかむ彼女に、内心、ドキドキしていたんだ。

 ついこの前だって僕の家に来たはずだ。

 いくつかある変な置物の中でもワニのものがえらくお気に入りだった。

 帰り際、彼女は言ったんだ。

「じゃあ、またねーっ」って―――。

 手を大きく振りながら、近所迷惑になるんじゃないかと心配になるくらい大きな声で、彼女はそう言ったんだ。

 僕は小声で「うん。また」と小さく手を振り返した。あのとき僕は頬が緩むのを抑えられなかった…。

 それなのに―――

 それなのにッ!


 こんなのって、あんまりじゃないか!!


 …

 ……

 ………

 病院だ。

 病院に行くしかない。

 確かめるんだ。

 医者でも看護師でも誰でもいい。

 彼女のことを聞こう。

 それですべて解決する。

 僕は走り出した。

「あっ、ちょっと!」

 ゆかの声を背に聞いた。

 でも振り返る時間すら惜しかった。


 大丈夫。きっと大丈夫。


 そう自分に言い聞かせながら僕は走った。

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