第23話 IF

【瑞希】

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 健康診断は午後五時で受付終了だ。

 毎回時間ギリギリの駆け込み受診はあるものの、特に大きなトラブルはなく、無事に一日の業務が終わった。

 町のみんなが健康で何より。

 片づけなどを終わらせ、あたしと茶野先輩は休憩室で着替えていた。

 時刻は午後七時を少し回ったところ。

 ロッカーにしまっておいたスマホを確認すると由香子からメールが届いていた。

 用があるときは電話派の由香子にしては珍しい。

 何か大事なことかもしれないので、すぐに本文を確認する。

「………」

 その内容にあたしは戸惑ってしまった。

「茶野先輩。ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

 ちょうど白衣を脱いでいる最中だったところに声をかけてしまった…。

 セクシーな下着が似合う、その、ふくよかな胸元がうらやましい…。

「なんでも聞いてくれていいわよ」

「今、友達からのメールを確認したら、教えてほしいことがあるっていうんです。でもあたしにもよく分からない内容で…」

 茶野先輩は色々なことに精通しているから、何かしらの話は聞けそうな気がする。

 それに、もし何も収穫がなかったとしても、先輩と話しているだけで気持ちがすぅっと楽になる。

 そういう癒やしのオーラみたいなものを持っているんだ。この人は。

 下着姿の先輩は「続きをどうぞ」という目線をくれた。

 その優しくて柔らかな表情は、やっぱりマシュマロみたいだ。

「先輩は精神医学とか詳しい方ですか?」

「精神医学…? どうだろ…。一応、ある程度の知識はあるつもりだけど……専門ではないし、さすがに詳しいとは言えないかな。でも分かる範囲でなら答えるよ?」

 あたしは「その友達もネットで少しは調べたらしいんですけど」と前置きをしてから聞いてみた。

「先輩はイマジナリーフレンドって知ってますか?」

「IFのこと、よね?」

 普通にIFという略称を知っているだけで、さすがだと思う。

「私も一般的に言われてるようなところまでしか知らないけど…IFがどうかしたの?」

「いえ、どうってことはないんです。ある映画の影響でIFに興味が湧いたらしくて、色々調べてるみたいなんです」

 由香子からのメールにはこうあった。

『大人になっても消えないIFと、大人になってから現れるIFに特に興味がある』

 茶野先輩にその旨を伝える。

「そういう事例があるってことは知ってるけど、それって稀なケースだよね。私だって実際にお目にかかったことはないし…。お友達がネットで調べたっていうのなら、たぶん、それ以上のことは私にも分からないかな…。ごめんなさいね」

「いえ、そんなことないです。話を聞いてくれてありがとうございました」

「今こんなことを言っても説得力ないかもしれないけど、またいつでも頼って頂戴ね?」

「はい。ありがとうございます」


         ※

 そのまま雑談をしながら着替えを済ませた後、あたしは改めて先輩に聞いてみた。

「先輩、ちょっとIFの話に戻るんですけどいいですか?」

「あら? 四条さんも興味があるの?」

「いえ、興味ってほどではないんです。ただ、アニメとかゲームでもよく扱われる題材なので少し気になって」

「確かにそうね。そっち方面には疎い私でも、いくつか知ってるもの」

「そういう作品ではIFにも色々なパターンがあるんです。例えば、IFの保持者が相手をIFだと知らずにずっと接していて、物語の終盤で明らかになるってパターンとか」

「うん。そのパターンもいくつか知ってるよ」

「そういうことって実際にあるんでしょうか」

「いわゆる幼少期の「空想の友人」って、たぶんそういうものだと思うわ。だから大人になってからでも有り得ることなんじゃないかしら。…あっ、さっきも言ったように、私は専門家ではないから鵜呑みにはしないでね?」

「分かりました。あくまで仮定の話として聞かせてもらいます」

「よろしい。では続きをどうぞ」

 先輩が寄越した可愛らしいウインクに打ち抜かれたことをおくびにも出さずに、あたしは言った。

「もし実際にあったとして、普段の生活の中で絶対に矛盾する瞬間があると思うんです。そういうときはどう対処するんでしょう」

「それについては、矛盾が起きないないように、ある種の防衛本能が働く、っていう設定の話があったような気がするな」

 先輩が知っている設定というのは以下のようなものだった。

 例えば、IFの所持者である人物『A』が、IFと一緒にコーヒーを飲むとする。

『A』は、ごく自然に二つのカップにコーヒーを注ぎ、自分の分の一杯だけを飲む。

 当然、手つかずのカップが一つ残る。

 すると『A』は残ったコーヒーを無意識のうちに流しなどに捨ててしまうらしい。

 そのようにして“二人分のコーヒーが飲み干された状態”を作り上げ、矛盾を打ち消すのだそうだ。

「それにしても四条さん、なかなか面白い着眼点ね」

「あたしが知ってるIFの話は全部、二次元の世界のものです。…でもそれがもし現実に、しかもあたしの身近なところで起こったとしたら、どう接するのがいいのかなって気になったんです……」

「なるほどね」

「先輩はどう思いますか?」

「私は解離性同一性障害を発症してしまうようなケースでないのであれば、別に普通に接すればいいと思うな」

「先輩はやっぱり大人ですね…」

「四条さんは違うの?」

「あたしはあたしの知っている人がそうなったとしたら…言い方は悪いですけど、憐れと言うか…滑稽と言うか…痛々しくて見てられないと思います…。だから本人に「そんな人、本当はいないんだ」って真実を話してしまうかも……」

「それは繊細な問題かもしれないね。いきなり話しても本人は戸惑うでしょうし、その結果、どんな事態を引き起こすか分からないもの…」

「そう…ですよね。でも、ただ見ているだけっていうのは、あたしには荷が重そうです」

「となると、精神科の受診を勧めるのが一番いいのかな。厳密にはIFの発現を疾患とは呼ばなくてもね…」

「て言うか、仮定の話なのにこんなに真剣に議論してくれて嬉しいです。やっぱり先輩はいい人ですね」

「こちらこそ、有意義な話ができたと思ってるよ。私も四条さんの着眼点には感心したもの」

 先輩と話した内容は由香子が求めているような情報ではないかもしれない。

 でも一応、報告はしておこう。

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